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「小麦農家のためにパン屋がやれること」北海道の人気ベーカリーが深夜販売を始めたワケ

プレジデントオンライン / 2022年2月8日 11時15分

北海道帯広市にある「満寿屋商店」のパン(写真=『世界に一軒だけのパン屋』より)

■毎日捨てたくないと思いながら、パンを廃棄する

コロナ禍では飲食店に足を運ぶ人が減り、閉業した店も少なくない。そんな苦しいなかでも、昨年からスタートしたちょっと明るい試みがある。

それが「夜のパン屋さん」だ。

一般に、パンを自店で焼いて販売する専門店は朝早くから営業する。どこも多くの種類を作っているため、余ってしまうパンが出てくる。大多数の店舗は余りを廃棄せざるを得ない……。食品ロスの削減が叫ばれる現在、毎日、パンを廃棄することを心苦しく思っている販売店は数多いのである。

なんといっても食品の無駄は多い。

FAO(国際連合食糧農業機関)の報告書によれば、世界では生産量の3分の1に当たる約13億トンの食料が毎年廃棄されている。日本でも年間に約612万トン(2017年度推計値)もの食料が捨てられていて、日本人ひとりあたりにすればお茶碗で1杯分のごはんの量になる。膨大な量が捨てられているのだが、一方で、地球上に暮らす約77億人のうち、8億人以上は十分な量の食べ物を口にできず、栄養不足で苦しんでいる。

そうしたなか、都内をはじめ各地で始まっているのが「夜のパン屋さん」だ。複数のパン販売店から廃棄に回す予定の商品を集め、夜間に販売する。パンをピックアップして売るのは雑誌『ビッグイシュー』を売る人たち。『ビッグイシュー』は生活に困窮した人たちが自立するための雑誌であり、駅前などで販売されている。

「夜のパン屋さん」プロジェクトは食品ロスの削減と困窮者の生活再建を支えようとする社会事業と言える。

■北海道・帯広のソウルフード「満寿屋」

実はNPO法人ビッグイシュー基金の共同代表を務めているのは、微笑みながら料理を作る、料理研究家の枝元なほみさんである。

彼女はわたしが上梓した『世界に一軒だけのパン屋』(小学館文庫)の解説に「夜のパン屋さん」を始めた経緯をつづっている。

「あるとき、十勝の自然の中を友人の運転する車で走っていました。(北海)道内の志ある生産者さんをたくさん紹介くれた友人、北村貴さんは帯広生まれ。〈食いしん坊〉が共通する友人で、もちろん美味しいものもたくさん食べさせてもらいました」

写真=『世界に一軒だけのパン屋』より
アンティーク自転車に乗って宣伝する二代目の健治さん(写真=『世界に一軒だけのパン屋』より)

「その車の中で貴さんが、『帯広には満寿屋(ますや)さんという、みんながソウルフードだと思っているパン屋さんがあるの。子供の頃から満寿屋さんのパンが大好きだった。

〈この後、満寿屋さんの各パンについての解説が、お腹がぐぅとなるほど長く続き〉……農家さんたちと丁寧な関係を築いていらして、地元食材を誇りをもっている、そのことも素晴らしいの! その満寿屋さんが、市内に6店舗のパンの残りを集めて夜に売るのよ、すごくいい取り組みでしょう?』と教えてくれたのでした。

夜に開くパン屋さん! 〈満寿屋さん〉のお名前とともに、すとんと私の胸の中に落ちて記憶格納庫に収納されました」

■仕事を作ることで困窮者を支援する

「少し話が飛びます。私は、ホームレス状態にある方、生活に困窮している方達の自立支援をする団体、ビッグイシューで活動しています。ビッグイシューは単にお金を渡すのではなく、ビッグイシューという雑誌を販売する仕事を渡す、という仕組みです。1冊450円の雑誌を販売すると、その半分強の230円が販売する人の手取りになります。

販売者さんたちは個人商店で、ビッグイシュー本体は、雑誌を作って卸す仲卸しみたいなものだと出会った時に聞きました。仕事を作ることで支援する仕組み、いいなあと思ったのです」

2020年10月、枝元さんは満寿屋の取り組みをヒントに神楽坂にある、「かもめブックス」という書店の軒先で、夜のパン屋さんを始めた。

毎週、木金土 の3日間で19:00から始まり、パンが売り切れるまで。パンの品揃えは日々違う。Twitter「@yorupan2020」で確認するといい。

■水、牛乳、バター、卵も砂糖もぜんぶ十勝産

1950年、北海道帯広市で創業した満寿屋商店は道内に6店舗を構えるチェーンだ。2016年には東京の都立大学駅エリアに進出し、人気店となったが、コロナ禍の2020年に撤退している。理由は売り上げが落ちたのではなく、北海道から派遣していた人員の手配がつかなくなったからだという。

現在は帯広と近郊に6店舗を持ち、年商は9億円。平均的なベーカリー(1店舗)の年商は約5000万円とされているので、満寿屋は平均の3倍以上を売り上げている。しかも、立地しているのは都心ではない。人口16万5000人の帯広だ。

そして、満寿屋のパンには大きな特徴がある。地元十勝産の小麦を100%使用していることだ。それだけではない。水は大雪山の雪解け水である。牛乳、バター、チーズ、ヨーグルトといった乳製品もむろん地元のそれ。卵、小豆、じゃがいもも同じ。加えて、砂糖もイースト菌(酵母)も地元で製造したものだ。満寿屋の店頭に並べられた食材で国産でないのはナッツ類くらいのものだ。

満寿屋が使用している北海道産の小麦粉「キタノカオリ」と「春よ恋(こい)」
写真=『世界に一軒だけのパン屋』より
満寿屋が使用している北海道産の小麦粉「キタノカオリ」と「春よ恋(こい)」 - 写真=『世界に一軒だけのパン屋』より

■残ったパンは深夜までかかっても売り切る

地元の小麦を使うと謳(うた)うパン屋は近頃は増えてきた。加えて、水、卵、乳製品くらいは酪農地帯ならなんとかなる。酵母もまた自家製で作ることができる。しかし、「地元で作った砂糖」を使うのは難しい。なぜなら砂糖はさとうきび、もしくは甜菜(てんさい)から作る。サトウキビが生育する場所は熱帯だから、小麦は取れない。

一方、甜菜と小麦は両立するが、寒い地方ならどこでも甜菜を植えているわけではないし、また、製糖工場が地元にある場所はもっと少ない。

ゆえに、満寿屋のようにすべてを地元産にしているパン屋が存在することは奇跡とも言える。

十勝の小麦畑
写真=『世界に一軒だけのパン屋』より

そして、満寿屋は以前から環境問題、食品ロスをふせぐ活動に力を入れてきた。

例えば店舗にあってピザなどを焼く、石窯の燃料には「木質ペレット」を使用してきた。木質ペレットとは森林の間伐材や廃材を粉砕圧縮し有効活用した環境に優しい燃料である。また、エコバッグの推進やパンを載せるトレー用の紙の削減など、細かいところまで配慮している。

食品ロスについても以前から、少しでも減らすための行動を実践してきた。

それが売れ残ったパンを深夜まで売ることだ。

2008年から満寿屋は近隣の店舗で売れ残ったパンをすべて帯広の中心部にある本店に集めることにした。通常よりも安い値段をつけ、すべてを売り切るまで販売したのである。

■「棚に1個だけ残ったパンは買わない」

社長の杉山雅則さんは「僕自身、かなり前から食品ロスの問題が気になっていました」と語る。

「2002年、就職した製粉会社を退職したのですが、その時、アルバイトで生活しながら、都内のパン店の売れ残りを集めて、渋谷の宮下公園にいた生活困窮者に配ったりしていました。

その後、実家のパン屋を継いでからは、食品ロスの解決には店に出すパンの数を絞ればいいと思いました。

でも、それは難しかった。お客さんは棚に1個だけ残ったパンは買わないんです。それはパンに限りません。お菓子でも総菜でも、たくさん並んだなかから、ひとつ、ふたつを選んで買っていくことが買い物なんです」

クロワッサン
写真=『世界に一軒だけのパン屋』より

現実として毎日、パンの廃棄は出る。それで考えついたのが深夜販売だ。杉山さんは市内の店舗で残ったパンを回収してきて、駅近くの本店で夜の9時半から夜中まで販売することにした。全品、2割から3割引きだ。完売するまで店を開けているから廃棄はゼロ。食品ロスの削減に貢献している。

また、杉山は「夜、パン屋さんをやりたい」と言ってきた枝元さんに「協力します」と即答した。その時、「実は夜、売り始めたきっかけがあるんです」と打ち明けた。

■ある日、パンを積んだトラックが大雪で横転し…

「ある時、パンの配送トラックが大雪で横転しちゃったんですよ。積んであったパンたち、形はひしゃげちゃったけれど、味に遜色はない。地元の小麦生産者さん、パンを作った職人たちの顔が浮かびました。

絶対に捨てられない。急遽、帯広の屋台村の前(満寿屋本店)で夜、パンを売ることにしました。スナックで働く女性たちが明日の朝ごはんにするとか、一杯やって少しご機嫌になった方が2軒目のお店へお土産にするとか、帰る時の奥さまへのお土産にとか。特に奥さまへのお土産は、値段も手頃なパンを買っていったことでご主人の株も上がる。皆さん、とても喜んで買ってくださった」

2030年の夢
収穫前の小麦畑に立つ雅則社長(写真=『世界に一軒だけのパン屋』より)

枝元なほみさんは「本家の満寿屋さんを見に、帯広へ行かねばなるまい」と決めている。『世界に一軒だけのパン屋』の解説でも、本書の内容を引用してこんなふうに書いている。

■十勝の空気と「人を思う気持ち」が入っている

「満寿屋さんのパンを膨らませているのは、温かな人を思う気持ちなのかもしれない、なんて思ったりするのです。

満寿屋麦音の風車
満寿屋麦音の風車(写真=『世界に一軒だけのパン屋』より)

『小麦粉だけを水に溶いて、鉄板で焼いたとしてもおいしくない。発酵して、内部に空気が入っているからおいしい。パンがパンたるゆえんは内部に空洞があることで、味があるのは小麦粉と空気が一緒に口の中に入ってくるからだ。わたしたちがパンの味と思っている中には空気も入っている』
『粉物の味は空気で決まるのだ』
『満寿屋の帯広店のパンに含まれているのは十勝の空気だ。カラッと清々しい十勝の空気が入っている』

私は十勝の空気が入ったパンがとてもとても食べたくなりました。満寿屋さんに行くために帯広に行きたいです。フォーエバー満寿屋さん!」

さて、わたし自身は何度も帯広へ行ったことがある。同地へ行けば、満寿屋本店を訪ね、パンの深夜販売を見に行き、何個か買うことにしている。

コロナ禍が始まる前の年、2019年の2月も帯広へ行った。酷寒のなか、豚丼を食べ、生ビールを飲み、帯広ラーメンも食べて、また生ビールを飲んだ。夜の9時を過ぎたので、帯広の中心街にある満寿屋本店にパンの深夜販売を見学に行った。

酒を飲んだおじさん3人が店内に並んだパンを根こそぎ買っていこうとしていた。しかし、ひとりのおじさんがわたしというおじさんの出現に気づいた。

■雪を踏みしめ食べる姿は「これぞ北の男」

彼はにっこり笑って、「どうぞ」とあんパン2個、クリームパン1個、食パン一斤を譲ってくれたのである。そして、スーツに長靴のおじさん3人は支払いした後、扉を開けると、雪がちらつく闇のなかへ足を踏み出した。すると、なかのひとりが袋のなかからクリームパンを取り出し、歯でパンを引きちぎるようにして食べはじめたのである。一歩歩くごとに、パンをかじる。パンをかじりながら雪を踏みしめて去っていった。

野地 秩嘉『世界に一軒だけのパン屋』(小学館文庫)
野地 秩嘉『世界に一軒だけのパン屋』(小学館文庫)

「これぞ北の男だ。男の姿だ」

北の男たちは締めのラーメンなんて軟弱なものは食べない。わたしは味噌ラーメンを食べた自らを恥じた。

北の男の締めは十勝産小豆のあんパンだ。

いや、クリームパンかもしれないし、あんドーナツということもあるだろう。豪の者であればメロンパンか……。

帯広の人々は寒さに負けないため、そして、オミクロン株に負けないため、夜、パンを食べる。神楽坂の人々もまた帯広の人々に負けじと、夜、パンを食べる。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著に『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)がある。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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