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「やはり天皇家と秋篠宮家ではまったく違う」眞子さまの駆け落ち婚に学習院OGが抱く違和感【2021下半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2022年2月15日 12時15分

新年一般参賀で手を振られる秋篠宮ご一家=2020年1月2日、皇居・宮殿・長和殿のベランダ - 写真=時事通信フォト

2021年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。社会部門の第1位は――。(初公開日:2021年9月7日)
秋篠宮家の眞子さまが小室圭さんと臨んだ婚約会見から4年が経過した。読売新聞などは、年内に結婚し、米ニューヨークで新生活を始められる見通しだと報じている。ジャーナリストの藤澤志穂子さんは「学習院OGで、ニューヨークに留学した経験を持つ立場からすると、2人の結婚、新生活には『一時金』よりも重大な問題がある」という――。

■“ご結婚”にみる「甘え」の構図

私の「違和感」は、眞子さまと小室さんが、最初に婚約会見を開いた時からありました。

4年前の小室さんの職業だった「パラリーガル」は、法律事務所の弁護士見習いの事務職員で、年収はそう高くありません。その20代男性が、大学同窓の女性と結婚するなら、普通は共働きを考えるでしょう。

もしくは男性が弁護士になってから結婚に踏み切るか。でもお2人には、最初からそんな人生設計があったようには見えません。ただただ一緒にいたい、それだけで周囲を押し切った「純愛」なのかもしれません。

でも、意識の底に、皇室の存在と支援を頼りにしていた「甘え」がなかった、とは言い切れないでしょう。秋篠宮家もそれを黙認したことが、発表に至った理由とも考えられます。

その後さまざまな問題が発覚して、小室さんは米国へ。金銭トラブルがあるにも関わらず、学費の安い地方の州立大などではなく、お金のかかるニューヨークの私立大で、事務所からの給与が得られる留学を実現させ、大学からの奨学金もゲットできた背景には、「プリンセスのフィアンセだから」という要素が有利に働いたはずです。

英語は堪能でも、個人の力ではとても無理なはずで、上手く立ち回った「逆玉の輿(こし)」にどうしても見えてしまうのです。

■「一時金辞退」だけでは済まされない

今となっての「一時金辞退」は当然ですが、それだけで済むと思ったら大間違いです。

降嫁した元皇族の警備は必須。ニューヨーク市警や日本総領事館が担うと思われるフォローや警護に関する諸経費は国内よりはるかにかかるはずで、そこに税金が充てられることになります。

英国のハリー王子とメーガン妃の場合、米国移住に当たり、警備費を「私的な財源で賄う」と公表しながらも、実は父チャールズ皇太子が相当額を援助するとされています。ともあれ、少なくとも眞子さまと小室さんも「警備費も自分たちで賄う」位の覚悟を示さなければ、国民の理解は得られないのではないでしょうか。

ニューヨーク州弁護士になれば年収1500万円~2000万円とも言われますが、物価の高いマンハッタンでは、住居費だけでも相当に高額です。アパートメントの一室を購入するなら、一時金の1億5000万円でも足りません。賃貸なら、最低限の安全を確保する「ドアマン付き」のワンルームが最低で月2000~3000ドル(22万円~33万円)、2人暮らしの部屋なら5000~1万ドル(55万円~110万円)は下らないでしょう。

ニューヨーク タイムズ スクエア
写真=iStock.com/Rakesh Goudar
※写真はイメージです。 - 写真=iStock.com/Rakesh Goudar

小室さんの想定年収で、住居費や警備費が賄(まかな)えるとは考えられません。就職内定で「生活のめどが立った」などと言うのは筋違いです。

■ニューヨークの「駐在員妻」は自由が利かない

その「就職内定」にもいくつもの不安要素があります。私はコロンビア大学ビジネススクールに研究員として1年間、ニューヨークに滞在しました。住んだのはマンハッタン中心部、小室さんが通ったフォーダム大学の近くでしたが、失礼ながら、この大学はあまり印象に残っていません。

ニューヨークにおけるロースクールといえば、まずはコロンビア大学、次いでニューヨーク大学で、フォーダム大はその2大学からうんと水をあけられた「3番手以下」の印象でしょうか。就職後の想定年収は上位校ほど高いのが当たり前。「3番手」の出身の日本人が、競争の激しいニューヨークの法律事務所で生き残るには、相当にハードルが高いことが推測されます。

また眞子さまの立場は「駐在員の妻」になるのでしょうが、ビザの関係で自由にアルバイトをすることもできないはずです。私が知る多くの「駐妻」は暇を持て余し、語学学校に通う位しかすることがなく、孤独感から精神的に参ってしまった人もいました。

演劇も音楽もエンターテインメントも豊富な街ですが、お金はかかります。ニューヨークで、眞子さまが精神面、物質面、安全面ともに満ち足りた生活を送れるのか、甚だ疑問です。

■一途であることの危うさ

さらに「危うさ」を感じるのは、おそらく眞子さまが、男性に免疫のない「純粋培養」の「お嬢さま学校」を経て大学に進み、人生で初めてお付き合いしたであろう男性にほれ込み、結婚まで突っ走ってしまった様子が垣間見えることです。

学習院は幼稚園、初等科、大学は共学ですが、中学・高校は男女別で場所も別です。眞子さま、そして私の母校でもある学習院女子中・高等科(学習院女子部)は東京・高田馬場にあり、周囲との交流が隔絶された生粋の「お嬢さま学校」です。

挨拶は「ごきげんよう」。隣接して都立戸山高校がありますが没交渉(グラウンドが接しており、部活や体育の授業で、たまに戸山側に入り込んでしまうボールを投げ返してもらっていた位)。東京・目白にある男子の学習院中・高等科との公式な交流は年1回、筑波大学付属中学・高校と学習院との間で長年、行われて来た交流スポーツ大会「附属戦」の時のみです。私の知る限り、「附属戦」で男女交際に発展したケースは殆(ほとん)どありません。

学習院女子部では身近にいる男性が教諭のみ(当然ながらモテモテで、生徒と結婚に至るケースも結構ありました)。基本的に女子のみの「純粋培養」で男性の免疫がありません。なので大学に進学した途端、最初に付き合った男子学生と、純愛を貫いて結婚する、という例をたくさん見てきました。

眞子さまは、女子高等科から推薦入試で国際基督教大学(ICU)に進学。おそらく男女交際の「免疫」はそれまでなく、初めて付き合った男性が小室さんだったのでしょう。インターナショナルスクールに通い、母子家庭で育った小室さんは、それまで見たことのなかったタイプであり、出逢って瞬く間に惹(ひ)かれ、一途(いちず)になってしまったのではないでしょうか。

もう少し「免疫」があれば、あるいは違った選択になっていたのかもしれません。

■なぜ学習院を選ばなかったのか

東京・四谷の学習院初等科の門
東京・四谷の学習院初等科=2012年3月25日(写真=Harani0403/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

秋篠宮家の「アンチ学習院」には理解に苦しむところが多々あります。眞子さま、佳子さまの大学からのICU進学、悠仁さまの、幼稚園からのお茶の水女子大学付属への進学は、学習院OBOGを深く傷つけてきました。

進学先を選ぶ自由はあるとはいえ、皇族のために作られた歴史のある学校を、あえて選ばない理由は明確ではありません。ご結婚前の秋篠宮ご夫妻の在籍時以降、ご一家は学習院に多大にお世話になってきたはずで、その「恩義」を忘れているようにも見えてしまいます。

まずご結婚前の紀子さまは、父の川嶋辰彦さんが学習院大学経済学部教授だったことで、目白の学習院裏の教職員宿舎に住み、ご成婚当時は「3LDKのプリンセス」とうたわれました。家賃は相場より格安、かつ教職員の子女が学習院に通う場合、学費は半額でした。

また秋篠宮様(当時は礼宮文仁さま)が学習院高等科から大学に内部進学する際の成績の足切りラインは「この年だけ引き下げられた」という「都市伝説」がまことしやかに囁(ささや)かれました。学習院内で、付属の高校から大学への進学は概(おおむ)ね7割程度ですが、成績が悪ければ義務教育の中等科でも留年があるなど制度は公立学校より厳しく、内部進学もできません。当時の礼宮さまは、家庭教師について必死に勉強されていたとも聞きました。

佳子さまはいったん、学習院大学の文学部教育学科に進みましたが、2年生で中退し、ICUを受験して入り直しました。「女子高等科在学中の推薦入試に失敗され、やむなくいったん学習院に進んだものの諦めきれなかった」(学習院OG談)そうです。

普通の家庭なら「仮面浪人して夢を叶(かな)えた」ことになるのでしょうが、2年分の学費は無駄になりました。原資は国費で国民の税金です。袖にされた学習院も面目は丸つぶれです。学習院大学に進まず、浪人してチャレンジすることはできなかったのでしょうか。

そして眞子さま、佳子さまの在籍時に学習院女子中・高等科長(校長)を務めた先生は、定年までの任期を残して自己都合の早期退職をされました。皇族の子女を受け入れるのは様々なご苦労があり、疲れてしまったらしい、と伝え聞きました。

■皇族を支える周囲の気遣いは並大抵ではない

私が学習院女子中・高等科に通っていた当時は紀宮様(今の黒田清子さん)が2年下におられました。皇宮警察が付かず離れず見守り、学内を歩く際には3mほど後ろを女性警察官が、その5mほど後ろを男性警察官が歩いていました。

また日本舞踊部だった紀宮様が文化祭で踊りを披露される際、当時の皇太子ご夫妻(現在の上皇夫妻)が見学に来られたことがありました。生徒が運営するステージの時間は何かと遅れがちです。

でもこの時ばかりはご夫妻のスケジュールの関係上、「1分たりとも遅れられない」と教員、生徒たちが緊張しながら対応したことを覚えています。学校までの道すがら、信号は交通規制で全て青になったはずでした。

ことほどさように皇族を支える周囲の気遣いは並大抵ではありません。あえて対比すれば、秋篠宮家はそれらを当たり前の特権として享受し、さらなる自由を主張されている。一方で、現在の天皇家は、それらに感謝して、国民のために立場をふまえて行動されているように思います。

東京の正月初日に皇居前の広場にあるバルコニーの下の群衆。
※写真はイメージです。(写真=iStock.com/dimakig)

学習院大学に進まれた愛子さま、親として支える天皇・皇后両陛下を見ても、そんな印象を持ってしまいます。秋篠宮家の振る舞いに「国民のために」という視点は希薄に思えてなりません。

■求められる周囲への理解と自重

私は中学から大学まで学習院に通いました。学習院女子中・高等科では紀子さまの1年下、黒田清子さんの2年上、大学では法学部政治学科で秋篠宮さまの2年下でした。私は、大学院で別の大学に進み、新聞記者になり、図らずも現天皇陛下の「お妃」は誰かを探る取材班に投入されたこともあります。「候補」とされた同級生が何人もいたからです。

その「お妃」となったのはハーバード大卒・東大中退の雅子さまでした。まだ外務省職員の「小和田雅子さん」だった時代に学習院大学を訪れ、学生に向けて話をしたことがあります。当時の国際法の教授が、雅子さまの父の小和田恆(ひさし)さんと友人同士だった縁からで、仕事に打ち込む才気煥発(さいきかんぱつ)な話しぶりをよく覚えています。その後、皇室に入り「適応障害」と診断されるに至ったのは止むを得なかったようにも感じます。

私の同級生たちの中では、娘を学習院に入学させている人が多くあります。概ね眞子さま、佳子さま、愛子さまの世代でしょうか。なので皆さま方の行く末には他人ごとではない心配と関心が、私を含む学習院OGの間には強くあります。

皆様に、幸せな人生を送る権利はありますが、普通ではない環境に支えられている立場を理解し、周囲への感謝の念は忘れず、自重もしてほしい。そしてご自身の才能を、社会に役立てていただけますよう。眞子さまの結婚をめぐる話題には、そのように感じています。

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藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)
ジャーナリスト
元全国紙経済記者。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学大学院客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に『出世と肩書』(新潮新書)『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)

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(ジャーナリスト 藤澤 志穂子)

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