1230kmのパイプラインも作ったが…ロシア依存だったドイツが超強気に急変した本当の理由
プレジデントオンライン / 2022年3月8日 15時15分
■驚異の「年間10万円の値上げ」になる見込み
3月4日、ガソリンスタンドの前を通ったら、衝撃的な数字が目に飛び込んできた。レギュラーガソリンの値段が1.9ユーロを超えている! 同日のレートで換算すれば、1リットル240円を超えてしまったわけだ。ちなみに2020年のレギュラーガソリンの平均価格は1.29ユーロ、21年が1.58ユーロで、今年の1月は1.72ユーロになっていた。それがその後の1カ月でさらに急騰し、しかも、上昇はまだ止まりそうにない。
エネルギー部門の高騰は石油だけではない。現在、ドイツの平均的な家庭のエネルギー代は、前年比でなんと5割も増えている。特に天然ガスの市場価格は、前年比でほぼ2倍。ドイツでは地域暖房に天然ガスを使っている自治体も多く、平均家庭のガス代の負担は、日本円にすると年間で約10万円の増加になるだろうという。
さらに石炭も需要の急増で、価格は現在、前年比でほぼ3倍に達し、それら石炭やガス価格の影響をもろに受けた電気代が暴騰中である。ドイツでは通常、多くの電力会社が1月から新料金に切り替えるが、今年の電気代はすでに平均6割も上がっている(特に新電力が、天井知らずの値上げになっている)。しかし、それでも間に合わず、例外的に4月に再値上げを計画している会社もあるという。
■「極度のロシア依存」のツケがきている
ドイツではたいてい、電気代は前年の実績から弾き出された金額を12等分して毎月支払い、翌年に、実費との差額を一括精算するという方法をとっている。だから、現在支払い中の金額には進行中の電気代高騰がまだ正確には反映されておらず、すべての国民が値上げを実感しているとは限らない。
ただ、電気は贅沢品ではないので、個人での大幅な節約は難しく、もし、最終的にガスと同じ程度の値上げ幅になるとすれば、国民生活に深刻な影響を与えることは避けられない。なお、打撃を受けるのは産業界も同じで、それにより雇用が減ったりすれば、景気は急激に落ち込むだろう。
現在の常軌を逸したエネルギーの急騰は、いうまでもなく、ウクライナでの戦争によりロシアからの輸入がストップするかもしれないという市場の懸念を反映している。ドイツ経済輸出管理局などによると、2020年の統計では、ドイツの天然ガスの55.2%、石炭の48.5%、石油の33.9%がロシア産だ。
国の要であるエネルギーを、ここまで一国に依存するのは明らかな失政で、安全保障上の思考が一切働いていなかったと非難されても仕方がない。ロシアへのガス依存は30%を超えるべきではないということは、それこそ20年も前から言われていた。しかし、メルケル政権は16年間、その不文律を完璧に無視し、粛々と55%まで依存を増やしてしまった。ここまでくると、今さら慌ててもそう簡単に修正もできない。
■財相はあくまでロシアのせいにするが…
だから、いくらベアボック外相(緑の党)が厳しい顔つきでロシアを非難しようが、また、ショルツ首相(社民党)が「ロシアに最大の痛みを感じさせる大規模経済制裁」を敷こうが、そして、それに国民が一致団結で拍手喝采しようが、実際にはロシアからのエネルギーの輸入が止まっているわけではない。
例えば、制裁の決定版と言われたSWIFTからのロシアの排除も、ドイツが踏み切ったのは、ロシアにエネルギー代を支払う方法を確保できたことが分かってからだった。これについてはリントナー財相(自民党)が、「決済ができないからドイツにガスを送れないという口実をロシアに与えないため」と、あたかもドイツが主導権を握っているかのような言い方をした。
しかし実際には、ガスが途絶えて困るのはドイツだ。ロシア転覆より前に、ドイツ経済が破綻するのである。だから現在もドイツには、ベラルーシ、ポーランド経由のヤマル・パイプラインでロシアの高価なガスが届けられている。
■報道はショルツ首相や外相の勇ましい演説ばかり
ところが、その深刻な現実を、ドイツのメディアは国民に明確には伝えない。報道は、2月27日の臨時国会でショルツ首相が断行した政治転換(後述)の内容や、ベアボック外相の勇ましい国連でのスピーチ、そして、ウクライナのゼレンスキー大統領の英雄ぶり。まさにプーチンは悪でウクライナは善という単純素朴な勧善懲悪ストーリーになっている。
その上、ドイツの場合、そこに人道支援という大きなファクターが加わる。ウクライナからの難民は一人残らず受け入れるとしたベアボック外相の勇断が、ドイツ人の琴線に触れた。四六時中流れる悲惨な映像に心が引き裂かれそうになっていたドイツ人は、無辜(むこ)のウクライナ国民を救おうと、あちこちでボランティア活動に励んでいる。
そんなわけで、今ドイツには、悪を倒すためには、自分たちは多少の経済的不利益は甘んじて受け入れるのだ、といった悲壮な決意が充満している。まさに、2015年の中東難民支援の時の高揚感とそっくりだ。
前述の2月27日の臨時国会で、ショルツ首相は悲壮な面持ちで言った。「われわれは時代の転換を迎えている。これは、それ以後の世界はそれ以前の世界とは同じものではなくなるという意味だ」と。いったいこの日、ショルツ首相は何を言ったのか?
■「国防費は上げない、武器も輸出しない」から一転
まず安全保障については、「2022年、1000億ユーロ(約13兆円)を国防の強化のために追加投入(昨年度の国防予算は470億ユーロ)する」。NATOの決まりでは、加盟国の国防費はGDP比で2%と定められているが、ドイツはこれまで約1.5%で、米国が前々から増額を強く求めていたにもかかわらず、一度も本気で取り組んでこなかった。それを急遽修正して2%台に乗せ、さらに、これまで怠ってきた軍備を増強するのである。
また、ウクライナへの武器の供与。「紛争地へ殺傷兵器は送らない」というドイツ政府の方針が、一夜にして覆った。そもそも社民党とは、戦後70年間、平和主義を掲げ、戦争反対、武装反対、武器の輸出反対を唱え、ドイツの軍備の増強をひたすら妨害し続けてきた党だ。ところが、よりによってその社民党がウクライナへ、ロシア人を殺傷するための武器を送ると決めたのだから、インパクトは大きかった。
さらに、この日、ショルツ首相は、ロシアをSWIFTから締め出す輪に加わることも宣言した。ただ、これが、ロシアからのエネルギーのボイコットを必ずしも意味しないことは、すでに書いた通りだ。また、この時点では、ロシアからドイツに天然ガスを送る新たなパイプライン「ノルドストリーム2」の運命も、依然として不明だった。その数日前に認可手続きが停止されていたが、それがこのプロジェクトの終焉を意味するかどうかは、まだ分からなかった。
■完成したパイプラインは日の目を見ない?
ただ、この日、今後、ロシアへのエネルギー依存を劇的に減らしていく強い意志が示されたことは確かだ。ただ、どうやって、ということだけが、曖昧にされていたのである。同夜、リントナー財相はZDF(第2公共テレビ)に出演し、これから実施する経済制裁のせいでドイツ企業が受ける個々の損害については、「残念ながら補償することは不可能だ」と語った。リントナー氏が社民党と緑の党から憎まれ役を押し付けられたことは、すでに疑う余地がなかった。
そして国民はというと、ようやく旗幟鮮明となったドイツ政府の態度を歓迎し、エネルギー高騰は、民主主義防衛のための代償であるという自己犠牲的な空気に包まれた。それにより、国民の怒りはまっしぐらにプーチン大統領へと向かい、彼らは高価なガソリンに抗議の声を上げる代わりに、「ノー・モア・ウォー」とか「ストップ・プーチン」というプラカードを掲げて抗議デモに繰り出し始めた。
そしてその後、3月1日になって、ノルドストリーム2が破産手続きに入ったというニュースが飛び込んできた。しかし、その翌日には、それを否定する報道が出たりで、情報は混乱している。約1230kmの巨大なパイプラインには、すでにガスが充填されており、120バールの圧力の掛かった3.3億㎡のガスを飲み込んだまま、バルト海の海底で息を潜めているという不気味さだ。これが喫緊の安全保障上の問題に発展しないという保証はない。
■電気、ガス代の暴騰はプーチンのせいではない
さて、ここで、なぜドイツでエネルギー問題がここまで深刻になってしまったのかということを考えてみたい。プーチンが侵略戦争を始めたせいだという見解は正しくない。ドイツが世界に誇った「エネルギー転換」政策は、実はすでにとうの昔から破綻していた。
ドイツの再エネは、ここ十数年間、莫大な補助が投じられ、空前絶後の増え方だったが、電力需要の安定にはさほど役に立っていない。それにもかかわらずドイツは、原発は2022年、石炭火力はできれば2030年でゼロにし、その分の電気は再エネで補い、2045年にはカーボン・ニュートラルを達成するという意欲的、かつ非現実的な目標に邁進した。
しかし、原発と石炭火力を次々に廃止した結果、起こったのは、ガスの需要の増加だった。しかも、この急激な「脱炭素化」はドイツだけでなく、EU全体で進められていたため、次第にEU全体がガス不足に陥った。つまり、ガスの価格は、ウクライナ危機が起こるずっと前からじわじわと上がり始めていた。
ドイツが励む脱原発、脱石炭、および再エネ拡大というエネルギー転換政策は、物理的にも、経済的にも、安全保障上からも辻褄が合っていない。だからこそ、いくらドイツが宣伝しても、(日本以外に)付いてくる国はなかった。
■ブラックアウトを引き起こしかねない
現在、EUでドイツの脱原発に賛同しているのは、オーストリア、ルクセンブルク、スペインなどごくわずかだ。もっとも、人口890万人のオーストリアには豊富な水力があるし、ルクセンブルクは超お金持ちの小国(人口63.5万人)なので、電気は足りなければ輸入すれば済む。
一方、スペインは、ドイツと競うほど再エネ(主に風力)にのめり込んだ結果、補助金の膨張で国庫が逼迫し、補助金をやめたら、今度は風力電気事業が瓦解した。現在、電気の供給は乱れ、電気代は暴騰している。これを見習えというのは無理がある。しかもドイツは昨年の末、すでにガスの逼迫や電気代の急騰が明らかだったにもかかわらず、残っていた原発6基のうちの3基を止めた。どう見ても自滅政策である。
さらに今年の終わりに最後の3基が止まれば、事態はさらに深刻になり、ブラックアウトの危険が指摘されていた。繰り返すが、これらはウクライナの戦争が始まるずっと前からの話である。
■ウクライナ侵攻はまたとないチャンスだった
この無理なエネルギーの旗振り役は、いうまでもなく社民党と緑の党だった。ただ、現状のままでは、まもなくガスも電気も燃料も暴騰してハイパーインフレが始まる。産業と国民を救うためには、おそらく原発と石炭火力の稼働延長が必至となるだろう。
ただ、ようやく社民党が掌握した新政権はなんと言えば良いのか? まさか、われわれのエネルギー政策は間違いでしたとは言えない。しかし、万が一、ブラックアウトが起こったりすれば、政権は崩壊する。彼らの苦悩は大きかったはずだ。
すると、その時、ロシアがウクライナに攻め込んだ。ショルツ首相は、これをまたとないチャンスと見た。今ならすべてを戦争のせいにできる。前述の臨時国会が開かれたのは、そのわずか3日後だ。政府はそこで、いわゆる戦後レジームの転換という打ち上げ花火を上げた。
ただ、本命はエネルギー政策の修正だったのではないか。ショルツ首相の「歴史的」スピーチの後、経済・気候保護大臣のハーベック氏(緑の党)がすかさず、原発の稼働延長や、脱石炭火力の期日の後ろ倒しの可能性に言及した。それらはプーチン大統領の未曾有の横暴のせいで、“やむを得ず”必要になった修正に聞こえた。
■スーパーではさっそく「買い占め」が…
戦争勃発後、すでに10日が経過した。ミサイル攻撃で炎上する建物や、逃げ惑う人たち。株式市場から発信されたニュースでは、これからドイツが陥る可能性のあるスタグフレーションについて、深刻な予想を弾き出していた。
すでに国外に逃れたウクライナ人は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が発表した3月6日時点で150万人。難民は毎日増えており、ドイツへも続々と到着する。遠いところで起こっていると思っていたことが、だんだん自分たちの生活空間に迫ってくる。
その6日土曜日、大きなスーパーに行ったら、パスタや缶詰の棚が、突然、空になっていた。ドイツ人の頭脳は、急激に戦時体制に切り替わりつつあるようだ。しかし、私は、ヨーロッパで戦争が起こっているという事実を、いまだにうまく咀嚼できずにいる。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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