「あの秘書はけしからん」とクレームを受けた土光敏夫が、その秘書に伝えた意外なひと言
プレジデントオンライン / 2022年2月28日 12時15分
■経団連会長・土光敏夫と現ローマ教皇の共通点
——『バチカン大使日記』(小学館新書)に書かれているように、中村さんは経団連の事務総長を経てバチカン大使となり、ローマ教皇の38年ぶりの来日を実現させました。土光敏夫さんとローマ教皇にリーダーとしての共通点はありましたか?
【中村】共通点をあげるとするならば、若い世代への期待ですね。
コロナ禍でオンライン開催になってしまいましたが、教皇は経済や環境問題、貧富の格差、自由主義経済について、世界中の若者たちと語り合う「フランシスコの経済」という集会にとても強い思い入れをお持ちだった。
土光さんも、日本をよくするためには若い人の力が必要と考えており「若い者と対話せよ」という持論を実践されていた。
改めて共通点を考えてみると、お二人は未来を見通す視野の射程が長かったと言えるかもしれません
もうひとつが現場主義です。
教皇は権威的になった神父に対して、「人々が何に苦しみ、何に困っているのか、どんな問題を抱えているのか、教会を出て、外で、現場で向き合え」と話します。
一方の土光さんもやはり現場主義を貫きました。視察に行くと必ず、工場などの現場に足を運びました。現場を重視し「人間は平等」という考えを持っていた。
■「怒号さん」が秘書に伝えた意外なひと言
【中村】土光さんの「現場主義」「人間は平等」という点では、こんな思い出があります。
ある日、土光さんと懇意にされていた某財界人が、秘書の私を通して面談を申し入れてこられました。
私も、お二人の関係やご事情はよくわかっていましたが、ほかの面会や、仕事の優先順位の関係で、どうしてもすぐにアポイントを入れることができなかった。先方には、私から丁寧にお返事を差し上げ、事情を説明しました。
翌朝、土光さんのいる会長室に呼ばれました。土光さんは、社員をよく叱責したり、怒鳴ったりしたので「怒号さん」の愛称で呼ばれていました。私も雷を落とされるのではないかと覚悟しました。
聞けば、昨晩、某財界人の方が、土光さんの自宅を訪ねてきて「あの秘書はけしからん」とクレームをつけて「この場で面談の日時を決めてくれ」と直談判したそうです。
土光さんは、その方に対して「スケジュールはすべて秘書の中村に任せているので、昼間に彼と話をしてくれ」と伝えたというのです。直談判にも応じない土光さんに対して、相手は諦めて帰っていったそうです。「怒号」を覚悟していた私にとって、土光さんの反応は意外なものでした。
親しくされている経営トップと30代の秘書。土光さんは、私と某財界人に優劣をつけず、現場を尊重し、対等にあつかってくださったのです。私は感激し、同時に強い責任も感じました。
■「できない」「なぜなら」は許されなかった
——土光敏夫の元ではどんな仕事をしたのでしょう。
【中村】もっとも印象に残っているのが、スピーチライターを任されたことです。
土光さんの注文はたったの二つ。「絶対に同じ話を書くな」「オレの知らないことを書け」です。
誰にも頼れずに毎回必死で原稿を書きましたが、とても勉強になりました。某財界人の話もそうですが、仕事をまかせた者に権限をすべて委ねる。
不思議なもので、だれにも頼れない状態になると、強い責任感と使命感が沸き上がり奮い立つんです。
その代わり、言い訳は一切許されませんでした。
「常に解決策を持ってこい。前向きに取り組め。『できない』『なぜなら』と言うな」が基本でしたからね。
もちろん、土光さんが自分に人一倍厳しく、率先垂範するから、部下であるわれわれは全力でその意に沿おうと努力しました。その結果、事務局員みんなが一致団結して解決策を自ら見いだすようになり、経団連は強靭(きょうじん)な組織になりました。
■過去は一切振り返らなかった
——土光敏夫の口癖のようなものはありましたか?
【中村】土光さんの流儀に「日々、是、新たなり」というものがありました。
例えば、土光さんが会議に参加した場合、その日のうちに議事録を作成して渡さなければならなかった。「仕事はその日のうちに片付けろ。翌日まで延ばすな」。それが土光さんの口癖でした。さらに、仕事には早さが求められました。
また、土光さんのブラジル・メキシコ出張に同行した際、すべての記録はその日のうちにまとめ、翌朝に提出していました。朝4時に起床し、その日の日程を本人と打ち合わせる日々でした。ようやく出張が終わり、成田空港に着いた時、土光さんこういったのです。
「明日から新しい仕事ができるな」
足跡を見ず、過去は振り返らず、前を見て進む。それが土光さんのやり方でした。
■このままでは日本はダメになるという危惧
——土光敏夫と言えば、メザシを主食にして「メザシの土光」と呼ばれ、清貧を貫いた経営者としても知られますが、実際はどうだったのですか?
【中村】とにかく朝が早い人でした。朝食会が行われるとき、7時ごろには会場にお見えになる。
さらに主要な新聞に目を通して出社されているんです。
すぐに「今朝の新聞のあの記事は理解不足でけしからん。担当者を呼べ」と言うので、私もあらかじめ新聞を読んで情報集めておくほかありませんでした。
そのかわり、夜はいかなる夕食の招待も断っていました。総理であれ、外国の賓客との夕食会であれ、です。おそらくご自宅で勉強をされていたんだと思います。
そういえば、細かいことをまったく気にしない人でしたね。国内の出張中、土光さんの靴下に穴があいていたのを見たことがありました(苦笑)。
■豊かさを実感できる国民が減ってしまった
【中村】身近なことに気にしなかった反面、常に日本の未来を危惧されていました。日本の過剰消費社会に対して、「豊かな日本」に浸っていてはダメになると早くから危機感を抱いていました。
いま日本は、世界2位の経済大国から転落したとはいえ、世界の国々に比べれば、まだまだ豊かと言えるでしょう。
しかし日本社会は長きにわたり、閉塞感、停滞感に覆われています。長期のデフレで、豊かさを実感できる国民が減ってしまった。また、医療・年金制度をはじめとする社会保障制度への不安もある。高齢者、現役世代を問わず、生活防衛を迫られています。
さらに深刻なのは、こうした事態への危機感が薄いこと。GDPでは中国に抜かれたが、高機能で洗練された商品があふれ、日常的にきめ細やかなサービスを享受できるから、なかなか危機感を持ちにくいのかもしれません。
——土光さんが危惧した過剰消費社会はいまも続き、若者は活力を失っているように感じます。
【中村】まるで「ゆでガエル」の逸話と同じですね。熱湯に放り込まれたカエルは驚き、飛び出して九死に一生をえますが、徐々にぬるま湯でゆでられると自分の置かれた危機的な状況がわからないまま死んでしまう。これを土光さんは心配していたんです。
■「文藝春秋」を知人に配ったワケ
【中村】『文藝春秋』(1975年2月号)に「日本の自殺」(著:グループ一九八四)という論考が掲載されました。
豊かさを享受する日本だが、このままでは道徳心を失って、かつて栄華を誇ったローマ帝国と同じ没落の道を進むだろうという内容です。
パンとサーカス――食料と娯楽で満たされれば、国が滅びてしまう。
ご自身の危惧がそのまま書かれたような「日本の自殺」に感銘を受けた土光さんは『文藝春秋』をたくさんの人に配りました。危機感を一人でも多くの人に共有してほしかったからでしょう。
「日本の自殺」が世に出てから、もうすぐ半世紀になります。令和の日本社会を見ていると、土光さんの懸念が現実になってしまったように感じます。
だからでしょうか。最近、私はよく土光さんについて考えます。
■40年前から再生エネルギーに注目していた
——若い世代では土光さんを存じ上げない方も出てきています。中村さんは、土光さんのどういう思いを知ってほしいですか。
【中村】土光さんはいつも厳しいまなざしをしていました。矛盾するようですが、その目からは厳しさとともに、優しさも感じられました。
常に日本をよくしたいという意欲を持っていましたね。80歳を過ぎても、政府が掲げた「増税なき財政再建」のもと行政改革に着手し、国鉄、電電公社、専売公社の民営化を実現しました。
エネルギー自給率を高める必要性も感じていて、太陽光とか再生エネルギーにも注目していましたね。
社会全体が、安定志向、内向きになっているからこそ、土光さんの前向きな生き方、考え方を、現代の若者にも知ってほしい。
こうして振り返ると土光さんは、たくさんの人に夢を与え、力を奮い立たせた不世出のリーダーだったと感じるのです。
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前駐バチカン大使
1942年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学院経済学研究科修士課程修了。68年経団連に入局し税制を担当。米ジョージタウン大学にフルブライト奨学生として派遣され同大学院博士課程修了。92年、米国上院財政委員会で日本の税制について証言。2010年経団連副会長・事務総長に就任。14年第2次安倍内閣・内閣官房参与(産業政策)に。16年駐バチカン大使(~20年)。カトリック信徒。
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(前駐バチカン大使 中村 芳夫 聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川徹)
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