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「恋愛のつまみ食いで終わりがち」マッチングアプリで出会った男女が長く続かない根本原因

プレジデントオンライン / 2022年2月22日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FilippoBacci

日本人の生涯未婚率は年々上昇している。その背景にはなにがあるのか。社会学者の宮台真司さんは「マッチングアプリで簡単に出会えるようになったが、だからこそ深い人間関係が避けられるようになった」という。大学院大学至善館理事長の野田智義さんとの対談をお届けしよう――。(第2回)

※本稿は、宮台真司・野田智義『経営リーダーのための社会システム論』(光文社)の一部を再編集したものです。

■なぜ女性たちは「まともな男がいない」と口をそろえるのか

【宮台】性的退却の背景に何があるのかについて踏み込みます。僕の聞き取りでは、性愛を避ける男性の多くが「コストパフォーマンスが悪い」と言います。

勉強や仕事に追われて忙しい日々、女性と交際するとお金がかかるしトラブルも起きる。ささいな痴話ゲンカで関係が崩壊したりするからリスクマネジメントも大変。ならば、アダルト映像やアダルトゲームで、システム世界から便益をいいとこ取りしたい。そんなふうに損得勘定で性愛をとらえる男性――僕の言い方では「損得化したクズ」――が、増えました。

宮台真司・野田智義『経営リーダーのための社会システム論』(光文社)
宮台真司・野田智義『経営リーダーのための社会システム論』(光文社)

次に、女性たちです。彼女たちはなぜ性愛を避けるようになったのか。多くの女性が口にするのは、「まともな男がいない」「経験を通じてうんざりした」という理由です。これはもっともです。

ワークショップを通じた観察では、「女性の喜びを自分の喜びとして感じ、女性の苦しみを自分の苦しみとして感じる能力」を持つまともな男性は200人に1人だから、女性が自分に告白してきた男性とつき合っても、たいていはイヤな経験をして終わります。

パラメータ(周辺条件)についても考えます。今ほどではなくても、昔もクズな男性が一定割合いました。でも女性が生きていこうとすれば、男性を見つけて結婚するしかありませんでした。今は、仕事で成果を出したり資格を取得したりしてステータスアップを図れます。クズ男性とつき合うぐらいなら、ステータスアップに時間を使う方が合理的になります。

■男性も女性も恋愛をコスパで考えるようになった

【宮台】これらすべてを踏まえて単純な図式にすると、まず、男性が損得化して、一部が性的に退却し、次に、女性が損得化した男性とつき合って懲りて、一部が性的に退却した、という展開になっています。概略そういう形で、性愛からの退却が進んでいったのだと考えられます。

そもそも性愛関係は、喜怒哀楽を含めた包括的・全人格的なものです。僕たちは性愛を通じて、自分が根源的に肯定される体験を得ました。しかし、性愛が属性主義に陥るほど、ほかに代替できない喜びは、小さくなります。だから、属性主義を背景に、男女がともに性愛をコストとベネフィットという損得勘定に帰着させてしまうのは、実は自然な成り行きです。

■「親のクズぶりが子にうつる」という悪循環

【宮台】ところで、男女の性愛の損得化の背景には、より深刻な家族の損得化があります。家族の損得化が、そこで育った男女の性愛の損得化をもたらし、性愛の損得化が性愛をへてつくられる家族の損得化をもたらす、という悪循環があるのです。

2000年に僕が大学生を対象に行った統計調査で、とても面白いデータが得られました。「あなたの両親は愛し合っていますか」という問いに対し、イエスとノーの答えが半々だったのですが、イエスと答えた人は、交際率――ステディがいる割合――が高く、性体験の相手の人数は少ない一方、ノーと答えた人は、交際率が低く、性体験をした相手の人数が多かったのです。何を意味するのか、もうおわかりですね。

損得を超えた愛は、損得化した社会では非現実的な「お話」に感じられがちです。にもかかわらず損得を超えた愛が現実的だと感じられるには、実際に損得を超えて愛し合う男女の相互行為を目撃できることが大切です。

両親が愛し合う家庭では、子どもは両親をロールモデルに愛の現実性を学べます。両親が損得勘定だけで一緒に暮らす家庭では、愛の現実性を学べません。家族の損得化が子どもを損得化させる。「親のクズぶりが子にうつる」のです。

■なぜ見合い結婚では「深い絆」が作れたのか

家族の損得化というと、家柄婚が一般的だったお見合い結婚をイメージする人もいるかもしれませんが、それは正しくありません。今はお見合い結婚をする人は5~6%しかいませんが、僕や野田さんが生まれた頃は7割がお見合い結婚で、その過半数は農家や商店などの自営業者の跡取りが家業を継ぐことを目的としていました。それは間違いない事実です。

でも、先ほど恋愛の始まり方をお話ししたように、日本人には一緒にいるとつながりができる文化があります。恋愛感情を抱かずにお見合いで結婚した夫婦でも、一緒に家業を営みながら長く連れ添ううちに、深い絆で結ばれることがありました。

もちろんかつてのお見合いは、家父長制に象徴される男女差別的な社会形態と表裏一体の仕組みでしたが、夫婦の絆は少なくとも今よりは強かったと言えるでしょう。

■この5年間でアプリへの抵抗感はほぼ完全に消えた

【宮台】別の角度から、性的退却の問題を考えることにします。近年、日本では若者の性愛からの退却が進行していく一方、それと並行する形でマッチングアプリの利用が広がっています。そのマーケット規模は2015年に120億円、2018年には374億円に拡大しており、2023年には852億円にまで成長するだろうと予測されています。これは異様な膨張速度です。

マッチングアプリとは、結局のところ出会い系サービスであり、提供側がそれを「マッチング」と言い換えるというマーケティング戦略によって、ユーザーの心理的な抵抗感を軽減しているだけの話です。事実、僕が行ったリサーチでは、この5年間で、若者たちの間ではマッチングアプリを使うことへの抵抗感は、ほぼ完全に消えました。

それ以前は、マッチングアプリで出会って結婚に至った場合、結婚式の披露宴で二人のなれそめを紹介するときに、ストーリーを捏造(ねつぞう)していたものです。本当はマッチングアプリで知り合ったのに、友人に頼んで「二人は共通の趣味のサークルに参加していて……」といった大ウソをついてもらいました。式場側がそうした大ウソを創作するサービスもありました。

オンラインでの恋愛
写真=iStock.com/Cesar Okada
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cesar Okada

■若者たちは「性愛のいいとこ取り=つまみ食い」をしている

今は、披露宴で新郎新婦が堂々と「私たちはマッチングアプリで出会いました」と言えるようになりました。サービス認知度の向上で、「みんなも使っているから」という具合に、使うことへの後ろめたさがなくなったこともあると思われます。

グラフ(図表1)を見てください。日本ではすでにマッチングアプリを「現在、利用している人」が23.9%、「過去に利用していた人」が33.2%おり、「今後、利用してみたい人」を合わせると、全体の7割を超えます。

【図表1】マッチングアプリの利用経験

では、このマッチングアプリを通じた出会いが、若者たちの性愛関係を回復できるのでしょうか。結論的にはノーです。マッチングアプリを使っている人は、システム世界に依存して、性愛のいいとこ取り=つまみ食いをしようとしているだけだからです。そうした性格は、1985年に誕生したテレクラ以来、何の変化もありません。

先ほどの話を思い出してください。昔の男女の出会いは、まず集まりの場があって、そこで知り合った人同士が、同じ時空間を一緒に過ごしながらコミュニケーションを交わすうちに、気がついたら好きになっていたというものでした。だから、周囲にとっても自分にとっても意外な人と、恋に落ちてしまう。そのことこそが、意外なものへの開かれという意味で、性愛の喜びでした。

■マッチングアプリで「男女の絆」をつくることは難しい

【宮台】これに対し、マッチングアプリを使う場合は、最初に属性で検索を設定し、スマホ画面に次々に表示される異性の写真をどんどんスワイプしては、どんどん「いいね」ボタンを押していきます。すると、下手な鉄砲、数打ちゃ当たるで、相手からも「いいね」ボタンが押され、「両思い」ということで、カップルが成立したことになります。

でも、そんなふうにしてマッチングアプリで出会っても、カップルが絆をつくることは難しい。なぜか。第1に、カップルの大半は、互いに相手を入れ替え可能だと見なし続けてきたというクセがあり、第2に、互いに「相手はまだマッチングアプリを使っているかも」と想定しながらつき合うことになるからです。男性は、相手の女性がもっとスペックの高い男性を見つけたら、そっちに行くだろうと思うし、女性も同じように思うわけです。

マッチングアプリは便利なシステムですが、人間が求めているはずの全人格的な性愛関係を回復させるものではなく、むしろ属性主義や損得化を加速させる方向で確実に機能しています。僕には出会い系業者やマッチングアプリ業者の知り合いが多いので、全人格的な性愛関係をもたらせるようなアーキテクチャの実装をお願いしてきていて、ユーザーの資格認定を含めたいくつかのアイディアが現実化していますが、今のところメジャーになれません。

■ネットはリアルな人間関係を補完しない

【野田】宮台さんは性愛の専門家でもあるのですが、今の話は性愛を超えて、現代のインターネット社会における人間関係を理解するうえできわめて重要なものですね。

近年はさまざまなネットサービスが発達、普及しています。そこから生まれたコミュニティは、僕たちが失ったホームベースの代替として人間関係を補完してくれると考えている人も多いかもしれません。しかし、ネットはリアルな人間関係を補完しません。むしろ、ネットコミュニティの広がりによって「人間関係の空洞化」が進むというのが僕らの結論です。

その話に入っていく前に、若者を対象に実施されたネットサービスに関する意識調査の結果をいくつか挙げておきましょう。

2016年度に内閣府が15~29歳の男女を対象に実施した「子供・若者の意識に関する調査」で、自分の「居場所」について尋ねたところ、「インターネット空間」を挙げる人の割合はかなり多く、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」を足すと60%を超えていました。

■ネットの知り合いは、困ったときの助けにならない

【野田】しかし、19年度の調査(対象は13~29歳)で、他者とのかかわり方について尋ねているのですが、「困ったときは助けてくれる」相手として「インターネット上における人やコミュニティ」を挙げた人は少なく、23.3%にとどまっています。

また、電通未来予測支援ラボが15~29歳の男女を対象に実施した「令和 若者が望む未来調査2019」によると、友人の数は「1~10人」と答えた人が約5割を占めていましたが、全体の半数近くの人は「SNSで知り合った友人の数」を「0人」と答えています。

では、若者はネットの人間関係において何を期待しているのかというと、同調査では「暇つぶしになる」「時間帯を気にしない」「気軽だ」といった項目を挙げる人が多くいました。

これに対し、リアルの人間関係で期待していることについては、「思い出に残る」「気持ちが伝わる」「約束を守ろうと思う」などの項目を挙げる人が多くいました。

ソーシャルネットワーキングサービスの概念
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

■「つき合いたい相手とだけつき合う」の大きな弊害

【野田】このように見ていくと、少なくとも現代の若者たちはネットコミュニティを自分の居場所と感じつつも、友人と出会ったり友人と深くかかわったりするホームベースの代替物とはとらえていないということがわかります。

しかし、その一方で、ネットサービスはどんどん拡大していき、利用者は増加の一途をたどっています。これを僕らは「3段階めの郊外化(第3の郊外化)」と位置づけています。

日本社会は2段階の郊外化をへて、大きな変容を遂げてきました。1段階めは団地化で、地域の空洞化が進みました。2段階めはコンビニ化で、家族の空洞化が進みました。現在起きている3段階めの郊外化は「インターネット化」であり、その結果、進行しているのが人間関係の空洞化です。

【宮台】野田さんによる導入を踏まえて、3段階めの郊外化について掘り下げましょう。

ネットコミュニティにおける人間関係は、つき合いたい相手とだけつき合う、つき合いたいときにだけつき合う、相手の見たいところだけを見る、というつまみ食いです。すると、部分的な人間関係しか経験できず、包括的な人間関係から疎外されます。

その結果、「相手が困っていたら、思わず自分が動いてしまう」ような損得を超えた利他的つながりを経験できなくなります。実際、そうしたつながりを経験したことがないという大学生が大半です。

■「見たいところしか見ない」からネトウヨが増える

【宮台】思わず動いて、困っている相手を助ける。それで相手が喜んでくれ、そのことに自分も喜びを感じる。同じく、自分が困っているときに相手が助けてくれる。それで自分が喜びを感じ、それを相手も喜んでくれる。そういう喜びは、相対的な快楽というより、絶対的な享楽です。至上の悦びです。

でも、ネットコミュニティの人間関係ではその悦びが得られません。だからネットコミュニティが拡大すれば、人間関係の悦びを知らない人が増えます。

すると、何が起こるでしょう。人は他者との関係を、プライベートを含めてコストパフォーマンスだけで測るようになります。だから、人間関係において生じる面倒くさいことやわずらわしいことを回避するようになり、対人能力の退行や未発達も進みます。

その結果、人間関係から生じるノイズをますます怖がるようになり、ネットコミュニティのつまみ食い的な人間関係にますます依存する、という悪循環に陥るわけです。

このことは、実はネトウヨやオルトライトの増加という現象とも関連します。ネットの特徴は「見たいものだけを見る」ことです。外国人や移民を排斥している人は、自分と同じ主張を持つ人をネットで簡単に見つけられます。

もしその相手が隣にいれば、その佇まいから、ただの「あさましいクズ」であることがわかるでしょうが、ネットでは「見たいところしか見ない」から、クズたちが、ヘイトだけをフックに軽々とつながれてしまうのです。

■「感情が壊れた人間」が次々と生み出されている

改めて、生活世界とシステム世界の人間関係を対比します。生活世界の人間関係は、価値合理的・コミュニケーション的で、コミュニケーション自体に価値を認めるコミュニカティブなものがメインです。

他方、システム世界の人間関係は、目的合理的・道具的で、人間関係は何かの手段です。つき合う相手は、道具として役立てば誰でもいい。性欲を満たすとか、さびしさをまぎらわすとか、暇をつぶすといった目的を果たすために、人間関係を使います。

実際、ネットコミュニティにおける人間関係の空洞化は、「生活世界が縮小したがゆえに、システム世界がプライベート領域をも侵食しつつある事実」を表します。こうした変化は1990年代後半から始まっていて、この過程を「3段階めの郊外化(ネット化)」と呼んでいるのです。

こうしたシステム世界の全域化は、秋葉原事件の加藤智大や『黒子のバスケ』事件のWのような感情が壊れた人間を生み出すだけでなく、ふつうの人たちの感情も劣化させます。というのも、システム世界の全域化が進むと、人と一緒にいるための感情が不要になるからです。そういう感情を育て上げられることもないし、使うこともなくなります。

その状況がさらに進行すると、人々はそれぞれのライフスタイルによって分断され、自分と異なる価値観を持つ人たちのことを理解しなくなります。すると、何がノーマルで何がおかしいのかという感情の標準もあいまいになり、人間のまともなあり方についての合意ができにくくなります。それが3段階めの郊外化がもたらしている現実です。

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宮台 真司(みやだい・しんじ)
社会学者
1959年生まれ。東京都立大学教授。東京大学文学部卒。東京大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。社会学博士。著書に『終わりなき日常を生きろ』『日本の難点』『正義から享楽へ』など多数。

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野田 智義(のだ・ともよし)
大学院大学至善館理事長
1983年東京大学法学部卒、日本興業銀行入行。ロンドン大学ビジネススクール助教授、インシアード経営大学院(フランス)助教授などを歴任。専攻は経営政策、組織戦略、リーダーシップ論。著書に『リーダーシップの旅』(共著、光文社新書)がある。

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(社会学者 宮台 真司、大学院大学至善館理事長 野田 智義)

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