「トイレの水を飲めよ」7年間親に虐待され卒業式前日に逃亡…20代になった女性が出産を決意できた理由
プレジデントオンライン / 2022年2月5日 11時30分
現在20代後半の緑川由芽さん(仮名)は、8歳の頃、両親が離婚。31歳の母親は緑川さんを連れて、会社経営をする44歳の男性と事実婚関係に。やがて母親は妊娠。産後は妹ばかりを可愛がるようになり、緑川さんのことは放置。妹誕生から半年が経った頃、母親は緑川さんに関係する家事を一切しなくなる。10歳になっていた緑川さんは、洗濯も食事の用意も、自分でするしかなかった。
この頃から継父も、緑川さんに対して常に不機嫌な態度で接するようになり、機嫌を損ねると執拗に顔にシャワーをかけられる。11歳になった緑川さんは、家中の家事をやらされ、家政婦のような扱いに。中学になると、虐待はさらにエスカレートした。
彼女はなぜ虐待を受けなければならなかったのか。果たして、「家庭」という密室から脱出することはできたのか――。
■担任の教師、児童相談所、警察……救いの手は届かなかった
虐待は7年続いていた。
中学3年生(14歳)の冬。母親(当時37歳)から頭をひどく殴られた翌朝、緑川由芽さん(現在20代後半)は中学校に登校するも、あまりに殴られた後が痛くて、「痛むので、保健室で冷やしたいのですが……」と担任の先生に話した。
すると担任は、緑川さんの頭のあざを見て、やさしく「行きなさい」と一言。ホームルーム後に保健室に来た先生は、「それ、ケガじゃないよね?」と真剣な面持ちで言う。それを見た緑川さんは、「母と継父(当時50歳)に殴られました」と打ち明けた。
親身に話を聞いてくれた担任は、すぐに児童相談所へ通告。同じ学年を担当している先生たちとも情報を共有し、緑川さんの体調や生活について気遣ってくれるように。
■トイレの水を飲まされたり、正座をした膝の上に重りを載せられたり
この頃は、母親はもちろん、継父からの暴力もすさまじくエスカレートしていた。痛くて座れなくなるほどお尻を強く蹴り上げられたり、トイレの水を飲まされたり、正座をした膝の上に重りを載せられたりしていたことを、全て担任に話した。
![日本様式便器](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/6/670/img_b6f778c89ae3f8aab23de8557355bd27537206.jpg)
やがて、担任からの通告により、児童相談所の職員が何度か自宅にやってきた。だが、母親は虐待の事実を頑なに否定。何度目かの訪問で、緑川さんは何とか玄関先で職員と面会することができたが、事前に母親から、「下手なことを言ったら、覚えておけよ!」と釘を刺され、家の中で聞き耳を立てている母親が怖かったため、事実を話すことはできなかった。
また、同じ頃、母親と継父の罵声や緑川さんの悲鳴が尋常ではなかったのだろう。近所の人から「子どもの泣き叫ぶ声がする」と、何度か警察に通報されていた。
しかし、家に来た警官たちに継父が、「言うことを聞かないので、体罰です」と言い切ると、驚くことに警官たちは「ほどほどにしてくださいね」と言い、その場にいた緑川さんに対しても、「反抗期なのかもしれないけど、キチンとご両親の言うことを聞いてね」と諭して終了。
むしろ、児相や警察が来てからというもの、母親と継父は外部に緑川さんの泣き声や悲鳴が漏れないよう、警戒するようになった。虐待行為をする前に、窓や雨戸を閉めたり、緑川さんに猿ぐつわを噛ませたりしてから暴力を始めるのだ。
さらに、傷跡やあざなどが残りにくい、長時間の正座をさせられるようになったのも、この頃から。正座をさせる際、膝の内側に棒を挟む拷問と同じ方法を取られるようになり、それ以降、緑川さんは膝が悪くなり、現在も後遺症に苦しんでいるという。
「担任の先生がせっかく児童相談所に連絡してくれて、児相の職員たちは私から話せる機会を設けてはくれましたが、自宅では母が怖くて何も言えませんでした。せめて、場所を考えてほしかったです。警察は、私の話を少しも聞こうとはしてくれませんでした。当時の私は、『なぜ誰も助けてくれないんだろう?』と思っていました」
■卒業式前日に逃亡し、いったん実父の家へ避難するもパパ活開始
中学の卒業式の前日。緑川さんは母親と継父、妹のいる家へ帰宅することはなかった。
担任の先生の協力により、実の父親のもとへ逃げ出すことに成功したのだ。母親が親権を移したことにより、中学校へは実の父親の連絡先や住所が伝えられていた。警察も児童相談所も助けてくれない現実に絶望した緑川さんが、担任に助けを求めたため、実の父親に連絡。事情を聞いた父親も受け入れてくれたので、即日逃げ込むことになったわけだ。
![警察官](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/5/670/img_15797529ea2cd8202de071e52b04d4e0728570.jpg)
それを知った母親は、慌てた様子で父親に連絡をしてきたが、緑川さんが「絶対に帰らない!」と言い、親権は実の父親にあるため、どうすることもできなかった。
実の父親は女性と暮らしていた。緑川さんと再会すると、「久しぶり! あいつやっぱりおかしいよな。リビングだけど置いてやるよ」と軽い調子で言った。
緑川さんは夜間高校に入学し、昼間はアルバイトを始めた。父親も女性も、家で食事をすることがほぼなく、めったに顔を合わせることはない。誰からも干渉されず、特に不快なこともないため、母親と継父との暮らしと比べたら、天国のようだった。
父親からは、「お金を貯めたら、一人暮らしをしろよ」と言われていたため、緑川さんは貯金に励み、1年後には一人暮らしを開始。父親の家を出てからも、父親は時々食事や旅行に連れて行ってくれた。だが、アルバイトだけでは家賃や生活費、学費が賄えないことも。そんなときは、いわゆる「パパ活」をして不足を補った。
「パパ活は、不定期に2年くらい、月に5万円前後、トータル60万円くらい稼ぎました。相手によってはお金でなく、食事や泊めてもらうといったことをお願いしていましたが、性交渉は一切ありませんでした」
逃亡から約1年後、祖母から曾祖母が亡くなったことを聞かされ、葬儀へ参列するため、母親と継父と再会。その際、緑川さんが使っていた部屋を片付けるように言われ、約1年振りに母親と継父と妹と暮らしていた家へ。不要な物は捨て、必要な物は持ち帰った。
母親や継父からは、もちろん謝罪はなく、「お前がいなくなってから妹が寂しがって、少し精神的に不安定になった」と小言を言われた。
その後、継父とは別に、母親が外に作った彼氏と遊びに行くときに妹を預かったり、母親に誘われるまま一緒に出かけたりする関係が始まった。
■職場の先輩からレイプされ、母親の虐待のフラッシュバックも
一人暮らしを始めてしばらくすると、緑川さんは自殺未遂や自傷をするようになっていた。
混んでいる電車や店などに入ると、息苦しさを覚え、そのうちに、大きな音でパニックを起こしたり、「ブスじゃん」「死ねよ」と知らない人に笑われていると感じたりして、人の目が怖くなる。そのうえ、母親の暴言がフラッシュバックするようになり、精神的に不安定に。
高校の養護教諭に勧められ、初めて心療内科へかかったが、金銭的な余裕がないことと、薬をもらってはオーバードーズをしてしまうことの繰り返しで、すぐに通院をやめてしまう。
![薬](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/2/670/img_12a1ef77553d682ab4fbd9285cf313cb469741.jpg)
「死んだら楽になれると思って、何度か自殺未遂をしましたが、死ねませんでした。リスカは血が出るのが快感で、大好きでした。薬のオーバードーズをするとフラフラしてきて記憶がなくなり、気付いたら知らない所にいたこともありました。とにかく、自分が当たり前に生きている感覚が嫌で、死にたかった。この頃は、痛みや苦しみを自分に与えることが目的で、日々生きていた感じです」
高校卒業後は介護の仕事に就いた。だが、施設利用者に対する職員たちの暴言が横行し、過剰な利益追求に走った施設の運営方針に馴染めず、緑川さんは心を病んでいく。さらに就職から1年後、夜勤中に先輩職員からレイプを受け、緑川さんはますます自傷にハマっていく。
母親(当時42歳)は、危ない男ととっかえひっかえ付き合い、「彼氏にDVされた!」と言っては緑川さんの部屋に逃げ込んで来るため、母親の痴話喧嘩に巻き込まれ、母親の彼氏に金品を要求されることも。その度に緑川さんはパニックを起こし、自殺未遂や自傷を繰り返した。
■「不幸沼」にズブズブ飲み込まれる女性を救った出会い系の男
20歳になった緑川さんは、馴染めない職場環境と先輩職員から受けたレイプに悩んだ末、自分自身も母親も世の中もどうにでもなれと思うように。むしゃくしゃした気分でインターネットの出会い系サイトに書き込むと、返信をくれた7歳年上の男性と会うようになった。
これでもかと言わんばかりの不幸の連鎖が続き、「不幸沼」にズブズブと飲み込まれそうな悪展開の中、この「出会い系の男性」との出会いが緑川さんの人生のターニングポイントとなった。男性は緑川さんが置かれた深刻な状況に寄り添い、緑川さんを「不幸沼」から救い出してくれる人物だったのだ。ふたりは1年後には同棲を開始する。
![手を繋ぐ男女](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/9/670/img_89f53bc4bdc29bf9b16628badac45010789001.jpg)
同じ頃、緑川さんはハローワークの職業訓練に、専門学校に通って保育士の資格を取るコースがあることを知り、介護施設を退職。
だが、すべてがうまくいくわけではなかった。今度は専門学校での授業や実習などを通して、虐待の記憶に苦しめられ始める。例えば、授業で講師が心理的虐待の実例のひとつとして、「お前なんか産まなきゃ良かった」と口にした瞬間、緑川さんはフラッシュバックを起こしてパニックになってしまったのだ。保育士の資格は取りたいが、学ぶ過程で虐待の記憶が蘇ってしまう自分に、緑川さんは限界を感じ始めていた。
そんな頃、激しい腹痛が続き、病院を受診すると、卵巣出血を起こしていることがわかる。出血量が多く、なかなか出血が止まらないため手術となり、その後の検査で子宮内膜症が発覚。こちらも手術となり、1カ月ほどの入院を余儀なくされる。そのため、専門学校での単位が不足し、退学せざるを得なくなった。
23歳になった頃、緑川さんは妊娠。これをきっかけに入籍を決めた。
「結婚については悩みませんでした。夫の性格のおかげなのかもしれませんが、どんな育ちでも、どんな親でも受け入れてくれました。夫のご両親も、私の家族についてはあまり気にする人でなく、夫自身も、両親とあまり仲が良いわけではなかったので気が楽でした」
しかし、子どもを持つとなると、話は別だった。
「子どもがほしいという気持ちと、自分も虐待するのではないかという不安がありました。しかし夫が、『俺が一緒にいるから、もし虐待しそうになったら俺が止めるから大丈夫』と言ってくれたおかげで踏ん切りが付きました」
■「私より彼氏をとるんだな? お前とは絶縁だ、顔も見たくない!」
夫と出会ってしばらくしてから、母親とは絶縁。いつも母親の連絡に怯え、何より母親の希望を優先している緑川さんを見ていた夫はこう言ってくれた。
「お母さんと仲良くしてるって言ってたけど、“仲良し”じゃなくて“言いなり”だよ。気付いてないかもしれないけど、お母さんと会った後はよく過呼吸を起こしてるし、精神的に良くないから距離を置いたほうが良いよ」
そのため緑川さんは、母親から誘いの電話が来たときに、「その日は難しい。あとしばらく距離を置きたいな。少し疲れてて」と意を決して伝えた。すると母親はこうまくし立てた。
「何よ、誘ってやってるのに。私といるのが疲れるっていうの? 生意気な! どうせ彼氏の入れ知恵だろ? お前は私より彼氏をとるんだな? お前とは絶縁だ、顔も見たくない!」
一方的に電話を切られて以降、一切連絡はない。
■「虐待とは無縁な息子に嫉妬してしまっている自分がいます」
現在、息子は2歳。20代後半の緑川さんは初めての育児に奮闘中だ。
「息子の泣き声は特に苦手です。妹(母と継父との子)を泣かせたらいけないという刷り込みが強くて、息子が泣くととても強い罪悪感に襲われます。また、私が子どもの頃は、母や継父の機嫌を損ねると暴力を受けるのが当たり前だったので、息子がいけないことをするとイライラしてしまい、脳内で息子を殴る映像が流れます。もちろん、手を上げたことは一度もありませんし、これからもしません。母親である私が虐待しないように育てているので当たり前なんですが、虐待とは無縁な息子に嫉妬してしまっている自分がいます」
8歳から14歳までの7年間、母親と継父からの虐待に苦しんできた緑川さんだが。現在の母親に対する気持ちをたずねると、「恨みしかない」と吐き捨てるように言う。
![赤ちゃん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/6/670/img_861ca377f0cbe1d1bb82b0d0534e4c4b501223.jpg)
「母のことは本当に、心底嫌いです。なぜなら、幼い頃は大好きだったからです。好きだったからこそ、私に憎しみを向けて、あらゆる手段で虐げてきたことが許せません」
■「犬以下」と罵倒された継父が「ワンワン!」と一人吠える姿を見た
継父は脳梗塞により、60歳で亡くなったと、現在も時々会う70代の祖母から聞いた。
緑川さんが中学生になった頃、母親と継父はケンカが増え、母親が継父に「お前は犬以下の低能だ!」などと暴言を吐くことが頻繁になった。そのため継父は気がへんになったのか、「ワンワン!」と一人で吠えている姿を、緑川さんは何度も見たという。
![柴犬](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/e/670/img_4ea170cdfa5f3248af1b62ccb641089a573257.jpg)
「継父に対しては、私への虐待行為は許せませんが、同時に被害者でもあると思うと、半ば諦めのような気持ちです。継父は、私が20歳頃から罪滅ぼしのつもりか、時々お金の援助をしてくれていました。総額50万円ほどもらいましたが、虐待分の慰謝料としては安いかなと思います」
緑川さんの壮絶な経験を聞きながら、筆者はこう考えていた。母親は、一刻も早く継父と妻とが離婚して自分と結婚してほしいあまり、継父の機嫌を取るために娘(緑川さん)の虐待に走ったのはないか、と。その点については、緑川さんはどう思っていたのか。
「恐らく母は孤独だったのでしょうね。継父とは事実婚のようなものだったので、母は継父に妻がいることを承知の上で妹を作り、認知してもらい、同居していたようですが、何度か『そろそろちゃんとしてよ』と継父に言っていたのは、『離婚してよ』ということだったのでしょう。寂しさと、結婚したい男との子どもを思う余りの歪んだ愛情、その果てに、私の存在が邪魔だという気持ちが芽生えたのではないかと推測しています」
緑川さんの言うように、最初は孤独感や寂しさ、「裕福な継父と早く結婚したい」「安定した暮らしをしたい」という欲や焦りから、妹を作ったのかもしれない。しかし一向に継父は離婚をしない。思うようにならない憤りが幼い緑川さんに向かい、やがて継父本人へもぶつけられるようになったのだろう。
そして、継父が緑川さんを虐待するようになったのは、自分がなかなか離婚できないせいでイライラする母親から加えられるストレスによるものが大きかったのではないだろうか。
「妹だけは心配です。母と上手くやれているだろうか? 恐らく妹は妹で過保護に育てられていたので、苦労しているのではないかと……」
母親と継父は、妹の前では虐待をしなかった。「ねね、またお父さんに怒られたの?」と言われたことはあったが、「大丈夫だよ、ちょっと間違えたことがあって、怒られちゃった」と笑顔で返したという。
「妹には甘い母と何でも言いなりな継父のもと、妹はお姫様のように育てられましたから、その裏で姉が虐待を受けていたとは、当時はさすがに思っていなかったでしょう。今はその異常さに気付いているかもしれませんが……」
■虐待は魂を殺すもの
緑川さんは8~14歳の7年もの間、母親や継父から虐待されていた。だが、偶然虐待の痕跡に気づいた中学の担任教師のほかに、自ら救いを求めることはなかった。なぜだろうか。
それは、「家庭という密室」での出来事がタブーのようになった結果だと筆者は考えている。長年取材していて気付くのは、この「家庭のタブー」が発生するとき、「短絡的思考」「孤立」「羞恥心」の3条件が揃っている場合が多いということだ。
緑川さんの場合、子どもだった緑川さん自身に選択権はなかったが、離婚していない曖昧な関係にもかかわらず、妹を妊娠した母親、そして離婚していないにもかかわらず緑川さんたちを受け入れ、さらに妹までもうけた継父は「短絡的思考」に陥っていた。
妹が生まれ、母親が家事をしなくなり、緑川さんが家政婦のようになったとき、「孤立」が進展。小学校の授業が終わるとすぐに帰宅させられ、クラスメイトや友だちと関わる機会を奪われた。
そして「羞恥心」。これは、虐待を隠す行為からも、母親や継父に見受けられるのはもちろんだが、緑川さん自身にもあったのではないだろうか。
「ありましたよ。それはもう恥ずかしくて嫌でした。『虐待されているから助けて!』と外の人に言うことは、『私の親は、自分の子どもの面倒さえみれない親なんです』と言うことと同義であり、『私は虐待する親といます』って暴露することは、惨めで恥ずかしいことでした。『こんな親元で育って恥ずかしい』です。母に至っては、存在すら恥ずかしい。いなくなってほしいとすら思います」
虐待されていた頃、子どもであった緑川さんでさえ、「羞恥心」を感じていたのだ。ここに、タブーが生じた家庭を救うヒントが隠されていないだろうか。
現在、緑川さんは、「みどりゆめ子」という名前でTwitterを利用し、「子どもの頃に虐待を受けた人が大人になってまでも苦しまないよう、虐待とはどれだけ人を傷つけ、苦しめ、人生を壊すのか。虐待サバイバーの感じていることはどんなことなのか」を発信し続けている。
Twitter上では、「虐待されて育ったのに、子どもを産んだの?」と言われたこともあるという。しかし緑川さんは、「虐待の連鎖は止められる」と訴えている。
![18歳の男は彼の手のひらで身を守る](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/7/670/img_372bc7d5695dd3a3541960699e3a0558343625.jpg)
「虐待は、“必ず連鎖するもの”ではありません。むしろ、虐待された自覚のない人や、虐待をしつけだと言われて鵜呑みにした人が大人になって子どもを持ち、虐待してしまう傾向にあるのではないかと感じています。もし、『自分は虐待されて育ったかも?』と気付いていたら、違ったかもしれない。だからこそ、“虐待サバイバー”という存在を、多くの人に知ってもらいたいと思っています」
緑川さんは、「どんなことをされたら虐待なのか」「虐待サバイバーは大人になった今、どんなことに苦しんでいるのか」を知ってもらうことは、救いの手を増やすことにつながると信じて、自らの経験や考えを発信。その行動は、筆者のこの連載趣旨に通じる。
「殺人が命を殺すものなら、虐待は魂を殺すものです。その人がその人らしく生きられるはずだった未来全てを奪うものです。子どもにとって親は絶対的な存在であり、大好きな存在。その親から受ける虐待の傷は計り知れないということを、忘れないでください」
一児の母としても、1つでも多くの「家庭のタブー」が破られ、虐待で苦しむ子どもが一人でも減ることを願ってやまない。
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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