「ウクライナのNATO入りは絶対に認められない」プーチンがそう考える地政学上の理由
プレジデントオンライン / 2022年3月3日 18時15分
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(写真左)と、2022年1月11日、フランス、ドイツ、ロシアとの新たな首脳会談を呼びかけたウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(写真右) - 写真=AFP/時事通信フォト
■「キエフ公国」をルーツに持つロシアとウクライナ
2017年6月、ウクライナを訪れた。
ウクライナは大国である。人口は4500万人、ヨーロッパではロシア、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スペインに次ぐ第7位である(第8位はポーランド)。面積では、約60万平方キロで日本の1.6倍、ロシアを除けばヨーロッパ最大である。国土のほとんどは肥沃(ひよく)な平原で、伝統的にヨーロッパの穀倉と言われてきた。
ウクライナの歴史は古い。9世紀後半、キエフを中心にキエフ・ルーシ公国(あるいは大公国、あるいはキエフ公国)という国が成立し、13世紀にモンゴルに滅ぼされるまで続いた。最盛期にはヨーロッパ最大の版図を誇った。
キエフ・ルーシ公国の後身がウクライナだとウクライナ人は言い、いやロシアだとロシア人は言う。いずれにせよ、キエフを中心に相当大きな国が9世紀後半に存在していたことは確かである。
その後、ウクライナはポーランドやリトアニア、オーストリア、ロシアなどの支配を受け、独立国家を作ることはできなかった。
1917年、帝政ロシア崩壊とともにウクライナ人民共和国の樹立を宣言したが、やがてソ連の一部となった。1945年に国連ができたときは、ソ連の一部でありながら、ベラルーシとともに国連に加盟した。非常任理事国を務めたこともある。
■困難な歴史が生んだアイデンティティ
ソ連はウクライナを重視した。肥沃な土地を農業生産基地として利用し、また、重工業化を推進した。
この間、しかし、農業集団化政策の失敗により、1932年から33年にかけての大飢饉で、300万から600万人が亡くなったと言われている(黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』)。のちに述べるチェルノブイリなども、この重工業政策の結果の1つであった。
ウクライナはまた、第2次世界大戦では、ドイツとの激しい戦争の舞台となり、多数の犠牲を出した。人口の6分の1にあたる530万人が戦死したといわれている(同上)。
第2次世界大戦のヨーロッパ戦線の悲劇を描いた映画の1つに、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の『ひまわり』がある。戦争の最中に行方不明になったイタリア人の夫を探し回る映画で、画面いっぱいに広がるひまわりが忘れられない映画だった。あの場面はウクライナで撮られたもので、ひまわりの下には、数え切れない犠牲者がいたのだろう。
ロシア(ソ連)は攻め込まれたときに、国土の縦深性を利用して、敵を奥深く誘い込み、やがて反撃に転じることを得意とするが、その中で犠牲になった人もまた無数だった。ウクライナはしばしばその最前線としての役割を担わされたのである。
ウクライナのアイデンティティは、こうした困難な歴史の中から生まれている。
ピアニストのホロヴィッツや、ヴァイオリニストのミルシュタインのように亡命した人はもちろん大変だったろうし、ピアニストのリヒテルのように国内にとどまった人も、厳しい目にあっていた。作曲家のプロコフィエフは亡命し、そして帰国した人である。
■独立時から続くロシアとの緊張関係
さて、現在のウクライナは、伝統的な領土をすべて領土としている。つまりこれまでウクライナはポーランドやリトアニア、ロシアの支配下にあって、彼らが領土と考えるところをおさめているのは、歴史上稀に見る事態である。
しかし、ソ連時代に進んだロシア化の影響は大きく、東部にはとくにロシア人や親ロシア派が多い。人口の8割はウクライナ人、2割がロシア人であるが、長くロシアに依存する経済だったから、ロシアの勢力は2割よりもかなり大きいと思われる。実際、これまでの大統領選挙は、いつも親露派対反露(親西欧)派が拮抗(きっこう)することになっている。
ウクライナの独立は1991年のことであった。これはいくつかの偶然によるところもあったが、ウクライナの独立はソ連にとって致命的だった。以後、ウクライナとロシアとの関係は微妙だったが、2004年には大統領選挙の混乱からオレンジ革命が起こり、親欧米のユシチェンコが大統領になった。
ロシアはこれを認めず、強硬策に転じた。2005年には天然ガス価格の大幅値上げを要求した。私はちょうど国連大使だったのだが、2006年4月、温厚なデニソフ大使にかわって、気性の激しいチュルキン大使が任命され(2017年、現職のまま亡くなった)、厳しい締め付けが続いた。
■ロシアがNATOの東方拡大に過敏になるワケ
それは私には意外ではなかった。かつて1998年ころ、「ソ連封じ込め」の冷戦政策で知られるジョージ・ケナンは、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大に反対だった。ロシアは常に周囲から圧迫されていると感じ、そのことに強く反発する国である。不用意な拡大はロシアの強い反発を招いて危険だという予測だった。
かつて独立国だったバルト3国などはともかく、ウクライナとベラルーシはロシアの中核的部分だとロシアは考えているので、これが独立し、反ロシアになったとき、ロシアはどう反応するだろうかと、私も懸念を持っていた。
そしてロシアが復活するときは、かならず軍事大国として復活するであろう、なぜなら、それがロシアの歴史的アイデンティティだから、と考えていた。
かつて2000年代後半、ジョージ・ブッシュ大統領時代に、ポーランドにミサイル防衛施設を配備する計画があった。
これに対してロシアは激しく反発した。元来、ミサイル防衛は防衛用のものである。ロシアにポーランドを攻撃する意思がないなら、ミサイル防衛があってもなくても同じではないかと、われわれは考えるが、ロシア人はそうは考えないのである。
純然たる防衛力であっても、ロシアの攻撃力を妨げるものを持つことは敵対的行為だと考えるのである。
■常態化していたウクライナ国内の紛争
2010年の大統領選挙では、親露派のヤヌコーヴィチが勝利した。そして欧米と距離を置く政策を取り始めた。これに国民から反発が起こり、2014年2月、キエフで反政府運動が高まり、大統領は辞職した。
これに対しロシアはクリミアに軍隊を派遣して、これを制圧した。3月、クリミアの親露系住民は「独立」を宣言し、ロシアへの編入を求め、ロシアのプーチン大統領はただちにこの「独立」を認め、編入をも承認した。
なお、外国軍隊の駐留のもとに、ウクライナの多くの法律に違反して行われたこの一連の行動は、もちろん違法である。クリミアのみならず、東部のいくつもの州で、同様の「独立」運動やテロが起こっている。
2014年5月の大統領選挙では、ポロシェンコ大統領が当選した。依然として東部では戦闘が続いている中で、9月には停戦に関するミンスク合意が定められた。さらに2015年2月には第2次ミンスク合意が行われたが、依然、紛争は続いている。これまでの犠牲者だけで約1万人にのぼるという。ウクライナ政府の支配が及ばない地域がかなりある。
■ウクライナの問題は世界の民主主義国家すべての問題だ
ウクライナは国内でも難しい問題をかかえている。とくに難しいのは経済改革である。
ウクライナやロシアには、オリガルヒと呼ばれる勢力がある。旧社会主義国で体制変革が起こり、資本主義化が進んだときに登場する勢力で、メディアを支配し、金融機関を支配し、多くの企業を経営し、しばしば暴力組織とも結びついている。
金融機関の実態を明らかにしなければ経済改革は不可能だし、この改革に手をつけると、改革者は生命の危険をおかすことになる。JICA(国際協力機構)はウクライナの要請に応じて、日本銀行で国際局審議役などを務め、IMF(国際通貨基金)にも在籍経験のある田中克氏をアドバイザーとして派遣している。この田中氏に会って、改革の難しさを詳しく聞かせていただいた。
ウクライナではチェルノブイリにも行った。1986年の原子炉事故は、世界を震撼(しんかん)させた。これに対する対応の遅さは、社会主義の隠蔽(いんぺい)体質のせいだと、世界は批判した。
しかし、2011年の東京電力福島第1原子力発電所の事故の際、日本はチェルノブイリ以上の対応が取れていただろうか。日本はソ連の対応を批判したが、この事件から本当の意味では学んでいなかったのである。
この訪問ではポロシェンコ大統領に会えた。大統領とは2016年1月のダボス会議のクローズド・セッションで会っている。その時、大統領はロシアがいかにウクライナに兵士を送り込んでいるかを雄弁に語った。
「ヨーロッパのリーダーたちは、いやいや、それはウクライナだけの問題ではない、ヨーロッパ全体の問題だと励まし、私も、いや、力による現状変更はヨーロッパで起こっているだけではない、南シナ海でも起こっている、したがってウクライナの問題は世界の民主主義国家すべてについての問題だ」と述べた。
■元ヘビー級チャンピオン、キエフ市長に見る愛国心
こういう状況で日本はウクライナに対して何ができるだろうか。ウクライナが求めているのはたとえば武器支援であるが、これはもちろんできない。あとは、ロシアに対する制裁やウクライナに対する経済支援がある。ロシアに対する制裁は、領土問題の解決をめざす日本としては、あまり踏み込めない。
そうなると、結局経済支援しかない。2014年になってから、日本は1500億円を超える借款を供与している。その最大の事業は、ボルトニッチ下水処理場の改修工事である。これは、1964年にできた大きな処理場である。
しかし社会主義にはメンテナンスという概念がないのだろうか、老朽化して一部施設が使い物にならなくなっている。政治体制がどうなっても、この改修は必要で、重要な支援だと思う。ポロシェンコ大統領も大いに感謝してくれた。そして、これらの支援を着実に実行していくため、キエフにJICA事務所を作ると言ったら、大変に喜んでくれた。
そのほか、キエフのビタリ・クリチコ市長にも会えた。日本でも会っているので、2度目である。クリチコ市長は、元ボクシングのヘビー級チャンピオンで、身長2メートル、通算戦績は47戦45勝(41KO)2敗で、勝率はモハメド・アリよりすごい。2004年には、オレンジ革命支持を表明するため、オレンジの布を巻いてリングにあがったという。
クリチコ市長は、本拠地であるドイツにとどまっていれば快適で豊かな生活が待っていただろうに、市長選挙に挑み、2度は敗れたが3度目に当選した。愛国心のなせるわざである。そのうち大統領候補だと言われている。クリチコ市長もJICAのファンである。今度オフィスを作ることにしたというと、本当に喜んでくれた。
ちなみに、弟のウラジミール・クリチコ氏も異なる組織のヘビー級のチャンピオンで、2人で世界を制していた。
■オペラハウスで見たウクライナ人の苦悩
キエフには大型ではないが、立派なオペラハウス(ウクライナ国立歌劇場)がある。キエフ・オペラは日本にも何度もやってきている。バレエはもっと有名である。
旧知の角茂樹・駐ウクライナ大使ご夫妻にお声掛けをいただき、ヴェルディのオペラ『ナブッコ』を観に行った。これはバビロニアのネブカドネザル王のもとに囚われとなったユダヤ人(バビロンの捕囚)を主人公にしたオペラである。
イタリアがまだ統一されておらず、オーストリアなどの支配に苦しんでいたとき、このオペラは作曲され、3幕の合唱「行け我が思いよ、金色の翼に乗って」は、独立と統一を求める民衆によって熱狂的に歌われ、イタリアの第2の国歌と言われた。
この合唱に、観衆はどう反応するか、実は固唾を飲んで観劇した。演奏は素晴らしかったが、観衆が熱狂する場面はなかった。たしかにロシアとの問題は、感情的な高揚で解決できるような問題ではない。そのことを知っているからかもしれない。(2017年8月9日記)
■筆者付記——ロシアのウクライナ侵攻にあたって
(2022年3月2日)ウクライナ情勢が緊迫していた2月3日、私は友人のジャン・マリー・ゲーノコロンビア大学教授(元国連PKO局長)とのオンライン会議で、たとえば10年間ウクライナはNATOに入らないという提案をしたらどうだろうかと話した。試みる価値はあったと思う。
しかし、戦争は勃発してしまった。5年前の文章の中で、キエフにおけるオペラ、ナブッコに触れた。今、そういう機会があれば、聴衆は熱狂的に「行け我が思いよ、金色の翼に乗って」を歌うだろう。ウクライナが親ロシアになることは、もうないだろう。
日本もできるだけのことをして、ウクライナを支援すべきだ。しかし、それでも、正義の実現よりも、犠牲者を増やさないことの方を重視して、事態を収拾するしかないと思う。
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国際協力機構(JICA)理事長、東京大学名誉教授
1948年、奈良県生まれ。東京大学名誉教授。東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。立教大学教授、東京大学教授、国連大使(国連代表部次席代表)、国際大学学長等を歴任し、2015年より現職。2011年、紫綬褒章受章。著書に『清沢洌』(サントリー学芸賞受賞)、『日米関係のリアリズム』(読売論壇賞受賞)、『自民党』(吉野作造賞受賞)、『明治維新の意味』など。
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(国際協力機構(JICA)理事長、東京大学名誉教授 北岡 伸一)
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