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「仕事と家族に人生を奪われる」消耗するだけで気づけば"何もない"40代が量産される悲劇

プレジデントオンライン / 2022年2月21日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shironosov

仕事、子育て、介護……40代は公私ともに忙しくストレスが多くなる。どのように過ごすのが理想なのか。作家の本田健さんは「20、30代は比較的ポジティブな時間が多いですが、40代になると、仕事や家族が“モンスター”となって自分の人生や時間を奪われてしまう人が多い。何にノーと言い、イエスと言うかを決めるべき」という――。

※本稿は、本田健『40代にとって大切な17のこと』(きずな出版)の一部を再編集したものです。

■愛する人たちが“モンスター”になり、あなたの人生を呑み込んでしまう

「40代」になって、ストレスが増えたと感じる人も多いのではないでしょうか。

介護のやり方や遺産相続の問題で、親や兄弟姉妹と、気まずくなったということが起き始めたりします。「20代」「30代」では、人生は、比較的ポジティブなサイドに移動するのですが、そこに影が差し込んでくるのが、「40代」という年代だと僕は思っています。気をつけておかないと、知らないあいだに「自分」を失うことになります。

たとえば、

・「仕事」に自分を失う
・「家族の役割」に自分を失う
・「子育て」に自分を失う

というような状態に陥りやすくなります。

「失う」は、「呑み込まれる」という言葉に置き換えてもいいでしょう。

仕事や家族が「モンスター」となって、あなたを呑み込んでしまうのです。自分が好きなこと、愛する人たちのためにしていたことが、気がつけば、悩みや不機嫌のタネになって、なぜ自分はそれをしているのか、なぜ自分はここにいるのか、ということもわからなくなっていきます。自分を失う、とは、人生の目的はおろか、自分が存在しているかどうかさえ、実感できなくなっていくことです。

仕事が忙しくなると、家族との時間が削られるようになります。一緒にいたいから結婚したのに、一緒にいる時間がない、ということになるわけです。

パートナーや家族のためにがんばっているのに、そのパートナーや家族から無視されてしまう、感謝もされない、どんどん距離ができていく、ということもあります。

また40代に入ると、体力が落ちてきたのを感じたり、痩やせにくくなったり、髪が薄くなったり、といった外見的な変化も出てきます。

20代、30代の頃には、飲み会や合コンなどに行けば、けっこうモテていたのに、40代になった途端に声をかけられなくなった、と寂しい気持ちになったりします。さすがに40代で「老い」を感じる人は少ないと思いますが、けれども、「老い」に向かっていることが、チラッと見え隠れするようになります。

「30代」では、そんなふうに感じることはまったくなかったはずですが、「40代」では、それが始まるのです。「50代」になると、「老い」や「人生の終わり」というものが、よりリアルに感じるようになります。大きな病気でもすれば、自分の死というものが、決して遠くないところにあることを知るのです。

それに比べれば、「40代」は、まだまだ人生の途中で、「終わり」を意識する人は少ないでしょう。けれども、ふと、自分が誰だかわからなくなって、「一瞬の絶望」に襲われ、魔が差して自らの命を絶(た)つ人もいます。

■仕事、子育て、介護…気がついたら「何もない」という悲劇も

英語で「Mini-van Mama(ミニバンママ)」という言葉があります。

小さなファミリーカーで、子どもの学校や習い事、サッカー教室やバレエ教室、親の通院のために、送りに行ったり、迎えに行ったりで「忙しいママ」の意味で使われます。

日本でも「Mini-van Mama」「Mini-van Papa」は多いでしょう。実際に、ミニバンを運転しているあいだに40代を過ぎてしまった、と思うほど、家庭のことにエネルギーをとられていたという50代の人もいました。

子育てや介護となると、どちらかといえば女性が担当することが多いと思いますが、それこそ、何事も子ども優先、介護される人優先で毎日がまわっていきます。仕事にエネルギーが向いている人は、生活のすべてが仕事中心になりがちです。

仕事にかける人生に充実感を得られる人もいれば、ミニバンを運転しながら、子どもの成長を見たり、親の面倒を見られたりすることに幸せを感じる人もいます。

けれども、どちらかと言えば、それは少数派で、家族や会社にこき使われているように感じて、自分がどんどん消耗していくことに、犠牲感を募らせてしまう人がほとんどと言ってもいいでしょう。

人生の後半を決める大切な10年であるにもかかわらず、気をゆるめていると、仕事や子育て、介護などで、時間をとられてしまうのです。時間をとられる活動は、自分を消費することにつながっています。

それが悪いことではありませんが、消費するだけでは、気がついたら「何もない」ということもあるわけです。

「40代」を充実した人生として過ごせる人がいる一方で、空虚なまま「40代」が終わる人も少なくありません。いや、むしろ多いと言ってもいいでしょう。

40代が充実しないと、50代以降は抜け殻のようになってしまいます。この10年を大切に生きないと、人生の後半がつらくなります。

あなたは、仕事や会社にエネルギーをとられて、自分を消耗していませんか?

子どもや家族にエネルギーをとられて、自分を消耗していませんか?

親や介護にエネルギーをとられて、自分を消耗していませんか?

たいていの「40代」は、「仕事」「子育て」「介護」の3つのどれかに、あるいはその3つともに、自分の人生を侵食されてしまっています。

本田健『40代にとって大切な17のこと』(きずな出版)
本田健『40代にとって大切な17のこと』(きずな出版)

「40代」は、仕事ができる、できないにかかわらず、それなりに忙しくなります。

子育ては、子どもが1人でも2人でも、莫大なエネルギーが必要になります。介護も同じです。両親と離れて暮らしている人は、たとえば兄弟姉妹がいた場合には、分担することもできるでしょう。一人っ子の場合、または自分だけが両親といちばん近い場所に住んでいる、という場合には、負担が大きくなります。

この「仕事」「子育て」「介護」の3つのエネルギーの綱引きで、より仕事をやる人、より子育てをやる人、より両親の介護をやる人に分かれていくわけです。

■時間やエネルギーを奪われて「自分」を失ってしまう

なぜ「40代」で虚しさを感じてしまうかと言えば、それは人生のいろんな場所で、「役割」にはまってしまい、自分の自由が制限されるからです。

「役割にはまる」というのは、「父親」「母親」「会社員」としての義務や責任を果たさなければいけない状態に陥るということです。

たとえば、子どもに対しては、「父親」「母親」の責任があるでしょう。結婚していたとしたら、パートナーに対しては、「夫」としての役割、「妻」としての役割があるでしょう。

親に対しては、「息子」「娘」としての役割、兄弟姉妹に対しては、「兄」「姉」あるいは「長男」「長女」などとしての役割もあるかもしれません。

ノートパソコンの前でこめかみを押さえるストレスのたまった女性
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

職場においては、「課長」として、「部長」として、どうするべきなのか、ということもあります。

学校のPTA、町内会やマンションの管理組合で、理事や役員になったりしたら、その役割も果たさなければなりません。役割の一つひとつはたいしたことでなくても、いくつも重なってくると、だんだん重くなるのです。

人によっては、その職業が担になっている役割もあります。たとえば、警察官や教師、医療従事者という職業は、それだけで責任重大なのは理解できるでしょう。そういう重い役割をいくつも背負いながら走っている、というのが「役割にはまっている40代の生き方」なのです。

「役割」を果たそうとすることで、「犠牲」を強いられることもあります。意識しないうちに、時間やエネルギーを奪われて、「自分」を失うことになります。

「役割」は誰にでもあるし、喜びになるものもあります。自分の役割のうち、どれが「犠牲」で、どれが「喜び」か、分別してみましょう。

■不要な「犠牲」をやめ、「役割」から解放されるための方法

僕たちは、いろいろ考えた結果、いまの生き方を選ぶようになりました。

生き方を変えたいと思っても、それ以外のやり方を知らないので、どうしていいかわからない、ということもあります。

結局、何に対して犠牲にしているのかということもよくわからないまま、「とにかく忙しい」「イライラする」「苦しい」人生が続いていくわけです。逃げられないコーナーに追いつめられて、まるで何かに締めつけられるような感覚に陥るのですが、それは、その役割に対して、自分が「イエス」と言ったわけでないと思っているからです。

たとえば、職業であれば、それを選んだのは「自分」です。その役割に対して、「イエス」と言ったわけです。もしも、「でも、思っていたのと違った」「当時はイエスだったけど、いまはノーに変わった」となれば、その役割から離れることもできます。

凝り固まった肩をほぐそうとする女性
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

けれども、たとえば「長男」「長女」としての役割についてはどうでしょうか?

その役割についてイエスと言った覚えはないのに、なんとなく、その役割を果たさなければならないと、自分でも思っているし、あなたの家族や親戚も、そう思っていることがあります。

「役割」には、「他者の期待」がついてまわります。「長男らしい」「長女らしい」振る舞いや行動を、ある意味で強要されるわけです。そうした期待が積み重なって、あなたをどんどんどんどん重くしていきます。たとえば法事など、親戚の集まりがあると、「長男だから欠席は許されない」と考える人がいます。

彼は、どんなに忙しくても、少しぐらい熱が出ても、無理をして「長男の責任」を果たそうとしてきたそうです。それを、いきなり「今日から一切の犠牲をやめるので、もう法事には絶対に行かない」と宣言するのは、やや極端でしょう。

親はもちろん、親戚のおじさん、おばさんにも波紋(はもん)を呼んで、それまでうまくいっていた関係まで悪くなるはずです。そんなことになれば、役割を果たす以上の、新たな問題や負担を抱えることになるかもしれません。

■消耗しないために何にノーと言い、何にイエスと言うか決める

なので、もっと健康的に、犠牲をやめる方法をいくつか考えてみましょう。

たとえば、「できるだけ、親戚の集まりには行きたいけれど、行けないときには、『行きたい気持ち』を伝えるだけにする」というように、無理をしない方法はいくらでもあります。

介護で犠牲になっている人は、ヘルパーさんを雇うという選択もあります。

「そんなことができないから、自分でやっているんですよ」という人もいるかもしれませんが、もしも本当に、ヘルパーさんを雇うことで救われるのであれば、「そんなことはできない」という思い込みを捨てて、「どうすれば、それができるようになるのか」を考えることです。

費用や、役割そのものを、兄弟姉妹で分担することもできるかもしれません。ただし、それをいきなり要求しても、うまくはいかないでしょう。物事をうまく動かすには、「ネゴシエーション(Negotiation)」が大切です。

「ネゴシエーション」をわかりやすく説明するなら「根まわし」です。どんな交渉も、いきなり本題を切り出しては、うまくいくものもいかなくなります。相手にとって、不都合なこと、思いもよらないことであれば、なおさらです。自分一人が犠牲にならない道、誰か一人が犠牲にならない道を探しましょう。

「イエス」と「ノー」の分かれ道に立つ標識
写真=iStock.com/Maria Vonotna
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Maria Vonotna

「40代」には、これまでを振り返って、自分の人生を整理整頓する時間が必要です。そのためにも、何にノーと言い、何にイエスと言うかを決めることです。

それだけで、ちょっとした喜びや心地よさ、自由さを得ることができます。そして、それが「40代」の幸せにつながっていきます。愛する家族に犠牲感を持つと、苦々しい思いも募っていきます。大切な人に怒鳴ってしまったりするのは、その気持ちが蓄積してしまったからです。変なかたちで怒りが噴出しないためにも、ふだんからそういう気持ちに向き合っておきましょう。

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本田 健(ほんだ・けん)
作家
神戸生まれ。経営コンサルティング会社、ベンチャーキャピタル会社など、複数の会社を経営する「お金の専門家」。著書に『ユダヤ人大富豪の教え』(大和書房)などがある。

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(作家 本田 健)

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