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横浜、神戸、長崎よりもディープで美味い…「池袋チャイナタウン」に勢いがある本当の理由

プレジデントオンライン / 2022年2月24日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bonchan

日本三大中華街といえば、横浜、神戸、長崎だ。ところが、こうした中華街とはまったく違う「ニューチャイナタウン」が日本各地で生まれつつある。筑波大学の山下清海名誉教授は「池袋駅北口の池袋チャイナタウンには200軒以上が集積している。さらに今度は埼玉県の西川口駅周辺がニューチャイナタウンになっている」という――。

※本稿は、山下清海『横浜中華街』(筑摩選書)の一部を再編集したものです。

■東京・池袋で拡大する「ニューチャイナタウン」

横浜中華街は老華僑が日本人と共存しながら形成した伝統的なチャイナタウンである。

私は、このようなチャイナタウンを「オールドチャイナタウン」と呼んでいる。

一方で、中国の改革開放以後、新華僑が増加し、世界各地において新しく形成された「ニューチャイナタウン」がみられるようになってきた。

日本においても1980年代半ば以降、新華僑が増加したが、新華僑によって形成されたニューチャイナタウンはないのだろうか。

まずは、日本のニューチャイナタウンの代表例である池袋チャイナタウンを見てみよう。

1991年、東京の池袋駅北口に中国食品スーパー「知音中国食品店」が開業した。その後、このエリアは新華僑が経営する中国料理店、ネットカフェ、中国語書店、レンタルビデオ店などが増加していった。

アメリカをはじめ海外で多くのニューチャイナタウンを調査してきた私は、この地区が日本最初のニューチャイナタウンであると捉え、2003年、「池袋チャイナタウン」と命名した。

また2010年には『池袋チャイナタウン 都内最大の新華僑街の実像に迫る』(洋泉社)という本も刊行した。

■三大中華街と異なる「池袋チャイナタウン」の特徴

世界各地のチャイナタウンを比較検討してみると、チャイナタウンは基本的には、周辺地域に居住する華僑の生活を支える店舗や団体などが集まった地区である。

日本の場合、日本三大中華街と呼ばれる横浜中華街、南京町(神戸)、長崎新地中華街は、いずれもそれぞれの都市の重要な観光名所となっている。

このため、日本の社会では「中華街=観光地」というイメージが強い。

そこで私は、この街をこれまでの「中華街」と違うものと捉え、「池袋中華街」ではなく「池袋チャイナタウン」と呼ぶことにしたのである。

最近は、新聞、テレビ、インターネットなどを通して「池袋チャイナタウン」が社会的にも認知されてきており、日本化されていない「本場の中国料理」を味わいたいという日本人も多く訪れるようになった。

特にランチタイムには、池袋周辺で働く日本人が600円台、700円台の各種の定食を求めてやってくる。

 
写真=iStock.com/winhorse

■2016年の時点で中国関連の店は約200軒

2016年の私の調査では、池袋駅北口周辺を含む池袋駅西側だけで新華僑(一部少数の老華僑を含む)関係の店舗、オフィスが合計194軒あった。

その内訳をみると、中国料理店63軒、美容院・エステ31軒、旅行社9軒などとなっていた(山下清海、二〇一六年)。

池袋駅北口は、東武鉄道により2019年3月から「池袋駅西口(北)」という名称に変更になった。しかし、新華僑に限らず多くの日本人も、慣れ親しんだ「池袋駅北口」という呼び名を使っている。

■新華僑にとって「池袋駅北口」はブランド

中国人は日本人に比べると、はるかに起業精神が強い。特に新華僑にとっては、「いずれ自分も池袋駅北口に自分の店をもちたい」と思いながら、後述する埼玉県の西川口、蕨をはじめ他の場所で一生懸命頑張っている。

そのような中から、念願かなって池袋駅北口に自分の中国料理店を開業した例は数えきれない。新華僑にとって、「池袋駅北口」のブランド力は相当なものである。

1990年末に15万339人であった在日中国人は、2020年6月末には84万6764人にも増加した(法務省在留外国人統計、台湾を含む)。

そこで、新聞・テレビなどメディア関係者から私がよく聞かれるのは、「池袋チャイナタウンのようなニューチャイナタウンは他にないのですか」という質問である。

■違法性風俗店のメッカだった西川口

池袋のある豊島区や新宿区などに単身で住んでいた新華僑は、結婚して家庭をもつと、より広い居住スペースを求めて赤羽や王子などの北区から、さらに東京都と埼玉県の境界である荒川を越えて埼玉県南部の川口市や蕨市などに移り住む者が多い。これが新華僑の郊外化である。

西川口駅の駅名標
西川口駅の駅名標(写真=LERK/CC-BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)

JR西川口駅の西口周辺は、1990年代から違法な性風俗店が集中し、最盛期には200軒を超えるほどであった。しかし、2004年、埼玉県警はこの地区を風俗環境浄化重点推進地区に指定し、違法な性風俗店を摘発し、2007年頃までに、ほとんどの違法な性風俗店は廃業に追い込まれた。

これに伴い、近隣にあった飲食店なども客が減少、西川口駅西口周辺は衰退し、雑居ビルも空きテナントが目立った。

西川口駅は都心までの交通アクセスがよく、上野駅までは約23分、池袋駅へも赤羽駅乗換で約24分である。

しかし、前述したような「西川口」のマイナスの地域イメージにより、空きテナントを埋めることは容易ではなかった。

■なぜ西川口がニューチャイナタウンとなったのか

新華僑にとって、西川口の地域イメージは、日本人に比べると、それほどマイナスではなかった。都心へのアクセが良好な割に、駅周辺の空きテナントやマンション、アパートの賃料はリーズナブルであった。

起業精神に富む新華僑にとって、東京で中国料理店を開業するよりも、西川口のほうが資金は大幅に少なくてすむ。そのため2000年代に入った頃から、西川口には中国料理店が少しずつ増え始めた。

2020年11月の私の調査によれば、西川口駅の東西400メートルの範囲内に、中国料理店が33軒、中国食品店4軒、ほかにカラオケ店、美容院、マッサージ店、不動産屋など、合計44軒の新華僑経営の店舗が認められた。

西川口チャイナタウンの大きな特色は、他では味わえない本場中国の料理メニューを提供している店が多いことである。

■住人の半分が新華僑という団地の存在

このチャイナタウンが形成された背景には、周辺に居住する多数の新華僑の存在があった。

山下清海『横浜中華街』(筑摩選書)
山下清海『横浜中華街』(筑摩選書)

西川口駅の東側から徒歩6分のところに、日本住宅公団(UR都市機構の前身)が1966年に団地を建設した。

この西川口市街地住宅(全192戸)は老朽化し、居住者の高齢化も進み、空き室も増えていった。そこに新華僑が集住するようになったのである。

UR賃貸住宅の場合、入居に際して、保証人・礼金・手数料・更新料が不要で、しかも国籍の制限はない。

西川口駅の隣駅である蕨駅に近いUR川口芝園団地(1970年代に建設)でも、今では5000人近い住民の半数以上が中国籍となっている(川口芝園団地の自治会は、日中両国の住民の交流に積極的に取り組んできたが、多文化共生の先進的事例として、国際交流基金の2017年度地球市民賞を受賞した)。

■徐々に観光客が増えているニューチャイナタウン

西川口チャイナタウンも、池袋チャイナタウンと同様、まずは同胞相手のチャイナタウンとして形成された。

そしてその後週末には、町中華では味わえない本場の中国料理を求めて、遠方より西川口チャイナタウンを訪れる日本人客も多く目にするようになってきた。

新華僑が形成した池袋チャイナタウンおよび西川口チャイナタウンが、今後、横浜中華街のように多くの日本人も訪れるような観光地的要素を深めていくのか、今後の展開が注目される。また、これまで述べてきたように、横浜中華街でも相当な勢いで老華僑に代わって新華僑経営の店舗が増加している。

観光地としての横浜中華街の繁栄が、今後も継続していくのかどうかにも注目していく必要がある。

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山下 清海(やました・きよみ)
立正大学教授
筑波大学大学院地球科学研究科博士課程修了。理学博士。立正大学地球環境科学部地理学科教授。筑波大学名誉教授。専門は、人文地理学、華僑・華人研究。著書に『世界のチャイナタウンの形成と変容』(明石書店)、『新・中華街』(講談社選書メチエ)、『池袋チャイナタウン』(洋泉社)、『東南アジア華人社会と中国僑郷』(古今書院)、『チャイナタウン』(丸善ブックス)などがある。

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(立正大学教授 山下 清海)

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