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「少女は怯えながら暗闇の公衆トイレへ」日本の女子高生が見たインド・スラム地域の悲しい現実

プレジデントオンライン / 2022年2月13日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/pixelfusion3d

スラムで暮らす子どもたちはどのような生活を送っているのか。家族でインドに引っ越した高校生の熊谷はるかさんは、学校のクラブ活動でスラムに住む同世代と交流するようになった。熊谷さんは「いつも笑っている彼女たちにある質問をすると、笑顔が消えてしまった」という――。(第2回/全2回)

※本稿は、熊谷はるか『JK、インドで常識ぶっ壊される』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

■「数学がすごい」そんなインド人は実は一握り

放課後にスラムで暮らす子どもたちに会いにいく木曜日は、1週間でいちばん好きな曜日になった。芝生の広場に入っていくと、女の子たちはいつもすぐに駆け寄ってきて、わたしたちが学校に帰る時間になると、ギリギリまで手を握って、「また来週ね」と約束した。

芝生の広場で子どもたちと過ごす、1週間のうちのたったの1時間は、いつも濃かった。側転や倒立の競争をしたり、そこらへんにいた野良犬の赤ちゃんと遊んだり、ヒンディー語バージョンのハンカチ落としをしたり。ときには算数の宿題を手伝ったりもした。

10歳前後の彼ら彼女らがやっていた学校の算数のレベルは、日本の小学校ともたいして変わらなかった。逆に、わたしの学校にいるインド人の同級生、特に男子は、確かに理数系が凄まじくできるひとも多かった。そういう彼らは一様に、小さいころから塾に行ったり家庭教師がついていたりしていた。「インド人は数学がすごい」と言われるが、その「インド人」たちのなかの分断を浮かび上がらせるのもまた、数学だった。

■次第に見えてきた子どもたちの真の姿

わたしたちが毎週訪れるこのスラムは、「サンジェイ・キャンプ」といい、2500世帯以上、人数にしておよそ1万人が暮らすという大規模なコミュニティで、やはりいくつもの大使館に囲まれたエリアに位置する。都市のど真ん中にある、アーバン・スラムと呼ばれるやつだ。

そもそも、この地域の子どもたちとうちの学校のサービスクラブに交流があるのには、クラブが連携している外部のNGOの背景があった。それは、あのマララさんと同時にノーベル平和賞を受賞した、インド人の人権活動家・カイラッシュ=サティヤルティ氏(Kailash Satyarthi)が設立したもの。その名もKailash Satyarthi Children’s Foundation(KSCF)といって、児童労働者の救出活動とともに、児童労働の撲滅や子どもの権利・教育の重要性などを訴える「子どものための」団体だ。

KSCFの取り組みのひとつが、チャイルドフレンドリーなコミュニティをつくるための、特に都市部にあるスラムに特化したプロジェクト。背景には、貧困や不十分な教育のために、家庭内や地域内で子どもがネグレクトされることが多いという問題がある。そうしてサポートを受けるコミュニティのひとつが、わたしたちが交流をおこなうサンジェイ・キャンプだったのだ。

こんな内容を並べたファクトシートを事前にもらって目を通してはいたものの、あんな明るい子どもたちの様子を一度知ったら、信じられなくなってしまうようなところがある。しかし、毎週交流を重ねていくなかでは、その真の姿も知らざるを得なかった。そもそも、わたしたちは「子どもの権利を訴える団体」なのだから、彼ら彼女らの権利が守られるようなアクションにつながらなければいけない。

■「困っていること」を尋ねると笑顔が消えた

そこで、ヒアリングもかねて、ある日の交流では、「いまの生活で困っていること」を話し合おうということになった。

またあの女の子たちとのグループで集まる。いつもこうして円になるときは、大抵楽しいことやおかしいことを話したりゲームをしたりしてみんなで笑っている。彼女たちの笑顔からは、今日はどんなワクワクしたことができるんだろうという期待が見えた。しかし切り出さなければいけない話題、そしてそれを話し合うときの重みを思うと、わたしはいつもとちがって、純度が落ちた笑顔で彼女たちを迎えることになってしまった。緊張していた。

今日は、KSCFのソーシャルワーカーであるミス・ルーピも通訳兼サポートとしていてくれるから、彼女たちが英語では言い表せないような話もできる。

「いま毎日生活しているなかで、これは問題だな、とか、困ってるな、って思うこと、なにかある?」

彼女たちの白い歯がすっと見えなくなって、すこし考える間が空いたあとに、ひとりがぽつりと言った。

「学校の、勉強」

ミス・ルーピがすかさず「どうして?」と優しく問いかける。

「すごく忙しいの。まだ小さい弟の面倒を見なきゃいけなくって。家事も手伝わなきゃいけないし」

ほかの女の子たちも揃って、うんうんわたしも、と頷く。

「学校からドロップアウトしてしまう子もいるよね」と、ミス・ルーピがフォローする。

「うん。いまは大体みんな学校行ってるけど、もう少し年上になると、やめちゃう子も多い」
「それは、なんで?」
「家の手伝いとか、あとは仕事に就かなくっちゃいけない子も……」

■朝は水汲み、放課後は家事があって勉強できない

あとからくわしく聞いたところによると、この地域では、義務教育の14歳までは、8割強の子どもが学校に通っているが、それ以降、15歳以上になると、6割がドロップアウトしてしまうそうだ。

「朝は水を汲みに行かなきゃいけなくって、学校から帰ってきたら夕飯のしたく。そのあいだに宿題とか、あんまりできなくて」

彼女たちの家には、水道がないのだ。地域全体で共有する水道まで、バケツで水を汲みに行くのが女の子たちの役割だそう。

「その共有してる水道も、困ることがあるんだよね?」

またミス・ルーピが質問を投げかけてくれる。

「そう……。みんながそこに汲みに行くから、よく男のひと同士で喧嘩してるの。水の奪い合いで。たまにそういうのに遭うと、とってもこわい」

さっきまでニコニコしていた女の子から発された「scary」が、胸に鋭く刺さった。シャワーのお湯がなかなか出ないくらいでぶーぶー言ってるわたしは、なんなんだろう。

■125人がひとつを奪い合う共同トイレの惨状

「奪い合いといえば、もうひとつある……」と、別の子が切り出した。

「トイレが全然足りてないの。このエリアでいくつかしかなくて、すごく困ってる」

各家には水道もなければ、トイレもない。地域にある公衆トイレにその度に行かなくてはいけないのだ。

ちなみに、あとからNGOのひとにもらった情報によると、このキャンプ全体でトイレは75個しかないそうだ。人口比にすると、125人にひとつしかない。

これはさすがに深刻な問題のようで、ほかの子たちもどんどん加勢する。

「朝とか、トイレの列がすごいの。並んでて学校に遅れそうになっちゃって、ほんとにいやだ」
「小さい子とか、我慢できなくて側溝とかでしちゃうの……。そうすると臭いし、汚いし」

次から次へと彼女たちの口から出てくる悲惨な問題に、ただ頷いて聞いているしかなかった。

「トイレのなかもね、きたなくって。衛生的にすごく問題だと思うの。みんなつば吐いたりするし、トイレを掃除するひとだってつば吐いてるし」

この子たちの年齢を思うと、もうじき生理なんかが始まってもおかしくない時期だ。そうなれば、清潔じゃない環境というのはよけいに心配だ。

■「夜にそとにいる人たちは特にこわい…」

「あと、わたしは夜がこわい。電気もないなかでそとのトイレに行かなきゃいけなくて。そういうときに、男の子がこっち見てきたりするともう……。I don’t feel safe」

耳を塞ぎたくなる。ミス・ルーピも、顔をしかめている。

闇夜の月
写真=iStock.com/Bhupi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bhupi

「そう、夜にそとにいるひとたちは特にこわい……。ちょっと、おかしいから……」
「どういうこと?」

ミス・ルーピが聞いても、女の子たちはなにか言いづらそうにしている。

「すごい騒いだりして……」
「それは、アディクト、かしら。わけのわからないこと言ったりしてるんだよね?」
「う、うん、わたしはよくわからないけど……」

自信なさげに口を濁す応えには、こんなこと話していいんだろうか、という不安が絡みついているようだった。

ふと、彼女たちはまだ薬物や依存について、学校でちゃんと習っていないんじゃないかと思った。正体不明のおそろしいものについて話しているような、戸惑いが見えたからだ。そもそも、どこかの時点で習うのだろうか。なにも知らないまま、そんな状況を目の当たりにしてしまうのは……。「スラム」ということばを聞いて当初覚えた、不穏な胸騒ぎが、またじりじりと蘇ってくる。

■家庭を崩壊させ、子どもの居場所を奪うアルコール

そこで、意を決したようにミス・ルーピが問いかけた。

「普段、ドラッグとか危険なサブスタンス(アルコールやタバコ)に触れる機会はある?」

悩みごとや地域の問題を次から次へと挙げていたさっきまでと打って変わって、女の子たちは口ごもってしまった。

「アルコールとか、タバコとか、おとなたちはよくやってる……」

先日ストリートチルドレンのNGOを訪れたときに聞いたことを思い出した。親がアルコホリックで家庭が崩壊してしまい、子どもたちも居場所を失う、と。

「同年代の子どもたちはどう? まわりにそういうサブスタンスを使う子はいる?」

ミス・ルーピも、状況調査のために真剣だ。

「うん、たまにいる……。でもこわいから、わたしは近づかないようにしてる」
「たぶん、学校に行ってない男の子たちのグループとか……」

ドロップアウトしてしまう、せざるを得ない子たちは、そうしてどんどん社会の核から遠のいていってしまうのだろうか……。

■馴染みのある「丸いボール状のもの」が薬物と知らない

「なるほどね……。実際に、そういうものを売ってるのを見たことはある?」

女の子たちは、わからない、というふうに首をかしげた。それを見て、ソーシャルワーカーさんは、親指と人差し指で丸をつくった。

「みんな、こういう丸いボール状の、見たことない? 近所の売店とかにあったりしないかしら」

うーん、と考える素振りを見せたあと、女の子たちはお互いに顔を見合わせて話し合っていた。なにかヒンディー語の固有名詞らしきことばが飛び交っている。心当たりがあるんだろうか。

「うん、たぶんある。丸くて黒っぽいやつ……スナックみたいなパッケージの?」

どうやら、彼女たちには馴染みのあるもののようだ。

「そうそれ、バング・ゴラ。それはね、小さいけれど危険なドラッグなの」

一見なんでもないように見えるから店にも置かれていたりして、子どもの乱用につながってしまうと問題になっているものなんだとミス・ルーピが説明してくれた。彼女が「ベリー・デンジャラス」と言うのを、五人の女の子たちは、小さなおでこにしわを寄せながらじっと聞いていた。

その日の交流が終わって学校へ向かう帰り道、クラブのメンバーと話していると、ほかのグループでも危険ドラッグの乱用が子どもたちの身近に迫っているという問題が上がったという。

ほかにも数えきれないほど問題はあるが、この薬物乱用については特に、どうにかしたい、どうにかしなきゃいけないという共通の認識だった。

■薬物は「いけないもの」があたりまえだった私

そこで、次の週から早速わたしたちは、子どもの「drug abuse」つまり薬物乱用の防止に向けた取り組みを始めることになった。

まずは、簡単なアニメーションの動画で、「中毒になる」というコンセプトを教えるところから始まった。やはり、子どもたちは学校でも薬物やそのほかのサブスタンスについて教えられていないようで、はじめはあまりぴんときていない様子だった。

「いま見たの、説明できるひと?」とたずねても、首をかしげ口をつぐんでしまった。

考えてみれば、自分がはじめて小学校でこういう内容を習ったときは、ドラッグなんて遠い存在で、もとから「いけないもの」という感覚があった。テレビで薬物を持っていて逮捕されるひとたちのニュースを見て、殺人や強盗とかと同じように「悪いひとたちのすること」という認識だった。それらに直接触れる機会なんてない、守られた場所にいた。

しかし、この子たちにとっては、身近なことなのだ。幼いときから、まわりのおとなたちが使っているのを見たり、お菓子を買いにいく近所の店に置いてあったりしたら、「危ないものだ」という感覚はうまれるだろうか。

粉末と錠剤の薬、スプーンと注射器
写真=iStock.com/itakdalee
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/itakdalee

■彼女たちにとって薬物中毒になるかは紙一重

学校からドロップアウトしてしまった子たちがドラッグに手を出すというのも、だからといってその子たちに「悪い子ども」というレッテルを貼ることができるだろうか。ストリートチルドレンについてもそうだと教わったように、飢え、寒さ、寂しさ、絶望……それらから逃げるために手を出してしまったのは、本当に子どもたち自身のせいなんだろうか。子どもたちが薬物乱用をすることは犯罪……?

彼ら彼女らは、逃げ道と思って手を伸ばしたほかのもの――親、学校、地域、社会――すべてに、手を振り払われた子どもたちだ。ドラッグのほかには誰も、手を握り返してくれなかった子どもたちだ。

わたしが仲良くなった子たちだって、いまはちがっても、そんな状況にふとしたときに落っこちてしまうリスクがあるんだ、紙一重なんだと、本人たちも言っていた。

だから、それが逃げ道にはならないことを、いまのうちに知っておかなければいけない。

そこからは、いままで学校で薬物乱用の危険性について習ったそれぞれの経験をクラブのメンバーで持ち寄って、子どもたちにレクチャーした。自分たちとは環境がちがうことを念頭においたうえで、なるべく子どもたちが主体になるよう工夫を凝らしながら。

やがて、はじめはただわたしたちの話を聞いているだけだった子たちが、だんだんと声を発するようになっていった。

■「ドラッグのせいで勉強ができなくなったらいやだ」

「わたしは、ドラッグのせいで勉強ができなくなったらいやだ」
「もし誘われても、ノーって言う。友だちと一緒に、お互いを守る」

そう力強く子どもたちが言えるようになっただけでも、大きな進歩だ。

「コミュニティのサポートが必要だと思う」
「まわりのおとなたちに、知ってもらわなきゃいけない」
「このあたりの売店のひとたちが、売らないようにしてもらいたい」

これからどうできるか、を話し合っていたときにそんな声があがるようになり、決まった。地域全体に呼びかけよう、と。

具体的には、子どもたちが住むスラム地域のなかを練り歩いて、子どもたち自身が伝えようというもの。つまり、デモだ。

街頭で大規模にやるわけではない。あくまで、子どもたちが住むコミュニティにフォーカスしたものだ。それでも、子どもたち自身が自分たちの身を守るために声をあげること、そうすることの勇気を身につけること、そしてその声をコミュニティに聞いてもらうことが大切だと、わたしたちは思った。なにより、子どもたち本人が「やりたい!」と強い意志をしめしてくれたことが嬉しかった。それでこの超少人数のサービスクラブにも応えられることがあるなら、体当たりでもやってみようじゃないか。

■デモ決行日、初めてスラムに足を踏み入れた

実行日を決めてからは、それに向けて、デモ中に掲げるプラ板代わりのポスターをみんなで手作りした。わたしたちが学校から持ってきたカラフルな画用紙や色ペンに、「こんないっぱい見たことない!」と子どもたちは大喜びして、夢中で取り掛かった。みんなで語呂のいいスローガンを考え、彼女たちがそれをヒンディー語で書き、わたしが英語を添える。誰がどこの色塗りをするか、どの色のペンを使うか、ワクワクに満ちた奪い合いが繰り広げられた。

あまった画用紙には、彼女たちがひとりひとりサインして、そこにわたしの名前もヒンディーで書いて、プレゼントしてくれた。

芝生の広場にあふれる高揚感は、「みんなで大きいことを成し遂げるんだ」という団結した士気のあらわれだった。

いよいよ決行日。いつものように芝生の広場に集まるが、しかし今日の舞台はここではない。今日は、子どもたちの居住域に足を踏み入れる。それは、わたしにとってもまた未知の一歩だ。

■簡素だけどカラフルな家屋が並ぶ街道

みんなで作ったポスターを両手に握りしめ、ぞろぞろとスラムの入り口に立った。はじめて来たときに震え上がった、あの真っ黒なニワトリがまた見えた。近くでは、舌を出した野良犬が闊歩(かっぽ)している。野良犬は、うちのまわりにいるセルーやロキとたいして変わらない。

「チャロ!(レッツゴー!)」

その声を合図にして、隊列は前へ進んだ。

「ナシャ・ムクティ! サンジェイ・キャンプ!(依存のないサンジェイ・キャンプを!)」
「Drug abuse, life abuse !(薬物の乱用は、命の乱用!)」

ヒンディー語と英語のスローガンを交互に唱える。列のすれすれをすり抜けていくバイクのエンジン音に負けじと、声を張り上げた。

同時に、子どもたちの暮らしが見えてきた。隙間をあけずに並ぶ家屋は、レンガを積み上げてできた四方の壁に、トタン板を乗っけただけの簡素なつくり。建物というよりかは小屋という大きさだが、それでも立派な家だ。背の低いほったて小屋の合間からは、夕方の空がよく見えた。家々の壁は、水色にラベンダーにエメラルドグリーンと色とりどりに塗られ、花や神様の絵やポップな文字が描かれている。そこに引かれた紐には、さまざまなテキスタイルのサリーなどの洗濯物がかかり、狭い空間に色と模様がぎっしりと詰め込まれた鮮やかな街道ができあがっていた。

その壁に、子どもたち20人以上の高い声が鳴り響いた。

スラム街で壊れたレンガとトタンの家の外に座っている人々の夕暮れ時の空撮
写真=iStock.com/amlanmathur
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/amlanmathur

■声を張り上げる子どもたちを見た住人たちの反応

「ナシャ・ムクティ! サンジェイ・キャンプ!」
「Drug abuse, life abuse!」

それを聞き、夕食のしたくをしていた母親たちが、なんの騒ぎかと家から出てきた。声を張り上げる子どもたちの賑やかさを微笑ましく見る目もあれば、突然の異様な光景に困惑を見せる目もあった。

「ここがわたしの家だよ!」

ずっとわたしの隣にいた女の子が、ビビッドカラーに塗られた一軒を指さした。

「ちょっと待ってて!」

そう言って家に飛び込んでいった彼女は、出てくると小さな弟の手を引いて再び隊列に加わった。そうだ、彼女は毎日弟の世話をしていると言っていたんだ。わたしにとっては妹のような存在の彼女が、頼もしいお姉ちゃんになる姿を見た。

そうして、どこからか集まってきた子どもたちも加わって、隊列はさらに長く、スローガンを唱える声はさらに大きくなっていった。

■子どもに薬物を売らないよう商店に署名してもらう

あるところで、隊列が止まった。売店があったのだ。これこそ今回の大事なミッション、子どもに薬物を売らないよう地域の店に直接訴えること。子どもたちの代表が今日の趣旨を店主に説明し、「子どもにドラッグや危険なサブスタンスは売らないこと」そして「子どもの権利を守ること」という署名をしてもらうのだ。なかには文字が書けない店主もいて、そういうときには子どもたちが名前を聞いて代わりに書く。

迷路のように不規則に編まれた家々の並びを奥へと入っていくと、なかには向かいの家同士の間隔が、ひとが一人ぎりぎり通れるくらいしかないこともあって、この地区に建てられるだけの家を詰め込んだんだろうな、というのがわかる。水やトイレだけではなく、スペースも取り合いのようだ。その細くてでこぼこな道を、また次の売店を目指して、進んでいく。

■どこまでも遠いと思っていたスラムとつながった瞬間

子どもたちはみな、いきいきとしていた。目を輝かせ、確かな足取りで進み、力強くポスターを掲げる。自分たちの権利を守るんだ、自分たちのコミュニティをよくするんだ、という熱気が満ち満ちていた。

熊谷はるか『JK、インドで常識ぶっ壊される』(河出書房新社)
熊谷はるか『JK、インドで常識ぶっ壊される』(河出書房新社)

わたしはというと、どこかふわふわした気持ちだった。スローガンの合唱に煽られる興奮のせいもありつつ、同時に、自分がこんな場所でこんなことをしているというのが信じられなかった。学校に来るとき、モールに出かけるとき、マーケットに買い物に行くとき、そういう贅沢な場所や施設の近くにはいつも、こういうスラムがあった。そしていつも、こういうスラムを横目に車で通り過ぎ、そこに住むひとたちが建てた贅沢な施設で快適な時間を過ごしていた。

それがいまは、ここに住む子どもたちの手を握って、スラムのなかを歩き、声を張り上げている。いままでにないほど、エネルギーにあふれている。どこまでも遠いと思っていた場所と、ひとびとと、つながった。ほんとは自分が遠ざけていただけだったんだと気づきながら、絡まる電線の下をくぐった。

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熊谷 はるか(くまがい・はるか)
高校生
2003年生まれ。高校入学を目前に控えた中学3年生でインドに引っ越す。その際の出来事を企画し「第16回出版甲子園」に応募、グランプリを受賞。2021年6月、高校3年生で帰国。『JK、インドで常識ぶっ壊される』(河出書房新社)でデビュー。

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(高校生 熊谷 はるか)

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