「23時まで営業、定休日なし…それでも赤字」夢の焼きそば店に挑んだ25歳元証券マンの想定外
プレジデントオンライン / 2022年2月18日 10時15分
■調子がいいのはオープン後2日間だけだった
東京焼き麺スタンドがオープンしたのは、2018年7月1日だった。
「焼き麺」としたのは、焼きそばは一つのステップでしかないと考えているからだ。メニューの柱は焼きそばだが、将来的にはパッタイやミーゴレン、上海焼きそばなど中国のさまざまな炒麺にも広げていきたい。黒田のそんな野心が反映された店名だった。
開店してからの食数は、7月1日(日)、2日(月)ともに70食程度と順調だ。売り上げは6万円を超えた。日曜日は昼の混み合う時間帯にばらつきがあり、平日は夜9時半頃にも来店の山があることがわかった。
6月のプレオープンで感じたのは、客が来るタイミングが読めないことだった。不定期の開店ということもあり、数人しか来ないときもあれば、いくつかのグループが同時に来店することもある。
困るのは10人以上が一気に来店するようなときだ。まだアルバイトには作らせずに黒田が一人で対応しているので、どうしても作るのに時間がかかってしまう。トラブルなく対応できたことに、ほっとしている様子だった。
しかし売り上げのペースは続かなかった。4日(水)は35食、5日(木)は23食と減少し、7月前半は一日20~30食が多くなっていた。
図表1にあるように、店舗運営にはコストがかかる。ランチタイムだけでもアルバイトを一人雇えば人件費は5000円になるし、賃料、光熱費、水道料金などの諸経費も一日当たり1万5000円近くかかることを考えると、開店4日目にして赤字に転落したことになる。
![オープン時の下北沢店の様子](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/f/670/img_4fc3b989457f0404dab256dd1391145f483046.jpg)
■下北沢なのにお客さんはオジサンばかり
売り上げが伸びない一番の原因は客層にあるというのが、黒田の読みだった。男性の中高年層が中心で、下北沢に遊びに来る若者は多くない。店のブログを開設して、グルメサイトにも掲載する予定だ。まずは、「下北沢 焼きそば」と検索する人を増やさなければならない。
一方で、一人で来店する女性が少なくないという発見もあった。ジャンクな食事をとるのを人に見られることに抵抗がある女性にとって、ビルの2階はふらっと入りやすいロケーションなのかもしれない。店員が一人で営業している洋服屋や雑貨屋は、ゆっくり食事に出ることができない。彼女たちのテイクアウトやデリバリーのニーズにも対応していく必要があった。
調理法の改善は続いている。焼きそばがすすれないと指摘されることが多く、下焼きの油を少なくした。麺の食感を維持しながら、オイリーな重みがなくなり、すっきりした印象がある。麺の盛り方を変えたからか、ほぐしやすくなった気もする。
「今まで焼き過ぎてたっていうのもあるかもしれないです。油の適量がわかって、味に安定感が出てきたと思います。取り返しがつかなくなるうちに、修正できてよかったです」
グルメサイトでの評価を意識しての言葉だろう。どの分野の飲食店でも影響力のあるレビュアーがいて、その人たちの評価で店の評判が決まってしまうことが少なくない。ラーメンは特にその傾向が強く、一度低い評価をつけられるとなかなか回復できないという。
■ソース焼きそばに並ぶ目玉メニューがほしい
焼きそばの価格は750円にした。ラーメンと比べて掛けている手間は変わらないが、高いと感じている客の気持ちはわからなくもない。金を払って焼きそばを食べに行くことに慣れていないからだ。当面闘わなければならない一番の相手は、そんな世間の先入観かもしれなかった。
![発券機と開店当初のメニュー](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/2/250/img_52a9a27099af56adfad4457667047ce6369015.jpg)
黒田が頭を悩ませていることが2つあった。
一つはメニューだ。ソース焼きそばが店の柱であることに変わりはないが、それだけでは客が飽きてしまう。できればもう一つ目玉が欲しかった。焼き麺スタンドという店の方針に合わせながら、今のオペレーションで提供できるメニューだ。
むずかしいのはその位置づけだ。メニューは店の顔ともいえ、ソース焼きそばと並ぶ形でリリースするのであれば、完成度は同じくらいに高くなければならない。塩焼きそばはすでに何度も試作しているが、まだ味のインパクトが小さかった。
■1人バイトを雇うには15人の客が必要
もう一つはスタッフの使い方だ。今のところ黒田が一人で作っているが、混み合う時間は対応しきれない。テイクアウトやデリバリーもこなしていくには、アルバイトを効率的に使う必要があった。
![仕込み中の黒田さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/2/670/img_e2b574771ea6dd0e6b7cbc24c5bb4fcc374373.jpg)
人を雇うのはコストが高い。時給は1200円なので、仕込みから後片付けまで一日働いてもらえば、1万円を超えてしまう。トッピングやドリンクのセットで客単価900円に材料費が200円かかるとすると、一人あたりの粗利は700円になる。人件費をまかなうには15人客数を増やさなければならない。二人雇えば30食だ。
そこまでの見通しが立つかといわれればむずかしいというしかないが、時間を作らなければ次の展開ができない。何でも自分だけでこなしていくには限界があった。
「フードトラックをやってみようと思ってます」
「もうかるものなの?」
「場所次第ですね。人通りが多ければ、近くにレストランがあってもそれなりにニーズはあります。大手町のサンケイビル前あたりでできれば最高ですね。キッチンカーを準備するのに300万円ほどかかるんですが、一日100食以上の売り上げが出るのであれば、元は取れます。店の宣伝にもなりますしね」
すでに開業支援の研修会に参加したという。成功事例の紹介や保健所の検査対応が中心で、こういった会にも店をアルバイトだけで回していかない限り参加できない。早急に対応する必要があった。
■起床は朝8時、帰宅は深夜1時前
黒田の一日は長い。朝8時に起きて、8時半には店に来ている。住んでいるのは、下北沢の北口だ。コンビニで朝食を買い、店の片づけをしながら食べる。9時半から仕込みに入り、豚肉や卵が届き、キャベツを切る。
10時半頃アルバイトの学生が来て、麺をゆではじめる。ゆで置きすることで、麺にもっちり感が出る。ランチは3時ラストオーダーで、5時くらいまで休む。業者との打ち合わせはこの時間が多い。
午後はたいてい11時まで店を開け、家に帰るのは深夜1時前だ。フードトラックの確認や看板の製作などは、こういった時間しか手をつけられない。好きでなければ続けることのできない生活だった。
実は、開店前日の6月30日に大ケガをしていた。翌日の開店準備に加えて、仲の良い先輩が主催するイベントに招待されており、目の回るような忙しさだった。階段で足を滑らせて転げ落ち、気づくと全身打撲で道路に転がっていた。
すぐに救急車を呼んで大事には至らなかったが、頭を4針縫うことになった。翌日も働けたのは、若さゆえだろうか。しばらく全身の痛みが消えなかった。波乱万丈のスタートだった。
■1日30~40食売れてやっとトントン
7月は猛暑の影響が大きかった。35度を超す暑さに外食する気がなくなるうえに、焼きそばが胃に重く感じるのだろう。一日15食程度しか出ない日もあり、楽天家の黒田もさすがに不安になった。
ようやく変わってきたのは、台風が過ぎてからだ。暑さが落ち着いたことで1日30~40食程度出るようになってきたが、安心していられない。
![そばめし](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/5/250/img_a516ea29464e80863daaa75af8289a26234710.jpg)
客一人当たり700円の粗利が出るすると、30食で2万1000円。人件費5000円と諸経費1万5000円を合わせたコストをまかなえたにすぎないからだ。
メニューには、少しだけ手を加えた。一つは辛ウマ焼きそばだ。ソースは変えずに唐辛子を多く加えたもので、なかなかの反応だ。むずかしいのは、人によって求める辛さのレベルが異なるため、満足度に違いがあることだ。すでに激辛焼きそばが欲しいという声もある。
もう一つはランチセットの開始だ。半ライスとドリンクが無料というもので、ミニブタマヨ丼も150円で提供している。そばめしはまだメニューに載せていないが、オーダーする人がいれば提供する。
■味には自信があるのに、顧客がついてこない
「厳しいですね。何でこんなに売り上げが伸びないんでしょうね」
帰っていく客に挨拶すると、黒田はぼくの前の席に座った。
「宣伝の効果がまだ出ないのかな? ブログの反応は?」
「ブログは更新に手間がかかるんで、インスタとツイッターにしたんです。グルメサイトはPVが上昇してきましたけど、ランキングではまだまだですね」
「見ているのは若者?」
「いや、中年層が多いですね。若年層はむずかしいですよ。動きが読めないです。グーグルでキーワード検索して店をさがしてるみたいで、取りあえずaumoへの掲載をやってみたいと思っています」
aumoはグリーが提供するウェブメディアで、出掛ける先のスポット情報や店の掲載をしてくれる。スタートしたばかりなのでどこまで効果があるか不透明だが、月単位で契約できるのが利点だ。若者の関心を引きつけないことには、下北沢に出店している意味がない。
「うちの焼きそばが、ありきたりに思えるのかなあ」
黒田はため息をつくと、ライバル店の名前を挙げていった。コシのあるちぢれ麺の「みかさ」、パリッとした両面焼きそばの「あぺたいと」、土手鍋を使って自分でかき混ぜる「油焼きそば専門店りょう」などは、いずれも店でしか味わうことのできない焼きそばを提供している。
いつも強気な黒田も、自分の腕しか頼るものがない不安と闘っていたのだろう。味には自信があるのに、顧客がついてこない。顧客との接点を増やすには、何が必要なのだろうか。チラシ、看板、ローカルブログ、仮想通貨……売り上げ拡大のために、今まで手掛けていないことをつぶしていくような毎日だった。
■焼きそば評論家「あれは絶対にやらないのが業界の常識」
焼きそばの売り上げが40食を超えるようになったのは、9月に入ってからだった。日曜日は2週連続で50食を超えた。徐々に上向いているのが実感できるようになり、黒田は仕込みを多めに準備するようになった。
しかし、平日のランチは依然として厳しい。10食程度しか出ない日も多く、早急にテイクアウトやデリバリーを強化する必要があった。
焼きそば評論家として有名な、塩崎省吾が来店したのはこの頃だった。店の前で看板の写真を撮っているところなど、通りすがりの客と異なる雰囲気に黒田が声を掛けたという。
![焼きそば評論家の塩崎省吾氏](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/a/540/img_7a5fa25fba671d197460e2a204e2f5ff473881.jpg)
「独特な方向に進もうとしているというのが、第一印象でした」
後日、新宿駅西口のルノアールで取材したときのことだ。塩崎が指摘したのは、店のレイアウトの特異性だった。
「焼きそば専門店は、ラーメン屋のようにカウンターのみで回転を上げるか、居酒屋業態にして客単価を上げるかにわかれているんです。そのどちらにも向かわない点に、焼き麺スタンドの面白さがあります。あの店は、都心の店で居酒屋業態でもないのにテーブル席を置いてるじゃないですか。あれは絶対にやらないのがこの業界の常識なんです。4人でテーブルに座るような客は、最後に食べ終わる客まで待つのが普通ですよね。カウンターなら食べ終わった人から先に出て行くんですが、これではどうしても回転が遅くなります。その割に客単価が高いわけでもない。やっちゃいけない方向性に突き進んでるんです」
![下北沢店の店内の様子。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/1/670/img_81ab59585addb98f44a05ef9c8df8674459346.jpg)
■なぜカウンターだけの店にしないのか
全国の焼きそばを食べ歩く塩崎は、一目で焼き麺スタンドの問題点をいい当てていた。
焼き麺スタンドがカウンターだけの店にしないのは、焼きそば店の印象を変えたいからだ。効率だけを追求すれば、客に厨房の近くで並んでもらうのが一番いい。
しかし油やほこりにまみれた雰囲気を見たくない客もいるだろう。会話を楽しみながら食事をとる団体や家族客が入りやすい店づくりを忘れたくないという、黒田のこだわりが反映されていた。
また焼きそばの味にも、塩崎は満足していなかった。単品では丁寧で完成度も高いが、もう少し刺激があっていい。焼きそば専門店の入門編といった位置づけで、焼きそばを食べ慣れている人間からすると、物足りなく思えてしまう。
せっかく同じ味を大量に作ることのできるオペレーションを持っているのであれば、ソース焼きそばだけでなく、バリエーションを増やしたほうがいいというのが塩崎の意見だった。
これも黒田がこだわっているところだった。看板は重要だ。黒田はソース焼きそば以外の商品を大々的に売り出すのは、味噌ラーメン屋がしょうゆラーメンをはじめるようなものだという。店のポリシーの問題だった。
■スープがないという特徴を生かし、ウーバーイーツ拡大へ
「ラーメン屋との大きな違いは、焼きそばにはスープがない点です。このスープの存在がラーメンの味を多様化させている魅力であるとともに、むずかしさでもあります。もっとこの特徴を活用してもいいと思うんです」
「どういう意味ですか?」
「焼きそばっていうのは、もともとストリートフードですよね。持ち歩くのに適してるんです。テイクアウトやデリバリーに最適な食品で、多少は冷めても食べられます。客に取りに来てもらえば、ワンオペでもやっていけます。ウーバーイーツの拡大っていうのも、新しい方向性だと思うんです」
知名度さえあれば、ウーバーイーツを通じて効率的に販売できる。これだけは黒田もうなずかざるを得なかった。
ウーバーイーツの良さは、客単価が上昇することだ。どうせ頼むならとオプション追加や大盛りにして1000円程度になることが多く、35%の手数料をとられても650円残る。環状7号線を超えると、外食を面倒に感じる住民が多いのだろうか。新しい焼きそば専門店の姿が示されていた。
しかしウーバーイーツの拡大にも時間がかかるのが現実だった。黒田が選んだのは定休日の返上だ。趣味でバーを開きたいという友人とのコラボで、火曜日も焼きそばを販売することになった。
アルコールも売れるので数万円単位の売り上げになったが、休めないのがきつい。睡眠不足がげっそりとした表情に表れていた。火曜日が休めなくなると、食べ歩きも料理の研究もできなくなってしまう。あらゆることが自分の思いと逆方向に進んでいるようだった。
黒田にとって焼きそばは、一つのステップでしかなかった。将来的にはカレーにも挑戦したいし、海外で成功している業態を日本に導入する手伝いもしたい。地方の名店が東京に進出するときには、店を開いた自分の経験が何らか役に立つはずだ。
思い描いていたのは、いわば食のプロデューサーというべき存在だった。そんな理想がどんどん遠のいていく。現実から目を背けることしかできなかった。(続く)
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作家
1973年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手証券会社に勤務する傍ら、小説を執筆する。著書に、天才投資家と金融犯罪捜査官との攻防を描いた『神様との取引』(金融ファクシミリ新聞社)、ノンバンクを舞台に左遷されたキャリアウーマンと本気になれない契約社員の友情を描いた『三週間の休暇』(きんざい)などがある。
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(作家 町田 哲也)
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