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悠仁さまが東大にも「特別扱い」で入ることになれば、日本の皇室は国民の支持を失う恐れがある

プレジデントオンライン / 2022年3月1日 17時15分

ティンプーの市街地を見渡せるハイキングコースを散策される秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま=2019年8月20日、ブータン・ティンプー - 写真=時事通信フォト

■「愛子天皇待望論」で生まれた焦り

息子・悠仁さんの筑波大学附属高校進学は、母親・紀子さんの雅子皇后に対する“対抗心”からだった。

そんな“憶測”がいくつかの週刊誌報道に見られた。

女性セブン(3月10日号)は、紀子さんの雅子皇后へのそのような“意識”は次世代にもつながっていくと報じている。

「『将来を見据えれば、結婚して皇室を出られる愛子さまと、天皇に即位される悠仁さまのお立場は明確に異なります。しかし、現段階においては、天皇家の長子である愛子さまの方が、格は上です。加えて、学業成績が優秀であることが伝わり、かつ公務や宮中行事などにお出ましになった際の愛子さまの所作や立ち居振る舞いから、“将来”を期待する声も多くあがった。そうして盛り上がってきたのが「愛子天皇待望論」でした』(宮内庁関係者)

昨年20才を迎えられた愛子さまが成年行事に臨まれると、その品格あふれるお姿に、待望論はさらに高まった。皇室はもちろん、国民の期待を一身に背負って男子を産んだのに、なぜ――紀子さまが焦りを感じられるのも無理からぬ話だった」

■強烈な向上心のある人ではないか

「『紀子さまは、愛子さま以上に悠仁さまが将来の天皇にふさわしいと、世間を納得させなければならないとお考えになったのではないでしょうか。その箔付けの1つが「学歴」だったのでしょう。悠仁さまが、たとえば東大に進学されれば、史上初の“東大出身天皇”になり、国民も信頼を厚くするかもしれない。そのためには、高偏差値の高校への進学が必要だった。そうして導き出されたのが、筑附高という選択肢だったのでしょう』(同)」

毎日新聞は昨年11月から今年1月にかけて、埼玉大社会調査研究センターと共同で、世論調査「日本の世論2021」を実施した。

「天皇の皇位継承について『男子がいない場合のみ、女子の継承を認めるべきだ』(41%)と『男女にかかわらず、天皇の第1子の継承を優先すべきだ』(35%)を合わせて回答者の7割超が女性天皇を容認。『男子の継承を維持すべきだ』は10%にとどまった」(2月23日11:06)という。

女性セブンの見方は、私にも少し頷けるものがある。以前から、紀子さんという女性は、強烈な向上心のある人ではないかと思っていた。

それは、彼女が秋篠宮からプロポーズされた直後、彼女の友人に電話をして喜びを爆発させたと、その友人の父親から聞いたときに芽生え、以来変わっていない。

■長らく比較されてきた雅子さまと紀子さま

ハーバード大卒で東大在学中に外交官試験に受かって外交官になった雅子さんと、父親は学習院大学教授、帰国子女、生活は質素で、「3LDKのプリンセス」といわれた紀子さんを比較して、紀子さんが雅子妃に対して学歴コンプレックスを持っているのではないかという報道もあるが、そんなことは問題ではないと思っている。

また、皇太子妃と、その弟である秋篠宮の妃とでは、宮内庁の中での遇され方も世間の目も違っていたはずであるが、それに紀子さんが不満を持っていたとも考えていない。

だが、紀子さんは結婚当初から美智子皇后(当時)を慕って、立ち居振る舞いから、皇室の人間として必要なさまざまなことを教えてもらうようになる。

美智子皇后も、そんな紀子さんを可愛がり、初孫である眞子さんの誕生を心から喜んだといわれる。

一方の雅子さんは、なかなか子どもをもうけることがかなわず、宮内庁から陰湿な嫌がらせを受けた。ようやく授かった子どもが女の子だったため、さらに追い込まれ、適応障害を発症してしまう。

週刊誌は、宮内庁関係者などからのリークをもとに、雅子妃は公務もしないのに、たびたび外食に出かけ、実家へもちょくちょく帰っていると批判した。

2010年3月には宮内庁東宮職の東宮大夫によって、学習院初等科第2学年在籍中の長女・愛子さんが、連日学校を欠席していることが発表され、大きな騒ぎになった。

■当時の美智子皇后が雅子妃を「叱った」日

一方の紀子さんは、2006年9月に、皇族として約41年ぶりに男の子を出産したのである。

雅子さんと紀子さんの人生が逆転した。ワイドショーや週刊誌は、そうはやし立てた。

週刊文春(2016年1月21日号)は、前年の12月23日、天皇誕生日の日に、美智子皇后が雅子妃を「叱った」と報じている。

記事には詳細な美智子皇后の言葉が記されている。これは「すべての事情を知る千代田関係者が、その顛末を詳細に証言した」とあるから、美智子皇后の了解を取った上で週刊文春に話したということではないか。

内容をかいつまんでいえば、雅子妃の病気について、多くの人々の前に姿を見せることが最善の道で、それが「適応障害」という病気にもとても良い効果をもたらすのではないか。

もっと時間をかけて東日本大震災の被災地を訪れ、被災者の方々の気持ちに触れるように。天皇陛下が大切に思われている広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦記念日、沖縄慰霊の日の意義を深く考え理解してほしい。

なかでも雅子妃の実家、小和田家とのことは、かなり厳しい口調でいっている。

「ご家族という意味では、(連絡を取るのは)良いことであるけれど、皇室という中で小和田家は特別の存在ではありません。小和田家と、浩宮が育ってきた皇族というのは、文化が違うのですから。皇族の文化の中にある雅子が小和田家と触れ合いを持つという、そういう心構えでなければならないのよ」

■紀子さまに降りかかった長女の結婚問題

美智子皇后は、実家である正田家に嫁いだ後、ほとんど顔を出さなかったそうだ。正田家側も控えめな態度で、母親の富美子さんは「機械(電話)を通してしか娘と話すことができません」と語っていたという。

それに比べ、何かと小和田家と会いたがる雅子妃に、皇室に嫁ぐということはどういうことなのかを諭したというのである。

その後の天皇の生前退位、皇太子の天皇即位で、秋篠宮家は2人の将来の天皇がいることになり、紀子さんはわが世の春と思っていたのではないか。

だが、長女・眞子さんと小室圭さんの結婚問題が起こり、小室さんの母親の金銭トラブルが発覚して、秋篠宮家に対する世間の目は厳しくなり、紀子さんの前に暗雲が立ち込める。そして、長女は皇室を離脱して、夫と共にニューヨークへ旅立っていってしまった。

2月23日に行われた誕生日会見で、天皇は再び、眞子さんの問題に触れ、こう述べた。

「結婚について様々な意見があるなど、結婚に至るまでの状況を踏まえ、納采の儀などは秋篠宮家の判断で、また、朝見の儀などについては、私の判断で執り行わないこととなりました」(NHK NEWS WEB 2月23日 0時02分)

花の装飾の 2 つのゴールデン結婚指輪
写真=iStock.com/Prostock-Studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Prostock-Studio

わざわざ朝見の儀を自分の判断で行わなかったといったのは、天皇自身がこれを行うことを大切に考え、眞子さんも朝見の儀をやっておけば、結婚後も皇室へ顔を出しやすくなる、そういう天皇の“親心”からだったといわれている。しかし、眞子さんはその好意を受けずに去っていってしまった。そうしたことへのわだかまりが、天皇にはあったのではないかと推測されているようだ。

その思いが、次のような厳しい言葉になったのではないか。

■「東大卒の天皇」というキャリアが頼み

「今後、幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」

これは天皇として精いっぱいの眞子さんに対する苦言であろう。

「皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にすることだと思います」

これが天皇が考える皇室のあり方だとすれば、国民を無視するどころか、自分たちを応援してくれる人と、応援してくれない人を二分するような発言をした眞子さんに、あきらめにも似た気持ちを持っているのかもしれない。

そうした皇室全体の空気を知っている紀子さんが、頼みとしたのが、悠仁さんの名門高校入学と、初の東大卒の天皇というキャリアだというのである。

週刊新潮(3月3日号)によれば、さる宮内庁関係者が、

「競争が身近にある環境で大事な高校生活を過ごされ、なおかつ3年後には大学進学が控えている。どのような青年時代を過ごされてきたかは将来、どのような天皇となられるのかに大きく反映されます。

超進学校に通われ、受験勉強に時間が割かれるのだとすれば、この時期に身につけられるべき帝王学、そして国民統合の象徴たるご自覚の涵養などがおろそかになってしまわないでしょうか」

と心配している。

■仮に東大まで推薦で入学するとしたら…

週刊朝日(3月4日号)によると、昨年の筑附高からの東大合格者数は29人。日比谷63人、開成144人に比べるとかなり落ちるが、それでも学年で50番以内にいないと、合格は難しいかもしれない。

そうなれば、東大一直線と、昼夜を分かたず勉学に励まなくてはならないはずだが、そこは、未来の天皇だから、紀子さんをはじめ宮内庁が手を打ってくれるはずだ。

秋篠宮や紀子さんのつながりで、東大とは太いパイプがあるといわれている。毎年、東大は学校推薦型選抜(推薦)の合格者を100人程度受け入れていて、サンデー毎日(3月6日号)によると、1校当たり、推薦できる人数は男女2人ずつ計4人とされているようだ。

今年は、薬学部に筑附高の名前がある。悠仁さんは農学部志望といわれているが、4人が推薦で合格している。

だが、仮に東大まで推薦入学で難なく入学するとしたら、悠仁さんは、「僕の人生はなんでも思い通りになる」と勘違いしてしまうかもしれない。

中学入学時に、こんなことがあったと、週刊新潮(同)で皇室ジャーナリストが話している。

■一生徒の入学を「光栄だ」と祝福する異例ぶり

「19年4月に行われたお茶の水附属中の入学式では悠仁さまが新入生114人を代表して挨拶をなさいました。『それぞれが持っている力を大事に伸ばし、可能性や視野を広げていきたい』などと宣誓されたのです。

お茶の水側は、悠仁さまが代表に選ばれた理由について“学業や人格的成長を総合的に判断した”としていましたが、そもそも新入生代表の挨拶自体、お茶の水中では過去になかった。つまり、学校側が率先して悠仁さまを“特別扱い”したわけです」

もしそうだとしたら、皇室という特権を幼いころから利用して、新入生代表になり、宮内庁か親が書いた文章を読み上げたということになる。それはどう考えても本人のためにならないのではないか。

今回の筑附高合格でも同様のことが行われたのかもしれない。悠仁さんの入学を機に、生徒たちの父母からの問い合わせが多いため、筑波大学が、天皇の誕生日会見を避けて、翌日の2月24日に会見を開いた。

そこで、永田恭介学長は、「『おめでとうございます』と申し上げたい。学校のモットーや教育コンテンツを気に入られたのなら光栄なことだ」と述べたという。

大学附属の高校に入学した生徒に対して、学長が、「光栄だ」ということ自体、私には納得がいかない。

■秋篠宮家、宮内庁、本人にとってもいいことではない

その上、悠仁さんが中学1年生のとき、彼の机の上に刃物が置かれていた事件があったため、筑附高では宮内庁と相談して、警備態勢を整えるという。

それ自体は批判されることではないが、そうした特別扱いされる学生が学内にいることで、意識の高い学生たちが違和感を覚えて、学内全体の雰囲気がおかしくなることを、私は心配している。

だから学習院に進ませればよかったとは、私は思っていない。実力が伴って、それを周囲も認め、それでも、「自分が受かることで、誰かを落とすということはできない」と考え、推薦制度を使うことはあってもいいと思う。

だが、十分な実力もないのに合格させたとしたら、子供には残酷な面があるから、これからさまざまな悠仁さんについての情報がメディアに漏れていくことになるに違いない。

そういう事態は、秋篠宮家にとっても、宮内庁にとっても、本人にとってもいいことではない。

現天皇は、学習院高等科時代、盆栽に興味を示したことから、校内では、「じい(爺)」というあだ名がつけられたという。当時の学友たちとは今でも友情を育んでいるといわれる。

当時、東京目白駅近くのおでん屋に、大学時代の皇太子が友人たちと飲みに来るという話があり、何度か取材を兼ねて通ったことがあった。

残念ながら皇太子とは遭遇できなかったが、店の主人は、仲間と楽しそうにワイワイやりながら飲んでいると、話してくれた。

日本の学校の教室
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

■配慮を重ねるあまり“虚像”を作ってはならない

学習院の中・高の音楽教師として天皇の授業を受け持った藤原義久氏が、週刊新潮でこう話している。

「短くなった鉛筆を陛下が捨てようとされた時、周囲が“これも税金で買ったものだから大事にしなさい”と、たしなめたことがありました。少なくとも私たちは玉のように優しく接してきたわけではありません。皇族方は普段から様々な配慮を受けることが多い。だからこそ学内では、一般の生徒たちと同じように接しようというのが学習院の美風でした」

私のようなひねくれた人間は、こういう“美談”を素直には信じない。だが、配慮に配慮を重ね、子どもの実力以上の“虚像”を作り上げ、独り歩きさせようというのは、親たるものがやってはいけないことだと考える。

さらに心配なことがある。週刊新潮で宮内庁関係者が、こう話している。

「(悠仁さんが=筆者注)これまで、官邸に親しいお友達を呼んで一緒に遊ばれているといったお話は、ほとんど聞こえてきません。代わりにお相手をしているのは、もっぱら皇嗣職の職員。(中略)同年代との交流が極めて少ないのです」

■実力以上に見せようと過干渉になっているのでは

今回、昨年春に北九州市が主催した「第12回子どもノンフィクション文学賞」で、大賞に次ぐ佳作に選ばれた悠仁さんの作文にコピペ問題が浮上した。紀子さんは息子を叱ったと報じられているが、まったく知らなかったのだろうか。宮内庁のチェック体制の甘さを批判する報道もあった。

失礼ないい方にはなるが、紀子さんは、息子を実力以上に見せようと過干渉になっているため、時々、不都合な事実が表に出てきてしまうのではないだろうか。

やはり週刊新潮で、皇室ジャーナリストが「将来の天皇に求められるのは競争社会で生き抜く力ではないはずです」といっている。われわれ国民は、東大出の天皇を待ち望んではいないはずである。

天皇がいっているように、「国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にする」ことが、国民統合の象徴としての天皇像に近いものであろう。

それにしても不思議なのは、今回の悠仁さんの高校入試を含めて、父親である秋篠宮が、悠仁さんをどう育てたいと考えているのかが、ほとんど伝わってこないことである。

週刊文春(2月10日号)にはこんなことが載っている。

■帝王教育を「両陛下にお任せすべきではないか」という声も

「『悠仁さまのご教育に熱心なのは、父の秋篠宮さまよりも紀子さま。紀子さまは悠仁さまのご教育について、一宮家ではなく皇室全体の問題だと捉えておられるのです』(宮内庁関係者)

紀子さまは“ゆくゆくは悠仁さまが皇室の中心となるという覚悟や信念を養うことが必要だ”という趣旨で、その強いご覚悟を述べられたこともあった。しかし秋篠宮は、そうした帝王教育に“必ずしもそうしたことがいいとは……”と躊躇を見せられたという」

ご自身のことを含めて、天皇のあるべき姿を、秋篠宮はほとんど語ってこなかったのではないだろうか。悠仁さんはまだ15歳、まだ時間があると考えておいでなのだろうか。

しかし先の女性セブンは、

「悠仁さまは現在15才。もう数年で成人すれば、公務を担われることになる。宮内庁関係者は、こんな心配を吐露する。

『将来の天皇としての素地を悠仁さまが身につけることができるのかと、周囲は危惧しています。学校のお勉強では会得することのできない「帝王教育」のためには、“秋篠宮家ではなく、両陛下にお任せすべきではないか”という声がやみません』」

秋篠宮家から悠仁さんを取り上げて、天皇家で帝王教育をしたほうがいいというのである。極論だが、秋篠宮夫妻は、悠仁さんの一挙手一投足に、多くの国民の関心が向いているということを、今一度考え、2人で話し合ったほうがいいのではないだろうか。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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