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どんなに不満があっても自民党しかない…日本の野党が世界でも稀なほどダメすぎる根本原因

プレジデントオンライン / 2022年3月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/oasis2me

日本では「政権交代」が長続きしない。自民党は下野しても、すぐに政権を取り戻している。なぜそうなるのか。憲政史家の倉山満さんは「野党がとにかく弱すぎて自民党の脅威にもなっていない。安倍政権が8年続いたのも他に任せられる党がないからだ」という――。

※本稿は、倉山満『なぜ日本の野党はダメなのか?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■民主党内閣がやりたいことは「政権交代」だけだった

政権を取るまでの民主党は、言われるほど悪くはありません。問題は政権を奪った後です。

総選挙で政権奪取した他の政権と比べてみましょう。

大正13(1924)年6月11日に発足した加藤高明憲政会内閣は「男子普通選挙」を唯一の合意とした、政友会・革新倶楽部との護憲三派連立内閣でした。「男子普通選挙」を通すことはできたのですが、連立与党の政友会が造反します。大義名分は憲政会が進める行財政改革への反対です。

連立内閣でやりたいことが「男子普通選挙」と「行財政改革」の二つあったため分裂したのです。ただ、政友会が連立から離脱しても憲政会は持ちこたえて、政友会との二大政党の一角に成長します。

平成5(1993)年8月9日に発足した細川護熙連立内閣は、小選挙区制を柱とする政治改革を旗印に非自民党・非共産党の8政党(日本新党・社会党・新生党・公明党・民社党・新党さきがけ・社会民主連合・民主改革連合)が連立を組んだ内閣でした。政治改革を通した瞬間に仲間割れが始まりました。小選挙区制の法案を通しただけで1回も選挙をやらずに仲間割れをしたのは、小沢一郎のやり方が稚拙だったためです。自滅していく細川連立内閣を横目に、自民党が与党に復活していきました。

そして、鳩山由紀夫民主党内閣がやりたいことは「政権交代」だけでした。いろいろと細かいこともありますが、基本的にこれだけです。そのため政権交代をした瞬間に、党内で仲間割れが始まります。民主党政権3年3カ月で無能の限りを尽くし、そして復活した自民党は空前の長期政権となります。

このように並べてみると、やりたい政策が二つ以上でもゼロでも駄目ということが分かります。

■自民党が衆議院選挙を連敗したことは過去一度もない

そして、戦前の加藤高明憲政会内閣は別として、細川護熙連立内閣と鳩山由紀夫民主党内閣の共通点は「自民党を1回しか衆議院選挙で負かしていないのに仲間割れをした」ということです。仲間割れをしたら自民党につけ込まれて政権を取り返されています。これが戦後史においては決定的な理由になります。

つまり、自民党は衆議院選挙を2回連続で負ける前に政権を取り返しています。こんな政党は、世界の民主国で日本くらいです。

民主党政権時代に自民党は野党暮らしを3年3カ月経験しますが、もう1年野党暮らしが続いたら党本部を手放さなくてはいけないぐらいに借金がかさんでいました。

党本部から自民党を追い出すには、2回連続衆議院選挙で自民党に勝たなくてはいけません。そうなると参議院選挙も2回以上連続で勝つ必要が出てきます。

平成22(2010)年5月30日に民主党と連立を組んでいた社民党が離脱していきます。同年6月4日に鳩山由紀夫内閣は総辞職し、6月8日に菅直人内閣が発足します。

同年7月11日、第22回参議院議員通常選挙が行われるのですが、民主党は10議席を失い44議席となります。自民党は13議席を増やして51議席となり、自民党が参議院第一党の座を取り返しました。民主党は、今度は自分がねじれ国会に苦しむことになります。

■民主党政権が短命に終わったのは参議院のねじれ

ここから、民主党政権時代の鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦の各内閣がなぜ1年で潰れたのか理由をお話しします。鳩山由紀夫内閣が潰れた理由は、普天間基地移設問題を巡る混乱などにより、参議院選挙前に内閣支持率が21%と下がっていたため退陣に追い込まれました。

民主党の街宣車
写真=iStock.com/tupungato
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tupungato

菅直人内閣が潰れた理由は、菅直人の性格が悪いことが問題だったわけではなく(本当にそう考えている人もいますが)、参議院のねじれが原因でした。野田佳彦内閣も同じ理由で潰れました。

衆議院には予算の先議権があり、衆議院が予算の決定権を持っていることになります。ですが、昭和50(1975)年以降は赤字国債(財政赤字などを補填(ほてん)するために、税収だけでは足りない分を資金調達のために国が発行する国債)の発行が常態化しています。赤字国債は国家予算の半分を占めており、発行できないと歳入に穴が開いて予算執行ができません。その赤字国債を発行するためには、特例公債法を通す必要があります。

予算そのものに関しては衆議院が優越しますが、特例公債法は一般の法律の扱いです。一般の法律は両院の可決が原則として必要です。参議院で法案が否決されても、与党が衆議院で3分の2の議席を持っていれば再可決し、法案を通せます。ですが、衆議院で3分の2の議席を確保するのは至難の業です。

つまり、参議院の過半数を野党が握っている状態だと、特例公債法を通すために与党は頭を下げなければいけません。民主党が与党の時代は、自民党が参議院第一党になっていました。菅直人と野田佳彦は特例公債法を通すために自民党に頭を下げて、総理大臣の首を差し出したわけです。

■もし民主党が野党第一党からも落ちていたら…

平成24(2012)年、野田佳彦内閣は通常国会で消費税増税を通した後、特例公債法案を可決しないまま9月8日に閉会してしまいました。この通常国会の後半には既に予算枯渇が始まり、地方交付税や国立大学教員の給料の遅配などの行政麻痺が起きていました。特例公債法がようやく成立したのは臨時国会解散の当日、11月16日でした。

参議院の国対委員長だった自民党の脇雅史は「特例公債法をぶっ潰して解散総選挙に追い込んでやる」と宣言し、見事その通りにしましたが、国家崩壊が始まっていることを理解していなかったのでしょう。

野党の時の自民党は「政権を取る」という意欲以外に、褒めるところがありません。

平成24年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で、民主党は173議席を失うボロ負けをして壊滅します。一気に57議席まで転落しました。

この時、日本維新の会が54議席。友党だったみんなの党が18議席です。もしここで維新とみんなが合党までできなくても、院内会派を組むだけで野党第一党を奪えました。しかし選挙前からこの両党は主張が強くて妥協できず、院内会派すら組めませんでした。もしここで動きを起こせていれば、その後の日本の憲政は大きく変わったでしょう。

■公明党の御用聞きと化した自民党

今や公明党を抜きに、日本政治は語れません。

民主党が参議院の運営で苦しんで政権担当能力を持てなかった理由は、野党が自民党を切り崩せなかったことと、公明党が自民党に付き合って「連立野党」をやっていたためです。これが、現代に至る日本政治に決定的な意味を与えました。

公明党は平成11(1999)年から自民党と連立を組んでいますが、小泉内閣や安倍内閣(平成18年、19年時)では、あまり発言権がありませんでした。

たとえば東京都議会議員選挙は公明党が重視する選挙で、その前後3カ月以内の衆議院選挙を嫌います。しかし、小泉首相は郵政選挙で、関係なく解散権を行使しています。麻生首相も、リーマン・ショックへの対応を理由に、予定されていた解散をやめました。

ただ、これは昔の話。自民党総裁である総理大臣が創価学会・公明党の意向を気にせずに解散を延期できたのは平成21(2009)年の麻生内閣まででした。

平成21年の衆議院選挙で自民党が敗北し、野党に転落した時に公明党もいろいろと悩んだそうですが、公明党は与党になった民主党にすり寄るよりも、自民党と野党暮らしを付き合った方が後々で力を得られるであろうと判断しました。3年3カ月の野党暮らしに耐えたことが、今活きていますから、的中です。

その平成21年の衆議院選挙は、国民が自民党の麻生内閣に対して本気で怒った選挙でした。国民が本気で怒った時は、創価学会が自民党についていても選挙に勝てないことが明らかになった選挙でした。

ただ、国民が本気で怒るのは15年に1回ぐらいです。

だから自民党としては、国民は15年に1回しか怒らないので創価学会と組んでおけば、いつまでも与党でいられると考えています。

■野党は安倍政権の補完勢力でしかなかった

ここから、平成24(2012)年の衆議院選挙に勝利し、与党に戻った自民党の視点で見ていきます。平成24年から8年間の安倍自民党総裁の時代で6回選挙が行われましたが、その内容を少し振り返ってみましょう。

平成24年、第46回衆議院議員総選挙では、294議席を獲得する大勝で民主党から政権を取り戻します。

平成25(2013)年、第23回参議院議員通常選挙では、自民党は115議席を獲得して勝利し、自民・公明両党で参議院の多数を握ることができました。ねじれ国会を解消します。

平成26(2014)年、第47回衆議院議員総選挙では、消費税10%への増税延期を問う解散総選挙でした。291議席を獲得し勝利します。

平成28(2016)年、第24回参議院議員通常選挙でも、消費税増税延期を掲げ、自民党は121議席を獲得し勝利します。

平成29(2017)年、第48回衆議院議員総選挙は、同年9月に民進党政調会長の山尾志桜里が不倫スキャンダルで騒がれた瞬間に解散をして勝利しました。

令和元(2019)年、第25回参議院議員通常選挙は、立憲民主党の枝野幸男が勝たせてくれた選挙でした。消費税10%への引き上げを掲げながら自民党が勝利します。

安倍晋三が自民党総裁を務めた8年間での選挙は、自民党の6連勝という結果でした。

この8年間で野党は何をしていたのかと言うと、自民党を選挙で勝たせるための補完勢力となっていました。平成24年の衆議院選挙で敗北し、野党に再び戻った民主党は分裂を繰り返し、民進党、立憲民主党と変わっていきます。民進党も立憲民主党も野党第一党でしたが、安倍内閣を選挙ですべて勝たせてしまいました。

■どんなに不満があっても「自民党しかない」

ここで、安倍内閣の無敵の方程式を紹介します。「日銀が金融緩和をする→株価が上がる→選挙に勝てる→誰も引きずりおろせない」です。

平成25年の日銀総裁人事で黒田東彦日銀総裁、岩田規久男副総裁を決めて、アベノミクスによる金融緩和政策を実施し、株価を上げて景気が良くなっていると国民が感じると支持率も上がり選挙で勝てるという仕組みです。選挙で勝てる総理大臣、自民党総裁を降ろす自民党議員はいなくて安倍内閣は延々と続くという状況です。野党はまったくお呼びではありません。

ところが、平成26年4月1日から消費税を8%に増税して景気回復を台無しにしてしまいます。その状況で、10%に再増税するかどうか。

平成26年11月、安倍首相は消費税10%への増税延期の信を国民に問うために解散総選挙に打って出ます。この時、全野党が増税延期に賛成をしていました。そのため解散の大義名分はない選挙でした。ですが、解散総選挙を実行しました。

解散した理由は簡単です。創価学会・公明党に事前に解散をすることを約束していた以外にありません。

解散総選挙の1カ月前、11月16日に行われた沖縄県知事選挙では、公明党は組織票をまとめることができず、自主投票としたため不戦敗となりました。

平成26年の秋に増税判断をする時には、既に解散することを決めていました。同年12月14日に解散総選挙が行われるのですが、創価学会・公明党は解散総選挙に合わせて事前に動いていました。

もはや自民党は、公明党の意向を抜きに解散総選挙をすることができない政党になっていました。

そして、そこまで落ちぶれた自民党を脅かす野党が一つもないのです。

国民はどんなに不満があっても、自民党による政治を承認する以外に選択肢はなかったのです。

■安倍政権が歴代最長となった理由

安倍内閣の8年間を見ると、平成24(2012)年から平成25(2013)年までは景気回復も順調でしたが、平成26(2014)年4月1日に消費税を8%に増税してしまいます。日銀による追加金融緩和(ハロウィン緩和)で緩やかな景気回復傾向に立て直したので、国民は「じゃあ、安倍内閣が続いてもいいや」との雰囲気となり、安倍内閣は存続しました。

日本の消費税の増税イメージ
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

安倍晋三は総理大臣として連続在職日数が3188日となりました。憲政史上最長記録ですが、「何か実績はあるのか?」と言われると何もありません。

歴代の総理大臣の実績に関しては、歴史の教科書にもいくつか書かれています。

倉山満『なぜ日本の野党はダメなのか?』(光文社新書)
倉山満『なぜ日本の野党はダメなのか?』(光文社新書)

ここに並べられる安倍内閣の実績は何かあるのでしょうか? 国家安全保障局とか特定秘密保護法とか、いろいろと細かいことをやっていますが、そんなことを教科書に書くわけにはいかないでしょう。ましてや「民主党政権の時よりは株価が高く、アメリカとの関係も安定した」とも書けますまい。現に、安倍晋三首相が佐藤栄作首相の任期(2798日)を超えた瞬間に「実績はあるけどレガシーはない」と新聞やテレビで言われ出しましたが、みんなが薄々思っていたということです。

野党やその他が酷すぎたから、安倍首相の方がマシだと考えられて長期政権になっただけです。そういった弱すぎる野党が安倍内閣を支えていて、安倍内閣は中途半端な金融緩和でも政権維持ができたのです。ハッキリ言えば日銀が金融緩和をしているかどうかがすべてでした。

■野党からの「左からの批判」は痛くもかゆくもなかった

では、日銀の金融緩和に対して、野党に転落した民主党はどのような批判をしたかと言うと、「金融緩和なんかやめてしまえ」でした。「もっと金融緩和をやれ」と言えば正論でしたが、野党の民主党は絶対に言いませんでした。民主党の後に野党第一党となる民進党も立憲民主党も同じでした。

「金融緩和をやめろ」という左の安倍批判があっても、右からの「金融緩和をもっとやれ」という安倍批判がありませんでした。右からの安倍批判があったとしても、次世代の党のように潰されましたが……。

安倍内閣にとって左からの批判しかしない民主党が野党に転落後、党名が変わって民進党になっても野党第一党であり続けたのは嬉しくて仕方がありませんでした。

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倉山 満(くらやま・みつる)
憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『ウェストファリア体制』(PHP新書)、『13歳からの「くにまもり」』(扶桑社新書)など、著書多数。

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(憲政史家 倉山 満)

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