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たくさん出回る「トヨタ生産方式の解説本」を、生みの親が「読まなくていい」と切り捨てたワケ

プレジデントオンライン / 2022年2月17日 9時15分

トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)で副社長を務めた大野耐一氏 (写真=『トヨタ自動車20年史』トヨタ自動車工業、1958年11月30日/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons)

必要以上に部品を作らないトヨタ自動車のやり方は「トヨタ生産方式」と呼ばれている。その生みの親である大野耐一氏は、導入当初、現場から猛反発を受けたという。どうやって説得したのか。『トヨタ物語』(新潮文庫)を書いたノンフィクション作家の野地秩嘉さんが解説する――。

※本稿は、野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)の一部を再編集したものです。

■トラックを「とにかく作れ、作りまくれ」

トヨタの創業者、豊田喜一郎が世を去った1952年、前年に結ばれた連合国による「日本国との平和条約」、通称サンフランシスコ講和条約が発効した。

当時、トヨタのような日本の民間企業はどうなっていたかといえば、いずれも業績は伸びていた。復興は一段落し、インフラは整ってきた。

敗戦後のベビーブームに生まれた子どもたちは幼児から児童になり、消費者の仲間入りをし始める。子どもたちが大きくなっていくにつれ、巨大な需要が生まれ、それが好景気の継続につながっていった。1954年から始まった神武景気、続く岩戸景気から高度成長に移っていったのは国内の人口増大、消費者の増加が続いたからだ。

その頃、トヨタ製トラックは飛ぶように売れていた。社長の石田退三は「朝鮮戦争の特需が終わってからも車は必ず売れる。わしはこの機会に儲(もう)ける」と胸を叩(たた)き、現場に「とにかく作れ、作りまくれ」とハッパをかけた。そうして、遮二無二、車を売って金を貯め、無配だった会社を配当を出す企業に変えたのだった。

■部品を必要以上に作らない「スーパーマーケット方式」

1953年、機械工場の工場長(主任)を務めていた大野耐一は、機械工場と組み付け工場の間に、あるシステムを採り入れた。

当初は「スーパーマーケット方式」と大野が呼んだもので、後の工程の人間が前の工程に完成した部品を取りに来るシステムをいう。これまでは後の工程のことなど考えずに、材料があれば、ある分だけ部品にして、次の工程へ送り込んでいたのを後の工程の人間が主体的に引き取りにくるように変えたものだ。

実際に現場でやってみると、これが意外にスムーズに運んだのである。

生産目標が増えたわけではない。コンベアのスピードを上げたわけでもない。目に見えて変わったのはライン横に積んでいた部品がなくなったことだ。

これまで遮二無二、仕事をしていたのが、後の工程のことを考えて、必要な量だけ作るようになった。つまり自分自身で仕事をコントロールするわけである。作業者の視野が広くなった証拠だ。

もっと言えば、考えながら仕事をするようになったのである。ただし、それでも手元に部品がないのが不安で、足元に部品を隠す連中はいた。すると、今度は大野が現場を回って、部品を隠していた作業者を叱(しか)ったのである。

結局、後工程の人が前工程へ引き取りに行くことは時間はかかったが実現する。しかし、スーパーマーケット方式という名前は消えてしまった。

1カ月が経った。現場がスムーズに流れ出してから、大野はふたたび工長、組長を集めた。

■「かんばん方式」の始まりはただの指示票だった

「いいか、後の工程が引き取りに来ることに慣れてきたから、今後はこれを使う」

そう言って、部品の数量が書かれた30センチ掛ける45センチの板を見せた。それを部品を入れた荷物かごの前面に取りつけた。

大野は手元の紙に図を描いて、周りの人間に説明する。

「できあがった部品にはこのかんばんを付けておく。すると、後の工程の人間が取りに来る」

後の工程の人間は部品をもらったらかんばんだけを外して、前の工程に戻す。前の工程は、かんばんが戻ってきたら、そこに書いてある数量だけ部品を作る。部品ができたら、かんばんを付けて後の工程が取りに来るのを待つ。

要するに、作った部品に指示票が付くというシステムだ。

かんばんという指示票が付いているため、前の工程は、後の工程が必要とする量しか作らない。この時は機械工場から組み付け工場へ持っていく場合だけの、かんばんだったが、全工場へ行きわたるにつれて、かんばんにはさまざまな種類が生まれてくる。

この時、大野は言っている。

「スーパーマーケット方式で流れを作るのが先だった。かんばんを思い付いたのは、その後のこと」

■かんばんだけを真似しても現場は混乱する

大野は当初、かんばんという名前が知られるようになるとは思わなかった。ところが数年以上、経ってから「トヨタの現場が変な名前のものを使っている」ことが噂(うわさ)になり、同業の人間、業界紙の記者が「かんばん方式」と呼び始め、世の中に知られていったのである。

「かんばんという名前が独り歩きしたことに当惑した」

大野は後にそう語っている。

「かんばんは重要だけれど、あくまでジャスト・イン・タイムを実現するための運用手段だ。だから、かんばんだけを真似(まね)しても現場は混乱する。かんばんを付ける前に工場全体に流れを作らなければならない。また、トヨタ生産方式という考え方を理解しないで、部品にかんばんを付けることには意味はない」

メカニックがブレーキパッドを取り替えている手元
写真=iStock.com/gilaxia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gilaxia

「かんばん方式」が世の中に取り沙汰(ざた)されるようになってから、さまざまな解説本が出た。それを読んだ大野は現場に来て、わざわざ部下にくぎを刺した。

「いま、かんばんについてまとめた本がいくつも出ている。私も読んだ。だが、これは実践をやっていない者にはわからん。キミらは実践で学んでいるのだから、私の書いた文章も含めて本は一切、読まんでいい。読んだって理解できんのだから」

■「解説本は読まなくていい」と言った大野の真意

確かに、世の中には「かんばん方式」あるいは「トヨタ生産方式」を解説した本がたくさんある。大野自身、大野の弟子たち、そして研究者、新聞・雑誌記者も書いている。

いずれの本も「ロット生産」「タクトタイム」「リードタイム」などの専門用語を駆使してある。一般読者は専門用語が出てきただけでもう読む気が起こらなくなるし、理解もできない。

確かに、この手の本は読むだけでは頭のなかに工場現場の映像が浮かんでこない。まして、「後ろの工程が前の工程へ引き取りに行く」と言われても、それがどう画期的なのかちっともわからないのである。

本当に理解しようと思ったら工場へ行くしかない。それもトヨタの工場だけではダメだ。トヨタの工場と他の自動車会社の工場を見比べることだ。そうでないとトヨタ生産方式のどこが革命的なのか見当がつかない。

トヨタ生産方式を採用している工場へ行くと、中間倉庫がない。また、工場内の部品置き場がなくなるか小さなスペースになっている。そこを見るのだ。

では、なぜ、大野は「本を読まなくともいい」と言ったのか。それは、大野はわざと読者が理解しにくいように説明しているからだ。

読んでもわからないようにした理由はトヨタ独自のノーハウだから、広まることを恐れたのである。

■「下請けいじめの方式だ」と現場は反発

本人はこう言っている。

「アメリカの自動車会社に真似されるといけないから外部の人間にイメージがわかないような名前を付けた。それが『かんばん』だ」

大野が語るように、当初、彼がトヨタ生産方式を解説した文章には外の人間が理解できないような造語やテクニカルタームを使っている。

「それならば本を書かなくともいいじゃないか」

だれもがそう思うだろう。彼自身、本を書く気持ちは持っていなかった。

だが、「トヨタ生産方式が効果を上げている」と聞いた他のメーカーの人間が勝手な推量でかんばんらしきものを導入し、工場の作業者にとっては混乱が起こった。そして、「かんばん方式は下請けいじめの方式だ」と国会で議論されるまでになった。それで、大野は本当のトヨタ生産方式について本を書いたのである。しかし万人向けにはしていない。

多くの資料では、大野がトヨタ生産方式を導入した当初、現場は反対したとされている。では、現場の人間は生産システムのなかのどの部分に反発したのだろうか。

■作り終わったら「その場で休んでおれ」

複数の機械を操作できる作業者になること、標準作業の設定、アンドンの導入、不具合があったらラインを止めること、後ろの工程が前の工程へ部品を引き取りに行くこと……。

この5つについてはどれも肉体的にストレスがかかる新方針ではない。この5つを導入したからといって、それまでよりも重いものを運んだり、速いスピードで仕事をこなすことを要求されるわけではないからだ。

ある時、後ろの工程の人間が部品を取りに来るより前に、前の工程の人間が荷物かご一杯の部品を作り終わってしまった。前の工程の工長が「このままでは手待ちになるから、もう少し作業をさせて部品を作りたい」と大野に言ってきた。

大野はこう答えた。

「ヒマな者は余分な仕事をしないでいい。その場で休んでおれ。機械の掃除などもしなくていい」

ある幹部が大野の言葉を聞いて、「なぜ、作業者を休ませるのか」と難詰(なんきつ)したところ、「ムダにコンベアを動かしたら、電気代がかかる」としれっとした顔で答えた。幹部は二の句が継げなかった。

大野が導入したトヨタ生産方式は仕事が忙しくなるわけではない。ムダな労働が減るのだ。

実体はそうなのだが、それでも作業者は反発した。

■頭ごなしに怒鳴りつけても生産性は上がらない

では、いったい、どこが気に食わなかったのか?

反発した点はふたつ。

作業者が嫌がった第一は、これまでやっていた仕事に対して、他人からノーと言われることだった。

「ひとつの機械でなく、いくつもの機械を操作しろ」
「ラインの出口に部品を置くな」
「大きなロットで生産するな。なるべく小さなロットで作れ」

人間は自らが現実にやっていることを肯定する。たとえ、ムダが多い作業をやっていても、他人から「やめろ」と言われると頭に来るのである。

トヨタ生産方式の導入とはこれまでの生産風土を否定することであり、意識の改革だ。しかも、作業者が自ら変わりたいと思ってもらわなくてはならない。

大野は毎日、怒鳴りつけて現場を変えたわけではなかった。いくら怒鳴っても、現場がやろうと思わなければ生産性は上がらないのである。

自動車部品を溶接している労働者
写真=iStock.com/Wi6995
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wi6995

もうひとつ、作業者の癇(かん)に障(さわ)ったのは、標準作業を設定するために工長あるいは管理職がストップウォッチを持ち、背後に立って計測することだった。

当時の作業者はまだ職人だ。決められた生産目標に従ってはいたけれど、部品の加工については自分で案配して作業を進めていた。ひとつの仕事にかかる時間が遅くなったら、次は少し手を早めて加工するといった具合に、自分で作業時間を調節していたのである。

そうなると、どうしても品質にバラつきが生まれてしまう。標準作業が必要なのはラインのスピードを決めるだけではなく、品質のバラつきを防ぐ目的もあった。

■誰もがたくさんのムダを抱えて仕事している

作業者は動作をじっと見つめられ、結果として、「この作業は1分15秒が標準だ」と告げられる。以降は同じ時間で同じ動作をしなければならない。慣れるまでは窮屈だし、自由を奪われた気持ちになるのだろう。

そして、仕事をしている人間を観察していると、ムダは限りなくある。ただし、やっている方はたとえ上司からでも「それはムダだ」と指摘されると、腹が立つのである。それが人間だし、人間がやっていることからムダを完全に取り去ることはできない。

だが、大野はできるかぎり、ムダをやめて、仕事の本質だけを追求しろと言った。みんな、頭ではわかっているけれど、「そこに部品を置くな」「ネジやボルトをたくさん抱え込んでいるのをやめろ」と言われると、こんちくしょうと思ってしまうのだ。

だが、わたしたちは反発した作業者を笑うことはできない。

現在、日本で働く人間の大多数はやっている仕事を他人からノーと言われたら「コノヤロー」と感じるし、新しいことをやらされるのも決してうれしいとは思っていない。誰もがたくさんのムダなことのうえにあぐらをかいて仕事をしている。それを否定することはできない。

直近の統計では日本の正社員は年間2000時間は働いている。有給休暇の消化率は全産業平均で52.4パーセントだ。年間に与えられた有給休暇を全部、使っている人はどこの職場でもまずいないのである。

■いちばん言われたくないことを主張したから叩かれた

一方、ヨーロッパのビジネスパーソン(全就業者が対象)は1300時間から1500時間しか働かない。そのうえ誰もが少なくとも1カ月のバカンスを取る。休暇を取らない人間はおかしな目で見られる。

野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)
野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)

それなのに、IMF(国際通貨基金)の経済見通しによればユーロ圏の経済成長率は4.3パーセントで、日本は3.0パーセント。日本の労働者の仕事のなかにはやたらとムダがある。日本人は勤勉とされているが、効率的な仕事をしているわけではない。

大野はそんな日本人の国民性に挑戦した。トヨタ生産方式を現場に根づかせるために彼がエネルギーを使った点はシステムの説明ではなく、働く者の意識改革だった。

大野は「お前がいまやっている仕事を疑え」と言って歩いたのである。「日本人の働き方にはムダが多い」とも公言した。それで、建前の好きなマスコミ人からは攻撃を受けた。

「労働強化だ」「労働者の人権無視だ」と叩かれたのは、日本人がいちばん言われたくないことを主張し続けたからだった。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著に『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)がある。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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