超一流の柔道家を翻弄…「何でもあり」の異種格闘技でグレイシー柔術が最強だったワケ
プレジデントオンライン / 2022年3月7日 17時15分
※本稿は、ヒクソン・グレイシー著『ヒクソン・グレイシー自伝』(棚橋志行訳、亜紀書房)の「解説」を再編集したものです。
■ヒクソン・グレイシーが究極のファイターと言えるワケ
ヒクソン・グレイシーという名前を見るだけで今も私は高揚し、心臓の鼓動が速まる。
断言するが、20世紀末のあの時代、世界中のあらゆる格闘技界を見わたしてもヒクソンに勝てる者は一人とていなかった。これから先、数百年後も数千年後も永遠に格闘技史に名前が刻まれる究極のファイターである。ヒクソンのその栄光はこれからどんなことがあっても損なわれることはない。
「現在のトップファイターと戦ったらどうなのか」。そんな疑義を言う若い格闘技ファンがいるかもしれない。だが現在のMMAファイターにはすべてグレイシー柔術の血が流れている。
■総合格闘技(MMA)の源流にあるグレイシー柔術
グレイシー柔術のバーリトゥード用の技術を元にして現在のMMA技術は作られた。
グレイシーの技術を知らなければMMAは絶対に勝てない。だから現代のMMAファイターも未来のMMAファイターも、グレイシー柔術を超えることは永久にできない。なにしろ全員がグレイシー柔術の遣い手なのだから。
私は作家であり、小説を生業にしている。
しかしそれ以上の時間をかけて格闘技の歴史を追い続けてきた。だからヒクソンに関する書籍にはすべて眼を通しているし、雑誌のインタビュー記事も読んでいる。
だが、本書『ヒクソン・グレイシー自伝』を読んでこれまで読んだことがない言葉が無数にあって驚いた。
この本には数々の伝説の試合の裏側が書かれているのはもちろんのこと、世界の格闘技の発展と併走してきたヒクソンの人生すべてが記録されている。今後、これを読まなければ格闘技史は語れなくなる。
■「何でもあり」の格闘技大会・UFCの開催
彼らグレイシー一族が北米やアジア、ロシアなど、ブラジル以外の大陸の格闘技関係者の前に出てきたのは1993年、第1回UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ=当時の日本ではアルティメット大会という名で報道されていた)のオクタゴンという闘技場であった。
選手が戦っているオクタゴンは金網で囲まれている。反則は「噛みつき」と「眼球攻撃」など僅か数項目で、あとは何でもありだ(ポルトガル語でバーリトゥードという言葉は「何でもあり」のこと)。
当時の格闘技界では一流ボクサーや空手家が素手で顔面を殴ったら死ぬと思われていたし、絞技も異様に怖れられていた。だからそれまで日本で様々戦われた異種格闘技戦では互いに譲らぬルール協議が微に入り細に穿つものとなり、両選手ともいいところなく引き分けるといった試合に堕していた。
プロレスのリングになるとさらに「フィクストファイト」という大きなハードルがあった。八百長である。だから「誰が一番強いのか」「どの格闘技が一番強いのか」という二つの命題は永遠に解けないものだと思っていた。
■“ガチ”で誰が一番強いのかを決める
しかしVHSビデオで観たその第1回アルティメット大会は“ルール無し”という誰にも文句が言えぬ状況を作ってこの答を出そうとしていた。さらに私から見ても明らかにフィクストファイトではなかった。
素手で戦う選手たちは、馬乗りになっても殴り、相手が失神しても殴り、歯が折れ、流血しても殴り続けた。そしてなにより、戦う彼らの表情にはリアルファイトをしている者だけが見せる昂(たかぶ)りと怯え、矛盾する二つがあった。
■優勝者ホイス・グレイシーは本当に強いのか
しかしグレイシー柔術を名乗って優勝したホイス・グレイシーの実力には私は半信半疑だった。
ほんの数年前まで大学柔道部に所属していた当時の私はホイスの戦い方を「これは柔道そのものではないか」と思ったからである。
なにしろ結果だけ見ればすべて講道館柔道の技術で勝っていた。しかもホイスは体幹が弱く「柔道の一流選手が出たら簡単に勝てるだろう」と思った。おそらくつかんで投げて絞め落として終わりだろうと。その感覚は柔道だけではなく、空手やレスリング、ボクシング、キックボクシングなど、何らかの格闘技を修行した者はみな強く感じていた。
■「アルティメット大会は八百長である」という暴論も
当時の格闘技雑誌をめくってみると、超一流の格闘家たちに編集部がこのUFCのビデオテープを観せているが、彼らは極めて否定的なコメントを寄せている。
当時辛口の論評が売りだった「フルコンタクト空手」誌などは「アルティメット大会は八百長である」と断じていた。オクタゴンの中にテープで描かれている模様が、タックルをするときの距離の目安のために引かれている線であるとまことしやかに分析していた。
いま考えれば馬鹿げた話だが、それほどグレイシー柔術というものが当時の“審技眼”では誰にも見えなかったのである。
私自身はさすがに「フルコンタクト空手」の八百長説には乗れなかったが、日本の強い柔道家が出ればホイスは何もできぬまま負けるであろうと思った。
五輪クラスが出るまでもない。強豪高校や強豪大学のレギュラーなら簡単に勝てると思った。そのレベルの柔道家なら現役選手と引退したばかりの半現役だけでも日本に何万人もいる。それらの柔道家が同じオクタゴンに入ればホイスを捻じ伏せて優勝するだろう――私だけではなく柔道関係者はみなそう考えた。
■柔道関係者が「ホイスに負けるわけない」と考えた理由
全日本クラスの柔道家は天賦の才を持ち、かつ信じられぬほどの膨大な練習量をこなした怪物たちである。
そういった怪物たちが鎬を削り世界数百万人の競技者のトップを決めるのが五輪柔道の場なのだ。そのトップ柔道家たちに、現役選手が血脈の数十人だけで閉じているグレイシー柔術が勝てるはずがないという偏見に凝り固まっていた。
柔道家たちがこれを大きな間違いだと気づくにはかなりの時間が必要だった。
■柔道界のスーパートップとの対戦
分岐点となったのは吉田秀彦とホイス・グレイシーの二度目の戦い(PRIDE、2003年)、そしてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとパウエル・ナツラの試合(PRIDE、2005年)の二つだったのではないか。
柔道界のスーパートップである吉田秀彦もナツラも寝技で翻弄(ほんろう)され、何もさせてもらえなかった。この2試合は柔道家にとって衝撃的だった。
その後、私自身もブラジリアン柔術のジムへ行き、前三角絞めを極められたり腕十字を取られたりするうちに「同じように道衣を着たグラップリング競技だが柔道とブラジリアン柔術はまったく別ものである」と思った。
球技でいえば柔道はラグビー、ブラジリアン柔術はアメフトやバスケットボール、サッカーという感じだろうか。柔道はパワフルさを前面に出した寝技で、ブラジリアン柔術の寝技はもっとテクニカルで緻密なものであった。
もちろん投技では柔道が格段に上である。しかし寝技においては完全に後れをとっているのは間違いない。
■攻勢を極めるブラジリアン柔術の原点は日本にある
現在ではインターネットで技術が短期間で広がるということもあってブラジリアン柔術の寝技はさらに進化し、柔道家でも五輪代表の切符を手に入れるためにブラジリアン柔術を並行修行して寝技強化にあたっている選手は世界中にたくさんいる。
机の上で地球儀をまわしてみると、人類史において様々な文化が交易路を伝ってゆっくりと広がっていった様が眼前に浮かんでくる。
もっとも有名なのは絹を中心に中国と欧州を交易したシルクロードだが、こういった交易路はユーラシア大陸だけではなくあらゆる大陸に大小さまざま蜘蛛の巣のように自然発生していた。
はじめ人々はそこを徒歩で移動し、次に牛馬やラクダに乗って移動した。つまりせいぜいが人間や動物が歩く速度、時速4キロ程度のスピードで技術や文化は広がった。それが千年単位で続いた。やがて大航海時代が始まると帆船によって大陸を越えて伝播するようになってくる。
そして動力が蒸気機関に替わるや、さらにダイナミックに広がっていく。ちょうどそのころ鎖国を解いた日本から様々な文化が海を渡り西洋で「ジャポニスム」という大ムーヴメントを起こした。絵画だけでもゴッホやドガ、クリムトやロートレックなど、錚々たる画家たちが日本の浮世絵などから大きな影響を受けた。
身近なところではルイ・ヴィトンのモノグラム柄が日本の家紋を、ダミエ柄が市松模様の影響を受けてできたものだということは有名な話である。
このジャポニスムのなかで各国で驚嘆を持たれたもののひとつが柔道(古流柔術を含む)だった。
■格闘技界における3つのビッグバン
過去、人類三千年の歴史のなかで格闘技のビッグバンとなった事象が二つあった。
ひとつは講道館柔道の創設というビッグバン。ひとつは琉球王国における空手の誕生というビッグバン。
この二つの格闘技は様々なかたちで世界へと広がっていき、土着の格闘技を駆逐したり融合したりしてその地に根付いていく。
柔道や空手の影響なしにここまで来た格闘技はないといってもいいほどだ。それほど柔道のグラップリング技術と空手の打撃技術は海外の人たちの度肝を抜く発想に富んでいた。
しかしながら二十一世紀になった今日、格闘技の歴史を記す学者たちはこの二つの格闘技にもうひとつの格闘技を比肩させ、世界三大格闘技のビッグバンと呼ばねばならぬようになってきた。それこそがグレイシー柔術である。
■地球の裏側で進化した日本の柔道
たしかに源流は早大柔道部出身の前田光世が伝えた講道館柔道であった。しかし、偉大なる男によって、地球の裏側で寝技中心の実戦的技術体系を持つグレイシー柔術へと進化した。偉大なる男とはもちろんヒクソンの父エリオ・グレイシーである。
現在ではそのグレイシー柔術が様々な枝に分派したため、総じてブラジリアン柔術と称され、柔道や空手に負けぬ勢いで世界中に広まっている。
その歴史のなかで最強を謳われるヒクソン・グレイシーの哲学が、本書によって一人でも多くの人に理解されることを願っている。
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小説家
1965(昭和40)年生れ。北海道大学中退後、新聞記者に。2006(平成18)年『シャトゥーン ヒグマの森』で第5回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し小説家としてデビュー。2012年『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。他の著書に『七帝柔道記』、『VTJ 前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』『木村政彦 外伝』など。
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(小説家 増田 俊也)
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