茂木健一郎が実践中「ドーパミンが放出されて、思い出す回路が強化される」ある方法
プレジデントオンライン / 2022年1月28日 10時15分
■記憶力の低下は意欲の問題だ
「年を取ったことで記憶力が落ちた」──こんな言葉をよく耳にします。
これは真実でしょうか。結論から先に述べると、事実に反します。たしかに以前は、「人間の記憶力は若者のほうが優れている」が通説でした。脳細胞は成人してからは新生しないと思われていたからです。
しかし近年、その通説が大きく変わりつつあります。成人の脳でも、新生し続ける神経幹細胞の存在が明らかになったからです。つまり、学習や記憶、脳の損傷修復は大人になってからも十分に可能。「年を取ったから学べない」は、単なる言い訳にすぎないのです。
そもそも10代、20代と年齢を十進法で区切ること自体が、脳科学的にはナンセンスです。最大の「エイジズム」(年齢差別)といってもいい。人間の思考力・行動実行力・感情コントロールなど社会性を司る前頭葉が完成するのは20代と遅めです。人によっては30歳近いこともあります。
脳の完成はそれほどゆっくりで、早期教育に血眼になる必要はないわけです。緩やかに成熟していく脳は、その後も急速に劣化することはありません。現在、よほどの高齢者であったり認知症状が出たりするまでは、脳の記憶力や学習能力が著しく低下することはないと考えらえています。
■脳細胞もいわば筋肉と同じ
にもかかわらず、「記憶力が低下した」「ものを覚えられない」を実感しているシニア層は少なくありません。それはどうして起こるのでしょう。
おそらくは能力より「意欲」の問題です。若い頃は大学受験や入社試験のため、否でも応でも学習しなくてはならなかった人も、入社してしまえば学習に打ち込む機会は減少します。ただでさえ電話番号もスケジュールも、スマホが人間の代わりに記憶してくれる時代です。成人して以降、人間が記憶を必要とする場面は、激減します。
脳細胞もいわば筋肉と同じで、年齢にかかわらず使わなくなったら、記憶力は弱まります。しかし、筋トレやランニングで再び筋肉がつくように、学力や記憶力も、その人の行動変容によっていかようにも伸ばすことは可能なのです。
年配者ほど記憶しやすい分野もあります。たとえば語学学習。コンピュータに英単語を記憶させる際は、それが100語だろうと1万語だろうと、記憶するスピードに差はありません。記憶のメカニズムに変化がないからです。
しかし人間の場合は、覚えるスピードは加速します。新しく英語を始めた10歳と、すでに英語知識がある60歳とでは、新しい単語を覚えるスピードは後者のほうがずっと速い。仮に単純な記憶力では10歳のほうが勝っていたとしても、そこには圧倒的な経験の差が横たわっているからです。
あなたが今60歳なら、流暢な英語が話せなくても、受験英語や、海外旅行で使った英会話など、ある程度の知識が備わっているはずです。それらを手掛かりに、新単語の意味の推測や派生語の連想も可能になります。長年の記憶や経験が土台となり、効率よく学んでいけるのはシニアならではの最大のメリットです。
それはコミュニケーション能力など、異なったジャンルでも発揮されます。たとえばパーティで新しい人に出会った場合、10代ならどう振る舞えばいいか右往左往しても、60代なら適切な会話や行動ができるはずです。それらはすべて長年の学習がなせる業。スタートラインで得していることを喜ぶべきなのです。
年齢を言い訳に、新しいスキルや知識を習得するのを避けてはいけません。おそらく周囲を見渡しても、新時代や若い世代に拒絶感を抱く人が、年齢を口実に現状維持を良しとしている気がします。ITスキルやプログラミングなど新しいことに常にチャレンジをしている人は、年齢のことなど口にしていないはずです。あくまで想像ですが、81歳にして初めてiPhoneアプリを開発した若宮正子さんは、おそらく自分の年齢にとらわれていないのではないでしょうか。
■記憶は時々取り出し、虫干しする
改めて記憶のメカニズムを説明しましょう。「覚えていたはずなのに、思い出せない」というど忘れは、なぜ起こるのか。
私たちがPC作業をする際は、作成した文書や表計算をファイル内に保存します。1年後に確認したければ、そのファイルを開けばいいだけの話です。
しかし、脳の記憶はそうはいきません。保存したはずの記憶が、時間の経過とともに保存先を移動していたり、内容を改ざんしたり、最悪の場合(しかもよくあることですが)いつの間にか消去していることもあるのです。
人間の記憶には「短期記憶」と「長期記憶」の2種類があります。ものを覚えるとき、いったん収納されるのは、前頭葉が司る「短期記憶」です。口頭で伝えられた電話番号を覚え、後でメモする場合などの一時保存機能です。
しかし記憶をずっと固定するためには、改めて大脳皮質全体(特に側頭連合野)が司る「長期記憶」に保存しなくてはなりません。みなさんも英単語を覚える際、1度見ただけでは覚えられず、何度も繰り返し復習したはずです。「短期記憶」に保存された情報は、「長期記憶」への保存を根気よく行わなくてはなりません。
ただし、1度「長期記憶」に保存された記憶も、取り出さなければ忘れ去られてしまいます。そのため、時折前頭葉に引き出して、スクリーンのようなところに映し出す必要があるのです。
10代で覚えたはずの英単語を、50代になるとほとんど覚えていないことがあります。それは「長期記憶」という名の書庫に保存したまま、40年間放置し続けた結果です。記憶は書庫から時々取り出し、虫干しする必要があります。それを行う司書の役割が脳の海馬です。海馬は「長期記憶」を整理し、必要に応じて記憶を取り出し、再度しまう働きをします。
つまり、学習にとってもっとも大切なのは「覚えること」よりも、「取り出すこと」。「インプット」より「アウトプット」であることを覚えておきましょう。
■人には見せられない!「鶴の恩返し勉強法」
なので、英語力をつけたい場合、単語や構文を目で追っているだけでは不十分です。もっと大切なことは「使う」ことです。
外国人に積極的に話しかける、海外のニュースを英語で聞く、英語の小説を読む、英語で日記を書く。五感を使えば使うほど、記憶は定着していきます。なぜなら「長期記憶」を司る側頭連合野は、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚などの五感を統合するところでもあるからです。
「見る」「書く」「聞く」「話す」など、さまざまなアクションを同時に駆使したほうが、記憶は定着しやすい。その脳の性質を利用して私が編み出したのが、「鶴の恩返し勉強法」です。文章を書きなぐって、大声で読み、記憶していきます。「私がはたを織っているところを見ないでくださいね」と言い残し籠もったおつうのごとく、髪を振り乱して勉強している姿は人に見せられません。しかし、クールに黙読しているよりはるかに記憶できるのです。
語学だけに限らず、学んだ知識はアウトプットしたほうが定着度は高い。昔から「人に話すと覚える」「テストに出た問題は忘れない」と言われてきた所以です。社内での雑談、ランチタイム、飲み会の席で、「今、こんなことを勉強しているんだけどね」と、ぜひ積極的に人に話してください。
私たちの生活を「記憶」と「学習」から遠ざけている最大の障壁はなんでしょうか。シニア層だけでなく現代人すべてに共通するその障壁は、「学びに必要な時間が足りない」ことです。
現代人はとにかく忙しい。時間マネジメント、別の言い方をすれば「時間の断捨離」が必要です。かくいう私も時間が足りません。英語だけでなくスペイン語や中国語も話してみたい。科学に必要な数学も極めたい。脳科学の論文を読む時間も捻出したい。何を学び、何を捨てるか、集中と選択が大切なのが現代人です。
もう1つ、現代ならではの課題がスマホです。朝起きてから夜寝るまで、私たちは片時も離さずスマホでニュースを読み、SNSで知人の近況をチェックし、仕事のメールをチェックし、ゲームをしています。便利で快適な生活必需品ですが、人生から時間の空白を奪う存在は、学びと記憶にとって強敵です。
私たちの脳は、夜の睡眠時や、日中ボーッとしている時間にこそ、学習します。リラックスしているときによく働く脳部位が「ディフォルト・モード・ネットワーク」で、海馬もその一部です。覚醒時にフル回転していた脳がアイドリング状態に入り、記憶の整理と保存が進みます。何もしない時間は外から見ると無駄に思えますが、「脳を整える」ためには不可欠な時間です。
■ど忘れは脳を働かせるチャンス
だから、ヒマさえあればスマホをいじってしまう人は、デジタルデトックスをしたほうがいいでしょう。グーグルがマインドフルネスを社員研修に取り入れたのは、社員たちに時間の空白を与えて、デジタルデトックスする重要性を熟知している証拠に違いありません。
私自身はランニングを日課としています。瞑想やサウナもいいでしょう。ですが、より簡単に日常生活に取り入れられる3分トレーニングがあります。駅で電車を待つ、カフェでコーヒーを待つ、エスカレーターに乗る、ほんの数分間、積極的にボーッとする習慣を身につけてください。
また、記憶の回路である海馬は、感情回路に極めて近い部分にあります。頭を使うには、情緒の安定が欠かせません。それは裏を返せば、ストレス過多のうつ状態で独創的なアイデアは出てこないし、記憶は定着しないということです。
最近、私は「すぐにググらない」ことも意識しています。もしど忘れしたら、それは脳を働かせるチャンス。ど忘れは脳の前頭葉が「自分はこれを知っている」とわかっているのに、側頭連合野から答えが返ってこない状態です。そこで粘って思い出すことができれば、ドーパミンが放出されて、脳の思い出す回路が強化されます。
そうやって思い出すことは、「自分の中を検索する」という行為です。私たちの脳内には、本人も意識していない膨大な記憶のアーカイブが眠っています。それを参照し、独自に想像・妄想する癖をつけることができれば、こんなに素晴らしいことはありません。
AIやコンピュータがあらゆる情報を記憶できる時代に、私たち人間が優位に立てるのは、独自の発想力や企画力、内から湧き起こる情熱だけです。そしてそれは私たち一人一人の体験と記憶のアーカイブに眠っているのです。
ぜひ、ご自分の脳が持つ潜在力を信じ、オリジナルの学びやアイデアに挑戦していってください。
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脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。クオリア(感覚の持つ質感)を研究テーマとする。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。近著に『脳のコンディションの整え方』(ぱる出版)など。
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(脳科学者 茂木 健一郎 構成=三浦愛美 撮影=大崎えりや イラストレーション=前田はんきち)
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