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民間人は荷物と同じ…前澤友作氏の宇宙旅行を文科省やJAXAがよろこばない残念な理由【2021下半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2022年3月21日 10時15分

2021年12月8日、カザフスタン・バイコヌールで、ソユーズの打ち上げ前に撮影された前澤友作氏。 - 写真=AA/時事通信フォト

2021年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。政治経済部門の第3位は――。(初公開日:2021年12月17日)

■少年のような笑顔で「宇宙なう」と実況中

日本の民間人として初めて国際宇宙ステーション(ISS)に滞在中の実業家・前澤友作さん。「金持ちの道楽」などと厳しいことも言われるが、そんなものはどこ吹く風。ユーチューブ、ツイッター、テレビ局のインタビューなど、さまざまなメディアを駆使して宇宙体験を発信している。注目されるのは、前澤さんの宇宙飛行が、日本の宇宙政策や宇宙機関へもたらす「破壊力」だ。

「着いたよ、宇宙だよ。着いちゃったよ。本当にあったよ、宇宙が。(編集部注=国際宇宙)ステーションもあったよ」

12月9日、国際宇宙ステーション(ISS)に到着した前澤さんは、地球との初交信で、興奮気味に語り、ツイッターには「宇宙なう」と初投稿した。

次々と発信されるツイートや動画は、とても楽しそうだ。

「すぐにiPhoneで写真も撮ったんだけど、これほんとにやばくない⁉ リアルだよ⁉」「地球はマジで丸いし、青いです」

少年のような笑顔で、無重力、トイレ事情、歯磨き、宇宙酔いなど、人間が宇宙で暮らすとどんなことに出会うのか、分かりやすい語り口で説明する。

食料品宅配サービス「ウーバーイーツ」の配達員の帽子をかぶって、缶詰めの入った紙袋を宇宙飛行士に手渡したり、宇宙旅行を記念して作ったグッズを「ご好評につき皆さまにも限定販売します」と、ちゃっかり売り込んだり。動画を撮影しているのは、前澤さんのマネージャー兼プロデューサーで、宇宙飛行に同行している平野陽三さんだ。

旅費は、平野さんと2人で約100億円以上と言われるが、前澤さんはそれ以上の宣伝効果がある、と踏んでいるのだろう。

■「職業宇宙飛行士」たちは祝福ムードだが…

今年は「宇宙旅行元年」と呼ばれる。米国の宇宙ベンチャーが相次いで成功したためだ。数分程の宇宙体験や、3日間宇宙船の中で過ごすなど、旅の形はさまざまだが、前澤さんは12日間のISS滞在という長期旅行。ゆとりがある。

日本の宇宙機関・JAXAには、7人の宇宙飛行士がおり、ISSに100日~半年ほど長期滞在してきたが、宇宙での仕事は忙しい。実験をしたり、システム管理や修理をしたり、宇宙遊泳で装置を設置したり、分刻みで仕事をこなす。

仕事の合間を縫って記者会見や、首相や子どもたちなど地上との交信にも応じる。前澤さんら民間の飛行士と差別化をはかるためか、最近は「職業宇宙飛行士」という言葉もよく口にする。そんな飛行士たちは前澤さんら民間人の宇宙旅行をどう受け止めているのだろうか。

12月14日に東京都内で開かれた宇宙関連のイベントで登壇した野口聡一さんは、前澤さんに同行している平野さんに触れ、「長い訓練なしにどんどん彼のような人が宇宙に行ってくれるとうれしい」

ISSの長期滞在から11月に帰還した星出彰彦さんは、12月のオンライン記者会見で、「民間の方がこれからどんどん宇宙へ行く。そういう時代になった。宇宙を広く活用してもらい、人類としての文化が広がっていく」

さすがメディア対応を含めさまざまな訓練を重ねている宇宙飛行士。「うらやましい」などという言葉は出てこない。共存共栄を強調する。

■「あの人は荷物と同じなんです!」

だが、JAXAや所管官庁の文部科学省となると、穏やかならざる気持ちだろう。現に、約30年前、前澤さんのような商業宇宙飛行をしたTBS記者の秋山豊寛さんに厳しかった。

秋山さんは1990年12月、TBSの創立40周年を記念する「宇宙へ特派員を派遣する」事業で、旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」に滞在した。旧ソ連に払った旅行代金は公表されていないが、約40億円とも言われている。

秋山さんの宇宙からの第一声は「これ、本番ですか?」。当時、宇宙へ人を送りだしている国は米国と旧ソ連のみ。宇宙では英語かロシア語、という中で、初めて日本語が発せられた歴史的な瞬間だった。だが、日本政府の反応は冷たかった。

記者会見などの表立った場では静観していたものの、科学技術庁(現・文部科学省)幹部は、裏でこう言い放った。

「あの人はお金を出して、宇宙へ運んでもらっただけ。荷物と同じなんです!」

日本人初の宇宙飛行を前向きに受け止める官僚もいたが、庁内にはそういう空気が漂っていた。

■初の日本人宇宙飛行は毛利さんになるはずが…

当時、科技庁と宇宙開発事業団(現・JAXA)は、国家プロジェクトとして日本人初の宇宙飛行士を実現させる計画を進めていた。輸送手段は米国のスペースシャトル。1988年に飛行予定だったが、シャトル爆発事故が起き、NASA(米航空宇宙局)が計画を見直した。その結果、初の日本人宇宙飛行となるはずの毛利衛さんより先に、秋山さんが飛行してしまった。

メンツをつぶされた科技庁のショックは大きく、悔しさをあらわにした。

「毛利さんは宇宙で科学実験をするという崇高な目的がある。荷物として運んでもらった人とは全然違うんです」

その後も、科技庁と事業団は、秋山さんを「宇宙飛行士」として、認めようとしなかった。世界の宇宙飛行士たちの集まる会議で、他国の飛行士から「おかしい」と指摘され、しぶしぶと認めるようにはなったが。

とはいえ、毛利さんも無料で飛行したわけではない。政府はNASAへ120億円を支払い、宇宙実験用の装置開発に150億円、計270億円を使った。

しかも、NASAから見れば、この時の毛利さんは正式な宇宙飛行士ではなかった。宇宙で実験をする科学者は「お客さん」扱いだった。この時代の米国は、外国人に宇宙飛行士の資格を認めていなかった。その後毛利さんはNASAで訓練を受け、飛行士の資格を獲得した。

国際宇宙ステーション(ISS)
写真=iStock.com/3DSculptor
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/3DSculptor

■民間ができることをなぜ国がやる必要があるのか

有人宇宙飛行は、巨額のお金がかかる。科技庁や宇宙開発事業団が秋山さんの飛行に神経をとがらせたのも、民間ができることを、わざわざ国が行う、しかも民間より遅れてとなると、税金の無駄遣いと批判されるからだ。

前澤さんが滞在しているISSもお金のかかる宇宙開発の代表格だ。日本は毎年400億円前後を運用に費やしており、文科省やJAXAは「見合う成果が出ているのか」と、ことあるごとに厳しく追及されてきた。

こうしたこともあって、最近はISSを実験のような科学一辺倒の場としてだけでなく、民間企業との連携や産業振興の場として使うようになってきた。

例えばISSに取り付けられている日本の実験棟「きぼう」で、IT関連企業などのコマーシャルを撮影、宇宙と地上を双方向でつなぐ「KIBO宇宙放送局」のスタジオを作るなど、エンタメ系の場所としても活用している。

JAXAは「宇宙で撮影した地球の映像には、本物だけが持つ迫力があり、国民を感動させる」と、意義を説明してきた。

だが、今回、前澤さんが披露していることはまさにそれだ。民間ができることをなぜ、国の宇宙機関がやる必要があるのか、すべきことは他にないのか、という疑問は当然出てくる。

■これからのJAXAは「射場の管理人」?

頭に浮かぶのは、ロケットを民間移管した際の経緯だ。JAXAは長年にわたって、大手製造会社に注文して、ロケットを製造してきた。ただ、製造会社は大手2社だけ。「競争」という概念がなく、ロケット価格は世界と比べて高止まりしていた。

そこで政府は、「H2Aロケット」を製造企業の三菱重工業へ移管し、2007年から打ち上げサービス事業も担わせた。JAXAは、種子島宇宙センターの打ち上げ施設の整備、維持や、安全監理を担う立場になった。開発中の次期大型ロケット「H3」も、三菱重工を中心に、JAXAとの共同開発が進められている。

政治家の間からは「これからはロケットの開発も打ち上げも民間が主役。JAXAの仕事は射場の管理人だ」という声も出た。

ISSに関してNASAは今後民間に移管する予定で、独自に宇宙ステーションの開発に取り組む企業3社を資金面で支援すると、12月に発表した。JAXAも実験棟「きぼう」の一部利用を民間に移管しているが、こうした動きはさらに進む。

JAXAは今、NASAの主導する月探査計画に力を注いでいるが、前澤さんは月探査にも手を伸ばしている。米スペースX社と契約し2023年に月の周りを飛行する旅行契約を結んだ。最初のシートをすべて購入し、同乗クルー8人を募集している。

民でできることは民で、という時代。どんどん民間人が活躍する中、国や宇宙機関はこれから宇宙開発のどんな仕事をしていくべきなのか。考えざるをえない状況だ。

前澤さんの「破壊力」、これからじわじわと効いてきそうだ。

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知野 恵子(ちの・けいこ)
ジャーナリスト
東京大学文学部心理学科卒業後、読売新聞入社。婦人部(現・生活部)、政治部、経済部、科学部、解説部の各部記者、解説部次長、編集委員を務めた。約35年にわたり、宇宙開発、科学技術、ICTなどを取材・執筆している。1990年代末のパソコンブームを受けて読売新聞が発刊したパソコン雑誌「YOMIURI PC」の初代編集長も務めた。

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(ジャーナリスト 知野 恵子)

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