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簡単に見極められる「人を伸ばすリーダー」「人を殺すリーダー」野村克也が語る決定的違い

プレジデントオンライン / 2022年2月23日 18時15分

2009年10月24日、試合終了後、日本ハム、楽天の両軍選手らから胴上げされる楽天の野村克也監督(札幌ドーム) - 写真=時事通信フォト

名将・野村克也氏の三回忌を追悼し、氏が晩年に語り残した金言をまとめたセブン‐イレブン限定書籍『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』が発売された。自らを高めようと努力を続けるすべての人へ贈るラストメッセージより、その一部を特別公開する──。(第4回/全4回)

※本稿は、野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■組織はリーダーの力量以上には伸びない

「組織はリーダーの力量以上には伸びない」──これは組織論の鉄則であり、私自身、何度も痛感してきたことである。リーダーの力量、器の大きさが、組織の盛衰、浮沈を決するといっても過言ではない。

逆にいえば、組織を成長させようと思えば、リーダー自身が成長しなければならないということになる。リーダーみずからが向上心を忘れず、力量や器を伸ばし、大きくする努力を続けなければ、組織の成長もそこで止まってしまうのだ。

とすれば、リーダーたるもの、部下に求める以上に自分自身を厳しく律し、常に進化・進歩しようとする姿勢を忘れてはならない。選手が監督をよく見ているように、フォロワーはリーダーをよく観察している。リーダーが自分を甘やかし、責任をフォロワーに押しつけたり、言い訳したりしても平気でいれば、誰もついていこうとは思わない。

■わずか1年で準優勝した子どもたち

そうしたことの大切さを、あらためて実感した出来事があった。ヤクルトの監督になる前、請われて港東ムースというリトルシニアのチームを指導していたときのことだ。

子どもたちは私を全面的に信頼してくれていた。それだけに、こちらもいい加減なことはできなかった。グラウンドで指導するだけでなく、自宅にも子どもたちを招き、私の経験もまじえながら、さまざまな話をした。「野球とは」をくり返し説き、「おもしろい」と感じさせるために工夫をした。

子どもたちは目を輝かせ、熱心に通ってきた。私のいうことを素直に吸収していった。その結果、それまで全国大会に一度も出たことのなかったチームが、わずか1年で準優勝するまでになったのである。

このときの経験が、信頼関係の大切さとともに、「組織はリーダーの力量以上には伸びない」という事実を、私に再認識させることになった。

■人に厳しく、自分に甘くはないか?

だから私は、「監督はすべてにおいて選手に負けてはならない」と肝に銘じ、常に新しい知識や情報を収集し、バージョンアップに努めた。ミーティングでは新たに気づいたこと、考えたこと、仕入れたことを随所に織り込み、マイナーチェンジをくり返し、データも更新した。

後年、楽天の監督になったときはすでに70代だったが、私の姿勢は一貫していたつもりだ。積極的にコーチの意見を聞き、必要ならばどんどん取り入れた。自分がミスしたときは、非を認め、反省した。

リーダー自身が成長することこそ強い組織をつくる第一歩なのであるが、現実はどうか。プロ野球の世界であれ、そうでない世界であれ、人に厳しく、自分に甘いリーダーのほうが多いのではないか?

そういうリーダーのもとでは、フォロワーも同じ態度をとるようになり、当然、組織の力は弱まっていく。「人材がいない」「上の人間が理解してくれない」と嘆いたり、愚痴をこぼしたりする暇があったら、「自分自身を磨け」と私はいいたい。

■ヤクルト時代に日本一を実現できた真因

ヤクルトの監督を務めた9年間、私はチームをリーグ優勝4回、日本一に3回導くことができた。これには、当時の球団社長だった相馬和夫さんの功績も非常に大きい。

当時のヤクルトは最下位が定位置といってもいいような弱小チームだった。相馬さんは、私の評論や解説を聞き、「ヤクルトを強くしてくれるのは野村しかいない」と考え、ヤクルトに縁もゆかりもない私に白羽の矢を立てたのだという。

そんな相馬さんに私は訊ねた。

「1年目は畑を耕し、2年目に種をまいて育てる。花が咲くのは早くても3年後。それまで待ってくれますか?」

相馬さんは笑っていった。

「あなたが監督をやったからといって、すぐに優勝できるとは思っていない。急がず、じっくりと選手を鍛えてください。5年後に優勝を争えるチームにしてくれればいい。そのために協力は惜しみません」

そして、続けた。「私が責任を持ちます。結果が出なければ私も一緒にやめます」。

じつは、球団関係者は必ずしも私の監督就任に賛成していたわけではなかったそうだ。実際、5位に終わった1年目のオフには、相馬さんは役員から吊るし上げをくったという。

それでも相馬さんは私を信頼し、まかせてくれた。おかげで私は強化に専念でき、3年目にリーグ優勝、4年目に日本一という花を咲かせることができたのである。

■責任を他人に押しつけて平気な責任者たち

相馬さんから私は、リーダーにもっとも必要な条件をあらためて教えられた気がする。「部下を信頼し、責任は自分がとる」、そういう度量である。

「責任者」は、「責任をとる」からそう呼ばれるのだ。しかるに、責任をとらないばかりか、他人に押しつけて平気でいる「責任者」がどれほど多いことか。

現役時代、キャッチャーだった私はいつも思っていた。

「抑えたらピッチャーの手柄。打たれたらおれの責任」

ビジネスマン
写真=iStock.com/blackred
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/blackred

たとえピッチャーが要求とは違うところに投げて打たれたとしても、サインに首を振って投げたい球を投げて痛打されたとしても、責任はすべて自分にあると考えていた。ベンチに帰って監督にどやされても、弁解はいっさいしなかった。

■「責任はおれが持つ」

自分が監督になってからも、しっかり準備したうえでの失敗なら選手を責めることはなかったし、たとえそれで負けても選手のせいにしたことはないつもりだ。

その選手を起用したのは私である。ならば、彼を信頼し、まかせるべきであり、結果がどうあれ、その責任は自分が負うべきだと考えていた。それが、現場の責任者である監督の「責任」だからである。

そもそも、結果が悪かったからといって、その原因を他人に押しつけ、責任逃れをするような人間が信用されるだろうか。ましてや責任者がそうであれば、下の人間はやる気を失い、失敗だけは避けようと考えるに決まっている。それでは大きな成果など望めるわけがない。

その人間を選んだのなら、「責任はおれが持つ」と信頼し、思い切って仕事をさせる。それがほんとうの責任者なのである。

■究極の選択

中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズが激突した2007年の日本シリーズ。日本一がかかった第5戦でこんなことがあった。中日が1点をリードして迎えた9回、それまでパーフェクトに抑えていた先発の山井大介を、落合博満監督が降板させたのである。

結果から述べれば、リリーフの岩瀬仁紀が9回を三者凡退に抑え、中日は日本一になった。勝負に徹した落合は正しかったのだろう。

「自分が監督だったらどうしたか」──私は考えてみた。「続投させる」、それが答えだった。

このケースにかぎらず、私は、「代えたほうがいい」と頭ではわかっていても、続投させて痛い目を見たことが何度もある。だから自分をヘボ監督だと思っているのだが、このことに関しては学習しなかった。同じ失敗をくり返した。

■目先の失敗より人を育てることを選ぶ

コーチからもいわれたことがある。

「監督は情をかけすぎですよ」

なぜ、わかっていながら私は同じ判断ミスを続けたのか。私なりの答えはこうだ。

「長い目で見れば、そのほうが選手のためになる。ひいてはチームにとっても有益だから」

負けを覚悟であえて続投させることが、人を育てることになると思っていたのだ。

若く、経験や実績のないピッチャーには、勝ち星がなによりの自信になる。スランプに苦しんでいる選手もそうだし、他球団を解雇されてやって来た選手もそうだ。だから、どうしても非情に徹することができなかった。

ましてや先述の山井の場合は、いまだかつて誰も達成したことのない日本シリーズでのパーフェクトがかかっていた。永遠に歴史に名前が残る。代えるのはヒットを打たれてからでいい。たとえホームランを打たれても同点だ。私なら「行け!」と肩を叩いて送り出していたと思う。

■勝負師としての私の限界

続投させた結果、打たれて負けたとしよう。だが、打たれたピッチャーは感じるのではないか。

「監督は自分を信頼してくれた。次は絶対応えてやる!」

そう感じてくれれば、本人にとってもチームにとってもプラスのほうが大きい。だから私は「あと少しだ。がんばれ」と尻を叩いて続投させただろう。

そういうところが勝負師としての私の限界だったのかもしれないが、そのおかげで成長した選手、生き返った選手がいたならば、それでいいのではないか、とも思う。

握手を求めるビジネスマン
写真=iStock.com/LumiNola
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LumiNola

人は機械の部品ではないし、監督の道具でもない。目先の勝利、利益に固執するのは間違いではないが、こだわりすぎるあまり、肝心の「人」を殺してはなんにもならない。これは野球にかぎった話ではないのではないか。

■「信頼は戦いの中から築かれる」

「信は万物の基をなす」という言葉がある。信頼はすべての基本である。信なくして、何事もなすことはできない。とくに監督と選手とのあいだには必要不可欠で、信頼関係がなければチームとしてのいい仕事などできるはずがない。

「この人についていけば大丈夫だ」

監督は選手たちにそう思わせなければならない。

ただし、これは必ずしも好かれることを意味しない。友だちのように仲良くすることでもない。それを勘違いしている、もしくは忘れている監督が、最近は多い気がする。むしろ私は思う──「信頼とは戦いの中から築かれるものである」と。

■選手は監督の敵

事実、西鉄の黄金時代を築いた名将・三原脩さんは、「選手は監督の敵である」と語ったことがある。どういうことか。

野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)
野村克也『人は変われる 「ほめる」「叱る」「ぼやく」野村再生工場の才能覚醒術』(プレジデント社)

監督には目指すべき理想の野球がある(そもそも理想のないリーダーは論外だ)。それを具現化すべく戦略や戦術を立て、それをもとに選手を強化し、配置し、動かそうとするわけだが、はじめからうまくいくことはまずない。

監督はチームを第一に考えるのに対し、選手はどうしても自分のことを中心に考えるからだ。

よしんばチームのことを自分より優先することができたとしても、監督の意図や考えが理解されるまでには時間がかかる。当然、結果も出ないから、選手たちにはしだいに監督に対する不信感が芽生えていく。

しかし、だからといって選手にすり寄ってご機嫌をとったり、迎合したりしてはいけない。くり返し、くり返し、自分の信ずるところを説き、選手に「ついていこう」と思わせなければならない。

■「勝たせてくれるリーダー」に人はついていく

そのためには、野球の理論や知識はもちろん、言動、立ち居振る舞い、人格にいたるまで選手に負けてはならない。選手と戦い続けなければならないのだ。その戦いに敗れた瞬間、信頼関係は崩壊する。

だからこそ、三原さんがいうように「選手は敵」なのである。ただ自由にやらせればいい、馴れ合えば選手はついてくると考えるのは大間違いなのだ。

たとえ結果が出なくても、選手と戦いながら正しい強化法を実践していけば、少しずつであっても成果が生まれはじめる。それにともない、選手の信頼も徐々に厚くなっていく。

そうすれば、「この監督なら勝たせてくれるのではないか。この人についていこう」と思うようになっていく。

こうして築かれていく関係こそが、ほんとうの信頼なのである。やはり信頼は、戦いの中から築かれるのだ。

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野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へテスト生として入団。MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、ベストナイン19回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。後にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレー。80年に現役引退。通算成績は、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。90~98年、ヤクルトスワローズ監督、4回優勝。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。

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(野球評論家 野村 克也)

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