佐藤優「プーチン大統領の目的は『ウクライナに傀儡政権を樹立すること』ではない」
プレジデントオンライン / 2022年3月3日 15時15分
■プーチンの目的は3つある
ロシアによるウクライナへの攻撃は、国連憲章に違反し、国際秩序を力づくで変更しようとする試みで、断じて認めることはできません。ロシアの責任は法的にも道義的にも大きく、厳しく指弾されなくてはいけません。
ただし、ロシアの進軍が止まらない以上、これから何が起きるのか、ひいては今回の軍事行動がどのような内在的論理に基づいているのか、正しく理解する必要があります。
大半のメディアや識者が、「プーチン大統領の目的は、ウクライナに傀儡政権を樹立することだ」と言っています。しかし私の見立ては異なります。
まず、ロシアがウクライナへ侵攻した目的は、3つあります。
1つ目は、ウクライナ東部のルガンスク州とドネツク州にいるロシア系住民の保護。そのうち70万人は、ロシア国籍をもつ人たちです。
2つ目は、ウクライナを軍事的な脅威ではなくすこと。すなわち、ウクライナ軍の攻撃的な兵器をすべて叩き潰すことです。ロシアが一番恐れていることは、ロシアと隣接する国に敵対する軍事大国が存在することです。ソ連時代の第2次世界大戦時にドイツ軍の侵略を受けて、2600万人もの犠牲者が出た苦い経験から来ています。
ですから、第2次世界大戦後、東ドイツやポーランドをソ連に併合する案が出たときも、それをあえて拒否したのです。ソビエトが主権国家の連邦である以上、それも可能だったのに、独立した人民民主主義国としました。NATO諸国との間に東欧各国が存在すれば、バッファー(緩衝)となる中間地帯にできるからです。
もしもウクライナがNATOに加盟すれば、バッファーを失ってしまいます。これがロシアの安全保障観です。その意味からもウクライナ全体の占領や併合はせず、非軍事化された戦略的な中間地帯にしておきたいはずです。
■「ハンガリー動乱」「プラハの春」と同じ方法を試みている
そして3つ目の目的が、親米で反ロシア路線のゼレンスキー政権を倒すこと。ただし、次の政権は傀儡ではなく、ロシアと融和的であることが条件となります。完全な傀儡政権はウクライナの国民に支持されないことを、プーチン大統領は歴史から学んでいます。
1956年の「ハンガリー動乱」(社会主義体制下のハンガリーで、民主化やソ連軍の撤退などを求めた民主化運動)にソ連が軍事介入した際、ワルシャワ条約機構(東ヨーロッパ諸国がNATOに対抗して作った軍事同盟)からの脱退などを表明したナジ首相の追放後に擁立されたのは、カーダール・ヤーノシュという人です。彼はナジ政府の国務大臣であり、ソ連軍の戦車に抵抗した人物でした。
1968年に社会主義体制下のチェコスロバキア(当時)で起こった民主化運動「プラハの春」でも同じです。「人間の顔をした社会主義」を掲げて民主改革を試みたドゥプチェク共産党第1書記でしたが、ソ連などの軍事介入によって失脚したあと、政権を任されたのはグスターフ・フサークです。彼にも、スロバキア民族主義者として逮捕され、終身刑を言い渡された前歴がありました。
カーダールやフサークは、自国を裏切ってソ連に寝返ったのではありません。大国にいつまでも向かっていても勝ち目はない。ならば自分たちの祖国や民族を守るために現実的な方法でソ連と調整していかなくてはいけない。そういった高いモラルをもっていたのです。ハンガリーもチェコスロバキアも、その後は安定的に国家を運営できました。現政権や抵抗勢力の中から次の誰かを探し出すのが、ソ連以来のやり方です。
ロシアは、「ウクライナの次の政権も、ロシアの軍事力を背景に数年維持できれば、国民は受け入れざるを得なくなる」と考えているはずです。したがって、ウクライナ国民をある程度まとめられる人が、国内の現実主義的政治家の中から自発的に出てくるだろう。プーチン大統領は、そう見越しています。
2月25日、プーチン大統領がウクライナ軍の兵士に対して「その手で権力を奪い取れ」とゼレンスキー政権へのクーデターを呼びかけたのは、その証しだと考えられます。ゼレンスキー政権が崩壊し、ロシアに対抗しない政権が生まれれば、ロシア軍は撤退するはずです。
■軍事侵攻を合法だと言い張るための周到な準備
それから、ロシアは国際法を完全に無視したのではなく、乱用しているのだという点も、踏まえておくべきです。ロシアは今回の軍事行動を、日本でもさんざん議論された「集団的自衛権」を根拠に置いています。すなわち、同盟国が攻撃を受けた際の個別的・集団的自衛権を定めた、国連憲章51条です。
侵攻に先立つ2月21日、ロシアはドネツク州、ルガンスク州の親ロシア派武装勢力がそれぞれ自称している両“人民共和国”を、独立国家として承認しました。国家承認の要求は、国民がいて、実効支配できている政府があって、国際法を守る意思があることを条件になされます。この“両国”には、外形的にそれらが整っています。そのため要求に応じる形で国家承認を行い、次いで「友好、協力、相互援助条約」を締結しました。これは日米安保と一緒で、安全保障のための条約です。それをロシアの国会で批准しました。
ロシアの軍事侵攻前の段階では、親ロシア派武装勢力はルガンスク州とドネツク州の一部を実効支配しているだけで、全域を支配してはいませんでした。しかし、ドネツク人民共和国の領土はドネツク州全域、ルガンスク人民共和国の領域はルガンスク州全域だと、両“人民共和国”の憲法は定めています。すると、支配が及んでいない地域は、ウクライナによって不法占拠されていることになります。ロシアはその“解放”のため、「友好、協力、相互援助条約」に基づいて、集団的自衛権を行使できるという理屈になるのです。
もちろん国際的に是認されるわけがありませんが、合法だという理屈を周到に組み立て、計画的に実行したことがわかります。
■1968年の「ブレジネフ・ドクトリン」がよみがえった
「プラハの春」でソ連がチェコスロバキアを弾圧する際、ソ連は「制限主権論」を唱えました。「社会主義共同体の利益が毀損(きそん)される恐れのあるときは、個別国家の主権が制限されることがあり得る」という論理で、「ブレジネフ・ドクトリン」と呼ばれます。これによって、ワルシャワ条約に加盟していたソ連、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ブルガリアの5カ国軍のチェコスロバキアへの侵攻を正当化したのです。
今回のロシアの行動は、「プーチン版ブレジネフ・ドクトリン」に基づいていると思います。すでに社会主義共同体ではありませんが、「ロシア連邦の死活的に重要な地理学的利益に反する場合、個別国家の主権が制限されることがある」という考え方です。
これはもはや、帝国主義的な弱肉強食の論理です。ロシアの利益のためウクライナの主権が制限されるという身勝手な論理は、断じて容認すべきではありません。しかし、プーチン大統領の頭の中は、このような論理になっているのです。
■プーチンのウクライナ侵攻の手順は「教科書」通り
プーチン大統領の行動を読み解くのにもうひとつ役立つのが、イタリアのジャーナリストであるクルツィオ・マラパルテ(1898~1957年)です。『壊れたヨーロッパ』や『皮』の著者で、その思想はイタリアの独裁者・ムッソリーニに強い影響を与えました。特に、ロシア革命を分析した『クーデターの技術』は重要な本です。
マラパルテは、革命には大衆運動や政党など必要ない。1000人ぐらいの専門家が水道、鉄道、電気などの基礎インフラを押さえてしまえば、政権は転覆すると書いています。今回のロシアの軍事行動は、当初マラパルテの教科書通りに進んでいました。まず、ウクライナ各地の主要な軍事インフラや通信インフラを攻撃して麻痺させ、次にチェルノブイリなどの発電所を確保したのです。
点を押さえて政権を麻痺させてしまおうという戦術に、プーチン大統領のインテリジェンスオフィサーとしての本領が出ていました。
■NATOもアメリカも完全に足元を見られていた
では国際社会の反応を、プーチン大統領はどう読んでいたのか。アメリカやEUや日本が最大限の制裁に踏み切ることは、織り込み済みだったでしょう。しかし、ごく短期間で軍事的な目的を達成して、先述した3つの目的を達成する基盤を作ってしまえば、国際社会は現状を追認せざるを得なくなると見ていたはずです。
少なくともプーチン大統領は、ウクライナをNATOに加盟させないという目標を達成し、NATO軍が自国の国境まで迫る事態を回避しました。ウクライナは当面ロシアに敵対できないでしょうから、政治的影響力と緩衝地帯の維持に成功したのです。
NATOもアメリカ軍も直接は介入してこないと、完全に足元を見られていました。EU諸国は、天然ガスなどのエネルギーをロシアに大きく依存しています。ヨーロッパ全体で4割。ドイツに至っては5割超です。失う打撃の大きさを考えれば、時が経つほど弱腰になるとプーチンは見ています。
アメリカは、国内世論が厭戦ムードですし、バイデン大統領はあまりに早くから軍事的な手段をとらないと表明してしまいました。
■ロシア国民はクリミア併合の時ほど歓迎していない
ロシア国内はどうかと言えば、2014年のクリミア併合の時ほど、国民は歓迎していません。あのときは、欧米にやられっぱなしだったロシアの逆転の象徴だと受け止められていました。
しかし、国際的な経済制裁を受けて、国民の生活は厳しくなりました。プーチン大統領の1期目と2期目である2000~2008年までは経済成長率は平均で年6.97%、リーマンショックにより2009年の経済成長は落ち込むも、2010~2013年までは3.84%ほどあった経済成長率は、クリミア制裁後の2014年から2021年では平均で0.92%まで落ちました。
今回も、国際的な銀行間の決済システム(SWIFT)からロシアの複数の銀行を排除するなどの制裁を受け、ロシアの通貨ルーブルが暴落しています。ロシア経済は再び、かなりの血を流すことになります。
しかしロシア人は、ソ連が崩壊した80年代終わりから90年代にかけて、非常に厳しい耐乏生活を経験しています。92年のインフレ率は、実に2500%です。石けんや砂糖や塩やマッチが手に入らない時代が、わずか三十数年前でした。あの頃に比べたらマシだと、多くのロシア人は感じているはずです。
経済制裁の影響はこれから出てきますが、ロシアという国が潰れるほどにはなりません。したがって、プーチン大統領の支持率が大きく下がることは考えにくいでしょう。他方、政治的エリートや体制派の知識人以外の民衆はこの戦争を積極的には支持していません。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優 構成=石井謙一郎)
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