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「男は自殺、女は売春」豊かさを求めたはずの人類がそうしたトラップにはまる根本原因

プレジデントオンライン / 2022年2月18日 17時15分

宮台真司・野田智義『経営リーダーのための社会システム論』(光文社)

なぜ人類は貧困を撲滅できないのか。社会学者の宮台真司さんは「人間社会には『構造的貧困』というメカニズムがある」という。大学院大学至善館理事長の野田智義さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、宮台真司・野田智義『経営リーダーのための社会システム論』(光文社)の一部を再編集したものです。

■「構造的貧困」のメカニズム

【宮台】われわれの社会では、よかれと思って始めたことが思い通りにいかなかったり、予想もしていなかった悪い結果を招いてしまったりすることがしばしばあります。しかも、一度そういうことが起きてしまうと簡単に元に戻すことはできず、場合によっては半永久的に変えられない可能性もあります。

そのことをわかりやすく説明しているのが「構造」という概念です。開発経済学の研究者として有名なスーザン・ジョージは、日本では1980年に翻訳出版された著書『なぜ世界の半分が飢えるのか』(小南祐一郎・谷口真里子訳、現在は朝日選書、原著は1976年)の中で、「構造的貧困」の普遍的なメカニズムと時間的な展開について述べています。

まずは、彼女が明らかにした実態に基づいてつくった寓話(ぐうわ)を紹介しましょう。

みなさんが、文明世界から隔絶した島の住民だとしましょう。生活は自給自足的で、昔ながらの素朴なやり方で農耕を営み、食料を手に入れています。暮らし向きはさほど豊かではありませんが、特に大きな不満も抱いてはいません。

そこに、あるとき、外の世界から宣教師がやってきます。宣教師は島での暮らしに備えて金属製の鍋、鍬、鎌といった生活用具や農具を持ってきており、それらを見たみなさんは「ああ、便利そうな道具だな」と感じる。実際、宣教師にそれらの道具を借りて試しに使ってみるとやはりとても便利で、自分たちもそういった文明の利器を手に入れたいと思うようになる。

しかし、宣教師が持ってきた道具の数は限られています。みなさんは「もっと道具を貸してください」と頼んでみたものの、宣教師は「もっと欲しいなら、自分たちで島の外から買わなければならない。そのためにはお金が必要で、外の世界に何か物を売らなくてはいけない」と言います。

ここで登場するのがブローカー、つまり市場の中で売り手と買い手をつなぐ役割を果たす人です。この人はみなさんに対し、「お金が欲しいのであれば、自給自足のための作物を生産するのではなく、国際市場で売れる作物を生産した方がいい」とアドバイスしてくれます。「コーヒー豆、サトウキビ、カカオ、そういった作物を栽培して売れば、外貨が稼げるし、そのために必要なお金や資材は貸してあげるよ」

■島民の生活を一変させたブローカーの一言

ブローカーの話を聞いて、みなさんはコーヒー豆をつくり始めることにしました。自給自足的な農耕をやめ、換金作物の栽培によって外貨を獲得する農耕へと移行することを決めたのです。その結果、島にはお金が入ってくるようになり、みなさんは金属製の鍋や鍬や鎌を自分たちで買いそろえることができるようになりました。

コーヒーチェリーを収穫する男性
写真=iStock.com/Bartosz Hadyniak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bartosz Hadyniak

それだけではありません。みなさんの豊かな暮らしぶりを知った周辺の島々の人たちも「あの島の住民のまねをすれば自分たちも豊かになれる」と考えて次々にコーヒー豆をつくり始めました。

いいですか。ここまでは何も悪いことは起こっていません。ところが、この後、大きな転換が生じます。ブローカーが突然、「コーヒー豆の買値を半分にします」と言いだしたのです。「いや、そんな安い値段では売れないよ」。みなさんは懸命に抵抗しますが、ブローカーは交渉に応じようとはしません。「だったら、もう買わない。ほかからいくらでも買えるから」。そう言って、値下げを一方的に決めてしまいました。

そうすると、みなさんはお手上げです。なぜなら、自給自足用の食料を生産するのはすでにやめてしまっているし、手元にあるのは、食用に適さないコーヒー豆だけだからです。単一の換金作物を栽培する農業形態をモノカルチャーと呼びますが、いったんモノカルチャーに移行したら、つくったものを確実に売らない限り、食べていくことはできません。だから、ブローカーが提示する値段が半値に下がっても、その状況を受け入れざるをえないわけです。

■島民が犯したミスの正体

【野田】大変興味深い寓話ですが、この話で鍵となるのはどんなことでしょうか。

【宮台】一番重要な鍵は、今、紹介した寓話の中に、いわゆる「悪者」は出てこないことです。

思い起こしてみてください。島の住人であるみなさんは豊かさや幸福を求めていただけです。宣教師も文明の利器の便利さを教えてくれたにすぎません。じゃあ、ブローカーが悪者なのかというと、それも違います。ブローカーは、コーヒー豆をできるだけ安く買い取り、高く売ることを生業としているのであって、そうした商行為自体は悪ではないのです。

もう一つの、二つめの鍵が、ここでの契約のあり方です。一般的に契約は、当事者双方の自由意思に基づいて結ばれるものとされています。それがいわゆる自由契約です。でも、法実務の世界では双方の自由意思に基づいていても、必ずしも自由契約とは見なされません。片方が極端に有利で片方が極端に不利な立場にある場合は、契約は立場に従属したものなので、自由契約とは見なされないのです。

これを「附従契約(adhesive contract)」といいます。みなさんも周囲を見渡せばおわかりでしょうが、世の中の契約の多くは、立場の有利不利をともなう契約になっています。なぜか。立場の有利不利がどのようにして決まるのかを考えればわかります。それは、互いの選択肢が相対的に多いか少ないかで決まるのです。

この寓話のストーリーに照らして言えば、島の人々がコーヒー豆を売る相手は、島に来てくれるブローカー以外にいない。だから島民の選択肢は非常に限られています。これに対し、ブローカーはどこからでもコーヒー豆を買えます。ブローカーが言った言葉を思い出してください。「だったら、もう買わない。ほかからいくらでも買えるから」。ブローカーにとっての選択肢はこの島から買う以外にもいくらでもあります。

しかも恐ろしいのは、コーヒー豆の売買契約を結んだ時点では、島の人々はこの非対称な関係に気づいていないことです。島民は自由意思でブローカーと契約したつもりでおり、契約内容がブローカーの都合で変更される可能性を想像すらしていませんでした。

附従契約を結ばされていると知ったのは、ブローカーから「値段を半値にする」と通告された瞬間であり、そのとき初めて自分たちがきわめて不利な状態に置かれていることを理解したのです。

■空間的帰結と時間的帰結

さて、島の人々はその状態を元に戻せるだろうか。戻せません。というのも、島の圃場は農薬や化学肥料などの投入によってコーヒー豆の栽培に特化した土壌に変質してしまっており、モノカルチャーをやめて再び自給自足的な経済に回帰しようと思っても、それにふさわしいインフラはすでに失われているからです。これが三つめの鍵となる不可逆性です。

もう一つ、重大なポイントは島の人々のマインドです。彼らはかつて自給自足的な暮らしをしていた頃は文明の利器に触れたことすらなかったため、それがないことによる不利益や不自由を知らずにすんでいました。しかし、コーヒー豆栽培によってお金を得て、自ら利器を買って使うようになってからは、その便利さや快適さを知ってしまいました。だから、再び利器を持たない不便な暮らしに戻ろうというマインドは持ちようがないのです。

このように、構造的貧困の「構造」には二つの意味合いがあります。一つは、ステアリング(舵取り)不能な、自分たちの営みより大きな「システム」に組み込まれてしまうという空間的帰結、もう一つは、いったんそうなってしまうと元に戻れないという時間的帰結です。いずれの意味合いにおいても、すでに決められてしまった道をただ進むしかありません。しかも、そうなることを事前にわきまえていませんでした。つまり、意図せざる帰結です。そこに悲劇があるのです。

■タンザニアで起きた「構造的貧困」の実例

【野田】宮台さんが寓話を用いて解説した構造的貧困の実例を一つ紹介しておきましょう。

みなさんは、『ダーウィンの悪夢』(フーベルト・ザウパー監督、2004年)という映画をご存じでしょうか。このドキュメンタリー作品では、タンザニアのビクトリア湖周辺で起きた構造的貧困の過酷な実態が描かれています。

ビクトリア湖には半世紀前、何者かによって外来魚のナイルパーチが放流され、それがきっかけで周辺に魚の加工・輸出産業が誕生しました。産業化を支援したのは欧州連合(EU)や世界銀行であり、切り身に加工された大量のナイルパーチは主としてヨーロッパ、そして日本に空輸されています。輸送機を操縦するパイロットたちは旧ソ連地域からやってきます。

ところが、この映画を見ると、湖周辺の産業はタンザニアの人たちにけっして豊かさをもたらしていないことがわかるんですね。経済的に潤っているのは加工工場を経営する企業だけで、漁師やその家族は貧しい生活を送っています。

地域の人々は輸出用の切り身にはありつけず、骨とともに残ったわずかな魚肉の残骸を食べるのが精一杯です。貧困は、売春、エイズ、ストリートチルドレン、ドラッグといった新たな問題を生み出してもいます。

また、巨大な肉食魚であるナイルパーチは、湖の水草を食べる在来種の小魚を食べ尽くしてしまい、かつては生物多様性の宝庫であることから「ダーウィンの箱庭」とも言われたビクトリア湖の生態系は大きく破壊されてしまいました。将来、湖にはナイルパーチすら生息できなくなる可能性があると指摘されています。

湖にあるボート
写真=iStock.com/africa924
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/africa924

■善意からなる行動が突き付けた現実

しかしながら、この映画の中にも、はっきりとした「悪者」は出てきません。加工工場の経営者も労働者を搾取しようと思っているわけでなく、人々はむしろ自発的に職を求めてやってきます。パイロットたちも、自分の家族を幸せにしようと、それぞれの仕事に励んでいるだけです。

EUや世銀もこの産業を興すことによってタンザニアの人は豊かになるに違いないと見込んでいたわけです。むしろ善意からとも言える行動です。加工された切り身を消費するヨーロッパや日本の消費者にしても、タンザニアの人たちを不幸せにしようなんて気持ちはまったく持っていません。

安くて栄養価の高い白身魚を家族に食べさせたいと思っているだけでしょう。にもかかわらず、貧困は解消されず、湖やその周辺の状況を元の状態に戻すこともできない。『ダーウィンの悪夢』はそうした現実を僕らに突きつけています。

このように構造的貧困という概念には、私たちが向き合う社会というものの本質を理解するうえでのきわめて重要なメッセージが含まれています。

■社会の摂理とも呼べるトラップにかかってしまう理由

【宮台】先ほどの寓話を思い出してください。島の人々は自給自足的な経済から換金作物を栽培して外貨を獲得する経済に移行することを自ら決めました。これにより、人々の暮らしはブローカーや国際市場に依存することになった結果、意図せざる帰結にさいなまれることになりました。

一体何がこの状態を招いたのでしょうか。それは島の人々の自立を願っての決断です。誰かに強制されたわけではありません。国際市場に依存することはわかっていても、それはあえて自らが選択したものであり、この時点の決定はいわば「自律的(=自己決定的)な依存」だと言うことができます。

ところが、その後、ブローカーや国際市場との関係は、抜け出そうにも抜け出せない依存、すなわち、依存しないという選択肢がもはや存在しないような「他律的(=非自己決定的)な依存」へと、変化してしまったのです。「自律的な依存」は、ほとんどの場合「他律的な依存」へと頽落(たいらく)してしまいます。これは、いわば「社会の摂理」とも呼べるトラップです。問題は、なぜ人々はそんなトラップにかかってしまうのかということです。要因は二つあります。

一つは、情報の偏りです。われわれは「自分たちがよいと思ったことはよい」と信じがちです。しかし、それは、与えられた一定量の情報に基づいてそう考えているにすぎません。そう、保守主義者が言うように、われわれは理性的に決定したつもりでも、本当は知らないことがいっぱいある。だから、決定後のステージでは、知らないことがいっぱい起こるわけです。そうすると予想外の帰結に入り込んでしまう。

座っている男性のシルエット
写真=iStock.com/Wacharaphong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wacharaphong

■人間は短期的な利益に飛びつきがち

もう一つの要因は、人間は短期的な利益を長期的な利益よりも評価しがちだ、という行動経済学的な摂理です。目の前に短期的な利益と長期的な利益が提示された場合、われわれはほぼ必ず短期的な利益を選びます。なぜなら、進化心理学によれば、人類はもともとそういうマインドセットを持つからこそ、種としても生き延びてこられたからです。

『ダーウィンの悪夢』に出てくる人々もそうでした。1980年代のタンザニアでは深刻な飢饉(ききん)が起き、人々は生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれました。そうした状態を脱するために、新たな経済スキームとして、善意で持ち込まれたのが、ナイルパーチの加工・輸出産業でした。ビクトリア湖周辺の人々は、短期的な利益を求めて、当初はこの産業に自己決定的=自律的に依存し、次第に非自己決定的=他律的に依存するようになっていったのです。

■自律的依存から他律的依存というトラップ

このように人々がトラップにかかってしまう原因を見ていくと、構造的貧困に陥ってしまう傾向を回避するのは、きわめて難しいことがわかります。その意味で、構造的貧困はユニバーサルな問題なのです。過去にあらゆる場所で繰り返されてきましたし、今後もあらゆる場所で起こりえます。実際、日本国内でも繰り返し起こっていることなのです。

高度経済成長の時代に、日本の多くの自治体は雇用を創出し経済を活性化するために工場や大規模店舗を誘致しました。自己決定での誘致の結果、地域経済は工場や大規模店に依存するようになりました。ところがバブル崩壊後の平成不況が深刻化した97年頃になると、これらの工場や大規模店舗の多くが撤退したのです。

しかしすでに地場産業は衰退し、地元商店街も壊滅していたので、工場や大規模店舗の撤退で失われた雇用を、元に戻せませんでした。そうした地域では、若年男性の自殺と、若年女性の売春が非常に増えたことも、統計的に確認されています(『自殺実態白書2008』自殺対策支援センター・ライフリンク)。他律的依存の悲劇です。

【野田】僕は、3・11以降、経済同友会のプロジェクトの委員長として5年間、被災地の三陸沿岸部の復興を支援したのですが、同じような現象を体験しました。

経済の復興のために、各自治体は交流人口を増やすことで地元経済を活性化しようとします。その一つが大手資本の誘致によるショッピングセンターの開設です。そのショッピングセンターには初めは地元の商店街もテナントとして一部入ります。でも、いずれ人口減少が避けられない中、地域経済が衰退していくと、大資本は撤退するかもしれない。

にぎやかなショッピングモール
写真=iStock.com/wxin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wxin

そのときにはかつての地元商店街の猥雑な生態系は消滅してしまっていて、自治体は撤退をなんとか翻意してもらうために、大資本のリクエストを最大限聞かざるをえないかもしれない。そうするとまさに、自律的依存から他律的依存への頽落となります。

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宮台 真司(みやだい・しんじ)
社会学者
1959年生まれ。東京都立大学教授。東京大学文学部卒。東京大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。社会学博士。著書に『終わりなき日常を生きろ』『日本の難点』『正義から享楽へ』など多数。

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野田 智義(のだ・ともよし)
大学院大学至善館理事長
1983年東京大学法学部卒、日本興業銀行入行。ロンドン大学ビジネススクール助教授、インシアード経営大学院(フランス)助教授などを歴任。専攻は経営政策、組織戦略、リーダーシップ論。著書に『リーダーシップの旅』(共著、光文社新書)がある。

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(社会学者 宮台 真司、大学院大学至善館理事長 野田 智義)

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