若者に広がる「FIRE運動」をバカにする社畜オジサンたちが根本的に誤解していること
プレジデントオンライン / 2022年3月16日 13時15分
※本稿は、橘玲『不条理な会社人生から自由になる方法』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。
■現代社会のストレスの原因は「ふれあいが多すぎる」こと
多くのひとが感じている「生きづらさ」の根源にあるのは、知識社会が高度化し人間関係が複雑化していることです。
保守派やコミュニタリアン(共同体主義者)は「むかしのようなふれあいがなくなった」と嘆きますが、これはそもそも事実としてまちがっています。
小さなムラ社会で農業しながら暮らしていれば、顔を合わせるのは家族と数人の隣人たちだけで、ムラの外から見知らぬ人間(異人)がやってきたら大騒ぎになるでしょう。ヒト(サピエンス)は旧石器時代から何十万年も、あるいは人類の祖先がチンパンジーから分岐してから何百万年も、こうした世界で暮らしてきました。
しかしいまでは、(すくなくとも都会で暮らしていれば)日々、初対面のひとと出会うのが当たり前です。こんな「異常」な環境にわたしたちは適応していないので、それだけでものすごいストレスになります。問題は「ふれあいがなくなった」ことではなく、「ふれあいが多すぎる」ことなのです。
日本をはじめとして先進国で急速に進む「ソロ化」はここから説明できます。日常生活での「ふれあい」に疲れ果ててしまうため、プライベートくらいは一人(ソロ)になりたいと思うのです。夫婦は「他人」ですから、その関係すらもおっくうになると、結婚できるだけの条件(仕事や収入)をじゅうぶんに満たしていても生涯独身を選ぶひとも増えてくるでしょう。
こうした問題がわかっていても、会社(組織)は専門化する業務や多様な価値観を持つ顧客の要望に対応するために、仕事を複雑化せざるを得ません。その結果、多くの社員が人間関係に翻弄(ほんろう)され、擦り切れ、ちから尽きていきます。「karoshi(過労死)」がいまでは英語として使われているように、日本だけではなく世界中で大きな社会問題になっています。
■ちゃんとした仕事をこなすには1日8時間あればじゅうぶん
この理不尽な事態に対して個人でできる対抗策が、会社を離脱するフリーエージェント化ですが、誰もが独立して自分の腕一本で家族を養っていけるわけではありません。そこで、「会社そのものを変えればいいじゃないか」という試みが出てきました。
ここで、ジェイソン・フリードとデイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンの『NO HARD WORK! 無駄ゼロで結果を出すぼくらの働き方』(早川書房)から、「穏やかな会社(カーム・カンパニー)」というコンセプトを紹介しましょう。
フリードとハイネマイヤー・ハンソンはソフトウェア開発会社「ベースキャンプ」を1999年に創業しました。開発・販売するのはプロジェクト・マネジメントツールの「ベースキャンプ」のみで、世界30カ国で54人の社員(メンバー)が働いています。ということは、1カ国に1人か2人ということになります。
ベースキャンプの労働時間は1年を通じてだいたい1週当たり40時間で、夏は週32時間に減らしています。社員は3年に1回は1カ月の有給休暇を取ることができ、休暇中の旅行費用は会社持ちです。
こんなことが可能なのは、本来、ちゃんとした仕事をするのに1日8時間あればじゅうぶんだからです。それなのになぜこれほど忙しいのかというと、「1日が数十の細かい時間に寸断されている」からです。会議や電話、同僚や部下からの相談、上司との雑談など、こまごまとした用事によって通常の勤務時間のほとんどはつぶれてしまいます。こまぎれの時間で集中した仕事はできないので、夜中まで残業したり、休日に出勤して穴埋めしなくてはならなくなるのです。
■同僚や上司への「開講時間」を決めておく
ベースキャンプでは、それぞれの社員が「開講時間」を決め、1日1時間など、自分への質問はそのときに限るようにしています。そんなことをして大丈夫かと思うでしょうが、緊急の質問はじつはほとんどなく、自力で解決できることも多いといいます。「訊けば教えてくれる」同僚や上司が近くにいるから、依存してしまうのです。
会議や打ち合わせなど、他の社員のスケジュールを勝手に埋めることができるシェア型のカレンダーもベースキャンプでは使用禁止です。他人の時間を勝手に分割し、仕事に集中できないようにして生産性を落とすだけだからです。
給与の交渉も時間の無駄だとして、プログラマーであれデザイナーであれ、いっさいの査定なしに、業界の同じポジションのトップ10%が得ているのと同じ額の給与が支払われます。これは住んでいる場所(国)に関係ないので、バングラデシュのような生活コストが安いところで暮らせば、ものすごく優雅な生活ができます。こうしてベースキャンプの社員たちは、自分と家族にとってもっとも快適な場所に移り住んでいきます。
どうでしょう? これはたしかに特殊なケースでしょうが、会社であっても、創意工夫によって「人間らしい」働き方をすることは可能なのです。
■FIREは人生の主導権を会社から取り戻すこと
アメリカの若者のあいだでいま、「FIRE」と呼ばれる運動が広がっています。“Financial Independence, Retire Early”(経済的に独立し、早く引退しよう)の略で、40歳前後でのリタイアを目指し、収入の7割を貯蓄に回したり、家賃を浮かすため船で暮らしたりするひとまでいるそうです。
![一万円札と電卓](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/4/670/img_a440e37c1e8c4c8785bdbec5e88edb81372354.jpg)
とはいえこれは、2000年前後に流行した「アーリーリタイアメント」のことではありません。
マンハッタン中心部の貸会議室で行なわれた「FIRE」のミーティングには20~30代のホワイトカラーの若者30人近くが集まり、記者のインタビューに34歳のエンジニアは、「若いうちに一定の貯蓄ができれば、残りの人生を自由に生きる選択肢を得られる」とこたえています。
「渋滞につかまって通勤に4時間かかったある日、突然気づいたの。これは私が求めていた人生ではないと」とブログに書いたジャミラ・スーフラントさん(38歳)は、2年かけて夫婦で16万9000ドル(約1830万円)を貯金した体験を報告して大きな話題になり、ポッドキャストは50万回ちかくダウンロードされました。
ジャミラさん夫婦は空き時間に副業をはじめたほか、外食や娯楽の予算に制限をつけ、余ったお金を貯蓄と投資に回したことで、18年秋に念願かなって会社を辞めることができました。「人生の主導権を握るのが究極の目標。あと数年のうちに、完全にお金から自由になるつもり」と語っています。
■誰もがいずれ「フリーエージェント」になる時代
ここからわかるように、「FIRE」運動の「リタイア(引退)」とは仕事を辞めて悠々自適の暮らしをすることではなく(これだと数千万円の貯金ではまったく足りません)、日々のお金を心配することなく、会社や組織から自由になって好きな仕事をすることです。これが「経済的独立」で、リベラル化する現代社会の価値観(理想)です。
「会社から自由になろう」というと、「独立後の生活が不安だ」という意見がかならず出てきます。誤解のないようにいっておくと、私はなんでもかんでも「フリー」になれといっているわけではありません。しかし、どんなひとも60歳(あるいは65歳)になって定年を迎えれば「フリー」なのです。そう考えれば、サラリーマン生活は「フリー」への準備期間です。
定年後に再雇用されるひとが増えていますが、その給与は現役時代の半分ほどで、やりがいのある仕事も与えられず1年ほどで辞めていくことも多いといいます。これでは人的資本のムダづかいでしかありません。
![橘玲『不条理な会社人生から自由になる方法』(PHP文庫)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/5/200/img_5533b2efacbc7a379d2f77b1b68931ad152221.jpg)
定年後にとぼしい年金をやりくりしながらアルバイト仕事で食いつなぐのと、現役時代の専門知識やスキルを活かし、よい評判を仕事につなげていくのでは、人生の満足度は大きく異なるでしょう。
ひとはいずれ人的資本を失って1人の投資家になりますが、その前に、「人生100年時代」では誰もが「フリーエージェント」を体験することになります。30代や40代で独立するひともいれば、60歳でフリーになるひともいるというちがいにすぎません。
「未来世界」で生き延びるのは、会社に所属しているときでも常に「フリーエージェント」として仕事をしていると考え、会社のブランドに依存するのではなく、自分自身のよい評判を増やしていけるひとです。
始めるのに遅すぎるということはないのです。
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作家
2002年、小説『マネーロンダリング』でデビュー。2005年発表の『永遠の旅行者』が山本周五郎賞の候補に。他に『お金持ちになる黄金の羽根の拾い方』『言ってはいけない』『上級国民/下級国民』などベストセラー多数。
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(作家 橘 玲)
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