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町を出ると猛獣や盗賊がウロウロ…大学教授が「ドラクエみたい」という古代中国の日常生活

プレジデントオンライン / 2022年1月30日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/aphotostory

始皇帝、項羽と劉邦、曹操ら英雄が活躍した古代の中国。2000年前の人々はどんな日常生活を送っていたのか。『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)を書いた早稲田大学文学学術院の柿沼陽平教授は「人気ゲーム『ドラクエ』の世界に似ている」という。中国ルポライターの安田峰俊さんが聞いた――。

■古代の中国人は毎月の給料で何を買っていたのか?

――一般の人がイメージする中国の古代史は、まず始皇帝や項羽と劉邦・諸葛孔明などの英雄たちが活躍する時代。もしくは、孔子や諸子百家が活躍した思想の時代でしょう。その日常を描こうと考えられたのは、どういった経緯からでしょうか。

【柿沼陽平(早稲田大学文学学術院教授)】もともと中国史を学びたくて大学に行ったのですが、学部時代にイギリスのバーミンガム大学に留学してカルチュラル・スタディーズ(学際的な手法によって現代文化を研究する学問)を学びました。そのときに、現代を生きる私たちの人生を左右する貨幣経済のメカニズムに興味を抱き、帰国後は大学院で中国古代貨幣史の研究をおこなうことにしました。

古代中国人の給料を調べ、手にしたお金を使って、人びとが市場で何を買っているかを調べはじめ……。そんなときに、ちょうどアルベルト・アンジェラの『古代ローマ人の24時間』を読みました。

――『古代ローマ人の24時間』はローマ人の1日を再現した書籍ですね。刊行は2007年(邦訳は2010年)なので、古代ローマ人が現代日本の銭湯にタイムスリップする阿部寛主演のコメディ映画『テルマエ・ロマエ』(同名の原作漫画は2008~13年刊行)の時代考証の元ネタのひとつになった可能性も高い。

【柿沼】非常に面白い本なんです。ただ、ガーンと打ちのめされた思いのほうが強かった。十数年前の当時は、これと同じことを中国史でやれるとは思えなくて。ただ、日常史への関心はそれによってさらに高まりました。

よく考えてみれば、僕は大学院まで行って中国古代史を学んだのに、当時の人が朝の何時に起きていたか、どんなふうにトイレを使っていたのかすら知らなかった。そこで調べてみたら大変面白く、胸躍るものがあった。帝京大学や立教大学などの授業で紹介したところ、受講者が200人くらい安定して集まるくらい人気の講義になりました。そこからさらに研究を進めて本書に至りました。

■漢の時代の人が朝起きて最初に耳にした「音」は?

――古代中国人の生活を再現するなかで、特に気をつけられた部分は?

【柿沼】特に大事にしたのが、五感で感じられるものの復元です。たとえば、朝起きたときに最初に聞こえてくる音は何だろう? それを直接残している記録は見当たらないのですが、「ハエやアブがうるさくて夜も寝られない」と嘆いている詩はある。とすると、ハエやアブが枕元で飛んでいる環境だったはずです。

また、建物の構造を調べていくと、どうやら庶民はすぐ近くにブタとニワトリがいる空間で暮らしている。だったら朝起きると、その鳴き声が聞こえてよいでしょう。こうやって行間を読むことを心がけると、いままで史料とは思えなかったものが史料として読めてくる。自分の五感を大事にすると、史料の見えかたがガラッと変わるんです。

――中国史でニワトリといえば「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事がありますね。戦国時代、孟嘗君が秦国でピンチになり、夜中に関所を通過して国外に逃げようとした。しかし関所はまだ開いていなかった。ちょうどそのとき、孟嘗君のもとにニワトリの鳴き真似のうまい食客がいて、彼がモノマネをおこなったところ、周囲のほかのニワトリも鳴き、門番がもう朝になったと誤解して関所を開けてくれた。こうして孟嘗君は難を逃れたという故事です。本当にそんなことがあったのやら、と首をかしげたい気もしますが……。

ニワトリと日の出
写真=iStock.com/shuang paul wang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shuang paul wang

【柿沼】私の立場ですと「ニワトリが鳴く時間に、関所が開く」という部分にこそ興味を覚えます。ニワトリは日の光が差す2時間くらい前から鳴くとされますから、古代中国における関所の開門時間が推測できる。

「孟嘗君が変な食客を抱えていた」「鳴き真似の上手い人がいた」という部分は、もしかすると“お話”かもしれませんが、当時の秦でニワトリが鳴くと関所を開けていたことは確かなはずです。さもないと、説話自体が成立しなくなってしまいますから。

■国家財政の数倍のカネを使い放題だった皇帝

――本書は庶民の暮らしも多く扱っています。ただ、個人的に気になってしまうのは「プロローグ」に登場したような古代中国の帝王が、どのくらいぜいたくな暮らしをしていたかです。いかがでしょうか。

【柿沼】人によります。前漢の初期の名君・文帝(位:前180~前157年)は、宝剣の代わりに、革張りの木刀みたいなものをもっていたとされるほど質素だったとされますし。ただ、王朝が安定してきて武帝(位:前141~前87年)くらいの時代になるとゴージャスです。

当時の財政は、国家財政と帝室財政に分かれていました。国家財政は、税収を使ってインフラを整えるとか、役人に給料を払うとか、軍備を整えるとかの、現代人でもイメージしやすい財政のかたちです。

いっぽう帝室財政は、税金の一部が皇帝のお財布に入るというものです。皇帝はそれで何をやっててもいい。皇后をはじめとする後宮などのお金もそれで賄うんですが、じつは武帝期の帝室財政は、国家財政の数倍にのぼりました。民の支払った税金の大半は帝室財政に入ることになっていたのです。

――すさまじい。ちなみに近年の日本の国家予算は大雑把に言って100兆円くらいなのに対して、皇室予算は120億円くらい。宮内庁予算を合わせても250億円くらいです。

■イラン系の美人を呼び、宮女に男装をさせて寸劇を楽しむ

【柿沼】とにかくやりたい放題ですよね。武帝の時代に万里の長城をこえて北方の異民族・匈奴(きょうど)と戦ったのですが、戦争にはお金がかかる。結果、国家財政が逼迫(ひっぱく)してきたので、武帝は「しょうがないなあ」と、帝室財政の根幹を占めていた塩と鉄の管理・売り上げによる収入を国家財政へと移管しました。大学入試問題にも登場する「塩鉄専売制」です。逆にいえば、それまでどれほど儲けていたのかという話ですね。

――漢の贅沢皇帝といえば、後漢の霊帝(位:168~189)なんかはいかがですか? 彼に仕えて専横を極めた宦官の集団「十常侍」は、三国志ファンのあいだではお馴染みの悪役です。

【柿沼】前漢時代の皇帝とくらべると、私は霊帝が特段ひどい人物であったとは思っていません。というのも、武帝期にはじまった皇帝権力の削減はその後もどんどん進んで、後漢時代には帝室財政がかなり小規模になっているのです。霊帝はご先祖が持っていた権力の源、帝室財政を取り戻したかったのだろうというのが私の見解です。ただしタイミングが悪かった。国家財政の支出が拡大するなかで、それでも帝室財政を増やそうとするものですから、周囲からみると私利私欲に走っているようにみえたことでしょう。

じじつ霊帝は、帝室財政をもちいて軍隊や学校を整備するだけでなく、残ったお金でイラン系の美人を呼び、中央アジアの音楽をかけ、宮女に男装をさせて寸劇をして遊んでいました。霊帝は当時のファッションリーダーで、中央アジアのシルクロード文化を好んだ人物です。

■「総理大臣」はプロ野球選手以上の高給取り

――いっぽう、臣下の暮らしについてはいかがでしょうか。

【柿沼】まず、後漢の丞相や大将軍……。すなわち、現在の総理大臣に相当する立場の人の給料は月に6万銭くらい。いっぽう、ノンキャリアの下役人は数百銭でした。当時の中流家庭の全財産は不動産を含めて3~5万銭くらい。むりに現代日本に置き換えれば、3万銭は3千万円くらいの感覚でしょうか。そうすると大将軍は年収7億円くらいになりますね。

――プロ野球のトップ選手並みですね。昨年、田中将大選手(楽天)が推定年俸9億円、柳田悠岐(ゆうき)選手(ソフトバンク)が6億2000万円ですから……。しかも、プロ野球選手は年俸の半分を税金に取られますが、後漢の大将軍は取られません。職務上、ほかの実入りもたくさん入ってくることでしょう。

諸葛亮の絵
清代の『宮殿蔵画本』に載る諸葛孔明の絵(写真=HuangQQ/故宮博物院/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

【柿沼】入ってきますし、なにより自分たちが田畑などを持っています。たとえば、後漢の梁冀(?~159)は、父親も自らも総理大臣クラスの政府要人で、のちにクーデターを受け、霊帝の先代である桓帝(位:146~168年)に滅ぼされます。そのときに彼の財産は30億銭にのぼったという記録があります。前漢時代の後半期の100年間には、公式には280億銭が鋳造されたそうですので、それを基準にすると、お金の9分の1くらいは梁冀の家に入っていたわけです。公式に鋳造された銭以外の価値物の存在をカウントに入れても、梁冀の財産は相当なものであったといえるでしょう。

――総理大臣といえば、蜀の総理大臣(丞相)である諸葛孔明あたりはいかがですか。

【柿沼】論文「諸葛亮孔明の月俸と財産」(『ユリイカ』2019年6月号)でも書きましたが、諸葛孔明の収入は一般農民の100倍以上ですね。ただ、それでも周囲の人からは「なんて清廉潔白なんだ」と評判になっていた(笑)。

■古代中国の貴族はたくさん泣けば出世できた?

――当時、出世しやすいお役人にはどんな特徴があったのでしょうか。現代の中国共産党体制ですと、実務能力が高くて任地でしっかり(その時点での中央が重視する)業績を上げていること、力を持っている上司や派閥から引き立てられること……あたりが重要です。もっともそれ以前に、周囲の評判がいい優秀な人材じゃないと入党できませんが。

【柿沼】科挙(儒教の知識や文才を問う官僚登用試験)ができる前の時代ですから、家柄・コネ・外見(つまりルックス)がたいへん重要になります。もちろん学識もあるほうがいいのですが、そもそもお金持ちでなくては勉強する機会を得られません。書籍を買ったり、家庭教師を雇ったりするにはお金がかかりますし、若者に勉強をさせるほどの時間的・経済的な余裕は、一般的な農家にはありません。

――生まれと顔。ほとんど先天的な要素で決まってしまいますね。

【柿沼】ええ……。ただ、中間レベルくらいの貴族でさらに上を目指したい場合は、ひとつ必殺技があります。お父さん、お母さんが亡くなったときこそ大チャンス。当時、両親が亡くなったときは、墓のそばに小屋を作って、そのなかで故人を悼んでしくしく泣いたのです。

世間の決まりですと、喪に服すのは3年で、実際には2年程度でよかったようなのですが、後漢時代の流行は「ものすごく喪に服す」こと。9年喪に服すとか、泣きすぎて病気になるとかですね。そして、ボロボロになった状態で小屋から出てくると、「よくがんばった、なんと立派な孝行者だ」ということで、政府の閣僚になれる場合もある。

――キャリアアップの方法が「何もせずに泣き続ける」。異文化を感じます。

■評判は悪いが腕一本でのし上がった呂布

【柿沼】逆に、『三国志』の著者として知られる陳寿は、歴史家としては有名ですが、官界でのキャリアのスタートはいまいちでした。失敗した理由は、父の喪に服していたとき、その途中で具合が悪くなったので、お手伝いのおばさんに薬を差し入れさせ、それを弔問客にみられてしまったこと。そのため「陳寿は服喪期間中に女性と接した」みたいな理屈で延々と叩かれることになりました。

――コロナ禍の自粛警察みたいですね。異文化に見えて、人間のやることは変わらない。

【柿沼】ああ、そうかもしれませんね。ちなみに個人の努力で出世する方法は、自粛警察に勝つほかに、中国西北部にある万里の長城あたりの辺境であれば、腕っぷしの強さで道を切り開く手もあるにはあります。もっとも、三国志に登場する「西涼の錦」馬超は、じつはすごく名家の出身でして、本当の腕一本の叩き上げは呂布くらいです。

――呂布、評判は悪いですががんばったんですねえ……。

【柿沼】呂布の評判が悪いのは、実際の振る舞い以上に、家柄がないので馬鹿にされたことも大きいでしょう。がんばったのに、気の毒ではあります。

■古代中国のフィールドは「ドラクエ」だった?

――『古代中国の24時間』を書かれるうえで、アカデミックなもの以外で影響を受けたものはありますか。

【柿沼】あえて言えば「ドラゴンクエスト」でしょうか。私はドラクエ3世代ですから。

――ドラクエ3は私もハマりました。プレイヤー本人である勇者が部屋で目を覚まし、お城の王様から魔王バラモスを倒すように言われて、仲間を集めたり装備を買ったりしてから、冒険に出るゲームでしたね。旅するなかで、だんだん世界の仕組みを体感的に理解できるという。

【柿沼】そうです。前提として、五感を大切に歴史を描きたいという考えがありました。本来、学問の分野では研究対象から距離を置いて客観的に書くことが重視されるのですが、あまりに距離を置きすぎてしまうと、道を歩いたときに何が目に飛び込んでくるか、どんな匂いがするか、何が聞こえるかといった感覚が等閑視されてしまいやすい。

本書は一般書ですので、思い切って自分がワープしたらどうなるかという設定で書きました。そして史料の行間を読むことで、五感の部分も描けるのではないかと思ったわけです。

ちなみに、ドラクエの世界では、街や城のあいだには誰もいない森・草原・沙漠が広がっていて、ときにはモンスターに出くわす。あれは古代中国の街のありかたと、よく似ています。町に囲いがあって、町と町のあいだには強盗がいたり、ゾウ・サイ・トラなどもいる。しかも、当時はお化けもいると信じられていた。

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写真=iStock.com/Martin Koebsch
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Martin Koebsch

■脚注でしっかりと典拠を示す

――完全にドラクエです。

【柿沼】史実をガリガリと論証してゆくのは、学術論文のなかでプロ相手にたくさんやっています。一方、本書は一般の方に向けて書いたものであって、史実を論証するよりも、むしろそれによってどのような世界がみえてくるのかを説明するほうに重点を置きました。そのため、本文では意識的に日常的な語彙(ごい)を使って、非常にやわらかい書きかたをしました。ただしそれと同時に、細かく脚注を入れました。

――ここまで脚注を入れた新書は、通常ならばあまり見ません。1ページ目の「いったいいま何時だと思ってるんだ。平旦(へいたん)だぞ」というセリフからして「『漢書』巻四十四淮安王劉安伝」という典拠が示されています。

【柿沼】前漢の武帝が朝の何時に起きていたか、といった記録は、史料のなかでも非常に断片的な部分になりますから、専門家でも探し出しにくい。ちゃんと出典を示さないと、それこそフィクションとの区別がつかなくなってしまいます。そこで、みっちりと脚注を入れたわけです。中公新書の担当編集者はこの脚注だらけの方針をOKしてくれて、「代わりに本文はものすごくわかりやすくしてほしい」と。結果、本書のスタイルができあがりました。

■日中の懸け橋となる本になって欲しい

――『古代中国の24時間』、世間での反応はいかがでしょうか。

柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)
柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)

【柿沼】中央公論新社からは、漫画版の計画も持ち上がっています。別の出版社では図版をつくる話も進んでいます。ほかに海外では中国版・韓国版・台湾版が刊行予定です。やはり中国史を専門とする人間として、中国の人たちに自分の本が届くのはうれしく思います。

――中国では近年、中華民族の伝統をほこる風潮が強いですし、彼らがあこがれる秦漢時代の社会のリアルを伝える本は歓迎されそうです。

【柿沼】昨今はコロナ禍で海外旅行が難しいこともありますし、旅をするような感覚、異文化理解を深める感覚で、日本の読者にも中国の読者にも読んでもらいたいところです。「こんな日常があったんだ」とか、「これは今とかわらないな」といったふうにして、楽しんでもらえればうれしいです。

これに加えて、現在の「常識」は漢王朝だと通じないこともあり、私たちの「常識」は必ずしも長い歴史をもたない場合があるとか、別の「常識」がありうるのかもしれないといったふうにして、自らの固定観念をときほぐすのにご活用いただければ、さらにうれしいです。今年は日中国交50周年ですし、相互の理解が良い意味で深まるような、懸け橋となる本になればいいなと思いますね。

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柿沼 陽平(かきぬま・ようへい)
早稲田大学文学学術院教授
1980年生まれ。東京都出身。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009年に博士(文学)学位取得。中国古代史・経済史・貨幣史に関する論文を多数発表。中国社会科学院歴史研究所訪問学者、早稲田大学文学学術院助教、日本秦漢史学会理事、帝京大学文学部専任講師、同准教授等を歴任し現職。2006年3月に小野梓記念学術賞、2016年3月に櫻井徳太郎賞大賞、2017年3月に冲永荘一学術文化奨励賞を受賞。著書に『中国古代貨幣経済史研究』、『中国古代の貨幣 お金をめぐる人びとと暮らし』などがある。

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安田 峰俊(やすだ・みねとし)
ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員
1982年生まれ、滋賀県出身。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞。他の著作に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)、『八九六四 完全版』(角川新書)など。近著は2022年1月26日刊行の『みんなのユニバーサル文章術』(星海社新書)。

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(早稲田大学文学学術院教授 柿沼 陽平、ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 安田 峰俊)

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