決して芸がうまいわけじゃない…「究極の素人」タモリがテレビで活躍を続けられる本当の理由
プレジデントオンライン / 2022年3月14日 12時15分
タレントのタモリが2015年1月29日、サントリー食品インターナショナルの缶コーヒー「BOSS」の新キャンペーン・新CM発表会に出席。フリーアナウンサーの高橋真麻とロボット「Pepper」に「コンドルの着地」の物まねを指導した=東京都内 - 写真=時事通信フォト
※本稿は、戸部田誠『タモリ学』(文庫ぎんが堂)の一部を再編集したものです。
■アドリブを好んで入れるタモリの狙い
「いいとも」で、笑福亭鶴瓶が何か身振り手振りで熱っぽく語っている最中に、タモリが「目、細いね?」などと、まったく脈絡のないフリを挟む場面がしばしば見られた。
「なんでそんないらんことするん?」と鶴瓶は尋ねた。自らが主催するイベント「無学の会」のゲストに、タモリを招いた時のことだ(99年7月20日)。
タモリは「放っておいても絶対笑わせられるのはわかってる。みんな笑わせるセオリーを持ってるから、そこでわざと無理難題を吹っかけてみると、次の笑いを求めようとして新鮮なものが見られる。これが、マンネリ化を防いでる」と答えたという。
タモリはセオリー通り、予定調和になりそうな空気を感じた時、そこに予期せぬフリを入れることでアドリブが生まれるのを促していくのだ。
■「今そこで起こることが一番面白い」
鶴瓶はタモリを「受けて答える芸人じゃなくて、相手を俯瞰してもの言う芸人、セオリーを崩して、新たな一面を引き出す。これまでにない形の芸人」だと評する。タモリと鶴瓶の間には「いいとも」で、いわば共犯関係が成立しているのだ。
時にタモリの無意味で自由なムチャぶりを、鶴瓶は懐深く受け止め続ける。そしてふたりは目を光らせながら、何かハプニングが起きないかとさまざまな起爆剤をさり気なく仕掛けていく。
タモリは言う。「僕は予定調和が崩れて残骸が散らばった時に、また違うものになるのかどうかを目撃したいし、それが面白いんです。怖さ半分興味半分ですけど、結局は今そこで起こることが一番面白いわけですから」[1]
■テレビは「完成品」を流すのには向いていない
子どもの頃のタモリは、ラジオで落語などを聴いていたものの、いわゆる「お笑い」にはそれほど興味がなかった。
テレビで見ていたのは「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)くらいで、あまり関心はなかったという。この頃のテレビの「笑い」は、しっかりとした「完成品」の“芸”を見せるものだった。
しかしテレビ・バラエティは独自の進化を遂げていく。「テレビが芸の時代じゃなくなってきた」と、タモリは80年代半ばに述べている。
「もともとテレビというのは、完成品には向いてない。あんな、ちいさな画面の中で、きちっとした落語なんていうのは。ちょっと向いてない」[2]
同様のことを赤塚不二夫との対談でも語っている。「テレビっていうのは状況ですからね。状況を流すということに一番威力を発揮するメディアだから、作られたものにはちょっと向いてないのかもしれない。完全に作りこまれたものには特に」[3]
■究極の素人として登場
そんなテレビの特性にタモリはぴったりとハマった。
タモリのデビューは75年。同年に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ)が始まり、この番組で萩本欽一はいわゆる「素人いじり」を完成させ、作り手である「プロ」と受け手である「素人」をないまぜにしてしまった。
それは大きな支持を集める一方、「素人をテレビに出すな」といった批判も浴びることになる。しかし「テレビの本質は『素人芸』」と看破した萩本は、「プロを出せという人こそテレビの素人」と、クレームを意に介さなかった。
タモリもまた「素人芸」と言われた。師匠を持たず、会社員を経験して30代での遅いデビュー。素人芸が求められた時代に、究極の素人として登場したのだ。
「この世界(芸能界)しか知らなかったら、この世界のおかしなところなんかが、わからなくなるんで。おれは一般人だから、そのおかしな感覚が目についちゃうわけ。三十まで一般人生活してると一生抜けない」「そこのところのズレが、おもしろいかなとも考えるけれども、本人も何がうけているかはよくわからない」[2]
■永六輔「タモリの芸はうまくない」
「僕ね、タモリの芸ってうまいと思ったこと一度もないんです」と永六輔は語った。「それは、声色だろうがなんだろうが、うまくもなんともない。ただ、見る目と気のつき方の細やかさみたいなもの、これはア然としますね」「タモリの場合は、うまさじゃない、すごさなんです」[4]
このインタビューが行われた80年頃、永六輔は「テレビファソラシド」(NHK)でタモリと共演していた。タモリはリハーサルと同じことを本番では絶対にやらなかったという。
■テレビは状況のメディアである
タモリによれば「飽きちゃうから」ということだが、「テレビは状況のメディアである」という信念も影響していたのだろう。
タモリは当時のインタビューで、こうも語っている。「だれもそんな厳密さなんか求めていないという気がするんですけど。ナマだったらナマなりの期待があって、だれか失敗するんじゃないかとか」「少しぐらい失敗してもそのほうがイキがいいわけでしょ。テレビではそれをやったほうが面白い」[4]
■人間はわからないことに興味を持つ
「われわれがテレビの世界に憧れたのは、たとえば『11PM』で(大橋)巨泉さんがわけのわからないことを言っていたからなんです。僕らは高校とか中学だから、わからないわけです。その『わからないこと』に興味を持つんです。わからないことは必要以上に説明しなくてもいいんです。むしろ、わからない世界でテレビをやったほうがいい。『なんだろう』『大人になったらわかるかもしれない』と思って興味を持ってくる。わからないことに、人間はよく興味を持つんです」[5]
「テレビファソラシド」でも共演した加賀美幸子と行った00年の対談で、タモリはこのように、昨今のテレビ番組の「わかりやすさ」に拘泥する傾向に疑問を呈している。
■ジャズにハマったワケ
タモリがジャズにハマったのも、またその「わからなさ」からだった。
![ナイトクラブでトランペットを演奏する人](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/d/670/img_0d9572ec1b021c0c12b0ffbfe455d231409744.jpg)
子どもの頃、両親は福岡の下町で商売をやっており、そこで母親は仕事中にもジャズを流していた。父親は父親でフラメンコに夢中で、さらに姉はクラシックのピアノをやっており、タモリ自身も民族音楽などを聴いていたという。
そして高校生の時、近所の後輩の家でアート・ブレイキーの一枚を聴いた。
「何がなんだかわかんない。こんなわけのわかんない音楽聞いたのははじめてで、とても癪にさわったんですね。俺にわからない音楽なんてないと思ってましたからね。それじゃあ根性入れて聞こうということになって」[3]
そしてジャズに傾倒していった。ちなみにタモリは84年に「いいとも」でMJQとトランペットで共演、アート・ブレイキーの代表曲でもある「ナイト・イン・チュニジア」を演奏している。
■まるでジャズのようだった「いいとも」放送後のトーク
タモリはジャズの魅力を「目の前で『音楽ができ上がっていく』、その現場に居合わせられる」ことだと語っている。
「その場ででき上がったライブも、その場かぎりで、終わり。次の時にはまた違うって音楽はね、ジャズだけ」[6]。
またタモリは「いいとも」のいわゆる「放送終了後のトーク」を、ジャズのセッションになぞらえている。
「いいとも」では生放送終了後、レギュラー出演者が30分強のフリートークを行い、その一部は「増刊号」で放送される。後年はあらかじめテーマが設けられるようになったが、それまでは完全な「即興」だった。
■現場に立ち会っている興奮
「本当にその場でしかできないものを見てるから、観客もノってくるんですよ。ようするに『現場に立ち会ってる』興奮なんです」「お笑いでもジャズでも、人となにかやるからにはやっぱり自分も変わりたいし、相手も変わってほしいなと思ってるんです。やっぱり、そこがいちばん、おもしろいところなんですよ。現場に立ち会ってるという、生な感じが」[6]
![戸部田誠『タモリ学』(文庫ぎんが堂)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/f/200/img_bfea1161423823439c75b0723103b004171863.jpg)
それを生放送で実践し、絶大な人気を博したのが明石家さんまとのトークだった。台本はもちろん、打ち合わせすらなく、小さな丸テーブルを挟んでふたりが即興でしゃべり合うだけのこのコーナーは、84年に「タモリ・さんまの雑談コーナー」としてスタート。
以後「日本一の最低男」「日本一のホラ吹き野郎!」「もう大人なんだから」と名前のみを変えながら、11年間という長期にわたって継続された。
「日本で初めて『雑談』というものをテレビでやった」とタモリは胸を張る。脱線を繰り返す彼らのトークは激しくスウィングした。「その場、一回限り」の空間を共同で作り上げていく興奮。演者はもちろん、客席もその熱に巻き込まれずにはいられない。
[1]『SWITCH』スイッチ・パブリッシング(09・7)
[2]『ザ・テレビ人間』菅野拓也/朝日新聞社(86)
[3]『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』赤塚不二夫/メディアファクトリー(00)
[4]『広告批評』マドラ出版(81・6)
[5]『ことばを磨く18の対話』加賀美幸子・編/日本放送出版協会(02)
[6]「こんどの『JAZZ』、どうする?」「ほぼ日刊イトイ新聞」(07)
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ライター
1978年生まれ。ペンネームは「てれびのスキマ」。『週刊文春』「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』など。
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(ライター 戸部田 誠)
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