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なぜ北京五輪マスコット"ビン・ドゥンドゥン"は「氷のスーツを着たパンダ」だったのか

プレジデントオンライン / 2022年3月3日 19時15分

公式マスコット「ビン・ドゥンドゥン」の人形 - 写真=SPUTNIK/時事通信フォト

北京冬季五輪で人気を博した公式マスコット「ビン・ドゥンドゥン」。そのデザインにはさまざまな狙いがある。東京女子大学の家永真幸准教授は「現在の中国はパンダだけではなく科学技術、宇宙、未来といった要素によって象徴されるのだ、という設計思想が込められている。受け身だったかつての『パンダ外交』から大きな変化が見られる」という――。

■マスコットのグッズが中国で大売れしている

2022年2月4日から20日にかけて開催された北京冬季五輪の会期中、公式マスコット「ビン・ドゥンドゥン」のグッズが中国国内で人気を博したことが盛んに報じられた。日本テレビのアナウンサーが大のマスコットファンであることが中国のSNSで話題になり、現地メディアに取り上げられたことは、日本でもニュースになった。さらにネット上では、会場の着ぐるみマスコットが「しゃべったら声がおじさんだった」「飛び跳ねた拍子に足がもげた」などの「醜聞」も広く出回った。

ビン・ドゥンドゥンは、ずんどうなパンダが透明の殻に覆われたキャラクターである。今大会では、競技終了後のフラワーセレモニーで上位選手にぬいぐるみが贈呈されたため、世界中のスポーツファンがその映像を目にしたことだろう。

北京で行われるスポーツ国際大会でパンダがマスコットとなるのは、ビン・ドゥンドゥンが初めてではない。1990年アジア競技大会のマスコットは「パンパン(盼盼)」というパンダであり、2008年夏季五輪では5人組マスコット「フーワー(福娃)」メンバーの1人がパンダの「ジンジン(晶晶)」であった。では、なぜ今回もまた、パンダが大会の顔に抜擢されたのだろうか。そもそも、なぜ選ばれるのはいつもパンダなのだろうか。

■パンダの“可愛さ”を発見したのは外国人たちだった

パンダが中国のシンボルを務めてきた歴史は、実はそれほど古くない。1930年代後半にアメリカでパンダ・ブームが発生するまで、当時の中華民国政府がパンダを自国の象徴と見なしていた形跡はない。しかし、日中戦争期の1941年、重慶の中国国民党政権が抗日宣伝の一環としてアメリカにパンダを贈る「パンダ外交」を行うと、これを契機にパンダは中国を代表し、かつ中国と他国との間の友好を演出するシンボルとなった。中国にとってパンダ外交は、外国人が勝手に発見したパンダの「可愛さ」を利用した、ある部分では「受け身」の外交戦術として生まれたのである。

そしてパンダは外国人を喜ばせる使命を帯びていくのと前後して、国内では「祖国の宝」と見なされるようになっていった。上海では1940年代初頭にパンダをチーム名に冠するソフトボールチーム(熊猫隊)が生まれ、1940年代後半にはパンダ石鹸という商標があった記録が残っている。

ジャイアントパンダ
写真=iStock.com/bedo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bedo

■「祖国の宝」の性格を強めていった80年代

第二次大戦後、国民党政権は内戦に敗れて台湾に逃れ、中国大陸には1949年に中華人民共和国が成立した。その主導権を握った中国共産党は、引き続きパンダを祖国の貴重な動物と位置づけた。1950年代には北京動物園がパンダの飼育・展示を開始したほか、パンダ印の高級タバコの生産も始まった。中国政府は、1972年の米中和解、日中国交正常化の際には、アメリカと日本それぞれにパンダのペアを贈った。日本の上野動物園に来たランラン・カンカンが爆発的な人気を博したことはよく知られている。

1980年代にタケの一斉開花・枯死という自然現象が発生し、パンダの生態環境が悪化すると、中国内外でパンダ保護の呼びかけが大々的に展開された。これにより、パンダは国際社会における野生動物保護のシンボルであると同時に、中国にとっては愛国心を喚起する宝である、という性格をいっそう強めた。1990年の北京アジア競技大会以来のマスコットは、このような文脈を背負ったアイコンなのである。

■ビン・ドゥンドゥンの特徴は「科学技術」要素

さて、では2022年の北京冬季五輪はなぜ、マスコットにパンダを選んだのだろうか。パンダが中国のマスコットに起用されるおそらく最大の理由は、外国人に人気があるからである。

今大会のマスコット・デザインチームを率いた曹雪氏は、ビン・ドゥンドゥン誕生秘話を語るなかで、自身が外国のホテルでテレビをつけるたびにパンダが現れることからもパンダがいかに外国人から好かれているか分かると指摘している。

ただし、ビン・ドゥンドゥンに込められたメッセージは、オリンピックを楽しむ外国人に対する「おもてなし」にはとどまらない。曹雪氏によれば、今回のデザインでは従来のパンダのマスコットとの差別化を図るために、「科学技術」の要素を盛り込んだという。たしかに、ビン・ドゥンドゥンの表面を覆う殻は宇宙服のようでもあり、2019年9月にデザインが発表された際の報道には、「未来から来た宇宙パンダ」との紹介文も見られる。

■国民に対する「誇りを持とう」というメッセージ

細かい設定には多少のブレがあるようで、公式プロモーション動画を見ると、雪山に住むパンダ君が宇宙からの謎の落下物によって超能力を得て、変幻自在な氷のスーツに身を包み、国家スピードスケート館(通称「アイスリボン」)で各種競技を楽しんだ末、大気圏を突破して船外作業中の宇宙飛行士と邂逅を遂げるストーリーになっている。なお、ビン・ドゥンドゥンの眼鼻の周囲で殻に覆われていない部分の輪郭は、国家スピードスケート館の外観を模している。

いずれにしても、ビン・ドゥンドゥンには、現在の中国はパンダだけではなく科学技術、宇宙、未来といった要素によって象徴されるのだ、という設計思想が込められている。これは海外に向けたアピールにとどまらず、中国国民に対する「自国に誇りを持とう」というメッセージにもなっているのだろう。

ビン・ドゥンドゥンの容姿で何より特徴的なのは、水晶のような透明の外殻である。デザインチームは、自在に形を変えることのできる水の性質に着想を得て、氷のスーツがさまざまなスポーツ用具に変形する設定を生み出したという。

■中国政府が重んじている要素が詰め込まれている

一方、そのアイデアが生まれる過程では、タンフールー(糖葫蘆)というお菓子のイメージも影響したという。タンフールーは中国北方を象徴する庶民のお菓子で、赤くてまん丸なサンザシの実をだんごや焼き鳥のように串に刺し、表面に水あめをかけて固めたものである。

伝統的な中国の屋台の食べ物
写真=iStock.com/VivianG
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VivianG

口にするとパリッとした透明の殻の内側から甘酸っぱく淡白な果肉が現れ、素朴ながら非常においしい。デザインチームはさまざまな「具材」を検討した末、パンダに水あめをかけることに決めたようである。中国中央テレビ(CCTV)では、ビン・ドゥンドゥンは中国の「伝統」も象徴しているのだと関連づけて、タンフールーを紹介する短い番組も製作された。

古い話で恐縮だが、筆者には15年ほど前に真冬の北京で見た忘れられない光景がある。氷点下の気温が続き、大きな湖が厚く凍ると、どこからか貸靴屋が現れ天然のスケートリンクとなる。そこに集まった現地の子どもや若者たちが、タンフールーの長い串を片手にスケートを楽しんでいたのである。なんと危険な遊びをするのかと当時は仰天したが、北京に暮らす人々にとってはそれらすべてが冬の風物詩だったのだろう。

以上のように、ビン・ドゥンドゥンには「外国からの好感」、「先進的な科学技術」、「伝統的な庶民生活」といった、現在の中国政府が「重んじている」ことを内外に印象づけたいさまざまな価値が、幾重にも盛り込まれていたと見ることができる。

■受け身の宣伝戦術から積極的な価値の発信へ

さらに、政府当局の意向はビン・ドゥンドゥン本体だけでなく、その人気を報じるニュースにも色濃く反映されている。官製メディアに掲載された記事のなかには、ビン・ドゥンドゥングッズの品薄状態は誇らしいことであるとした上で、転売屋を儲けさせることのないよう中国の製造業の実力を信じるよう訴えるものや、ニセモノが厳しく取り締まられることを周知する文脈で、知的財産権保護のための法整備が進んでいることを強調するものなどが見られる。

これらの論調には、中国政府の取り組みや成果を肯定的なものとして内外に印象づける意図が込められているだろう。とりわけ中国国内においては、自分の所属する共同体は素晴らしいものであってほしい、と願う多くの人々の感情をくすぐるのに成功したのではないか。

かつてのパンダ外交は、「外国人がパンダをどう見ているか」を強く意識した、多分に受け身の宣伝戦術という面があった。しかし、今日のビン・ドゥンドゥン現象からも見て取れるように、中国政府はいまや自ら積極的にパンダの価値を規定し、発信を強めている。

■五輪開催中に中東へのパンダ提供が進展

今回の冬季五輪に際し、中国政府は開会式に出席した外国要人との間で積極的な「五輪外交」を行った。そのなかで、2022年2月5日、習近平国家主席はカタールのタミーム・ビン・ハマド・アール・サーニー首長と北京で会見した際、中東で初の事例となるパンダ協力、すなわち繁殖研究のためのカタールへのパンダ提供の意向を示した。

かつて中国からパンダが贈られたのは、先方がパンダを欲しがるアメリカやイギリス、日本のような国が中心であった。しかし、近年は貸与先の多角化が進んでおり、中国のパンダ外交がいっそう能動的になっていることがうかがえる。

■ビン・ドゥンドゥンブームの先に何を築くか

ところで、筆者はこの記事のかなりの部分を、中国の官製メディアの情報に基づいて執筆している。これにより、本稿自体がパンダを通じた中国政府の宣伝を増幅する役割を演じてしまっていることは否定できない。もちろん、筆者にその意図はなく、日本語圏の読者にとって読む価値のある文章になるよう心がけたつもりである。しかし、客観的に見える第三者に語らせる宣伝こそが優れた宣伝である。

筆者が本稿の執筆にかまけている間、本来もっと注目すべき問題はなかったか。たとえば、今大会期間中、江蘇省徐州市の農村において誘拐による人身売買によって結婚を強いられたと疑われる女性が、8人の子どもを出産させられた上に鎖でつながれ監禁されているとの映像が拡散し、中国のSNS上で政府の対応を非難する声が広がったことが報じられている。この問題は、中国の市民がどのような社会の実現を望んでいるのか、政府はネット世論の盛り上がりにどう向き合うのかを知る上で大きな意味を持つはずである。

日中両国社会がこのたび、ビン・ドゥンドゥンを通じて互いへの関心を高めたことは、大いに歓迎すべきである。しかし、その関心をパンダの話題だけで終わらせないこともまた、私たちがより良い未来を築くために重要なことであろう。

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家永 真幸(いえなが・まさき)
東京女子大学 国際関係専攻 准教授
1981年、東京都生まれ。2004年東京大学教養学部卒業。2015年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は東アジア国際関係史。著書に『パンダ外交』(メディアファクトリー)、『国宝の政治史 「中国」の故宮とパンダ』(東京大学出版会)などがある。

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(東京女子大学 国際関係専攻 准教授 家永 真幸)

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