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「うちの田舎にはスタバがある」地方出身者がそう自慢するのは"厄介な序列意識"があるからだ

プレジデントオンライン / 2022年2月23日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alexander Pyatenko

地方から都心への人口流出が続く原因はどこにあるのか。まちづくりに詳しい花房尚作さんは「都心は職業の選択肢が多いという理由のほかに、田舎特有の文化的な序列意識の根深さがある。コーヒーショップの店舗の有無が話題になるのもそんな序列意識の表れだ」という――。

※本稿は、花房尚作『田舎はいやらしい』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■過疎地域には若者が就きたい職業がない

過疎地域から人口が流出する要因として、職業威信の序列意識について述べる。この職業威信の序列意識は、過疎地域から都心に若者が流れる要因として、東京都立大学教授の山下祐介(2015年)をはじめ、多くの社会学者が指摘している。

一般的に、作家や医師、弁護士などの専門職は職業威信が高くなる傾向があり、コンビニ店員や工場労働者などの一般職は職業威信が低くなる。たとえば、本書で他者の文章を引用する場合、その他者に権威があるのか、ないのかが問われる。コンビニに勤めているAさんの文章を引用しても説得力がないのである。そのAさんが人生を費やして専門家を超える知識を持っていたとしても、である。

一般的に「過疎地域には仕事がない」と言われるが、過疎地域にも農業や畜産などの第一次産業がある。さらには建設業や工場労働といった第二次産業もある。ただし、それらは若者が就きたいと考える専門職とは違う。ドイツの社会学者であるゲオルク・ジンメル(1903年)は、都市における分業の発達と専門化について次のように指摘している。

都市は、分業の発達によって、パリの14番目役という有償の職業のように、極端な現象を生みだします。14番目役というのは、住居に人に分かるように看板がかかっていて、晩餐の時刻に正装をして準備しており、晩餐会の人数が13人になりそうなときに、すぐに呼び出しに応じられるようにしている人のことです。
都市は、拡大するにつれて、ますます分業のための決定的な条件を準備します。都市は、規模の大きさのゆえに、著しく多様なサービスを吸収できるような社会圏を準備します。同時に、個人が集中し、顧客をめぐる競争が激しいので、個人は、簡単に他者によって置き換えることができないような機能の専門化を余儀なくされます(『大都市と精神生活』)

■「都心の職業に就いている人の方が序列が高い」という意識

14番目役を現代の日本で分かりやすくたとえるなら、出会い系イベントで男女の人数がそろうように待機している予備員である。

都市では、そのような需要が少ない特殊な仕事であっても、その人口の多さゆえに商売として成り立つ。たとえば、IT系のプログラマーやデザイナー、カメラマンやイラストレーター、ライターや翻訳家、タレントや司会者などの専門職が都市には存在している。就業先の選択肢も多く、フリーランスといった働き方も可能である。その特殊さゆえに時給単価も高くなり、刺激や自由度も高くなる。

都市に比べて過疎地域は、就業先の選択肢が少なく、その職種は単純労働の一般職がほとんどで、おのずと低賃金の長時間労働を余儀なくされる。こうした専門職と一般職の差は、都市の仕事は職業威信が高く、過疎地域の仕事は職業威信が低いといった序列意識をつくる。また、日本の行政組織が東京都に集中し、東京都の持つ威信が地方を序列化しているため、都心から遠く離れた過疎地域の序列意識はより低くなる傾向にある。

新潟の田園地帯の航空写真
写真=iStock.com/dreamnikon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dreamnikon

■ローカル志向を持つ若い世代は増えているが…

そうした中で、ローカル志向を持つ若者が増えているとの指摘もある。たとえば、京都大学こころの未来研究センター教授の廣井良典(2015年)は、若い世代のローカル志向の高まりについて次のように述べている。

ここ数年、ゼミの学生など若い世代を見ていて、「地域再生」や「ローカル」なものへの関心が確実に強まっているのを感じてきた。たとえば静岡出身のある学生は、「自分の生まれ育った街を世界一住みやすい街にすること」をゼミの志望理由でのテーマにしていたし、新潟出身の別の学生は新潟の農業をもっと活性化させることを最大の関心事にしていた。別のある学生は「愛郷心」を卒論のテーマにし、それを軸にした地域コミュニティの再生を掘り下げていた。
(中略)こうした若い世代の「ローカル志向」は、必ずしも私自身のまわりの限られた現象にはとどまらないようだ。たとえばリクルート進学総研の調査では、2013年春に大学に進学した者のうち49%が大学進学にあたり「地元に残りたい」と考えて志望校を選んでおり、この数字は4年前に比べて10ポイントも増えている。また文部科学省の14年度調査では高校生の県外就職率は17.9%で、09年から4.0ポイント下落している。さらに内閣府が2007年に18~24歳の若者を対象に行った調査では、今住む地域に永住したいと答えた人は43.5%と、98年の調査から10ポイント近く増えたという(『人口減少時代の社会構想 地域からの離陸と着陸』)

■ローカルはローカルでも関東地方や県庁所在地に限る

廣井が指摘している通り、若い世代のローカル志向は高まっているだろう。その要因として、高度経済成長の時代は、人口の密集が効率的であったが、低成長時代に移行し、インターネットが登場した現在では、人口の密集が必ずしも効率的ではなくなった。私のまわりでも、安定志向が強い一部の若者は、過疎地域から少し離れた小都市で暮らしている。

たとえば、かつてのドラマといえば、おしゃれで軽いタッチの若者たちが、美しいインテリアに囲まれた高級マンションに住み、オープンテラスのカフェで自由を謳歌(おうか)していた。その舞台のほとんどが東京都であったが、今ではローカルの面白味を活かしたドラマやアニメーションも増えている。

ただし、そのローカルな地域がどこかといえば、埼玉県や千葉県の山奥といった関東圏である。地方の場合は、県庁所在地などの利便性が高い地域になる。陸の孤島と呼ばれているような過疎地域では決してない。

つまり、ローカル志向にも序列意識があり、地域格差がある。そこにあるのは都心との距離感だと私は考えている。都心との物理的な距離、精神的な距離、文化的な距離である。

そこで私は、過疎地域から都心に若者が流れていく要因として、職業威信の序列意識だけではなく、文化威信の序列意識もあるのではないかと考える。たとえば、あの地域には男尊女卑の習慣があり、この地域には男女平等の習慣があるといったことが文化威信の序列意識を決める。

■「女性に指示されてもいいか」という男尊女卑な質問が飛び交う田舎

たとえば、私が暮らしている過疎地域では、ハローワークの求人に応募し、面接に行くと半分位の割合で「女性に指示されても大丈夫ですか」と質問される。最初は何を言っているのか分からず、何だか馬鹿にされているような気がして不愉快だった。

そうしたことを繰り返すうちに、この地域には女性に指示されるのを嫌がる男性がたくさんいるのだと分かった。直属の上司が女性になると分かっている企業では、後々のトラブルを避けるためにそのような質問をしていた。

このように過疎地域では、現在でも男尊女卑の文化が色濃く残っていた。あちらこちらで、「男として」や「女として」の言葉が飛び交っており、男性なら「こう」、女性なら「こう」といったジェンダー意識が、人それぞれの特性を考慮するよりも先にくる。たしかに、男性と女性を区別する意識はあって然るべきだが、私は長いあいだ、「人として」の表現に慣れていたので、正直なところ未だに戸惑っている。

■コーヒー店の有無が地方の優劣を決める

このように文化威信の序列意識を導入することで、職業威信の序列意識だけでは気が付かなかった、隠れた意識も見えてくるのではないだろうか。

たとえば、保守性が残る規範的な地域は文化威信が低くなる傾向にあり、革新性がある選択的な地域は文化威信が高くなる。また、廃屋が点在している地域は文化威信が低くなり、カフェが建ち並ぶ地域は文化威信が高くなる。あの地域にはコーヒーショップの店舗があり、この地域にはないといったことが文化威信の序列意識を決める。このような序列意識を私たちは持っているのではないだろうか。

スターバックスのブランドロゴ
写真=iStock.com/martinrlee
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/martinrlee

たとえば、過疎地域では、都心で暮らしている者の提案は、いくらか評価してもらえても、同じ過疎地域で暮らしている者の提案は、まったく評価してもらえなかった。むしろ都心の者のように振る舞う者は目障りであり、いかにして排除するかといった行為につながった。

花房尚作『田舎はいやらしい』(光文社新書)
花房尚作『田舎はいやらしい』(光文社新書)

また、過疎地域はそのほとんどを高齢者が占めているため、何をするにも規範的になる傾向があった。過疎地域には余暇施設やレジャー施設がたくさんつくられていて、運動場や体育館、公園やキャンプ場、草スキー場や釣り場、文化会館や会議室、ゲートボールパークやミニゴルフ場などが点在している。

それらの施設は地域活性化の一環としてつくられたわけだが、特殊性や刺激を徹底的に排除していた。過疎地域で認められるのはTVで放送されているようなメインカルチャーであり、アングラやライブハウスといったサブカルチャーは認められないのである。そのため、特殊なことをしていると「とんでもない」といった具合に、すぐに指導が入って止めさせられる。

■規範から外れたヤバイモノは徹底的に排除する

たとえば、ゴスロリ系やメイド系のファッションは日本文化として認められていて、フランスの若者にも人気だが、過疎地域の人たちにとっては現在でも異世界の出来事だった。そのような服装をする者は「恥ずかしい者」として認識されて、「止めてくれ」と家族にお願いされるのが常である。

これに対して、都心では、その気になればいくらでも「ちょっとヤバイモノ」や、「ちょっとあぶないモノ」と出会える。それらの特殊さが接触することでサブカルチャーがつくられる。そのようにしてつくられたサブカルチャーは、マスメディアにより過疎地域にも伝えられるが、過疎地域は規範的であるがゆえに、それはマスメディアの中で行われている異世界でしかなかった。そのため、芸術分野に興味を持つ若者は、一刻も早く過疎地域から去りたいといった気持ちが強くなる。

都心に若者が流れていく要因として、職業威信の序列意識だけではなく、文化威信の序列意識についても考慮する必要があるのではないだろうか。

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花房 尚作(はなふさ・しょうさく)
1級ファイナンシャルプランニング技能士
1970年生まれ。SHOSAKU事務所代表。宅地建物取引士、管理業務主任者、マンション管理士。現在は放送大学大学院にて文化人類学を研究中。著書に『価値観の多様性はなぜ認められないのか』(日本橋出版)がある。

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(1級ファイナンシャルプランニング技能士 花房 尚作)

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