「芸能人のサインを飾ってはいけない」脱サラ焼きそば店の経営者にカリスマ店主が伝えたこと
プレジデントオンライン / 2022年3月4日 11時15分
■グルメサイトが集客を大きく左右する
(前回から続く)
飲食店経営において、店の評判は売り上げを大きく左右する。おいしいという味覚に絶対的な基準がないため、多くの人は他人の評価を気にするようになる。通常は根拠にこだわる人も、食事の話になると口コミやうわさといったものを信じやすい。
この評判形成において、日本でもっとも影響力を持つのはグルメサイトだろう。ある著名サイトでは、90万軒もの飲食店が紹介されている。それらをユーザーの評価を基にした5つの星でランキングしている。
この星の数やコメントが来客数に大きく影響するだけに、飲食店経営者としては無視できない。
黒田が脱サラして始めた焼きそば店である「東京焼き麺スタンド」にはじめてグルメサイトで星がついたのは、開店して2カ月ほどたった頃だった。3.02は、五つ星の評価の真ん中ほどだろうか。同社の説明では、4.0以上が店全体の上位500程度しかなく、3.5以上が全体の約3%、3.5未満が全体の約97%に達するという。
黒田の目標は3.5以上、すなわち日本の飲食店全体の3%に入ることだった。黒田の印象では、1000円以下の単価で3.5以上の点を獲得している店はほとんどない。
実際にこの時点で3.5以上を獲得している焼きそば店は、都内に10程度しかなかった。正しく店の評価になっているかどうかはべつにしても、星の数を見て客が判断している以上、売り上げの多くがここにかかっているといっても過言ではなかった。
しかし、こういったグルメサイトの星には不透明な点も多い。一般読者がポイントをつけても、なかなか点数には反映されない。点数を上げるには、実績の豊富な有名レビュアーから高い評価を得る必要があるという。黒田の友人のコメントも、数日で削除されてしまった。
■300万円でフードトラックを購入
「やっと点数が上がってきました」
焼きそばをテーブルに置くと、黒田はほっとした表情をした。開店から4カ月たって、効果が出てきたようだ。
「すごいじゃない。何かあったの?」
「推測でしかないんですけど、数千人のフォロワーを持つ方が、来店したのが大きかったんだと思います。3.22まで上がりました」
10月以降、売り上げがやや増加に転じていた。「行きたい」と登録する客の数も増えているという。一日平均40食超えといった水準に満足はできないが、週末は60食を超えてきた。高校生や大学生が増えている印象で、aumoの効果もあるのだろうか。
特に大きいのが、カレーフェスティバルなどのイベントだ。下北沢では定期的にイベントが開催されるので、着実に収益化させなければならない。問題はランチタイムだ。よりリピーターを増やし、売り上げを安定させていく必要があった。
黒田が売り上げ拡大の切り札と考えていたのが、フードトラックだった。300万円もの資金をかけて、9月に購入に踏み切っていた。
狙っていたのは、週末の原宿だ。歩きながら食べる人が多いことを考えると、メインは焼きそばよりブリトーのほうがいいかもしれない。定価は500円で、プラス100円でドリンクもつける。11時半から15時までの営業で、一日50食程度の販売を見積もっていた。
■売り上げの30%を場所代として払い…
10月に入り、意外なところから話が来た。あるテレビ局の前にある広場で、すぐに入れるフードトラックをさがしているという。7日間の期間限定だが、試運転の意味も込めて申し込むことにした。
オフィス街なので、メニューはソース焼きそばのみにした。昼だけの販売で初日が20食、翌日は31食に達した。最終日は40食に届いたので、まずまずの反応といっていい。
「満足はできないですけど、やり方がわかったのは大きいです」
「もう少し続けてみたかった?」
「テレビ局の食堂を修理している間だけという話だったんです。通常は売り上げの10%を場所代としてオーナーに払う必要があるんですが、今回は特別な事情があったので30%も取られました。これじゃ長くやっても利益にならないし、ちょうど良かったかもしれないです」
急な話だったからか、企画会社の運営が準備不足だったという。テレビ局への事前連絡もされていなかったことを考えると大健闘だ。黒田は、初めて使うフードトラックの授業料と割り切っているようだった。
問題は、フードトラックの今後の予定が決まっていないことだった。見込んでいた原宿の駐車場は、契約上また貸しができないとのことで宙に浮いてしまった。明大前はいつでも出店可能な状態にあるが、客数が読めないのがネックだ。
大手町は人気スポットで、登録はしているものの順番待ちが続いていた。多くの業者が、少ない席を巡って争っていた。
■学生アルバイトを束ねる人材がほしい
「何回いえばわかるんや」
ぼくが厨房で、新メニューのナポリタンを取材しているときのことだ。学生バイトの門脇が、神妙な顔つきで黒田の話を聞いている。何かミスをしたのだろうか。客席には聞こえない程度の声だったが、それが逆に聞いてはまずい気がして、ぼくは急いで席に戻った。
「何かあったの?」
「魚粉の入れ忘れです」
黒田がソース焼きそばを席に持って来ると、門脇とのやり取りを説明してくれた。
焼きそばは風味を出すために魚粉を入れているが、このプロセスを忘れることがあるという。夢中になると、門脇は紙に貼り出された注意が目に入らなくなってしまう。ささいなことだが、黒田は手加減しなかった。
「ぼくたちがやっているのは顧客サービスですからね。食べに来るお客さんに対する意識を、常に高く持たなきゃいけないんです。それができてない従業員は、徹底的に指導する方針です。いいところもたくさんあるやつなんで、あんなことでミスしたらもったいないんですよ」
そういうと黒田は、門脇がいかに店に献身的か説明した。門脇はアルバイトとして一番の古株で、開店前から黒田を支えている。シフトに穴が開きそうなときには率先して自分が入るなど、前向きな姿勢が店にとって貴重な存在だった。
学生アルバイトがいいのは、若者がいるだけで店が明るくなるところだ。学生のつながりを通じて、若い客が集まってくるという効果もある。しかし一人では、全員の育成まで手が回らない。黒田が求めているのは、学生アルバイトを束ねることのできる人材だった。
■アルバイトを2人雇うと、人件費の比率が40%超に
店を任せるのに、料理の腕があるだけでは不十分だ。パートタイムではなく、平日フルに働いて、店全般を仕切れるような人材が欲しい。
「社員みたいな存在か?」
黒田は厳しい表情でうなずいた。頭のなかでコストの計算をしているのだろう。
月曜日、水曜日、木曜日のランチは黒田がワンオペで回し、それ以外の日やどうしても忙しいときはアルバイトを1人入れていた。しかし黒田がいないと、アルバイトを2人入れなければならない。単純にコストが倍以上になってしまう。
仮にフルタイムでアルバイトを1人雇い、ランチタイムなど忙しい時間帯だけもう1人雇うとすると、一日当たり1万5000円ほどの人件費がかかる。平均40食で客単価900円とすると、売り上げ3万6000円に対する人件費の比率は40%を超える。
■下北沢で飲食店をやる難しさ
入居費などの諸経費を低く抑えていれば高い人件費も賄えるが、下北沢店は家賃も運営コストも安いわけではない。一日1万5000円のコストを加味すると、合計の費用は3万円。一日の売り上げの80%超が消えていく計算になる。一食当たり200円の材料費を加味すれば赤字だ。
飲食店経営では通常、売り上げに対して人件費を30%台、諸経費も合わせて60%台に抑えるのが望ましいとされている。日本政策金融公庫の調査でも、そば・うどん店の平均はそれぞれ36.5%と64.1%だ。これ以上赤字を垂れ流し続けて大丈夫なのだろうか。フードトラックの必要性はわかるが、ぼくも不安になってきた。
最近になって黒田がつくづく思うのは、下北沢という街のむずかしさだ。若者の街という印象があるが、若者がいなくなるような時間帯がある。土曜日の夜は特に静かで、西口エリアでは一部の居酒屋以外どこも入りが良くないようだ。
有名なラーメン店がいくつかあるが、どこも土曜の夜はさっぱりだという。深夜近くに混みだすのは、飲んだ後のシメが集中するからだ。焼きそばでそのニーズを取ることはできない。若者の財布が予想上に堅く、街のキャパシティにも問題があるかもしれないと思いはじめていた。
■グルメサイトで星3.7を誇る焼きそば店の正体
黒田の頭にちらつくのは、神保町だったらどうだったかという思いだ。昔から好きな街で、客層のレベルも高い。自分の実力を舌の肥えた人たちの集まる街でぶつけてみたいという思いが沸きあがっていた。
みかさという店の存在も大きかった。グルメサイトの星は、3.7近い。焼きそばの世界では知らない人はいない業界のパイオニアが店を開いていた。
「すごい方だと思いますよ。焼きそばに対する情熱がハンパないんです」
みかさの店主である中田正人とは、黒田も面識があった。愚直に自分の求める焼きそばを追求していこうとする姿勢が、黒田の記憶に残っていた。
ぼくが中田に会ってみたいと思ったのは、その飾らない性格を黒田から聞いていたからだった。店には芸能人のサインもなければ、テレビに出たときの写真も飾っていない。味だけで勝負するという姿勢が気持ち良かった。
しかし中田は店主を譲って、今は店には出ていないという。ぼくはみかさの店員経由で、取材の許可を取った。
■テレビで紹介されて大ブレーク
中田は1979年、東京都武蔵野市に生まれた。中学時代の友人の親が飯田橋で焼き肉店を営んでいたのに影響され、飲食店で働きはじめたという。最初は焼き肉チェーン店で働き、その後20年近く、水商売から和食までさまざまな店を渡り歩いた。
みかさに出会ったのは、34歳のときだった。インターネットで、焼きそば専門店が職人を募集していることを知って応募してみた。先代が2013年に開店した店で、自家製麺というのも興味深かった。2014年に働きはじめた当時は、先代と二人きりだった。
初めてみかさの焼きそばを食べたとき、これは絶対にはやると思ったという。ゆであげたばかりの生麺のモチモチ感も、1カ月以上熟成させたという濃厚ソースも、今まで体験したことのないものだった。しかし当時はまだ店の知名度が低く、1日100食程度を夜10時までかけて売っていた。
店の人気に火がついたのは、テレビで紹介されてからだ。放送後に行列ができ、週に一度はテレビに出る時期もあった。
それまでは、なぜもっと売れないのか不思議で仕方なかったという。一回店に入って食べてもらえば、リピーターにする自信があった。しかしどうしても、焼きそばをわざわざ食べに行くという発想が定着しない。一歩踏み込ませるまでに相当時間がかかった。一杯700円も、焼きそばとしては高かったのだろう。
ぼくがすごいと思ったのは、中田の自信だ。紹介してくれたメディアに感謝しているものの、そこに寄り掛かりたくないという思いが強かった。
「ひねくれてるだけですよ」
中田は言葉少なに笑った。芸能人と一般人は違う。あくまでも中田が評価されたいのは一般の顧客であり、芸能人が紹介するような店には興味がないという。自分の舌で味わったものしか信じていなかった。
■神保町では、本当のライバルはラーメン店
中田が先代のやり方から変えたものに、ソースの味がある。九州のソースは甘く、東京では苦手という人が少なくなかった。少し辛みをつけて、食べやすくした。麺は自家製にこだわっている。柔らかいのにコシがあるのがみかさの麺の特徴で、べちゃっとした食感を売りにしている。
「一番苦しかったのは、先代が九州に帰るっていい出してからですね」
神保町の喫茶店で、たばこを吸いながら中田は苦笑いした。
「中田さんが働きはじめて、2年目ですよね?」
「まだひよっこでしたから、覚えるのが大変でしてね。しかも3カ月後にはいなくなっちゃうんで、教わる時間が限られてるんです。もう必死ですよ。朝7時から夜12時くらいまで店にいました。あのときほど必死になって料理を覚えようとしたことはないですね」
その後の店の繁盛ぶりは、誰もが知るところだ。毎日150食限定で、売り切れれば閉店。人件費を抑えられ、コストパフォーマンスもいい。カップ麺とのコラボをはじめたのも、みかさが第一号だった。
「ぼくは母子家庭に育ったので、小さい頃から自分で料理を作ることが多かったんです。母はパートでそば店やレジ打ちの仕事をしていて、母が作っておいてくれたものを温めればよかったんですけど、自分で作ることができれば母の負担にならないじゃないですか。母が風邪をひいたときにおかゆやぞうすいの作り方を教わって、作ったのが本当に面白かったんです。弟もいたので、母の仕事が忙しいとぼくが3人分作って。その経験が今の仕事につながってるなんて、不思議なもんですよね」
昔を思い出すような語り口を、ぼくはメモする手を止めて聞き入っていた。中田にとって、料理は家族を結びつけるものだった。
「焼きそばにライバルはいないと思ってます」
感情を出さない語り口に、強い意志を感じた。
焼きそばは認知を広げる段階であり、本当のライバルはラーメン店だという。手ごわい相手だった。神保町で商売をするということは、こんな相手と闘うことを意味していた。
■人手は足りず、設備も不十分
12月に入ったある日のことだった。仕事帰りで、店に着いたのは8時ごろだった。
「チケットの使用でいいですか?」
ぼくの顔を見ると、黒田が出てきた。ほかに客はいない。グルーポンのチケットで、普及用に一食500円で提供している。試しに購入してみたもので、売り上げの効果は悪くないという。食事用に一つと持ち帰り用に一つ頼んだ。
この日もアルバイトの学生が慣れていないからか、取材中何度か黒田の指示を仰いでいた。カウンターに一人、テーブルに一人、カップルが一組来店したが、黒田も気になって仕方ない。話を中断しては、厨房の動きを確認していた。
「まだ、社員の採用はしてないんだ?」
「探してるんですけど、なかなかちょうど良い方が見つからないですね」
理想は、黒田の右腕となって働いてくれる社員だ。そうなれば黒田も、安心してフードトラックに専念できる。今のままではフードトラックを購入した意味がなく、レンタルに出したほうが収益に貢献するくらいだ。
「新年に向けて何かやりたいことはある?」
ぼくは雰囲気を変えようと、前向きな話題をさがしてみた。黒田は思い浮かべるような表情をすると、腕を組んだ。
「やりたいことはたくさんありますけど、その前に見直さなきゃいけない部分があまりにも多いですね。食のプロになるっていったって、自分の店すら黒字にできない人間に何の説得力もないですから」
ぼくはうなずくことしかできなかった。
下北沢という土地柄、外から来る客をどう伸ばすかに注力してきたが、平日のマーケットが狭いのも問題だった。美容院やアパレル、歯科医といった顧客がリピーターになっているが、広がりがない。来店数を増やすために、露出を増やす必要があった。
厨房にも課題がある。ワンオペを徹底するにはオペレーションの簡素化が不可欠だが、厨房の機能性に問題があった。今のキッチンではコンロが2つしかないため、麺を焼きはじめるとすべての作業がストップしてしまう。極めて非効率だ。
麺の下焼きを事前に済ませておき、注文をもらってから仕上げれば、よりスピーディーに提供できるようになるのではないか。そのためにコンロは少なくともあと2つ増やしたいし、具材を効果的に管理するための大きな冷蔵庫も欲しい。
行列のできる人気店を目指していながら、そのための設備がないという根本的な問題に直面していた。(続く)
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作家
1973年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手証券会社に勤務する傍ら、小説を執筆する。著書に、天才投資家と金融犯罪捜査官との攻防を描いた『神様との取引』(金融ファクシミリ新聞社)、ノンバンクを舞台に左遷されたキャリアウーマンと本気になれない契約社員の友情を描いた『三週間の休暇』(きんざい)などがある。
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(作家 町田 哲也)
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