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堀江貴文「離婚と獄中生活を経験した僕が、どうやって"人生最大の孤独"を乗り越えたか」

プレジデントオンライン / 2022年3月6日 9時15分

堀江貴文氏 - 撮影=HARUKI

孤独と向き合うにはどうすればいいのか。実業家の堀江貴文さんは「結婚から2年で離婚した僕は、初めて自分の弱さに直面した。しかし、離婚や刑務所での暮らしを経て気づいたことがある」という――。

※本稿は、藤田晋、堀江貴文『心を鍛える』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■誰もいない家が怖くてバーに通う日々

「孤独」に悩む人は多いようだ。どれだけネットが普及し、SNSが隆盛になっても、リアルでの温かい人間関係は必須なのかもしれない。しかし、「孤独」とは各人が自力で乗り越えるべきものだと思う。

僕が味わった人生最大の孤独と、それを乗り越えた方法について話してみたい。

1999年、27歳で結婚した僕は、2年後の29歳で離婚している。

離婚直後の寂しさといったらなかった。妻と子どもが出ていった後の、1人で住むには大きすぎる殺風景な一軒家。寂しさを紛らわしたくて、友達を呼んで騒いだり、知り合ったばかりの女性を連れ込んでセックスしたりしてみたこともある。でも、彼らがそれぞれの居場所に帰ると、僕はすぐ孤独に襲われた。そうなると家に帰るのが怖くなってくる。酔いつぶれるまでバーを飲み歩く日々が続いた。

■僕は、こんなにも孤独に弱かったのか

素面で帰宅しても、家には誰もいない。イヤでも孤独と向かい合わねばならなくなる。そんな恐ろしいことはない(と、当時は思っていた)。

当然ながら、食事や睡眠は不摂生になる。自分の“心の弱さ”には参った。「ダメだなぁ」と自覚はできるけれども、どうしようもない。

離婚直後は、近所のバーに毎晩通っていた。もはや「惰性」である。バーのマスターに「最近、皆勤賞ですね」と声をかけられたときは、我ながら自分自身のことを「イタい」と思った。「家族って意外と楽しかったんだな」と、酒をあおりながら感じた。

何よりつらかったのは、自分の弱さに直面したことだ。離婚前、仕事に没頭していた頃は、自分の弱さなんて感じたことがない。「僕は、こんなにも孤独に弱かったのか」と、久しぶりに自己嫌悪に陥った。

■「自分以外の何か」に依存し続けていいのか

ある日、何気なく開けた引き出しから、幼い我が子の写真が出てきた。写真を持つ手や膝が震えたのを覚えている。その子にはもう会うこともないし、会ってはいけない。頭では重々わかっているが、感情は大きく揺さぶられた。

でも、その写真のおかげで強くなれた。孤独から逃げることをやめて、正面から向き合おうと思えたのだ。

孤独だから、寂しいからといって、周りの優しい人たちやアルコールに救いを求め続けていたら、一生「自分以外の何か」に依存し続けることになる。この孤独は、僕が引き受け、新たな人生に歩み出すべきなのだ。そうでないと、何のために離婚をしたのかわからない。別れた家族に申し訳が立たないではないか。

ようやく僕は、連日のバー通いから卒業した。仕事の合間を縫ってはスポーツジムに通った。広すぎる一軒家も引き払い、こぢんまりしたマンションに越した。

外食の回数も頑張って減らし、自炊に努めた。ダイエットにも励んで約10kgも体を絞った。メンタルも体も変えることに成功した。新しい彼女だってできた。

当然、仕事にも前以上のヤル気が出てきた。大阪近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)の買収に名乗りを上げたのもこの頃だ。失うものがなく、孤独も克服できた僕は、超前向きになれたのだ。

誇張ではなく、「怖いもの」なんて何もなかった。「孤独」という人生の伏兵を乗り越えられたのだから、動じることはなかった。

■孤独は「あがくこと」でしか乗り越えられない

振り返ると、僕はどうしても「家庭の父親」向きではなかったと思う。正直なところ、「我が子といて心底楽しい」とずっと思えたかどうかは自信がない。わがままと言われてもいい、僕は自分の人生の目標達成のほうに集中したかったのだ。

世の中を見ていると、「孤独」「寂しさ」への耐性が足りない人が多いように思う。寂しくなったら、誰かを頼ったり、依存したり……。もちろん、その気持ちは痛いほどわかる。僕だって、多くの友人、知人、彼女、たくさんの人に助けてもらった時期があるからだ。

とはいえ、そんな時期を長く続けていれば、自分自身がダメになってしまう。それまで味方になってくれた人たちだって、やがて離れていくかもしれない。1人で孤独を受け止めてこそ、やっと一人前の大人である。

どんな孤独も、「あがくこと」でしか乗り越えられないと思う。逆に言えば、我慢してあがくことで、孤独は乗り越えられるはずだ。

■刑務所に届く「不自由な人生の相談」

そして、心の問題に関することがもうひとつ。刑務所暮らしをしていた頃のことだ。

「懲役2年6カ月」という日々は、僕にいったい何をもたらしたのだろうか。

いろいろな変化があった。たくさんの本を読んだり、高齢受刑者の介護など未知の仕事に取り組んだり、想定外の出来事だったが「獄中ダイエット」にも成功した。

そう言えば、メルマガの発行を継続するため、手書きで原稿を書いていたこともある。さまざまなビジネスプランを練っては、読者からの質問や相談に答えていた。

スタッフにブログ記事やツイッター投稿などをプリントアウトしたものを差し入れてもらいながら、情報をアップデートしていた。それまでとは比較にならない、超アナログのライフスタイルに逆戻りしていたのだ(笑)。

しかし、おかしな話ではないか。塀の中に閉じ込められて自由を奪われた僕が、塀の外で自由を謳歌しているはずの人たちから、人生相談を受けているなんて……。

「みんな塀の外で自由を謳歌しているはずなのに、どうしてそんなに不自由なんだ?」と不思議に感じることも、しばしばだった。

刑務所生活で、「自由とは心の問題だ」と僕は気づいた。だから塀の中にいても、僕は自由だった。環境的には不自由だったが、僕の頭の中にまでは誰も手出しができなかった。だから僕は、ひたすら考えた。自分のこと、仕事のこと、生きるということ、そして出所後のプラン。

思考に没頭している限り、僕は羽が生えたように自由だった。

有刺鉄線と曇り空
写真=iStock.com/kodda
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kodda

■獄中生活で身につけた「スルー力」

さて、あなたは今、自由を実感できているだろうか。息苦しさに悩まされていないだろうか。そして、思考停止に陥ってはいないか。もし、それらの苦しみを感じているのなら、考えることをやめて「できない」と心を閉ざしているからだろう。

人は、考えることをやめたとき、後ろ手を回され鍵をかけられる。自由を奪われる。

そう比喩的な意味で。そして、思考停止に陥った人から、お金や権力に執着するようになる。僕はそうなりたくないから、考え続ける。

立ち止まってラクすることを選んだら、僕は僕でなくなる。あなただってそうだ。

易きに流されず、考え続けるためには、ストレスのない生活を送ることが第一だ。

ストレス過多な暮らしは、余計なエネルギーを浪費する。ストレスを溜めないためには、「やりたくないこと」「つきあいたくない人」を遠ざけるのがいい。僕なんて、過酷な獄中生活でも、ストレスフリーを目指し続けていた。

意外に思われるかもしれないが、獄中ストレスの9割以上は人間関係だ。

シャバでは出会うことのないような面倒くさいチンピラや、社会性が完全に欠如した人間などが大勢いて、こちらに喧嘩を売ってくることもあった。でも、無用なもめごとを起こせば、獄中生活がさらに不愉快になるし、仮釈放も遅れる。だから僕はスルーすることを目指した。劣悪な人間関係を乗り越えるには「スルー力」が必須だ。

■単純労働嫌いの僕が「紙袋を折る作業」にハマったワケ

こんな話をしていると、よくこう聞かれる。

「獄中での仕事はストレスにならなかったのか?」

とんでもない。逆に、刑務作業(仕事)があったからこそストレスを跳ね飛ばして、なんとかやれていたように思う。

獄中で課せられる刑務作業は、「単純労働」であることが多い。大学時代、僕は「パン工場で仕分け作業をするバイト」で懲りたことがある。単純労働に絶望したのだ。

でも、「獄中」という特殊すぎる状況が、僕を一時的に変えた。僕は単純労働にやりがいを見出し、大きな喜びを感じていたのだ。

たとえば、東京拘置所では無地の紙袋をひたすら折っていく作業があった。与えられたノルマは1日50個。担当者から折り方を教わって作業を始める。

最初は「50個でいいの?」と軽く見ていた。だが、実際にやってみると、時間内にノルマをクリアするのもギリギリだった。そのとき、僕は「悔しい」と思った。

「どうすればもっと上手に、スピーディに折れるのか?」
「教わった折り方や手順にムダがあるのかもしれない」
「折り目をつけるとき、紙袋の角度を変えてみよう」

教わった手順を根底から見直し、試行錯誤を重ねた結果、3日後には79個も折ることができた。

これは心底楽しかった。久しぶりに大きな喜び、そしてうれしさを感じた。

■言われた通りにこなすだけでは心は動かない

「仕事の喜び」とは、このように能動的なプロセスの中で生まれるものだと思う。言われた通りにこなすだけでは、心がこんなに動くことはない。

僕はこんな調子で、獄中でも「仕事」を楽しんでいた。

長野刑務所に移送されてからは、介護衛生係として働いた。高齢受刑者や障がいを持つ受刑者らの世話をする介護士的な仕事だ。掃除や洗濯から、散髪、髭剃り、入浴の補助、おむつの世話……。ひと通りこなせるようになった。

最初のうちは、積極的にやりたい仕事ではなかったかもしれない。とはいえ、高齢受刑者の体をうまく起こすテクニックを磨いたり、バリカンでの散髪のコツを体得したり、自分の成長を実感するのは楽しかった。

つまり僕は、獄中にいてもストレスを軽減しながら、うまく生きる術を身につけていったのだ。

■心を不自由にさせているのは自分自身

もちろん、再び獄中に戻るのは、もうごめんだ。でも、僕はどんな環境に置かれても、ストレスをうまくかわしながら、自由な思考で生きていく自信がある。獄中よりも厳しい環境というのは、この世にあまりない気がする(笑)。

藤田晋、堀江貴文『心を鍛える』(KADOKAWA)
藤田晋、堀江貴文『心を鍛える』(KADOKAWA)

2年6カ月の懲役で、僕は成長できた。今、もし不自由さを感じている人がいるならば、収監されていた時期の僕のことを想像してみてほしい。

自由に出歩いたり、ネットサーフィンを存分に楽しんだり、好きなときに好きなものを食べたり……。いかに自由を享受できているかがわかるはずだ。あなたが今いくら厳しい環境にいようとも、刑務所の中よりも厳しい環境とは言えないだろう。

本稿も終わりだから、この際、はっきり言わせてもらう。

心を不自由にさせているのは、ほかでもない。あなた自身なのかもしれない。

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堀江 貴文(ほりえ・たかふみ)
実業家
1972年、福岡県生まれ。ロケットエンジンの開発や、スマホアプリのプロデュース、また予防医療普及協会理事として予防医療を啓蒙するなど、幅広い分野で活動中。また、会員制サロン「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」では、1500名近い会員とともに多彩なプロジェクトを展開。『ゼロ』『本音で生きる』『多動力』『東京改造計画』『将来の夢なんか、いま叶えろ。』など著書多数。

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(実業家 堀江 貴文)

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