「国民を監視するにはどうすればいいか」中国でIT化が爆速で進んでいった怖すぎる背景
プレジデントオンライン / 2022年2月10日 9時15分
※本稿は、ジェフリー・ケイン、濱野大道訳『AI監獄ウイグル』(新潮社)の一部を再編集したものです。
■「犯罪に立ち向かうため」街じゅうにカメラを設置する
外国で中国について研究する専門家と同じように、中国という国家もまた、市民の生活についてほとんど何も知らなかった。そこで中国政府は、市民を追跡する方法の確立に乗りだした。
中国政府のために働いた経験のあるウイグル人難民のひとりに、イルファンという男性がいた。彼は、ウルムチ出身の30代の技術労働者だった。新疆(しんきょう)北部地域の中心地であり、商業の中枢であるウルムチでイルファンは、大規模な監視プロジェクトの運営スタッフとして働いていた。2015年に仕事を辞めたあと彼は、2018年に新疆から逃げてトルコに移住した。
イルファンは、貧しいウルムチ地域でなかなか仕事を見つけられずに苦労していた。条件のいい仕事の多くを独占したのは、地元のウイグル人を脇に追いやった漢族の中国人移住者だった。
「でも、ウルムチ市長とちょっとコネがある友人がいたんです」とイルファンは説明した。「その友人が、わたしのために電話をかけてくれた。それで2007年に、仕事をしないかと通信会社から連絡が来ました。その会社は、街のもっとも初期段階の監視システムの構築を担当するITマネージャーを探していた。わたしにとって、その誘いはとても大きな意味をもつものでした。それはどうか理解してください。ウイグル人がそういう仕事に就けるチャンスはめったにありません。そんな状況のなかで、政府の庇護と高い給料の両方を与えてくれる仕事に巡り合うことができたんです」
新しい仕事をはじめたイルファンは、ふたつの重要な場所へのアクセス権を与えられた。まず、地元の公安当局への出入りが許され、そこで彼は通信会社の監視網の管理を手伝った。さらに、通信会社のネットワークそのものにもアクセスすることができた。
「わたしに許されたアクセス権は」とイルファンは続けた。「かなり深い場所につながるものでした。中国がスカイネットを構築しはじめたのは、その2年まえのことでした。わたしたちに与えられた任務は、街をくまなく探しまわり、可能なかぎり多くのカメラを設置するというものです。政府が犯罪に立ち向かう手助けをしている、と上司たちは言いました。わたしもその言葉を信じ、とても立派な仕事だと考えていました」
■ネットを活用しカメラの録画データを送信
少人数のチームとともにイルファンは、市のデータに記録された情報を頼りに、街角、路地、車のスピードが出やすい通り、強盗やひったくりが多い地域を見てまわった。それから彼のチームはカメラを設置し、公安当局につながる光ケーブルを接続した。そして当局の建物内にある制御室から、警察の諜報(ちょうほう)員が街を監視した。
「カメラの設置に適した場所を見つけたときには、あたかも頭のなかで電球がパッと光ったような感覚になります。『あそこだ!』とわたしは同僚に伝えました。時間とともに、設置場所を見つけるコツがわかってきました」
まだ電気が通っていない地域では、連続で最大8時間稼働するバッテリー式カメラが設置された。
派遣された技術者が運んでくるカメラには、「中電海康集団」という政府系機関のロゴがついていた。中電海康は、杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)と呼ばれる監視カメラ製造の新興巨大企業の40パーセントの株式を保有する機関だった。イルファンは、技術者がカメラを柱や建物に取りつけ、政府の監視システムに接続するのを見守った。べつの大手中国企業である華為(ファーウェイ)は、カメラに電力を供給する交換システムを提供していた。
イルファンの説明によれば、2000年代後半のあいだに、数多くの中国のテクノロジー企業が協力し合い、いわゆるIPカメラ(ネットワークカメラ)で構成される初期の監視システムを築き上げていったという。ネットワーク経由で映像を送信するこれらのカメラの普及によって、ビデオテープ録画機などのローカル録画デバイスを必要とするCCTV(クローズド・サーキット・テレビジョン)を使った従来の仕組みは時代遅れになった。この比較的新しくより効率的な技術を中国はすぐさま駆使し、カメラから管理センターにデータを送信できるというインターネットの力をおおいに活用するようになった。
■警察国家とタッグを組んだ「ビッグ2」
イルファンは、何か重要なことがはじまりつつあると気づいた。それまで、アメリカ、ヨーロッパ、日本、台湾の企業が監視カメラ市場をほぼ独占していた。しかし、これら大手企業の多くはアナログから抜けだすことができず、いまだCCTVカメラを販売していた。IPカメラは単価が非常に高く、大手企業から敬遠されていた。しかし価格をのぞけば、IPカメラには数々の利点があった。Wi-Fiやデータ・ネットワークに接続することで効率的に利用でき、はるかに高品質の映像を処理するのも可能で、録画するためのテープやレーザーディスクも必要なかった。
アメリカやそのほかの地域で技術転換が遅れた理由の一部には、新しいテクノロジーを受け容れるまでに時間がかかるという傾向もあった。アメリカのシスコやスウェーデンのアクシスといった監視カメラ製造業者は、デジタル化への移行に否定的なアメリカのふたつの代理店をとおして製品を販売していた。それらの販売代理店はたんに、初期のデジタル監視カメラを設置するためのノウハウをもっていなかったのだ。欧米の監視カメラ各社は代わりに、コスト削減を狙って製造を中国に委託することに力を入れるようになった。
そこに割って入ったのが、新たな「ビッグ2」となるハイクビジョンと浙江大華技術(ダーファ・テクノロジー)だ。2社はやがて世界の監視カメラ業界のシェアの3分の1を独占し、新たな警察国家の動力として機能するようになった。
「全体をまとめてスカイネットと総称される中国の監視システムは、まさにわたしたちの通信会社のネットワークをとおして機能していました」とイルファンは言い、監視カメラからビデオ映像が公安当局に送信される流れを図に書いて説明した。「民間企業と政府はほぼ一心同体でした。計画の初期段階では、イスラム教の礼拝所におもに狙いが定められました」
![上海のビジネス街](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/1/670/img_d1dd548bab2c26fb1262186bfe0fcaa9408290.jpg)
■AIアルゴリズムを訓練して市民のデータベースと照合
すぐに、監視カメラの巨大なネットワークができあがった。そのネットワークに最新のカメラを設置するたびにイルファンは、特徴のないコンクリート造りの建物にある制御室に戻った。彼を含むIT労働者たちは、壁に並ぶ大型スクリーンのまえに坐った。7階分のフロアには、サーバー用ハードウェア機器とそれを管理するコンピューター機器が所狭しと並んでいた。それらの機械が、法律違反者、ギャング、そのほかの犯罪容疑者の姿をカメラでとらえる方法を模索していた。
しかし、強盗が起きるのはほんの一瞬であり、犯人は捕まるまえに全速力で逃げてしまった。
「喫緊の課題は、どうやって犯罪者をより速く特定できるかということでした」とイルファンは言った。「ここで利用されるのがUNIXオペレーティング・システムです。こちらもハイクビジョンとダーファが開発したもので、システムのハードウェアを動かして管理してくれます」(UNIXはカスタマイズ性の高いオープンソースOSであり、各企業は独自の目的のために独自のバージョンのUNIXを設計することができる)。
最終的にたどり着いた答えは? 人工知能だ。
2010年から2011年にかけてイルファンと同僚たちがますます注目するようになったのは、AIアルゴリズムを訓練して顔や行動認識の精度を高め、それを市民の全国データベースと照合し、警察による犯人逮捕の後押しをするという流れだった。
■殺人も窃盗も全く捜査しなかった中国警察
イルファンは、AIに特化した新しい機器が監視センターに届くのも目撃した。同じころ彼の上司は、イルファンが所属するチームが2011年中に研修に参加することになると発表した。研修の名前は「セーフ・シティー」。
「研修の目的は、セーフ・シティー・システムの使い方を学ぶというものでした。でも実際のところは、15日間連続の飲み会とカラオケでした。主催者は、20人のかわいい女の子たちも雇って研修に参加させました。要は、彼女たちはコンパニオンです。だから、研修などいっさい行なわれませんでした。わたしたち技術者は、犯罪者を捕まえるために大きなプレッシャーのもとで仕事をしていた。その研修は、休息とリラックスのための時間だったんです」
研修の15日目にイルファンは“修了証書”を受け取り、職場に戻った。ついに、犯罪と闘い、新しいセーフ・シティー・システムで何ができるのかを見きわめるときがやってきた。「研修では何ひとつ学んでいなかったので、なぜ犯罪と闘えると思ったのか理由はよくわかりませんが」と彼は冗談っぽく言った。
最新のAI技術が備わった制御室に行き、イルファンは椅子に腰を下ろした。仕事場からそう遠くない場所にあるレストランで経営者が殺される映像を眼にし、彼は衝撃を受けた。イルファンはコマンドを打ち込み、現場から逃げた殺人犯の近影を手に入れようとした。
「まさに勝負の瞬間でした」と彼は私に言った。「システム全体の真価が問われるときでした。わたしたちは顔認証技術を使って、犯人を推測しようとした。でも、まだ技術は充分ではなく、顔を完全に照合することはできなかった。結局、何枚かの写真を警察に転送することしかできませんでした」
驚いたことに、警察はそれを事件として登録したが、何も捜査はしなかった。殺人犯は逃げ、犯した罪について罰せられることはなかった。
「あるときには、わたしの車の窓が割られ、なかにあったコンピューターが盗まれたこともありました。犯行の様子をとらえた映像がありましたが、そのときも警察は犯人を見つけて逮捕することができませんでした」
多くの似たような事例が続き、初期のAIは失敗だと考えられた。くわえて警察の無関心によって、状況はさらに悪くなった。
「コンピューター・ソフトウェアに頼っているだけでは、問題は解決できないのだと学びました。まだまだ人間の手が必要でした。だとしても、警察はなぜ何もしなかったのか?」とイルファンは言った。「あとになって、警察が何を優先しているのかを知りました」
■ウイグルの旗を振った男は容赦なく逮捕された
ある日、イルファンの事務所の外にウイグル人の独立支持者がやってきて、三日月が描かれた青いウイグルの旗を振った。その旗は、冷戦終結後からこの地域で続く(ときに熱狂的な)独立運動を象徴するものだった。
「すぐに警察がやってきました」。近くに設置されたカメラからの警報によって出動した警察は、反体制派の男を逮捕・連行し、旗を撤去した。
イルファンの仕事はシステムを作りつづけることであり、彼はどうすればシステムがより強固になるのかも熟知していた。
「ハードウェアもカメラも、システムを機能させるために必要なものはほぼすべてがそろっていました」と彼は言った。「でも、カギとなる要素が欠けていることに気づいたんです。もっと多くのデータが必要でした。データがなければ、顔認証技術は役に立ちません。AIをうまく機能させるには、さまざまな種類のデータが必要になります。顔の画像、ソーシャル・メディアの情報、犯罪記録、クレジットカードの使用履歴、なんらかの活動や取引から生じたあらゆるデータ……。それからシステムは、わたしたちが与えたすべての情報を読み込み、人間には見つけられない相関関係を見つける。それも、わずかな時間で」
「では、どうしてそんなにデータが少なかったんですか?」と私は訊いた。
「国家的な秘密主義のせいです」とイルファンは答えた。「中国政府は、自国と国民についての充分な情報をもっていなかった。だからわたしたちの手元には、AIソフトウェアに与えるべき質の高いデータがありませんでした。すべての市民に関する充分なデータベースがなければ、人々の顔や犯罪歴を簡単に照合することはできません。その時点では、AIを使って犯罪者を捕まえることはできなかった。ひどいシステムでした」
イルファンのチームはさまざまな会社の事務所や政府機関に行き、データを探した。しかし、収穫はなかった。
「解決策を与えてくれたのは政府ではありませんでした」とイルファンは明言した。「企業が与えてくれたんです」
■テンセントのアプリ「微信」の真の狙い
2010年10月、騰訊控股(テンセント)の小さなチームが南部の広州で、あるプロジェクトをはじめた(1998年に設立されたIT企業テンセントには、マイクロソフト・リサーチ・アジア出身の従業員が大勢いた)。しかし、その新プロジェクトに注目する人はほとんどいなかった。
彼らが開発しようとしていた「微信」というアプリは、それほど画期的あるいは革新的なものには見えなかった。テンセントには有名なPCアプリのインスタント・メッセンジャー「テンセントQQ」があり、すでに誰でもコンピューターを使ってメッセージを送信することができた。ほかに、フェイスブックに似た「QQ空間」(Qzone)というソーシャル・ネットワーキング・サービスもあった。その時点でQQには、7億8000万人近い利用者がいた。
プロジェクト開始から約3カ月後の2011年1月21日、テンセントは新しいモバイルアプリ「微信」を公開した。テキスト・メッセージにくわえ、音声データや写真を送信する機能など、いたって基本的なサービスを提供するアプリだった。当時この分野を席巻していたアメリカ製アプリWhatsAppは、その前年に発表されていた(WhatsAppはのちにフェイスブックに買収された)。
だとすれば、この中国企業が開発した平凡なメッセージング・アプリは、すでに競争の激しい市場でいったい何を提供できるというのか?
「当時は」とイルファンは説明する。「どの通信会社も独自のメッセージング・アプリをもっていて、それぞれ一定の人気を得ていました。微信は、それらをひとつのプラットフォームにまとめた。それこそがわたしたちが求めていた解決策だったんです」
■フェイスブックやツイッターを超える人気を博した微信
微信(世界版はWeChatとして展開)はすぐに人気を博した。利用者は1年で1億人、2年で3億人に達した。同じ数の利用者を獲得するまでに、フェイスブックは4年、ツイッターは5年の時間を要している。
時間がたつにつれて明らかになったのは、微信の成功の一部は、巧妙なマーケティングにくわえ、携帯電話をとおして生活のすべてを完結できるという徹底した機能性にあるということだった。アプリ内では新しい機能がつぎつぎとリリースされた。
病院の予約、タクシーの手配、セブンイレブンでの支払い、ハウスクリーニングの依頼、デート相手のマッチング、投資の管理……。ライバルであるWhatsAppの機能がまだ必要最低限のものに限られており、ティンダーやウーバーによる新時代が訪れるまえの当時としては、どれも目新しい機能ばかりだった。
![ジェフリー・ケイン『AI監獄ウイグル』(新潮社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/2/200/img_32c7626cb854b7bacc60c41878a49a86407576.jpg)
なかには奇抜な機能もあったものの、つぎのドーパミン放出のタイミングをつねに求めているユーザーにとっては魅力的だった。たとえば、世界のどこかにいる見知らぬ人とつながりたければ、電話をシェイク(振る)するだけで、同じくシェイク機能を有効にしている誰かとつながることができた。
くわえて、競争相手となるフェイスブックとツイッターが中国で禁止されていたことも、微信への追い風となった。
微信はやがて中国の生活を支配するようになった。とくに、若い世代での人気は圧倒的だった。裏を返せばそれは、微信の利用者の行動についての圧倒的な量の情報が収集・監視されることを意味した。「人々は、監視のための実験台になろうとしていました」とイルファンは振り返った。「微信は、ユーザーの経験、購買履歴、『いいね!』、カップルの破局、テキスト・メッセージの巨大なオンライン・データベースを与えてくれた。ついに、エコシステムが完成しようとしていました。こうして、大規模な監視活動に必要な大量のデータが構築されていったんです」
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アメリカ人の調査報道ジャーナリスト/テックライター。アジアと中東地域を取材し、エコノミスト誌、タイム誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙など多数の雑誌・新聞に寄稿。2022年1月現在はトルコ・イスタンブールに在住。
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(調査報道ジャーナリスト ジェフリー・ケイン)
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