佐藤優「『プーチンの精神状態は異常』という報道は、西側が情報戦で負けている証拠である」
プレジデントオンライン / 2022年3月7日 15時15分
天皇陛下とマッカーサー元帥の初会談(1945年9月27日、東京・アメリカ大使館にて)。写真=U.S. Army photographer Lt. Gaetano Faillace/PD US Army/Wikimedia Commons
■ウクライナにおける戦闘は終局面に近づいてきた
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は激しさを増し、民間人にも多くの犠牲者を出しています。
しかしウクライナにおける戦闘は、終局面に近づいてきていると思います。
3月3日に行われたロシアとウクライナによる2回目の停戦協議で、攻撃にさらされる都市から民間人を脱出させるための退避ルート「人道回廊」を設置し、その間は一時的に周辺での戦闘を停止することで合意したからです。
人道回廊を作って民間人を逃がすということは、あとに残るのは軍人だけになりますから、最後まで戦い続けるというウクライナ側の意思表示であり、ロシア側もそれに応じるということです。つまり、戦闘が終局面に入ったことを示しているわけです。
もっとも実際には、3月7日現在、人道回廊は作られていません。実施される予定だった東部の都市マリウポリとボルノバハでは戦闘がやまず、延期になりました。ロシアもウクライナもその責任を相手に転嫁しています。このまま首都キエフや第二の都市ハリコフにロシア軍が突入すると多大な犠牲者が出ます。
■ロシアとウクライナ、最終的に勝利するのは
すべての国連加盟国は武力行使に訴えてはいけないという国連憲章のルールを無視し、ウクライナに全面侵攻したロシアの行為は到底是認できるものではありません。ウクライナを国際社会が応援する気持ちは心情的によくわかりますし、ウクライナ軍も必死の抵抗を続けています。
しかし、残念ながらこの戦争はロシアが勝つことになるでしょう。
アメリカもヨーロッパ諸国もウクライナへの武器供与やロシアへの経済制裁は行っているものの、戦闘には参加していません。経済制裁にしても、国際的な銀行間の決済システム(SWIFT)からロシアの銀行を排除する際にも、ロシア銀行最大手のズベルバンクと国営ガス会社ガスプロム傘下のガスプロムバンクは含まれていません。ロシア産の石油・ガスに対する主要な決済手段となっているため、ヨーロッパは及び腰なのです。
また、ウクライナのゼレンスキー大統領は、民兵を募って銃を与えていますが、こうした即席の兵士は、プロの軍人の前では戦力にならず、圧倒的な軍事力の差を埋めることにはなりません。しかも銃や火炎瓶で武装した市民は民間人ではなく、戦闘員とみなされるので、ロシア軍の攻撃対象になります。
■ゼレンスキー大統領に残されている2つの選択肢
では“戦後”について、プーチン大統領はどう考えているのか。
現在、ウクライナのゼレンスキー政権に要求しているのは、次の3項目です。
・ウクライナの中立化と非武装化。
・クリミア半島におけるロシアの主権の承認。
・現政権における責任者の処罰。
これは降伏文書にサインせよと言うに等しい内容ですから、ゼレンスキー政権は到底のめないでしょう。
そうなると、ゼレンスキー大統領に残されている選択肢は2つです。
1つ目は、海外への亡命です。徹底抗戦を唱えてきたゼレンスキー大統領としては、ロシアに捕まることは避けたい。そしてロシアも内心はゼレンスキー大統領を捕まえたくない。「現政権における責任者の処罰」を要求している以上、逮捕した場合は裁判にかけなくてはならないからです。そうなれば釈放せよという運動が国際的に起こりますから、「早くキエフから逃げてくれ」というのが、ロシアの本音だと思います。イギリスのジョンソン首相は2月24日に「必要があればウクライナの亡命政府を受け入れる」と表明していますし、国境を接しているポーランドも反ロシアなので受け入れてくれるでしょう。
2つ目は、首都をキエフから西部のリビウに移し、リビウに拠点国家を作る。リビウを中心とするガリツィア地方は、1945年までポーランド領でした。オーストリア=ハンガリー帝国時代は多言語政策を行っていたので、ウクライナ語の教育も行われていました。現在も、ウクライナ語を流暢にしゃべるのは西部の人たちです。宗教も、ロシアの東方正教会ではなく、カトリックです。歴史的に反共で、ウクライナナショナリズムが強い地域ですから、ガリツィア地方ではロシアへの抵抗運動が長く続く可能性があります。
■プーチンが度々口にする「ネオナチ」の意味するもの
そして、ゼレンスキー政権がキエフから去ったなら、プーチン大統領はウクライナのナショナリズムを解体していく。プーチン大統領が度々口にする「ウクライナの非ナチ化」です。
「ウクライナの非ナチ化」という言葉が、日本人にはわかりにくいと思うので、説明しておきましょう。ウクライナ民族解放運動の指導者で、ステパン・バンデラ(1909~1959年)という人がいました。バンデラは第2次大戦中に、ポーランドとウクライナに侵攻したナチス・ドイツと提携し、ナチス・ドイツ軍の指揮下に入ってソ連軍と戦い、ソ連からウクライナの独立を図った時期があります。しかし、ウクライナ独立の約束をナチスは守らず、バンデラはナチス占領下でウクライナ独立を宣言したために逮捕されるのですが、反ユダヤ主義者でもあり、ユダヤ人虐殺に関与しています。
ソ連時代には、「ナチスの協力者」「過激な民族主義者」「テロリスト」という意味で憎悪の対象として教えられていましたが、近年のウクライナでは「独立のために戦った英雄」として再評価され、2016年にはキエフの中心にあった「モスクワ通り」の名前は「バンデラ通り」に変わりました。
プーチン大統領はこうした動きを指して「ネオナチ」と言い、ウクライナのナショナリズムを解体していこうと考えているのです。
■独自情報で見えた、プーチンの構想する「戦後のウクライナ」の形
では、どのように解体していくのか。それは教育と非武装化です。
前回も述べたように、ロシアの狙いはウクライナを傀儡国家に仕立てることではありません。こうした危機に瀕すると、どんな国でも「これ以上戦うのは無益だ。民衆の犠牲を増やさないために、相手国と折衝しなくてはいけない。自分は裏切り者と呼ばれても構わない」と考える人が、必ず政権の内側から出てきます。プーチン大統領はそうした「傀儡ではないが、融和的な人物」を擁立して、その下に軍事顧問や、それよりさらに多い教育顧問を送り込んでくるでしょう。
思い起こしてほしいのは、第2次世界大戦後のGHQによる日本の統治です。戦後すぐにGHQの指令で教育勅語が廃止され、小学校の教科書で占領政策にふさわしくない部分が黒塗りにされました。その後、1947年に教育基本法(旧法)が成立し、教育が民主化されました。また、軍隊を解体し、海上保安機構と警察以外は軍事力を持たせないようにしました。
モスクワの与党幹部から得た情報によると、ロシアはいま、アメリカがドイツと日本で行った戦後処理について、深く研究しています。同じことを、“戦後”のウクライナで行おうとしているのです。
プーチン大統領は、3月6日に行われたトルコのエルドアン大統領との電話会談で、ウクライナへの軍事侵攻は「予定通りだ」と強調しましたが、プーチン大統領が口にした「予定通り」という言葉は、戦闘のみでなく、おそらく、その先の戦後処理においてウクライナの国の形を変える計画をも指しているのだと思います。
■プーチンだけが怖いのではない
今回のロシアの軍事行動を「プーチンの暴走」と見る向きがありますが、そうではありません。プーチン大統領は、大多数のロシア人の心の中にある「ロシア帝国(1721~1917年)の地図」を実現しようとしているだけです。
ロシア帝国は現在のロシアをはじめ、フィンランド、ベラルーシ、ウクライナ、ジョージア、モルドバ、ポーランドの一部や、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの中央アジア、リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト3国、外満州などユーラシア大陸の北部を広く支配していた大帝国です。
私は、ロシアのテレビ放送を毎日見ています。恐ろしいのは、エリツィン時代にペレストロイカを支持していたリベラル派の知識人たち、私も個人的によく知っているミグラニアンさんやニコノフさんといった人たちが、断固この戦いを完遂するべきだと主張していることです。
クレムリンが一枚岩であるだけでなく、広範な知識人や国民の多数もプーチンを支持し、結集してきています。「ソ連崩壊からいままで30年間、よくも俺たちをコケにしやがったな」という憤懣が、一気に噴出しているようです。プーチン一人ではなく、ロシア人全体が怖いのです。
■相手が脅威であるときこそ、その内在的論理を知る必要がある
ロシア国内で反戦デモが起こっているという報道は事実ですが、ロシアの政策に影響を与える力はありません。日本でも首相官邸の前で熱心にデモをする人たちがいますが、日本人を代表する声ではないのと同じです。日本やアメリカのメディアは、そういったごく一部の事象を、プリズムをかけて大きく取り扱っています。ニュースとはそういうものなのです。
「プーチンは精神に変調をきたしている」というアメリカの報道もありました。これも、西側が情報戦で負けていることの表れです。相手の内在的論理がわからず「精神状態が異常だからだ」と結論づけてしまっては、うまく噛み合う対抗手段もわからないからです。
現在のところ、ロシアを止めるすべはありません。2月24日にウクライナへの軍事侵攻が始まって以降、従来のロシア観は通用しなくなりました。ですから新たな脅威としてのロシアを、よくよく研究しなくてはいけません。大多数のロシア人が考えていることを、日本にとって不快なことも含めて冷静に捉えるのが、ロシア全体の動きを見るために必要な態度です。
アメリカは第2次世界大戦で日本と戦争するに当たり、「我が敵国の日本を知れ」と徹底的に研究しました。反対に日本は「敵性言語を使うな」と言って、英語や英米の情報を排除しました。相手が脅威であるときこそ、その内在的論理を知ろうと努めなくてはいけません。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優 構成=石井謙一郎)
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