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「お賽銭をSuicaで払うのは味気ない」そんな感覚を未来人に説明してもきっと理解は得られない

プレジデントオンライン / 2022年2月20日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/junxxx

海外からの観光客が多い寺社で、「お賽銭のQRコード決済」が導入されている。しかし、ほかの寺社への広がりは限定的だ。なぜお賽銭のキャッシュレス化は広がらないのか。北海道大学大学院の岡本亮輔准教授は「『実体がないと気持ちがこもらない』という感覚は根強い。だがキャッシュレスがさらに普及すれば、そうした感覚もなくなるのではないか」という――。

■ゆうちょの硬貨両替有料化に頭を悩ます寺社

寺社にお供えするお賽銭が話題になっている。きっかけは、ゆうちょ銀行が今年1月から硬貨の預け入れに手数料を課すようになったことだ。

例えば硬貨51~100枚の預け入れ手数料は550円だ。1円玉や5円玉ならば赤字だし、10円玉を100枚預けても、過半は手数料に消える。釣り銭作りの需要をにらんで近隣商店などに対して紙幣から硬貨への両替サービスを始める神社もあるようだが、多くの神社にとって悩ましい問題だろう。

寺社を訪れるほとんどの人がスマホを持っている現在、最も効率的な対応方法はお賽銭のキャッシュレス化だろう。コロナ禍によって接触回避が進む前から、特に海外からの観光客が多い寺社などではQRコード決済によるお賽銭システムが導入されてきた。しかし、お賽銭のキャッシュレス化には違和感を持つ人が多いようだ。

■「気持ちがこもってないように感じる」人は7割弱

2022年1月公開の「キャッシュレスと日本の贈り物文化に関する意識調査」によれば、調査対象の9割以上の人がキャッシュレス決済を使用している。だが、お賽銭・冠婚葬祭費・お年玉に関しては、半数以上がキャッシュレス化を望んでいない。中でもお賽銭については、最多の67%以上が望んでいないというのである。

その理由として一番多く挙げられたのは「気持ちがこもっていないように感じるから」というものだ。「気持ち」というのは参拝者の内面の問題であって、お賽銭の形式とは一見無関係のように思える。なぜ現金には気持ちがこもり、SuicaやQUICPayにはこもらないのだろうか。呪術的思考という観点から考えてみよう。

■物体にケガレを背負ってもらう“接触呪術”

いつから寺社参拝には、お賽銭がつきものになったのか。諸説あるようだが、古くは神前には米が供えられていたものが、貨幣の浸透とともに金銭に置き換わっていったとされる。

寺社にとっては、現物の米より、消費期限もなくほかの品との交換価値が高い貨幣のほうが便利なのは間違いない。その意味で、貨幣を供えるようになったこと自体、新技術の導入だったと解釈することもできる。

だが、お賽銭が貨幣であることには、ほかの理由も考えられる。例えば「ケガレの浄化」という呪術的観点からの説明がある(新谷尚紀『民俗信仰を読み解く なぜ日本人は賽銭を投げるのか』文春新書)。それによれば、貨幣に自分のケガレをなすりつけ、それを神仏のもとに納めることで、ケガレが祓い清められるという。

こうしたタイプの呪術は「接触呪術」と呼ばれる。神社に形代(カタシロ)を納めたことがある方もいるだろう。神社では、一年の節目の6月と12月、ケガレや災厄を清める大祓(おおはらえ)が行われる。

筆者の氏神神社では、大祓にあわせて神社から家族の人数分の形代が届く。形代は、人形(ヒトガタ)とも呼ばれるように、人体を大まかにかたどった紙で、それぞれに自分の名前と年齢を書き、頭や体をなでて息を吹きかける。それを神社に納め、清めていただく。

ポイントは形代と身体の接触だ。接触呪術の軸は「かつて接触していたものは、接触が途切れた後も、その影響が残る」という想像力である。身体と形代を接触させることで、その人の霊の一部が形代に移行し、いわば分身となる。その結果、形代を清めれば、本人の罪障も清められるというわけである。

■キャッシュレスでは数字の移行にしかならない

こうした呪術的思考を踏まえれば、お賽銭が硬貨や紙幣という物質的形状を持つことは重要だ。お賽銭となる硬貨は、財布に入れて肌身離さず持ち歩いてきたものであり、呪術の発動に十分な接触を経ていると想像されるのだろう。

他方、キャッシュレスは、まさに貨幣の物質性を消去する点に意味がある。両替や集計といった手間は大幅に削減されるが、それでお賽銭を納めても抽象的な数字の移行にしかならない。自分自身の霊的コピーを神前に供えるという呪術の本質的部分が損なわれたように感じられるのではないだろうか。

■スマホカメラが「観光」の感覚を変えた

それでは、呪術的思考にそぐわないお賽銭のキャッシュレス化は、今後、広がってゆくことはないのだろうか。筆者は、そうとも言えないと考えている。というのも、時代や技術と共に、私たちの呪術的な感性や思考も変化するからである。

わかりやすい例が写真である。写真は、フランスで発明されてから200年近くの歴史があるが、一般への広い普及となると比較的最近だ。そして、持ち歩きに便利な小型カメラの発売は、観光のあり方を根本から変えた。

現在では、スマホに搭載されたことで日常的に誰もがカメラを持ち歩くようになっており、特に旅や観光の際、写真を1枚も撮らない人はいないだろう。しかも、その写真の中には、ほかならぬ自分自身がその場所へ行った証拠としての写真(東京スカイツリーの前に立つ家族や自分の写真)以外にも、ネットや雑誌などで見たことがあるような写真(隅田川の向こうにそびえる東京スカイツリーの写真)が多く含まれているはずだ。

なぜ私たちは、ネットで画像検索すれば無数にヒットするような写真をわざわざ自分で撮影するのだろうか。

社会学者のジョン・アーリとヨナス・ラースンは、こうした写真撮影を「引用の儀式」と呼ぶ(『観光のまなざし』法政大学出版局)。彼らによれば、カメラが広く普及した現代では、「写真になりそうなところ」を探すのが観光であり、観光地は写真の素材のように感じられているという。

つまり、写真を撮らないと観光したと思えないように、私たちの観光の感覚が変化したというのだ。こうした観光感覚は、当然ながら、カメラが広く普及する前にはなかったものだ。

■パワースポットを撮って待ち受けにする“実践”

そして、同じような技術による感覚の変化は呪術にも生じる。そのわかりやすい例の1つは、やはり同じく写真に関するものだ。

現代のパワースポット・ブームの先駆けになったのは、明治神宮にある清正井(きよまさのいど)である。明治神宮の御苑にある湧水で、2009年末、テレビのバラエティ番組で良い気が集まる開運に効く場所として紹介されたのをきっかけに、多い時には数時間待ちの行列ができるようになった(ブームについて詳しくは拙著『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』を参照してほしい)。

こうして集まった人々が行ったのが接触呪術である。現在は禁止だが、清正井の水で手やお金やストラップを洗った。水と物理的に接触させることで、清正井に宿るとされる気やエネルギーを持ち帰ろうとしたのだ。そして、これら水洗いと並んで多く見られたのが、井戸の写真を撮り、その画像をスマホの待ち受けにするという実践である。

明治神宮御にある清正井
筆者撮影
明治神宮御苑にある清正井 - 筆者撮影

■非接触型の接触呪術が広がっていった

写真撮影は、厳密には対象との接触を伴わない。だが、ケータイやスマホが日常生活に不可欠となり、体の一部のように感じる人々さえいる状況では、対象の写真を撮り、それを常に最初に目にする待ち受け画面に設定することは、呪術発動に十分な接触と観念されるのだろう。

その後、この非接触型の接触呪術とでも呼べる実践は、訪れた神社のご神木を待ち受け画面にするといった形で広がってゆき、今では「開運待ち受け画像」といった紹介記事も各種メディアに掲載される。歌手の美輪明宏さんを待ち受けにすると運気が上がるといったことも言われ、ゴールデンボンバーの「また君に番号を聞けなかった」で歌われたことを覚えている人もいるかもしれない。

■NFTで“唯一無二性”を取り戻そうとする御朱印

こうした呪術的思考の現代的展開は、ほかにも見られる。スマホ関連で言えば、ロックを解除する暗証番号である。この数字を数秘術的に良いものにすることで、運気を上げるといったものである。また、御朱印の画像データを管理するスマホ・アプリの御朱印帳などもある。

そして御朱印と言えば、しばしばその転売が問題となるが、現在では、コロナ禍の移動制限や接触回避もあって、郵送で頒布する寺社も珍しくない。さらに面白いのが「御朱印NFT」である。

NFT(Non-Fungible Token)とは、仮想通貨を支える技術で、最近ではNFTアートの高額取引が話題になることが多い。デジタルで制作された画像作品は、簡単にコピーすることができる。だが、NFTはオリジナルのデータが唯一無二であることを裏書きし、コピーや偽造との違いを保証するのである。

この技術を応用したのが御朱印NFTである。これをいち早く導入した神奈川県横須賀市・浄楽寺のウェブサイトでは、近年、御朱印は「オンラインであればだれでもダウンロードできる『画像』」になってしまっているが、NFTによって、「自分がいただいた」という神仏との「つながり」をあらためて実感させてくれる技術として解説されている。

御朱印は、基本的には各寺社で同じようなデザインのものが頒布される。だからこそ上述のような転売が起きてしまうし、神仏の祀られる場所に行くという物理的な手続きを踏まずにいただくことに違和感を覚える人も多い。だがNFTによって、一つひとつの御朱印に唯一無二性が与えられることで、転売問題や呪術的違和感もある程度解消されるのかもしれない。

■新しい技術には新しい呪術が生まれる

最後にデジタル技術と宗教の関わりについて一例だけ挙げておくと、日本発祥の仮想通貨モナコインをめぐっては神社が建立されている。2013年に誕生したモナコインは、巨大ネット掲示板2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)でアイデアが生まれ、現在では動画配信の投げ銭などでも使われるように、強いコミュニティ意識に支えられているのが特徴だ。そうした意識を反映するように、有志がモナコインで取得した長野県の山中にモナコイン神社を建立し、オフ会なども行われているという。さらに、「北海道千歳モナ神社」を建立しようという動きもあるようだ。

新しい技術は、伝統的な呪術や宗教実践を排斥するだけではない。むしろ、新技術がもたらす感覚変容によって、それまでになかった呪術が生み出されもする。お賽銭のキャッシュレス化も、そうした新呪術の展開と根底ではつながる現象だと思われる。

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岡本 亮輔(おかもと・りょうすけ)
北海道大学大学院 准教授
1979年、東京生まれ。筑波大学大学院修了。博士(文学)。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社)、『聖地巡礼―世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)など。近刊に『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(中公新書)ほか。

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(北海道大学大学院 准教授 岡本 亮輔)

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