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母親に自由時間がないのは「自業自得」なのか…赤の他人に"産まなければいい"と言う日本社会の残念さ

プレジデントオンライン / 2022年2月7日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

SNSで子育ての愚痴を書いた人に「自分が産んだのだから自己責任だ」というコメントをする人がいる。小児科医の森戸やすみさんは「子供がいなくても病気になったり、職を失ったりすることはある。いずれにせよ全部自己責任とするのはおかしい」という――。

■子供を愛していても、睡眠をとらずにはいられない

子育てをしていると、ひどい言葉を耳にしたり目にしたりすることがあります。「子供がいるために困った境遇になっても、勝手に産んだのだから自己責任」、「わざわざ産まなければつらい目に遭わなかったのに、なんで産んだの?」といったようなことです。

例えば、SNSなどで赤ちゃんのいるお母さんが「眠いときに寝たい」「一人の時間がほしい」と愚痴とさえいえないようなことを書いた時に「母親なのに寝ようとするなんて人としてダメ」「自分が産んだんだから自己責任」「そんなふうに言うなら産まなければいい」というコメントがついたりすることがあります。しかし、どんなに子供を愛していても、睡眠をとらずにはいられませんし、一人の時間は誰にでも必要ですから、あまりにも無茶苦茶というものです。

■他人から「産まなければいい」と言われる必要はない

子供を産んだからといって、当然の行動を自粛しなくてはいけないなんてことはありません。睡眠をとったり、出掛けたりする権利は、当たり前のことですが、誰にでもあるのです。また、産んで初めてわかる子育てのつらさもあるのですから、子供のいないところで愚痴を言ったくらいで、他人に「産まなければいい」と言われることはありません。産まなければよかったとか、子供がかわいくないということではなく、ただしんどいと感じる時期や事柄もあるというだけ。

子供がいなくても、人は急に病気になったり、職を失ったりすることもあるでしょう。同様に、子育て中にもさまざまなことが起こり得ます。思いがけず、産後うつや育児ノイローゼになったりすることもあれば、病気になることもありますし、経済的に困難を抱えることもあるわけです。それを全部自己責任とするのはおかしいのではないでしょうか。そういう意見の人たちは、生まれてすぐから自分のことは自分ででき、これからも他人に面倒をかけないというのでしょうか。

■子育てする親が「罰」を受けるような政治と社会

こういった「子育て自己責任論」の背景には、子供に優しくない政治と貧困があります。2020年12月には、一律で給付されている児童手当の廃止が決まりました。子供を産み育てることには多額のお金がかかり、また賃金も上がらないままなのに、国さえもが「自分で望んで子供を持ったのだから、そのくらい覚悟の上だろう」と言わんばかりです。現在は年収が多い世帯が児童手当廃止の対象ですが、徐々に年収の上限が下がって多くの人が児童手当を受けられなくなるのではないかと言われています。国が子育てを軽視しているありようが、子育てに厳しい風潮を作っている面もあるでしょう。

この状況は、日本大学教授の末冨芳氏と立命館大学准教授の桜井啓太氏が、共著書『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』で指摘していたところの「子育て罰」のようです。「子育て罰」とは、「子育てをすること自体に罰を与えるかのような、社会の厳しい冷たさ」を表す言葉。日本の子育て層は、年金・社会保険の負担が今の高齢者世代よりも高いなかで、子供を産み育てて社会に貢献しています。それにもかかわらず、政治のありよう、社会のしくみと慣行、そして人々の意識が子育て層をいっそう苦しくしています。日本は、子供を産み育てるほどに生活が苦しくなっていく、「子育て罰」の国だというのが著者たちの考えです。いったい日本は、いつからこんな国になったのでしょうか。

■かつての日本は地域全体で子供を大事にしていた

江戸後期や明治時代に日本を訪れた外国人が、日本人の子供をかわいがる態度について書き残しています。例えば、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)によると、エドワード・モースは、「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」と書き残しました。イザベラ・バードは、「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ」と書き残しています。もちろんすべての地域がそうではなかったでしょうけれど、母親や父親だけでなく、日本ではかつてコミュニティ全体で子供を大事にしていたようです。

小学生と一緒に歩く父
写真=iStock.com/AzmanL
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AzmanL

こういった話を読むと、なんだかとても心がやすらぎ、温かな気持ちになりませんか。また、情緒的ないい点だけでなく、弱者・子供に目をかけて慈しむことは、社会保障の役割もするでしょう。誰にでも居場所があるということは、社会を安定させることにつながります。弱者に対しての行動は、自分や社会全体に返ってきて、まさに「情けは人の為ならず」なのです。

■子供に優しい社会はみんなに優しい

以前に私は、当連載で「子育てに寛容でなく厳しい風潮がある」ということを書きました(妊婦の目の前の空席を横から奪う…小児科医が気づいた「日本の子育てが息苦しい5つの原因」)。Twitterでは、「心の余裕のない人が増えているんだろう」「他人を気遣うことができないほどつらい人が多いからしかたない」というような反応がありました。それもまた、真実だと思います。

子供の頃から自身を厳しく律するようにとしか教えられず、優しくされなければ、寛容さは育ちにくいでしょう。「他人に迷惑をかけないようにと言われて育ち、大人になったら弱者のために我慢しろと言われたら、自分のことはいったい誰が顧みてくれるのだろう?」と悲しくなるのかもしれません。

でも、誰かに優しくすることは、自分から何かが奪われることではありません。困っている親子と優しいコミュニケーションが取れたら、気遣った人にとってもいい経験にならないでしょうか。子育てを自分ごととして考える父親が増えていき、問題提起をして解決能力を持つ母親が増えたら、子供にとってもっといい世の中になるのではないでしょうか。そして、弱者である子供に優しい社会は、誰にとっても優しい社会になるのではないでしょうか。

■お父さんが子供を小児科に連れてくることが増えた

私は、小児科医になって20年以上がたちますが、近年お父さんが患者さんを外来に連れてくることが明らかに増えています。先日、小児科医の会合に出た際にも同様のことを言っている先生がいました。昔の父親は、外来に来なかったし、母親に言われて連れてはきたという場合でも、子供の普段の様子も病状のことも全然把握していないことが多かったのです。

ところが、最近のお父さんは違います。「普段、この子は夜中に1回くらいしか起きないけれど、昨日は3~4回ほど咳をして目が覚めていました」とか、「いつもならこのくらい食べるのに、今朝は半分以下でした」などと教えてくれます。そして、私が通勤する道ですれ違う保育園児にお父さんと一緒にいる子がとても増えています。男女ともに子育てをすることが復活しているかのようです。

小児科を受診する子供
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■夫婦で子育てをする世代が大人になってきた

今や学校でも、性別役割分業は正しくないと教えています。出席番号も男女で分けなくなりましたし、男女共同参画について学んだ世代が大人になってきています。私が小中学生の頃は、家庭科で料理や裁縫、洗濯の方法を学ぶのは女の子だけで、男の子は技術を習っていました。平成元年からの学習指導要領では、「技術・家庭」は男女とも履修するようになったので、今では考えられないことです。

そういった女の子と男の子が成長して家庭を持ったときには、協力して家事をし、子供ができたら二人で育てるでしょう。少なくともワンオペは「あるべき姿」とは違うと思うのではないでしょうか。子育てをする男性は、子供が公共の場所で騒いでしまったり面倒をかけたりしてしまっても、子供は時に大人の理屈が通じず、親にできることは限られているということを知っていて、冒頭のような「産まなければいいのに」なんて言葉は口にしないでしょう。

■人間の本質が邪悪なら、こんなに栄えていない

もちろん、今現在、親子に厳しい風潮があり、弱い者いじめをする卑劣な人がいることは事実で、とても悲しいことです。でも、実は数は少ないだろうと思います。そういう人は特別に声が大きく、あまりにひどいので目立ってしまうだけ。例えば、インターネット上のレビュー欄やコメント欄には、おおむね同意する人の意見は書かれにくく、強い反感や悪意を持った人のほうが書き込みやすいといった傾向があるだろうと考えられます。

人を信じることが難しくなってしまった時には、ぜひルトガー・ブレグマン『Humankind 希望の歴史』(文藝春秋)という本を読んでみてください。「人間は極限状態になったら他人を押しのける本能がある」と、とかくシニカルに捉える態度が現実的だと思われています。ニュースでは数が少なく危険性の高いものがよく報道されます。従来、リアルだとされる文学作品、心理学の実証事件、事件報道はそのように伝えられてきたからです。

しかし、人間の本質がそんなに邪悪だったら、種としてこんなに栄えていないでしょう。この本には、私達は危機的なときこそ、本当は支え合ってつながり合うものだということが書かれています。つながり合い助け合うことが多いからこそ、私達は生き残り、地球上で繁栄しているのです。他人とつながり合うためには、思ったことを口にする、感じたことを伝えるということが大事です。困ったり大変だと思ったりしている人は、周囲に伝えてみましょう。私はこの本を読んで、人というものは性悪説・性善説と真二つに分かれるものではなく、性善説寄りの明るいグレーなんだと思いました。メディアが脅威を強調するほどには、世の中は悪くないし、少しずつよくなり続けていると感じます。

手と手
写真=iStock.com/Ritthichai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ritthichai

■いつの時代も未来を作るのは子供たち

誰もが誰かから生まれ、保護者や周囲の人に世話をしてもらって成長し、やがて大人になります。いつの時代も、社会のお荷物だと思われがちな子供たちが、未来を作っていくのです。そして、面と向かってひどい言葉を投げかけてくるのは、たった一部の人たちだけ。相対的に見たら、優しい人たちのほうが多いのです。だから、たまにおかしなことを言ってくる人がいても、萎縮しないで子育てしていきましょう。私は、すべての子供が生まれてきたことを祝福され、保護者だけでなく周囲にも大事にされて育っていく社会になるよう、親子に優しくありたいと思っています。

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森戸 やすみ(もりと・やすみ)
小児科専門医
1971年、東京生まれ。一般小児科、NICU(新生児特定集中治療室)などを経て、現在は東京都内で開業。医療者と非医療者の架け橋となる記事や本を書いていきたいと思っている。『新装版 小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』『小児科医ママとパパのやさしい予防接種BOOK』など著書多数。

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(小児科専門医 森戸 やすみ)

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