「AIと対戦していることを完全に忘れていた」人間と違ってズルをしないAIのもつ活用可能性
プレジデントオンライン / 2022年2月21日 10時15分
■自動運転、半導体の設計…あらゆる可能性が広がる
ソニーグループ(ソニー)は、人工知能(AI)の開発で着実に成果を上げているようだ。最近、コンピューター・レーシング・ゲームの“グランツーリスモ”で、ソニーが開発したAIの“Gran Turismo Sophy(以下、GTソフィー)”は、世界トップのドライバーに勝利した。レーシングゲームでは、瞬時に千変万化のごとく環境が変わる。これまで、人間が開発したAIがダイナミックに変化する環境に対応することは難しいと考えられてきた。
ところが、GTソフィーはそれを実現した。世界全体で加速するAI開発競争において、ソニーがそれなりに成果を上げている証左といえるだろう。今後、ソニーはAIの能力をさらに高め、社会実装を目指す方針だ。AIが人と協調し、いっそうの効率性の向上など新しい価値を提供する時代が近づいている。
これから、自動車の自動運転や半導体の設計、効率的な工場の運営、産業用と民生用のロボットなど、ソニーのAI技術が実装される分野は増える。AI開発は新しい需要創出に無視できない影響を与える。ソニーがAIとモノの新しい結合を増やし、高い成長を実現する展開を大いに期待したい。
■代表的なスマホの顔認証システム
ソニーが画期的なAIを生み出した。“GTソフィー”は複雑な状況に瞬時に対応し、より合理的な意思決定を下すことによって、わたしたちを上回る利得を実現した。それは、今日使われている多くのAIと一線を画す。
AIの多くは、ビッグデータをもとにして特定のパターンなどを学習する。それを深層学習と呼ぶ。主な用途の一つがスマートフォンなどの顔認識システムだ。顔認識に用いられるAIは、カメラ内部の画像処理センサで“顔データ”を学習する。具体的には、目、鼻、口の大きさなどのデータを得る。実際に取り込まれた顔データが登録されたユーザーと一致する場合、AIはデバイスのロックを解除する。わたしたちの行動を時系列データとしてAIが学習し、次の動作を予測することも可能になっている。それは監視カメラなどに用いられている。
■人間でも難しいスピードで環境変化に対応
また、囲碁や将棋、チェスなどでもAIはさまざまな手(定石など)を学習することによって、ゲームの展開に応じた最適な選択肢を絞り出してきた。すでにチェスや囲碁でAIは人間に勝利した。AIがよりよい判断を下すために、研究者らは意思決定の結果に利得またはペナルティを与える。AIは学習を重ねてより大きな利得が期待できる意思決定を自律的に下すようになる。それを強化学習という。パターンの認識やボードゲームの共通点は、環境変化のスピードが比較的緩やかであることだ。
それに対して、GTソフィーが参加するグランツーリスモの環境の変化スピードは非常に速い。それはリアルなレーシング環境に匹敵する。グランツーリスモのトッププレイヤーはプロのレーシングドライバーになるチャンスが与えられてきた。
複雑かつ急速に変化する環境に対応し、より良い成果を実現できるAIを生み出すためにソニーは、クラウド上に1000台以上のプレイステーション4(PS4)にアクセスできる環境を整備した。それを用いてソニーはGTソフィーに車両コントロール技術、カーブ走行時のステアリング操作などのレーシング・スキルなどを習得するための強化学習(トレーニング)を重ねたのだ。
■「AIと対戦していることを完全に忘れていた」
GTソフィーはレースに勝つためのスキルに加えて、人との協調性やエチケットも学んだ。GTソフィーのWebサイトによると、初期のGTソフィーは速かったものの、まっすぐに走ることができなかった。GTソフィーは強化学習を重ね、急カーブで相手車両を追い抜くために最も合理的なハンドリングなどを学んだ。その結果、タイムトライアルでGTソフィーは世界トップのグランツーリスモレーサーを上回るタイムをたたき出した。
課題となったのが、対戦時のスポーツマンシップの尊重だ。Webに公開されている動画を見ると、コーナリング時にGTソフィーが駆るマシンが対戦相手の車両に後ろから衝突するシーンがある。ルールを守って安全に、人と協調してより効率的に成果を上げるために、ソニーのAI専門家は報酬の与え方を微調整し、GTソフィーにルールの遵守を学習させた。
その結果、GTソフィーはトップのレーサーと対戦して勝利したのである。GTソフィーと対戦したレーサーは、「AIと対戦していることを完全に忘れていた」、「GTソフィーのレース運びは理にかなっていて学ぶことが多い」といった感想を述べている。
■信頼性が高い自動運転が実現できる
GTソフィーの成長プロセスは、生身の人間に似ている。生まれた直後、人間は無力だ。成長とともにわたしたちはさまざまなことを学び、専門知識やスキルに習熟する。その中でルールなどを学び周囲(社会)と協調しつつ、強みを発揮して環境変化に対応し、より良い生き方を実現する。グランツーリスモという特定のビデオゲーム(デジタル)空間の中ではあるが、ソニーは高い利得を実現し、人を楽しませ、新しい価値観(付加価値)を提供するAIを生み出した。その技術が活用できる分野は多い。
その一つが、自動運転だ。誰しも自動車の運転には非常に気をつかう。GTソフィーの成果によって、ソニーがより信頼性が高い自動運転のソフトウェアを創出する可能性は高まった。熟練したエンジニアの“職人技”に頼ってきた半導体の回路設計にかかるコストの削減など、応用可能性は高い。GTソフィーの成果実現によってソニーはAIが経済と社会運営の効率性向上に貢献することをより明確に世界に示した。
![自動運転のイメージ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/8/670/img_2807049f7d8c2c0cf5f8e6c1e8c0ad34403669.jpg)
■AI×家電、自動車、音楽…新結合が生まれやすい
今後、ソニーはAIの成長を加速させ、さまざまなモノとの新しい結合を目指すだろう。具体的には、AIと家電、自動車、音楽などの結合があげられる。特に、ソニーのVISION-Sプロジェクトに最先端のAIがどう結合するかが興味深い。画像処理センサ技術、映画やゲーム、音楽などのコンテンツビジネス、さらにはGTソフィーなどのAI開発力が結合することによって、VISION-Sは新しいクルマの価値を世界に示すだろう。
そのためには、ソニーは既存事業で得られた経営資源を先端分野に再配分しなければならない。特に、ゲームのコンテンツ増加はAIの学習環境の拡充に欠かせない。ゲーム空間でのシミュレーションであれば、けが人が出ることはない。その上で、GTソフィーのようにAIが人間と対戦したり協調したりすることによって、わたしたちはAIの実力をよりよく理解できる。
学習の強化は、リーマンショックのような構造変化への対応などAIの課題解決にも影響する。世界のゲーム業界で大型の買収が増えているのは、メタバースへの対応に加えてAIの学習環境強化のためでもある。
■GAFAMやBATのサービスに並べるか
やや長めの目線で考えると、AIの社会がわたしたちの成長を加速させるだろう。将棋の世界では藤井聡太竜王がAIを用いて新しい打ち方を編み出した。AIは常識、固定観念、先入観にとらわれない。それをどう活かすかはわたしたち次第だ。
仕事が奪われるという不安よりも、AIが示すより合理的と考えられる発想に習熟することを目指したほうが良い。GTソフィーの勝利によって、ソニーはAIをわたしたちの“脳”に近づけることができたといってもよい。それがわが国の経済に与えるインパクトは大きい。デジタル化の遅れが深刻なわが国には、米国のGAFAMや中国のBATに比肩する有力なIT先端企業やプラットフォーマーが見当たらない。
しかし、ソニーがよりよいAIを生み出して社会実装できれば、状況は大きく変わるだろう。足許、ソニーの業績は好調だ。同社が得られた資金を用いて、あきらめず、よりスピーディーにAIなど最先端分野の研究開発を強化し、新しいモノやサービスを生み出す展開を期待したい。
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法政大学大学院 教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授などを経て、2017年4月から現職。
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(法政大学大学院 教授 真壁 昭夫)
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