「一発の爆弾で10万人を殺し、大義を主張する動物」人類に"教養"が必要なこれだけの理由
プレジデントオンライン / 2022年2月11日 9時15分
※本稿は、村上陽一郎『エリートと教養 ポストコロナの日本考』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■教養という言葉が使われるときの「胡散臭さ」
教養について、私は単独の書物も含めて、すでに色々と書き散らしてきた、という思いがあります。たしかに、私は大学の教養学部というところを卒業しており(したがって、頂いた学士号は「教養学士」といういささか面映ゆいことになっています)、40年を超える教育現場も、その半分以上が教養学部という空間でありました。つまり学生時代も加えれば、実に人生の半分を優に超える時間を、教養学部で過ごしたことになります。教養について語る義務は常にあるかもしれない、とも思います。他方、何か新鮮な内容を語ることができるか、はなはだ心もとないのですが、とりあえずは、あまり問題のないところから整理をしておきましょう。
先に、大学から教養学士を頂いて「面映ゆい」と書きました。なぜ面映ゆいのか。教養学などという学問領域はないのに、それが学士号になっている、という変則事態が気になることが、その理由の一つでもあるのですが、そもそも「教養」という言葉が世間で使われるときの、ある種の「胡散臭さ」とでも呼びましょうか、それが「面映ゆさ」の主因でもあります。その「胡散臭さ」は、インテリとかエリートといった言葉にも、往々にして付きまとう感覚でもあります。
■理性と教養が邪魔しない限り、人間はサルにも劣る
その感覚は、一方では、インテリやエリートでない大衆からのやっかみ半分の揶揄であると同時に、インテリ層に属する人々が往々にして大衆に対してとる優越的な姿勢、今風に言えば「上から目線」(私はこの言い方は使わないのですが)が、社会のなかに紡ぎだす違和の然らしむるところに違いありません。本来砕けた、俗に落ちてよい場面などでなお、お高く留まっている人によく浴びせられる「理性と教養が邪魔して」というフレーズは、そういう違和を率直に表したものでしょう。後で述べるように、実は私は、理性と教養が邪魔しない限り、人間はサルにも劣ると本気で信じていますが。
『大衆の反逆』という名著で知られるオルテガ・イ・ガセット(1883~1955)は、エリートとは、大衆よりも自分が優れていると自任するような輩ではなく、大衆よりも自分に対してより重い義務を課す人間である、という意味のことを述べています。それはまさしくその通りで、教養も積めば積むほど、自らに厳しくなる、と考えるべきだと思います。
■人間は本能が壊れた哺乳動物である
なぜ理性と教養が邪魔をしなければ、人間はサルより劣ると考えるのか。その点をはっきりさせておきましょう。話はわりに簡単です。人間は本能が壊れた哺乳動物である、という私の仮説をまず出発点に置きます。一般に、哺乳動物は、自らに与えられた欲望に対して、それらを抑制する本能を具備していると考えられます。生き物に最も主要な欲望の一つ、食欲も、例えば満腹したライオンは、目の前を格好の獲物である子鹿が通っても、目もくれません。性欲でも、雌にその準備ができていなければ、雄は野放図に雌を求めることはしません。同族と喧嘩はします。例えば雌をめぐる雄同士はしばしば、相手に傷を与えるほど激しい争いをすることがあります。しかし、相手が負けたというサインを出すのがきまりとは言え、相手を殺すようなことはまずありません。
あるいは、雌数頭とその子供たちからなるライオンの家族の長に、流れ者の雄が家長の地位を乗っ取ろうと挑戦することがあります。流れ者が勝利を収め、これまでの家長を放逐して、その家族の長になったとき、その雄が、家族のなかで育てられつつある子供を食い殺すようなことも報告されています。子育て中の雌は発情が遅れるので、新しい雄はなかなか自分の種を残す機会が訪れないからです。つまりごく小規模な同族殺戮の例は、動物のなかにも見られます。
![ライオン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/c/670/img_3c23e4053eeab1949b6a3d87c3b74e45407765.jpg)
■「人間性」への歯止めとしての宗教
しかし人間はどうでしょう。一発の爆弾で、10万人を超す同じ人間の仲間を、一瞬に殺すことも平気で、あまつさえそこに「大義」なるものを主張することさえ厭わない。生き物にとって最も大切なことである、子孫を残す行為でも、本来の目的には適わない、小児から獣までをも欲望の相手にし、そこにも「人間性」を認めるべき、と主張する。ただ楽しみだけのために、狩りや釣りで、他の生き物の数多くの命を、種の絶滅寸前まで殺戮することさえ平気です。本来なら本能が抑制しているはずの欲望の「過剰な」発揮を、人間は「人間性」という「大義」を持ち出すことによって、正当化しているのではないか。そんな見方も成り立ちませんか。
では、人間はそうした「人間性」なるものに、一切歯止めをかけてこなかったか、と言えばそんなことはありません。原始社会においてさえ人間は、人間を超えるものの存在と、その存在が求めると思われる欲望の抑制習慣を作り出してきました。それは社会制度としての宗教に発展し、そこから放恣(ほうし)な欲望の発散を防ぐ方途が、社会のなかに構築されました。
■道徳の基盤を宗教から切り離し、理性に求めたカント
宗教は、無神論者にとっては、旧き人間たちが勝手に創出したもので、人間を超える何者かからの神秘的な啓示などを、宗教の根拠にすることは認めないでしょうが、それでも人間社会で、先に述べたような意味で、宗教が果たした、あるいは果たしつつある役割を、頭から否定することはないはずです。つまり、もうこの辺で、この言葉を使ってもよいと思いますが、基本的に「道徳」、あるいは面倒ですからここではほとんど同義とみなした上で、「倫理」は、人類史上、長らく宗教に依存してきた過去があります。モーゼの十戒は、その目覚ましい例の一つでしょう。
西欧近代の罪、あるいは功績の一つは、こうした状況に異を唱えることでした。カントが宗教に対してどのように考えていたか、という問題は、一筋縄ではいかないので、ここでは立ち入りませんが、カントが少なくとも哲学上何とか達成しようとひたすら努力をしたことの一つは、道徳の基盤を宗教から切り離し、それを人間の理性に求めることでした。
カントの試みが真に成功しているかどうか、哲学、倫理学の立場に立てば、厳しい吟味は必要でしょう。しかし、ここは、それをする場ではありません。少なくとも一般的には、現代社会は「世俗化」された社会、言い換えれば宗教に依存しない社会ですから、倫理や道徳の基盤を、宗教に求めず、人間理性に求めることは、決して不自然でも、不当でもないはずです。
![聖書に置かれた女性の手](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/4/670/img_a45ca0d7c8a09ce897e624f8ba922368393465.jpg)
■教養があることは、「慎み」があること
というわけで、教養はさておいて、「理性(が生み出す道徳的命令)が邪魔をしなければ」人間はサルにも劣る、という主張の合理性は、こうした議論からも裏付けられると思います。
そして「教養」という概念の少なくとも一部は、ここで言う「理性の戒め」を実行するための根源として働くと私は考えています。「教養ある」ということは、しばしば「知識豊かな」と同義と考えられがちですが、私は、それは事の本質ではないと思います。むしろ、前述の議論を踏まえたうえで、ごく日常的な場面に引き戻して考えれば、「教養がある」ことの意味の一つは、何事にも「慎みがある」ということなのではないでしょうか。野放図な欲望の発揮を慎む(ことによって、理性が命ずる道徳律をも遵守しようとする)ための原動力として教養を考えることは、間違っていないと私は考えます。そしてこの「慎み」は、宗教を起源とする道徳や、理性の厳しい作用の結果としての倫理とは少し違った、より広い次元での、欲望の抑制装置に付された名前であるように思われるのです。
■「慎み」に相応しい英語は〈decency〉
「慎み」という日本語に最も相応しい英語は〈decency〉だと思います。英英辞典を引いてみましょう。ある辞典ではこうあります。
![村上陽一郎『エリートと教養 ポストコロナの日本考』(中公新書ラクレ)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/2/200/img_d2b3b64cb86cee827128558f6341c989228686.jpg)
behaviour that is good, moral, and acceptable in society
この用語法から、イギリス語の辞典であることはご想像いただけると思います(余計なことですが、私のワードプロセッサーは〈behaviour〉と綴ると、誤表記を表す朱の下線がつきます、まことに大きなお世話です)。もう一つの例を引きます。
the acceptable or expected ways of doing something in society
あえて直訳的な解釈を施せば、前者は、「社会において、良しとされ、道徳的であるとされ、あるいは許容できるとされる行為」となり、後者は「何事かをなすに当ってのやり方として、社会において、許容される、あるいは求められるもの」とでも言えばよいのでしょうか。どちらも「社会において」という限定副詞句がついていることが眼目でしょう。
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東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授
1936年東京生まれ。科学史家、科学哲学者。東京大学教養学部卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同先端科学技術研究センター長、国際基督教大学教養学部教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。『ペスト大流行』『コロナ後の世界を生きる』(ともに岩波新書)、『科学の現在を問う』(講談社現代新書)、『あらためて教養とは』(新潮文庫)、『人間にとって科学とは何か』(新潮選書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)など著書多数。
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(東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授 村上 陽一郎)
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