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「外見コンプレックス」を完全克服できる3つの思考法

プレジデントオンライン / 2022年2月10日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Olga Chetvergova

外見で人を判断する“ルッキズム”が一部で問題視されている。そうはいっても、自分の見た目に悩んでいる日本人は少なくないだろう。今回は自分の容姿を受け入れる方法を、精神科医が解説する。「プレジデント」(2022年3月4日号)の特集「精神科、心療内科のウラ側」より、記事の一部をお届けします──。

外見上のささいな欠点にこだわる「醜形(身体)恐怖症」は思春期に特有のものと思われがちだが、外見イコール生産性と見なされる現代では、中高年期でも形を変えた醜形恐怖に陥ることがある。精神科医のシロクマ先生こと熊代亨氏に話を聞いた。

■醜形恐怖症は美男、美女に多い

「外見の美しさ」は、生物としての生殖能力を反映した判断基準として本能に刷り込まれています。肌のツヤは若くて健康なサインですし、男らしい、女らしい体形や平均に近い左右対称の容貌は、子孫繁栄を暗示しています。

しかも現代は「外見」がよい人間ほどコミュニケーション能力や経済活動における生産性が高いと見なされがちです。

数年前に『美貌格差─生まれつき不平等の経済学』(ダニエル・S・ハマーメッシュ著、東洋経済新報社)という本が話題になりましたが、そのなかで、見た目の印象がいい「モテ男」「モテ女」は、「非モテ」より生涯年収が高いという調査結果が報告されていました。

資本主義社会の競争を勝ち抜くには学歴と同様に見た目の偏差値がモノをいうと科学的に証明されてしまったのです。

もっとも、男性用の化粧品やプチ整形の流行を見る限り、若い世代はとっくに生産性や収入に貢献する外見もあれば、そうはいかない外見もあると理解していたはずです。発達障害が広く診断されると同時にコンプレックスの焦点にもなっていますが、それと同等ではないにせよ、外見の悩みは収入や社会適応に直結する悩みとして、じわじわ広がっているように思えます。

精神医学的に「醜形(身体)恐怖症」の診断名がつく患者さんは、意外に平均以上の容貌で、男性も多いことが知られています。取るに足らない、もしくはありもしない身体上の瑕疵に固執して「この○○のせいで、自分の人生は終わったんだ」と1つのパーツに生きづらさのすべてを負わせ、他人からは理解しがたい悩み方をするのが特徴です。抗うつ剤のSSRIなどセロトニン系の薬物治療によく反応する一方、安易に美容整形に頼ってしまうと、かえってパーツへの執着が強くなり悪化する可能性が高くなります。

こんな人は醜形恐怖症の疑いアリ

生存本能に根ざしているだけに、病的な醜形恐怖と予備群との線引きは難しいのですが、たとえば、一日に何度も鏡やガラスに映った姿――、それこそスプーンの背を使ってでも気になるパーツを確認せずにはいられない、しかも、その瑕疵のせいで人生がうまくいかないという考えが頭から離れない場合は、美容整形を受ける前に、1度、精神科や心療内科を受診してみるといいでしょう。

■外見コンプを加速する健康美の追求

醜形恐怖は文化的背景やその時代の要求にも大きく影響されます。1つ例をあげると筋肉醜形恐怖(ビゴレキシア)という男性に特化した醜形恐怖があります。筋骨隆々の男性がなおも自分の身体を貧弱だと思い込み、ドーピングや過剰な筋トレで強迫的に筋肉量を増やそうとする精神疾患で、「男はマッチョであらねば」という圧が強い文化圏では珍しくありません。

一方、日本では清潔感への要求が強く、脱毛にこだわる男性が多いですね。また、一昔前まで「恰幅がよい」と好意的に見られていた体形も、健康に高い価値が置かれたとたんに自己管理ができない「肥満」へと一変しました。エステティックやジム通いなど、美容と健康に時間とお金を費やす層は確実に増えています。

特に第3次産業の比率がケタ違いに高い都市部では、若年層を中心に対人サービスで気後れしないだけの外見と健康美への圧力が高まっているのは明らかで、深刻な問題だと思います。

若者の醜形恐怖への圧が「見た目」なら、中高年のそれは「若さ」です。いくつになっても若々しい肌や青年のような体形にこだわってしまう――、いわば“老醜”恐怖でしょうか。

外見=生産性の現代で生まれるコンプレックス

外見で生産性を評価され、競争を当たり前のように内面化してきた私たちにとって、容貌や健康美の老化は、大げさではなく自分の社会的価値や生存を脅かすものに映ります。

一本の白髪、一筋のシワに残り少ない時間を否応なく意識させられ、健康でバイタリティに満ちた自分を維持できなくなる不安をかき立てられる。若さに固執せずにいるのは至難の業です。

■誰もあなたの顔など見ていない!

では、病的なこだわりに陥らず容貌の変化を受け入れるにはどうしたらいいのでしょうか。

それには3つの方法が考えられます。1つは家庭や仕事、趣味など夢中になれる何かを見つけること。身も蓋もありませんが、忙しくしていれば外見を意識している暇はありません。

2つ目は、若い人にも言えるのですが認知のゆがみを正すこと。早い話が「誰も他人の顔なんか、そんなに見てねーよ」なんですね。昔、外見をとても気にしている患者さんに「ちょっと君、診察が終わったら右に赤い靴下を、左に白い靴下をはいて街を歩いてみなさいよ。誰も見ていないから」と言った精神科の先生がいました。実際、そんなものです。試しに、いい加減な格好で外に出てみましょう。他人は拍子抜けするほど無関心だとわかると、少しは気持ちがラクになると思います。

中高年の方は「年下の成長を見守る」のもよい戦略です。子育てをしているとわかりますが「私が年を取った分、子どもが成長している」という実感は、喪失を埋めて余りある人生のご褒美になります。以前は地域のなかで「若者組」など、年長者が若者の面倒を見る仕組みがあり、後進の成長を肌で感じることができました。その分、自身の変化を受け入れる心のエイジングをしやすかったはずです。世代を超えた交流が限定的な現代は人生のステージに相応しい役割をこなしながら、穏やかにエイジングしていく場を意識的に求める必要があるのかもしれません。

外見コンプレックスから解放されるには

とはいえ、私自身も増え始めた白髪を眺めながら対人職業を言いわけに、白髪染めをやめるタイミングを計りかねているありさまです。本音を打ち明けると、せっかく多様性が許される時代なのですから、老醜恐怖だろうが「若作りして」と眉をひそめられようが、楽しく生きて、自分が納得できる適当な時期にギアチェンジができれば十分だよ、とも思います。

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熊代 亨(くましろ・とおる)
精神科医、ブロガー
1975年生まれ。信州大学医学部卒業。地域精神医療に従事するかたわら、現代の社会適応や心理的充足について、ブログ上で発信を続けている。近著に、『何者かになりたい』(イースト・プレス)。

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(精神科医、ブロガー 熊代 亨 構成=井手ゆきえ 写真=Getty Images)

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