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名将・野村克也が感心…大谷翔平が目標達成シートに書いた"ある項目"

プレジデントオンライン / 2022年2月11日 12時15分

2007年10月5日、ロッテに負けて引き揚げる楽天の野村克也監督(千葉マリン) - 写真=時事通信フォト

名将・野村克也氏の三回忌を追悼し、氏が晩年に語り残した金言をまとめたセブン‐イレブン限定書籍『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』が2月15日に発売される。自らを高めようと努力を続けるすべての人へ贈るラストメッセージより、その一部を特別公開する──。(第1回/全4回)

※本稿は、野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■「どうしてこの選手のよさに気づいてやれないのか」

他球団をお払い箱になった選手を蘇らせたり、埋もれていた選手の才能を開花させたりしたことで、私は「野村再生工場」の異名を頂戴することとなった。なぜ、そんなことができたのか不思議に思う人も多かったと思う。

答えはかんたんである。選手の悔しさを引き出し、「足りないもの」に気づかせてやったからだ。

せっかく能力を持っていながら、それを発揮することなく若くして自由契約になったり、まだまだ力は残っているのに年齢という理由だけで引退を余儀(よぎ)なくされたりする選手を、私は何人も見てきた。そのたびに残念に思うと同時に、彼らを見限った監督やコーチに対して憤りさえ感じたものだ。

「どうしてこの選手のよさに気づいてやれないのか」

そうした選手の再生に私が力を入れたのは、チーム事情からそうしなくてはならなかったという理由もあるが、それ以上に、可能性がわずかでも残っているなら、手を差し伸べてやりたいという純粋な気持ちが大きかった。

■「部下のことがわからない」のは愛情が足りないから

それでは、選手のよさや可能性を見抜くために必要なことは何か。

「観察すること」

私はそう考えていた。いっさいの固定観念や先入観を排し、その人間をよく観察すれば、長所や短所、適性がわかるはずであり、おのずと活かし方も見えてくる。あとは、そのために足りないものを本人に気づかせてやればいいのである。

「部下のことがわからない」という人はまず、部下のことをきちんと観察しているか、自分自身に訊(たず)ねてみることだ。それでも「わからない」という人には、逆に聞き返したい。「あなたは、ほんとうにその部下を一人前にしてやりたい、成長させてやりたいと思っていますか?」と。

「こいつをなんとかしてやりたい」と強く願えば、意識しなくてもよく観察するようになるはずだ。それは愛情といってもいい。「部下のことがわからない」というのは、私にいわせれば愛情が足りないのである。

選手や部下は指導者を選べない。彼らの持っている力を最大限引き出してやるのは指導者の責任であり、使命であり、義務なのだ。それをしないのは怠慢である。もっといえば指導者失格だ。

■人間は自己愛で生きている

私があるチームの監督だったとき、中心選手の一人がFA(フリーエージェント)権を取得した。その選手は「優勝できるチームに行きたい」と発言し、移籍を希望した。

野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)
野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)

実績を考えれば、獲得の意思を示すチームはあると思われた。本人も複数から誘いがあるものと信じていたようだ。しかし、どこからも声はかからなかった。翌年もまたFA宣言したが、結果は同じだった。

たしかに成績だけを見れば、誘いがあってしかるべきだっただろう。だが、選手の価値とは数字だけではない。とくに中心選手はただ打てばいい、抑えればいいというものではない。チームの鑑、すなわちほかの選手の手本であることが求められる。

グラウンド外での態度も含めて、選手の価値ははかられるのである。その点で彼は物足りないと、他球団の目には映ったようだ。

「人間は自己愛で生きている」と私はよく口にする。誰しも自分がいちばんかわいい。これは自然な感情だ。

「自分はがんばっている」
「よくやった」

そうやって自分をほめてやりたくなる。しかし、いくら本人が思っても、他人も同じように思ってくれるのでなければたんなる自己満足にしかならない。

■他人の下した評価こそ正しい

つまり、その人間の評価は他人が決めるのである。人は自分がかわいいから、自分に対する評価はどうしても甘くなる。バイアスがかかっており、適正とはいい難い。他人が下した評価こそ正しいのだ。

自分の評価が正しいと信じ込んでしまえば、自分を甘やかし、低いレベルで妥協する。努力することを放棄し、評価されない原因を「あいつは見る目がない」と、他人のせいにする。それではひがみ根性だけが増幅され、何の成長ももたらさない。

それを避けるためには、評価は他人がするものだと肝(きも)に銘(めい)じておく必要がある。そして、「自分はまだまだなのだ」と自戒しなければならない。そういう気持ちで日々を過ごしていれば、おのずと他人の評価も上がるものなのだ。

先の選手は、現実を知ったとき、ショックだったろうし、悔しかったと思う。だが、自分の評価と他人の評価のギャップに気づかされたことで、その後ずいぶんと変わった。

翌年は二軍スタートとなったが、目の色を変えて野球に取り組んだ。個人記録より、チームを優先するようになった。そして、その姿は若い選手にも好影響を与えた。彼を見て、二軍監督が私にいった言葉を憶えている。

「彼もようやく自分がわかってきたようです」

■大谷翔平に感じた「謎」

大谷翔平が日本ハムにいたころ、言葉を交わす機会があった。そのとき受けた印象は、素直で謙虚。うぬぼれや浮わついたところもなく、もっと成長するためにはどうすればいいのか、何が必要なのか、しっかり考えているようだった。

当時、彼は20歳をいくつか越えたばかりだった。なぜそこまでしっかりした考え方ができるのかと不思議に感じたものだが、高校時代に彼が「目標達成シート」なるものをつくっていたという話を聞いて、その理由の一端に納得できた。

これは「マンダラチャート」とも呼ばれるものらしく、9×9の81マスからなる表の真ん中に最終目標を記入し、その周りの8マスにそのためにすべきこと、必要なことを書き入れていくという。花巻東高校の佐々木洋監督が選手たちに書かせたそうだ。

ちなみに、高校1年生だった大谷が最終目標に掲げたのは「ドラ1・8球団」だそうだ。すなわち「8球団からドラフト1位指名を受ける」ことで、そのために必要な要素として「コントロール」「キレ」「スピード160km/h」「変化球」「運」「人間性」「メンタル」「体づくり」の8つを書き込んでいたという。

エンゼルスタジアム正面玄関
写真=iStock.com/USA-TARO
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/USA-TARO

■不滅の記録をつくれ

私にとって興味深かったのは、「ドラ1・8球団」の最終目標を達成するためには「人間性」が必要だと、大谷が当時から考えていたことだ。「人間的成長なくして技術的成長なし」と私が常々いってきたことを大谷は高校生のころにはすでに理解していたわけだ。プロの選手でも理解できない人間がいくらでもいるにもかかわらず。

物事に能動的に取り組む意欲を引き出すためには、そして仕事を楽しみにし、人生を楽園にするためには、「将来、自分はこうなりたい」という明確な目標を持つことが大切だ。

とはいえ、目標というものは一足飛びにたどり着けるものではないし、いきなり大きな仕事はできない。目標達成のために何が必要で、それには何をしなければいけないのかを考え、それらをひとつひとつ積み重ねていくことで、少しずつ近づいていくものなのである。

たとえ天才的な才能を持って生まれたとしても、こうした過程を経てきたからこそいまの彼があり、結果がある。それは間違いない。

大谷がプロ入りしたとき、私は彼の二刀流挑戦を評していったものだ。

「プロ野球をなめるな」

常識的に、二刀流というのは無理だと思った。プロはそんなに甘くない。だから最初は反対したのである。しかし、2016年の日本ハムでの大活躍を見て考えを変えた。「おれが監督でも(二刀流を)やらせたくなるわ」、正直にそう思った。

当初はどちらも中途半端に終わり、才能を浪費してしまうのを心配したが、いまは違う。

将来、大谷はどうなっているか。それがわかるころにはもう私はいないだろう。だから終わった人間のいうことなんてどうだっていい。常識外の二刀流? けっこうなことじゃないか。不滅の記録をつくればいいんだよ。チャレンジは若さの特権なのだから。

■変わることは、すなわち進歩である

「おまえ、最近よくなったな」

若かったころ、久しぶりに会った人にほめられたことが何度かあった。当時は正直なところ、その意味がよくわからなかった。「よくなったとは、どういうことなのだろう」と考えた末、思い当たった。

「つまり、変わったということなんだ」

「よくなった」とは、裏を返せば「変わった」ということ。すなわち変わるとは、進歩することなのだ。

長年選手を見てきて感じることがある。伸び悩んでいる選手、持てる才能を活かし切れていない選手はたいがい、「変わろう」とする意欲に欠けているのだ。もしくは変わることを嫌がる。中途半端に結果が出ているので変わる必要を認めないか、もしくは「変えたらかえって悪くなるのではないか」と恐れているのである。

なまじ才能に恵まれた選手も、そういう傾向が強かった。また、どんな選手も若いうちは生硬(せいこう)で、考え方にも柔軟性がない。自分を通そうとしがちだ。「自分はこのやり方でやってきたのだから、それでやってみます」といいたがる。

だが、私が見るところ、その選手は期待より低い結果しか出せていないのである。とすれば、いまのままでいいわけがない。変わらなければ、望めるのはせいぜい現状維持。もっと飛躍しようと思えば、変わろうとしなければいけないのである。

■変わろうとする勇気を持て

その点、変わることに貪欲だったのが古田敦也である。彼は自信家であったが、柔軟性も併せ持っていて、よいと思ったことやアドバイスは何でもすぐに試していた。

そして自分に合っていると思えば積極的に取り入れた。変わることをまったくいとわなかったのである。

変わることに対して怖がるどころか貪欲(どんよく)だったことが、彼が球界を代表する選手に育った大きな要因だったと私は思っている。

私のもとで「再生」した選手も、変わることを恐れなかったから持てる力を最大限に引き出すことができたと思っている。もっとも劇的な復活を遂げたのは、中日で戦力外通告を受け、楽天に移籍してきた山﨑武司だった。

天才肌の彼は、それまで何も考えず、ただ来た球を打っているだけだった。楽天にやってきたとき、年齢的には選手として晩年を迎えつつあったが、「まだまだやれる」と私は思った。そこで「少しは頭を使ったらどうだ」とアドバイスした。

野球は相手のいるスポーツだ。自分のベストのスイングをするだけでは足りない。配球を読み、相手の心を読み、試合の流れを読め、と。

山﨑はこれを素直に聞き入れ、それまでほとんど顧みることがなかったデータも活用し、配球を読むようになった。その姿勢が、努力が、不惑を目前にしての二冠王として結実したのである。

もっと成長したいと願うなら、思うような結果が出ないのなら、変わろうとする勇気を持つことだ。

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野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へテスト生として入団。MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、ベストナイン19回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。後にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレー。80年に現役引退。通算成績は、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。90~98年、ヤクルトスワローズ監督、4回優勝。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。

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(野球評論家 野村 克也)

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