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「めんどくさい、めんどくさい…」宮崎駿監督がそう言いながら偉大な作品を構築するジブリ式仕事術

プレジデントオンライン / 2022年2月15日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/artisteer

人は何のために働くのか。「仕事」の目的はそれぞれ異なる。キャリアカウンセラーの戸田智弘さんは「以前、(スタジオジブリ作品でおなじみの)宮崎駿監督がドキュメンタリー番組で、仕事中に何度も『めんどくさい』という言葉を連発することに衝撃を受けました。みんな多かれ少なかれ『めんどくさい』という気持ちと戦いながら仕事をしている」という――。

※本稿は、戸田智弘『ものの見方が変わる 座右の寓話』(ディスカヴァー携書)の一部を再編集したものです。

■寓話に学ぶ「人は何のために働くのか」

寓話<三人のレンガ職人>

旅人が、建築現場で作業をしている人に「何をしているのか」と質問した。

一人目の作業員は「レンガを積んでいる」と答えた。

二人目の作業員は「壁を造っている」と答えた。

三人目の作業員は「大聖堂を造っている。神を讃えるためにね」と答えた。

※【大聖堂】ローマ・カトリック教会における司教区の中心になる教会堂のこと。初代の大聖堂が造られたのは四世紀頃だと言われている。

■目の前の仕事の目的を考えてみる

三人とも「レンガを積む」という同じ仕事をしているのに、「何をしているのか」という質問に対する答えが異なっている。

一人目の職人は「レンガを積んでいる」という行為そのものを答えただけである。

二人目の職人は「壁を造っている」というレンガを積むことの目的を答えた。

三人目の職人はまず「大聖堂を造っている」という壁を造る目的を答え、同時に「神を讃えるためにね」という大聖堂を造ることの目的を付け加えている。

人間の行為は必ず「何かのために、何かをする」という構造を持っている。一つの行為の目的にはさらにその目的が存在する。「目的と手段の連鎖」と呼んでもいいだろう。寓話を例にとれば、レンガを積む→壁を造る→大聖堂を造る→神を讃えるという構造になっている。上位の目的が下位の目的を決めてコントロールしているのだ。

私はこの寓話から二つの教訓を読みとろうと思う。

第一に、できるだけ広く「目的と手段の連鎖」をイメージして仕事をするのが有益であるということ。一人目の職人より二人目の職人、二人目の職人よりも三人目の職人の方が有意義な仕事ができることは容易に想像できる。

ドストエフスキーは、人間にとって最も恐ろしい罰とは、「何から何まで徹底的に無益で無意味な労働」を一生科すことだと言っている。朝からレンガを積み上げ、夕方に一日かけて積み上げたレンガを壊すという仕事を想像してみよう。これは、まったく意味のない仕事である。

実際の仕事の場面ではこれほど無意味な仕事が与えられることはまずないだろう。しかしながら、その仕事が持っている意味を十分に分かっていないまま仕事をしていたり、非常に狭い範囲の「手段と目的の連鎖」しか知らされずに仕事をしたりしていることは多いのではないか。それは、囚人に与えられる拷問と五十歩百歩かもしれない。

第二の教訓は、自分の仕事は私の幸福や私たちの幸福とどうつながるのかを考えるということだ。先に述べた「手段と目的の連鎖」はどこまでも無限に続くのかというとそうではない。哲学者のアリストテレスによれば、「……のために」という目的の連鎖は「なぜなら幸福になりたいから」という目的にすべて帰結する。

たとえば、朝に洗面所で身だしなみを整えている大学生を考えてみよう。「何のために顔を洗ったり、髪をとかしたりするのか」「学校に行くためだ」「何のために学校へ行くのか」「良い仕事に就くためだ」「何のために良い仕事に就きたいのだ」という問いかけの連鎖は「良い人生を送りたいためだ」となり、それは「幸福でありたいためだ」と同じことを意味する。

同様に、会社員が現在している仕事に着目し、その目的を掘り下げていけば「良い人生を送りたいためだ」となる。そして、それは「幸福でありたいためだ」というところに行き着く。

自分がしている仕事は、私の幸福や私たちの幸福とどうつながっているのだろうか?

■宮崎駿監督は「めんどくさい」を連発しながら偉大な作品を構築

寓話<二人の商人>

昔、江州の商人と他国の商人が、二人で一緒に碓氷(うすい)の峠道を登っていた。焼けつくような暑さの中、重い商品を山ほど背負って険しい坂を登っていくのは、本当に苦しいことだった。

途中、木陰に荷物を下ろして休んでいると、他国の商人が汗を拭きながら嘆いた。「本当にこの山がもう少し低いといいんですがね。世渡りの稼業に楽なことはございません。だけど、こうも険しい坂を登るんでは、いっそ行商をやめて、帰ってしまいたくなりますよ」

これを聞いた江州の商人はにっこりと笑って、こう言った。

「同じ坂を、同じぐらいの荷物を背負って登るんです。あなたがつらいのも、私がつらいのも同じことです。このとおり、息もはずめば、汗も流れます。だけど、私はこの碓氷の山が、もっともっと、いや十倍も高くなってくれれば有難いと思います。そうすれば、たいていの商人はみな、中途で帰るでしょう。そのときこそ私は一人で山の彼方へ行って、思うさま商売をしてみたいと思います。碓氷の山がまだまだ高くないのが、私には残念ですよ」

■「めんどくさい」が仕事のやりがい

戸田智弘『ものの見方が変わる 座右の寓話』(ディスカヴァー携書)
戸田智弘『ものの見方が変わる 座右の寓話』(ディスカヴァー携書)

どんな仕事にも、その仕事特有の苦労がある。

二人の商人の苦労は、普通の人ならば体一つで登るだけでも大変な山道を、重い荷物を担いで運ぶことである。誰でもできる仕事ではあるまい。筋力や体力はもちろんのこと、忍耐力も必要だろう。仕事特有の苦労は、ある種の参入障壁になる。つまり、その仕事に新たに就きたいと思う人を思いとどまらせるのだ。

世の中には、「手間ひまがかかってめんどくさいわりにはお金が儲からない」という仕事は多い。確かに、それはその仕事のデメリットである。しかし、それは同時に参入障壁にもなっている。

宮崎駿氏
宮崎駿氏(写真=Avalon/時事通信フォト)

先日、「〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉宮崎駿スペシャル〈風立ちぬ 一〇〇〇日の記録〉」という番組の再放送を見た。この中で、宮崎が何度も発する言葉に私は衝撃を受けた。それは「めんどくさい」という言葉だ。「え、宮崎駿でも、めんどくさいって思うんだ」。私は驚いた。私は、宮崎駿レベルのクリエーターであれば、めんどくさいとは無縁だと思っていた。しかし、違っていた。

「めんどくさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」「大事なものは、たいていめんどくさい」「めんどくさくないとこで生きてると、めんどくさいのはうらやましいなと思うんです」。めんどくさいの連発である。

私は思った。みんな多かれ少なかれ「めんどくさい」という気持ちと戦いながら仕事をしている。「めんどくさいが仕事のやりがいを生んでいる」と考えてはどうだろうか。

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戸田 智弘(とだ・ともひろ)
キャリアカウンセラー
1960年愛知県生まれ。北海道大学工学部、法政大学社会学部卒業。著書に『働く理由』『続・働く理由』『学び続ける理由』『ものの見方が変わる 座右の寓話』(以上、ディスカヴァー)など。

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(キャリアカウンセラー 戸田 智弘)

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