「若いときに流さなかった汗は、年老いて涙に変わる」すべての"現役"に伝えたい野村克也監督の言葉
プレジデントオンライン / 2022年2月11日 10時15分
■あまり知られていないプロに入る前の「名将」の姿
野村克也が亡くなってから丸2年が経過し、早くも三回忌を迎えることとなった。現役時代には南海ホークスの中心選手として三冠王を獲得。選手兼任監督として1973(昭和48)年にはパ・リーグ制覇を果たすなど、数々の輝かしい実績を残している。
一方、指導者としては南海を皮切りに、ヤクルト、阪神、楽天、社会人のシダックスで監督を務め、90~98年のヤクルト時代には4度のリーグ優勝、3度の日本一となり、「名将」としての地位も確立している。
数々の野球人を残し、そして「固定観念は罪、先入観は悪」「凡事徹底」「小事が大事を生む」など、多くの名言を残し、死してなお、その存在感は大きくなっているように思える。
しかし、「野球人・野村克也」については誰もが多くのエピソードを記憶しているものの若い頃の彼についてはあまり知られていない。彼はどうしてプロ野球選手を目指したのか。どうして無名の弱小高校出身の彼がプロ野球の世界に飛び込んだのか。
三回忌を迎えた今、本稿では野村克也の「プロ入り前史」を改めて振り返ってみたい――。
■「母の苦労を考えると涙が止まらない」
1935年、野村克也は丹後半島の西部、「京都の奥座敷」と呼ばれた京丹後市竹野郡網野町で生まれた。父・要市氏の名前から「野要食料品店」という屋号の店を営んでいたものの、父の出征後は母・ふみ氏が店を仕切り、何とか生計を立てていたという。生まれてからわずか3年後、中国戦線で父は戦死した。
野村が小学校2年生のときに、母は子宮がんを患った。看護婦だった母は、自らの不正出血にピンと来たために、早めの発見で命を取り留めたのだという。さらに、翌年には母の身体に直腸がんも見つかった。
母子家庭の大黒柱が病に伏せたため、野要食料品店は休業するしかなかった。後に野村氏は「母は苦労するためだけに生まれてきたような人だった」と振り返り、「母の苦労を考えると涙が止まらない」と語っている。
![暗いトンネルで座り込んでいる男性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/6/670/img_46da6f5620fe43d2ce960b57eb977966282066.jpg)
■「たとえ身なりは貧しくとも、心の中は豊かでありたい」
終戦を迎えたのは小学校4年のときだ。日本中が貧しい時代だったが、そんな時代においても、野村家はさらに貧しかった。白いコメなど食べられるはずもなく、辛うじて自宅近くの海辺の砂地にサツマイモやジャガイモを植えて、空腹をしのぐ日々だったという。
貧乏であることで、小学生時代はよくイジメられた。
身体の大きなガキ大将とそのグループは、いつも野村氏を学校の校門で待ち伏せて、着ているボロボロの服のこと、粗末な弁当のこと、そして父がいないことをからかい続けた。教科書やカバンなど、持ち物がなくなったり、隠されたりすることも日常茶飯事だった。
後年に発した「たとえ身なりは貧しくとも、心の中は豊かでありたい」というのは、当時の自分を振り返っての言葉だったのだろう。
次第に、学校に通うことが嫌になり、気がつけば不登校の生徒となっていた。母は仕事に出ているので、昼間自宅で泣いていたことは知らない。誰にも悩みを打ち明けられずに泣いていると本当に自分が惨めになってくる。
自分の弱さがふがいなく、自分で自分のことが嫌いになり、劣等感はさらに大きくなっていく。
■野球をやっている間だけは貧乏から離れられる
貧乏だからイジメられる――。この現実は幼い少年にとっては過酷なものだった。父が戦争で亡くなったことも、母が病気がちなことも、そして家が貧乏なことも、本人のせいではない。それにもかかわらず、こうしたことが原因となって激しいイジメは続いた。
当然、「貧乏はイヤだ」「絶対に金持ちになってやる」という思いが日に日に大きくなっていく。
そんなときに野球に出会った。野球をやっている間だけは、現実のつらさを忘れることができた。ユニフォームを買う余裕もないから、1人だけランニングシャツでプレーをした。
![並んで試合を見守る野球少年たち](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/670/img_4a1c3c8cb6222b792db6bdc1fe47eb11451805.jpg)
それでも、試合で活躍すればそんなことも気にならなかった。かつて野村は、「元々、運動神経には自信があったんだ。足は速かったし、バスケットボールも、バレーボールも、人並み以上に上手だったんだ」と言い、続けて「誰も信じてくれないけど」と笑っていた。
中学3年生のときに、母から「お前は成績が悪いから中学を卒業したら就職しろ」と言われた。「将来、プロ野球選手になって母を楽にさせてあげたい」と考えていたため、大きなショックを受けたという。
それでも、兄の協力を得て、峰山高校の工業化学科に進学した。ここに進学すれば、社会人野球のカネボウ(鐘淵紡績)の野球部に入るルートがあったからだった。
■大の巨人ファンだが、入団テストを受けたのは…
高校では甲子園出場を目指したものの、その夢は叶わなかった。プロ野球チームから注目されるような選手にはなれず、世間から見れば無名校の無名選手でしかなかった。
だが、「もう貧乏はこりごりだ」という思いはますます強くなる。「少しでも家計の足しになれば」という理由で新聞配達をしていたある日、たまたま南海の入団テストの告知記事を見つけた。
以前から、自分の実力とレギュラーキャッチャーの能力や年齢を比較し、「試合に出るチャンスがあるとすれば、広島か南海だな」と狙いをつけていた。まさに、渡りに船だった。
自らは大の巨人ファンでありながら、「試合に出るにはどのチームがいいのか?」を冷静に判断していた。後の「知将」としての片鱗が垣間見えるエピソードだろう。野球部の顧問にそれを伝えると、「お前ならひょっとするかも……」と言い、大阪行きの汽車賃まで負担してくれた。
■後の名将の前に垂れ下がった1本の「蜘蛛の糸」
テストに合格する自信はさほどなかったそうだが、300人以上が受験した中で、運よく合格した。それは、1本の「蜘蛛の糸」が目の前に垂れ下がり、それを見事につかんだからだった。
![野村克也『野村克也全語録』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/1/200/img_816af98284be8dcfcbc77be0750b9560246309.jpg)
野村は遠投テストの1投目に失敗し、合格ラインに届かなかった。ところが、第2投の直前、隣にいたスタッフが「もっと前から投げろよ」とささやいたのだ。その言葉に従って白線の5メートルほど前から投げてみて、それでようやく合格ラインを越えたのだ。
後に、そのスタッフは1年先輩の内野手・河知治だと知ったという。彼もまたテスト生出身の選手だったのだ。「人間の縁、運はどこに転がっているのかわからない」と、終生野村氏は感謝の気持ちを持ち続けていたという。
こうして、ついに念願のプロ野球選手となったのだった。入団テストに合格した直後、食堂に呼ばれて仮契約を交わした。球団マネージャーから「好きなものを食べてもいいぞ」と言われた野村氏はカレーライスを3皿も平らげたという。後に「あのときのカレーのおいしさは格別だった」と振り返っている。
■若いときに流さなかった汗は、年老いて涙に変わる
プロ野球入りするまでの野村氏の略歴を駆け足で振り返ってみた。名捕手、そして名将にも雌伏の時期があったのだということが改めて理解できるはずだ。
さて、先日発売された『野村克也全語録』(プレジデント社刊)では、「しなくていい苦労はしない方がいい」と言いつつも、こんな言葉を残している。その一節を引用して、本稿の結びとしたい。
若いときに流さなかった汗は、年老いて涙に変わる――。
三回忌を迎えた今、改めて現役選手たちに、そしてすべての人たちが肝に銘ずべき「野村の言葉」かもしれない――。
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ノンフィクションライター
1970年、東京都に生まれる。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て、2003年からノンフィクションライターとして、主に野球をテーマとして活動を開始。主な著書として、1992年、翌1993年の日本シリーズの死闘を描いた『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『プロ野球語辞典シリーズ』(誠文堂新光社)、『プロ野球ヒストリー大事典』(朝日新聞出版)などがある。また、生前の野村克也氏の最晩年の肉声を記録した『弱い男』(星海社新書)の構成、『野村克也全語録』(プレジデント社)の解説も担当する。
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(ノンフィクションライター 長谷川 晶一)
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