「叱るうえに盛大にぼやく」野村再生工場で次々埋もれた才能が開花したワケ
プレジデントオンライン / 2022年2月15日 18時15分
※本稿は、野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■叱ってこそ、人は育つ
最近のプロ野球の監督やコーチを見ていて、気になることがある。
「あまりに選手をほめすぎていないか?」
プロ野球にかぎらず、いまはまずほめることが奨励され、ほめて伸ばすという指導法が主流になっているようだ。しかし、私にはこれが疑問なのである。
「叱ってこそ、人は育つ」。私はそう信じ、叱って育てることを指導方針の基本に置いてきたからだ。なぜか──叱られた悔しさをバネに変えることを期待したからである。
高くジャンプするには、ひざをかがめて反動をつけなければならない。それと同じで、叱ることで選手の身体を押さえつけ、より強い反動をつけさせようとしたのである。
■悔しさが「野球人・野村克也」を作った
これは、私自身の体験でもあった。南海ホークス時代に長く仕えた鶴岡一人監督は、めったに自軍の選手をほめなかった。
とりわけ私には厳しかった。「おまえは安物のピッチャーはよう打つが、一流は打てんのう」と、いつもケチョンケチョンにいわれた。
一方で鶴岡さんは、西鉄ライオンズの稲尾和久や中西太さんのようなライバルチームの選手を「あれがプロじゃ」と盛大に持ち上げ、「それに比べておまえは……」とこきおろした。三冠王になったときでさえ、ほめられるどころか、「何が三冠王じゃ!」と怒鳴られた。
正直、悔しかった。「こんちくしょう!」と思った。だが、私はそれを期待の裏返しだと考えた。そして、その悔しさを「いつか認めさせてやる!」とバネに変え、努力した。三冠王になったにもかかわらず怒鳴られたときも、「慢心するな」という意味だと受け止めた。
「これで満足することなく、さらに高みを目指せ」
そういっているのだと考え、努力を重ねた。そのくり返しが私を成長させたのは間違いない。
■「叱る」ことは「気づかせる」こと
私が叱ることを指導の基本にしていた理由のもうひとつは、叱ることで「気づかせる」ためだった。
人は、叱られることで考える。「どうして叱られたのか、何がいけなかったのか」と自問自答する。そうして「では、どうすればいいのか」と知恵を振り絞り、改善しようとする。その過程が技術的にも人間的にも、大きく成長させるのである。
人は、叱られてはじめて反省し、「もっとよくなろう」と心から願い、その方法を考える。まさしく、人は叱られてこそ育つのである。
叱るにあたり、私が肝(きも)に銘(めい)じていたことがひとつある。
「自分の保身のために叱らない」
そもそも何のために叱るのか。失敗を次につなげ、成長を促すためにほかならない。叱ることで、相手にどこがいけないのか、何が足りないのかを気づかせ、それならどうすればいいのかと考えさせるのが目的なのだ。
であれば、自分の身を守るため、言い換えれば、失敗の責任を誰かに転嫁するために叱ることはあってはならない。ましてや叱ることで自分自身を満足させたり、ストレスを発散したりすることなど言語道断である。
■「叱る」と「怒る」は違う
「叱る」と「怒る」は違うのだ。
「怒り」とは、たんなるおのれの感情の発露にすぎない。しかも、たいがいの場合、「おまえがちゃんとやってくれないと、おれが困るから」という理由で怒っている。要は、責任を押しつけ、自分を守ることが目的になっているわけだ。
対して、「叱る」のは、先に述べたように相手のためである。そう、叱ることは愛情の裏返しなのだ。相手の成長を願うから叱るのである。私にいわせれば、「ほめる」と同義語なのだ。
■それは「保身」ではないか?
叱るには気力も体力もいる。叱って楽しい気持ちになることもない。それでもあえて叱るのは、相手に成長してほしいからだ。期待しているからなのである。
もっとできるはずなのに、本人の努力不足や取り組み方の甘さなどによってそのレベルまで達していないと感じられるから叱る。期待していないのなら、愛情がないのなら、誰が好き好んでわざわざ叱るものか。
だが、「叱る」と「怒る」をはき違えている指導者がいかに多いことか。愛情から叱っているのか、それとも自身の保身やいっときの感情の高ぶりで怒っているのか、相手は即座に見抜く。「怒られた」と感じれば反発したり、聞き流したりするのは当然だ。
本人が「自分のために叱ってくれているのだ」と受け止め、そのうえで「もっとよくなって期待に応えよう」という気持ちを喚起させなければ、叱ったことにはならない。これは絶対に忘れてはいけない。
■「ぼやき」は期待の裏返し
監督だったとき、私は盛大にぼやいたものだ。野村=ぼやきといわれるほどだった。だから私の場合、叱る、ほめるだけでなく、もうひとつ「ぼやく」があった。
とくに東北楽天ゴールデンイーグルス監督時代は、私のぼやきが毎日メディアで取り上げられ(スポーツ新聞にコーナーもできたほどだ)、結果的にチームに注目を集めさせることにもなった。
私がぼやいたのは、ファンサービスや話題づくりという狙いもあった。だが、最大の目的は選手を発奮させることだった。
私のぼやきはメディアを通して選手にも伝わる。それを聞いた選手は、どうしてぼやかれたのか、何が悪かったのかと自問自答する。そして何をしなければいけないのか考え、改善しようとする。それを期待したのである。
■「もっとできるはずだ」のメッセージ
断っておくが、ぼやきは「愚痴」ではない。ぼやきと愚痴は、似ているようでまったく違う。
愚痴は、「おまえができないから、おれまで責められるんだ」と、責任を誰かに転嫁するための後ろ向きの発言にすぎない。対してぼやきは、いうなれば理想主義の表れである。その選手の能力に比べて結果に不満が残るから、その選手が私の求める理想に届いていないからぼやくのだ。
「もっとできるはずなのに、どうしてやろうとしないのだ」
「どうしてその程度で満足してしまうのだ」
その選手に期待しているからこそ、ぼやくことになる。期待していないのなら、わざわざメディアの前で名前を出してぼやく必要があろうか。すなわち、ぼやきは愛情と期待の裏返し、愚痴とは正反対の前向きな発言なのである。
あなたに対して誰かがぼやいているのを聞いたならば、腹を立てる前に、まずは自分が求められるだけの仕事をしているか省みることだ。
■「満足」を知らない男
ところで、私がぼやいたのは、選手に対してだけではなかった。自分自身に対してもしょっちゅうぼやいていた。
「どうして選手を思うように動かせないのか」
「どうしてこんな指示を出してしまったんだろう」
いつも心の中でぼやいていた。そして、目指す理想に少しでも近づこうと反省し、レベルアップに努めた。
「満足」という言葉は私の辞書にはなかった。だから、選手に対しても、自分に対しても、ぼやきが止まることがなかったのだ。
■教えない、気づかせる
「教えたいという君たちの気持ちはよくわかる。だが、まずは選手にやらせてみなさい」
私はいつもコーチたちにいってきた。コーチから教えられないのだから、選手たちはたいがい失敗する。だが、それでかまわないのだ。
高津臣吾というピッチャーがいた。やがてストッパーとしてヤクルトスワローズの投手陣を支えることになる高津だが、入団時は並以下といってもいいピッチャーだった。「おまえら、よくこんなピッチャーを獲ってきたな」とスカウトに文句をいったほどだ。
高津本人はストレートに自信を持っていたが、私が見たところスピードも球威もそれほどない。変化球も横の変化ばかりで、このままで通用するとは思えなかった。
■投手・高津臣吾が覚醒した瞬間
ただ、精神的には強いものがあったので、まずは中継ぎ、いずれは抑えに使えればいいと私は考えた。ただし、サイドスローだけに左バッター対策が課題だった。そこで私は高津にいった。
「おまえはストレートで勝負できるピッチャーではない。シンカーをマスターしろ」
しかし、高津はストレートに未練があるようだった。「なんとかして未練を捨てさせなければならない」と考えていたとき、絶好の機会がやってきた。1993年5月2日の巨人戦。4対1でリードして迎えた9回、高津はこの試合がデビュー2試合目の松井秀喜を打席に迎えた。
私は、キャッチャーの古田敦也を通じて高津に指示を出した。
「インコースのストレートで勝負せよ」
これには松井の実力を探るという目的もあったが、それ以上に「おまえのストレートがどれだけ通用するか自分で試してみろ」という高津へのメッセージでもあった。
■高卒ルーキーに打ち砕かれた未練
果たして松井は、そのストレートを火の出るような当たりでライトスタンドに運んだ。
自信のあるストレートを高卒ルーキーにものの見事に打ち砕かれたことで、「ストレートは通用しない」と高津は認めざるをえなかったはずだ。そのことをわからせるために、私はあえて被弾覚悟で内角のストレートで勝負させたのである。
人間は失敗してはじめて自分の間違いに気づく。
■人を伸ばすために絶対に逃してはならないタイミング
気づく前に教えられても必要に迫られないから、真剣に聞く耳を持たないし、頭に入ってこない。自分でやってみて、失敗してようやく、自分のやり方や考え方は間違っていたのではないかと考えるわけだ。そして、そのときこそがコーチの出番。教えるべき最高のタイミングなのである。
自分の間違いに気づき、「なんとかしなければいけない」と思っているときは、向上心や知識欲が高まっている。ここにいたってようやく、教えることが意味を持つ。
選手がそういう状態になったときとはすなわち、アドバイスを受け入れる態勢が整っているときだ。選手は教えられたことをスポンジが水を吸い込むがごとく吸収する。指導者は、このタイミングを絶対に逃してはいけない。
高津がその後懸命にシンカーの習得に励み、日本を代表するストッパーとなったのはご承知のとおりである。
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野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へテスト生として入団。MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、ベストナイン19回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。後にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレー。80年に現役引退。通算成績は、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。90~98年、ヤクルトスワローズ監督、4回優勝。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。
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(野球評論家 野村 克也)
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