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「学校が嫌で殺虫剤を吸った」父から殴られ、母から食事を与えられず…不登校の小5のむごたらしい生き地獄

プレジデントオンライン / 2022年2月26日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Suradin

38歳の男性の生い立ちは壮絶だ。いじめが原因で学校に行けなくなったが、公務員の父親と会社経営者の母親はそれを受け入れず、暴力を繰り返し、食事を与えなかった。2人の兄もそれを見て見ぬふり。虐待に耐えられず、男性は何度も自殺を試みた――。
ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように被害者の家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーは生まれるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

今回は、小学校5年生の時のいじめをきっかけにひきこもり始めたという、現在38歳の男性の事例を紹介する。彼はなぜひきこもらなければならなかったのか。「家庭」という密室から、どのようにして抜け出すことができたのか。

■百人一首練習会で始まったいじめ

関西地方出身の山添博之さん(現在38歳)は公務員の父親と、園芸用品店を経営する母親のもとに三男として誕生した。両親の関係や、12歳上の長兄と6歳上の次兄の仲はよく、ケンカをしているところを見たことは一度もない。

だた、なぜか長兄だけが山添さんに対して、小さい頃から「否定的かつ攻撃的」だったという。自宅で友達とファミコンをして遊んでいたところ、突然「うるさい!」と言って本体ごと窓ガラスに投げつけたこともあった。

それでも小5までは、平穏な日々を過ごしていた。

当時、山添さんが暮らす地域では、子供たちの交流を目的に週に3〜4回百人一首の練習会が開かれていたが、小5のある日を境にそれは始まった。同じ小学校の同級生の男子から、百人一首を読む役を強引に押し付けられ、「早く読めや」「さっさと段取りしろ」と脅されたり小突かれたりするようになったのだ。

「いじめ首謀者は、父親の社会的地位が高く、1億円以上する豪邸に住んでいるということで、地域では一目置かれた存在でした。それをいいことに、普段から弱そうな人を脅したり、暴力を振るったりしているなど、悪さをいろいろしているとの噂があり、私も犬の散歩中にエアガンで撃たれたことがありました。当時、私は学校でも目立たないおとなしい生徒で、それなりに友達はいましたが、人と言い争いやケンカをしたことはありません。だからいじめ首謀者は、気が弱くて抵抗しそうにない私に目をつけたのだと思います」

いじめ首謀者は、練習会のたびに子分的な存在の下級生や取り巻きなど数人で山添さんをいじめてきた。はじめは悪口や罵倒などの言葉の暴力だけだったが、徐々にエスカレートしていき、殴る蹴るの暴力に発展。首謀者たちは、大人のいる空間ではまるで仲の良い友達のように接し、大人の目が届かなくなると途端に暴力を振るい始めるのだった。

■母親の豹変と父親の暴力

週に3〜4日もある練習会のたびに暴力を受けた山添さんは、常にあざだらけ。できたあざが治る間もなく、また新しいあざができるのだ。

小6になって数カ月経った頃、山添さんは学校へ行けなくなった。朝、普通に学校へ行くフリをして家を出て、近くの山の中に隠れて過ごし、昼過ぎに帰宅。

学校からの連絡を受けていた母親は激怒。翌日にはしかたなく学校へ行くが、しばらく経つとまたどうしても行きたくなくなり、時々近くの山で隠れて過ごした。

そんなある日、山添さんが夕食の時間にダイニングへ行くと、母親は「お前にはもう、食べさせるものはない!」と言って食卓につかせなかった。そして別の日には、父親が突然山添さんの部屋に入ってきて、無言で山添さんを投げ飛ばし、殴りつけてきた。

腕にできたアザ
写真=iStock.com/northlightimages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/northlightimages

「父と長兄はそっくりで、幼い頃から苦手でした。父が暴力を振るうときはいつも無言で、容赦のない強い力であざが残りました。もちろん父が怒っているのは、自分が学校に行かなかったからだろうと思いましたが、今思うと、本当は何か別のことで怒っていたのかもしれません。なぜ怒っているのか、なぜ暴力を振るうのか、言葉で正確に言ってほしかったです」

父親に暴力を振るわれた翌日から、山添さんは再び学校へ行くようになった。病気になれば休めると思い、何度か水風呂に入ったり、殺虫剤を吸ったりしたが、気分が悪くなるだけでうまくいかなかった。

■中学校での苦悩

「何かが変わるかもしれない」という期待があり、中学の入学式には参加。中1の間は普通に登校した。だが中2のクラス替えで、“かつての親友”と同じクラスになった。以前は仲が良かったが、小5時に山添さんがいじめられるようになってからは、いじめられる山添さんを助けようとせず、ただ笑いながら見ていた。彼らは、まるでずっと友達だったかのように振る舞ってきた。

「彼の“友達演技”に合わせるのが気持ち悪くて耐えられなくなり、中学に通うのを辞めました。担任の先生が2度家に来ましたが、数分で帰りました。それ以外は何のアクションもなく、『そういうものなの?』と絶望しました。当時の私はフリースクールの存在すら知りませんでしたが、今思えば、学校以外の選択肢もあったはずなんですよね」

いわば、山添さんに手を差し伸べる者はいなかった。

小6の時に母親に食卓から追い出されて以降、山添さんは家族に不信感を募らせていた。兄たちはそれぞれの生活に忙しく、弟に無関心。山添さんは自室にこもり、家族が寝静まった夜中に冷蔵庫などをあさり、1人で食事をする生活を始めた。

「両親は、(山添さんが小学生時代に受けた)いじめのことを察していたと思います。もちろん学校だって把握していたはず。でも両親も学校も隠したかったのでしょう。私は誰にも相談できず、ただ学校へ行かないという選択しかできませんでした」

両親は共働き、長兄は仕事、次兄は学校のため、昼間は家に誰もいなくなる。山添さんは家族が起きてこない早朝に犬の散歩や入浴を済ませ、家に誰もいなくなるタイミングを見計らって、食材を自室に持ち込んだり、キッチンで調理して食べたりした。

■自殺を計画する

不登校になった中2のある夜の出来事を、山添さんは今も忘れることができない。

母親が眠っている山添さんの部屋に入ってきて、両手で首を絞めた。「死ね! 死ね! 何で生まれてきたんだ!」。山添さんは、鬼のような形相で何度も叫ぶ母親に驚くばかりで、されるがままになっていると、母親は部屋を出ていった。

「STOP」とペンで書かれた手のひらをこちらに見せるティーンエージャー
写真=iStock.com/Serghei Turcanu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Serghei Turcanu

「母は(私の首を絞めた)手にほとんど力を入れていませんでした。だから殺意のようなものは感じなかったんですが、その代わり、『自分で死ね』と言われている感覚でした。母は『お前なんて産まなければよかった!』と何度も口にしていました」

山添さんの父親は、物心ついた頃から山添さんに対して攻撃的だったが、母親は山添さんをとてもかわいがっていた。山添さんがねだると、近所のレストランに連れて行ってくれたり、お弁当を作って野山でピクニックをしたり。小学校4年生の頃には「犬を飼いたい」と言っていたら、友人から子犬をもらってきてくれたこともあった。また、小学校低学年くらいまで小児喘息を患っていた山添さんが、1〜2カ月に1度ほど高熱を出すと、母親はずっと山添さんについて看病してくれていた。

しかし、そんな母親は、夢か幻だったのかとさえ思える。

「何度も自殺を考えました。ホームセンターにロープを買いに行き、『自殺しました。発見された方や死体処理する方にはご迷惑をおかけします』という趣旨の遺書を書いて、ロープで首をくくろうとしましたが、首が痛いし苦しいし、あまりに怖いので断念しました。生きるのはつらい、でも死ぬこともできない。ただ悩むしかなかったんです」

■父親への暴力

同じ年の別の日、仕事から帰宅した父親が、山添さんの部屋に入ってきたかと思うと、無理やり部屋から引っ張り出そうとしてきた。

いつものように父親は無言で、容赦なく山添さんを殴る。しかし15歳になっていた山添さんは、それに抵抗する形で初めて父親に拳を上げた。一度上げた拳は止まらなくなり、渾身(こんしん)の力で父親を殴ったり蹴ったりした。

兄たちはまだ帰宅していなかった。息子から反撃に遭った父親は、「救急車呼んで! 助けて!」と母親に向かって助けを求めた。

「今まで父は、散々私に暴力を振るっておいて、やり返されたら被害者面するのかと思い、とても嫌な気分になりました。おそらく私は警察に突き出される。なのに、今までずっと私を殴ってきた父親は罪をとがめられないのかと、とても理不尽な思いがしました」

しかし母親は、警察も救急車も呼ばなかった。この夜の出来事を誰にも言わないように、父親を説得したのだ。

「母の行動は、息子である私のことを守るためだったと思いたいですが、いじめを受けて窮地に陥っていた私への食卓排除や首絞め、暴言などを考えると、ただ単に、自分の家庭にひきこもりや家庭内暴力などがあることが世間に知られることを恐れたとしか思えません。『ひきこもりになってしまった息子を、世間にバレない形でどうにかして厄介払いしたい』という気持ちだったのだと思います」

そんな希望のない日々を送る山添さんの唯一の楽しみはパソコンだった。次兄のパソコンを小学校の頃から触らせてもらい、使い方を覚えた。中3の時には、絶縁状態の親が専用のパソコンを買い与えてくれ、インターネットの世界にハマっていく。

家族と顔を合わせるのも嫌だった山添さんは、要望があるときは紙に書いて食卓に置いておくのだ。そうやってパソコンを手に入れた山添さんは、世界中のひきこもりの人たちと出会い、親交を深めていった。

■高校に合格するも…

中2からほとんど学校へ行かなかった山添さんだが、出席日数が少なくても受験ができた私立の高校に合格。やはり最初は少しだけ期待して通ってみるが、やがて通えなくなっていく。

「兄たちに比べ、偏差値の低い高校にしか入れなかった私に対して、両親が恥ずかしがっていることが手に取るように分かり、いたたまれない気持ちになりました。夢も希望もなく、いつも最終的には死のうと思うのですが、どうしても怖くてできませんでした……」

結局、山添さんは高2の半ばから全く通わなくなり、高3で中退。それから長いひきこもり期間に突入するのだった(以下、後編へ)。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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