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「あなたの息苦しさの原因は"社会的洗脳"だ」女装して1年暮らした男がみた現代社会の正体

プレジデントオンライン / 2022年3月25日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Motortion

40代50代が迷っている。「働かないおじさん」と言われ、職場に「居場所がない」のだ。健康社会学者の河合薫さんは「彼らは“社会のまなざし”に拘束され、自分にウソをつきながら生きてきた。そのため過去の自分と人生に失望しているのに、いったいどう変わったらいいかがわからないのだ」と指摘し、ある興味深い社会実験を紹介する──。(第3回/全7回)

※本稿は、河合薫『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■女装して1年暮らしてみた

ちょっと変わった社会実験で、「自己受容」に成功した男性がいる。クリスチャン・ザイデル、別名“クリスチアーネ”だ。俳優、ジャーナリストを経て、テレビ番組・映画プロデューサーとして名を馳せたドイツ人の男性である。

女性の配偶者がいて、普通の男性として生活してきたクリスチャン。だが、ひょんなことから女装して、1年間暮らす実験をすることになった(『女装して、一年間暮らしてみました。』)。そう、彼にとって「女装」はある種の社会実験だった。男の中に潜む“女”を、自分の体で体感しようと思ったのだという。

きっかけは一足のストッキングだった。

クリスチャンは、冬になるとよく風邪をひくという切実な理由から、ある日、デパートのストッキング売り場に行った。そこで彼は、ストッキングの種類の多さに衝撃を受けた。

薄手、厚手、ガーターフリー、膝丈、ピンク、ブルー、ブラックなど、男性の靴下売り場にはない自由な選択肢にクリスチャンは興奮した。高揚感に導かれるままにスカートを身にまとい、ハイヒールを履き、ウィッグを被った。彼はこの時、“クリスチアーネ”に変貌を遂げたのである。

■「そんな重圧、男には耐えられない」

新しい生活をスタートさせた“クリスチアーネ”。彼の突然の変化に、男性の友人たちは好奇のまなざしを投げかけ、バカにした。一方、女性の知人たちはフレンドリーに接してきた。“クリスチアーネ”を女子会に招き、セックスや身体についてあからさまに語り合うのだ。

男性同士の関係にはなかった自由な時間に、“クリスチアーネ”は至極の心地よさを感じ、新しい生活に没頭するようになる。

ところが、次第に彼は、「女性たちが求める男性像」に自分が苦しんでいた事実に気づくことになる。

「弱い男にはイライラする」
「いちいち『抱いていいか』と聞いてくる」
「強い男でありたいのに、甘やかされたいって、サイテー」

“クリスチアーネ”に対し、口々に男性への不満を漏らす女性たち。“クリスチアーネ”はこの時、それまでの人生において、男性であるクリスチャンとして感じてきた違和感の正体に気づいたのだ。

「女性を強引にリードしながら、足元にふかふかのカーペットを広げてくれる強さと優しさを兼ね備えた人物を男に求めてはいけない。そんな重圧、男には耐えられない。(中略)それでなくとも、子どもの頃から立派な男になることを押しつけられるのに。期待が大きすぎるんだよ」(前掲書より)

そう言って、女性たちに男性としての悲鳴を伝えるのだった。

■「社会のまなざし」という拘束

クリスチャンが子どもの頃、周りの大人たちは彼に対してことあるごとに「立派な男」という言葉を口にした。振り返れば、彼のこれまでの人生は「立派な男になる」ことがすべてだった。

周りの“女の子”たちが“女性”に変わり始めると、ますます彼は男らしさを強調するようになり、社会に認められるためだけに男らしく振る舞った。

でも、それが自分の生きづらさの原因になっていることに彼はこれまで気づかなかった。ところが“クリスチアーネ”に変身し、社会のまなざし=拘束から解放されることで、「ありのままの自分=ちっとも男らしくない私」と向き合うことができた。彼は1年間の女装を経て、自分と正面から向き合い、「自分らしく生きる勇気」を手に入れたのだ。

もっとも、これは妻もいる1人の男性が「女装して1年を過ごす」という極端なケースである。しかし彼の社会実験は、外見や性差や性役割、普通という概念のバカバカしさと、他者のまなざしに拘束されることの不幸を教えてくれている。

逆説的に言えば、ありのままの自分に気づき、受け入れ、上手にあきらめることこそ、「幸せ」への第一歩になる。

■人間の欲求はモザイク状

心理学者アブラハム・マズローは、人が持つ欲求を、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」の5つに分類し、階層で示した。有名な欲求の階層の理論だ。

一般的には、これらの欲求は五段階のピラミッド型で示されるため、1つの欲求が満たされて初めて次の欲求が生じ、欲望の階段を順次上っていくと理解されることがある。しかし、実は有名なピラミッドの図はマズローによるものではない。第三者が、マズローの階層理論をイメージして作ったものだ。

マズローは単に、人間の持つ基本的な欲求に対し、相対的な優先度を基準に階層を構成したにすぎない。つまり、下位の欲求が100%満たされなければ、次の上位欲求が生じないというわけではないのだ。

一般的な人は、「生理的欲求」が85%、「安全の欲求」が70%、「所属と愛の欲求」が50%、「承認の欲求」が40%、「自己実現の欲求」が10%程度それぞれ満たされている、とマズローは分析している(『マズロー心理学入門』)。

また、階層は人によって優先度が変わるとした。たとえば、仕事が人生のすべてで、会社での出世に大きな価値を置く人の場合、「愛の欲求」より「承認の欲求」が優先されるであろう。自分のやりたいことをやり遂げることこそ人生と思い込んでいる人は、「承認の欲求」より「自己実現」を優先するかもしれない。

■不完全な「人」という存在

実は、マズローは自分の唱えた欲求階層説で、思いがけない発見をしている。

マズローは、自己実現的人間について、理論だけではなく、リアルな姿を知りたいと考えた。そこで、実際に自己実現している人にインタビューをするなどして、「“自己実現的人間”とは、どういう人々なのか?」を分析する調査を行った。その過程で、まったく想定していなかった事実を見つけたという。

自己実現的人間とは、「才能や能力、潜在能力などを十分に用い、または開拓している人」であることから、“完全な人間”とイメージされる。しかし、被験者(実存する自己実現的人間)に面接を行い、家族や親族などにインタビューして、自己実現的人間の共通点を見出そうとしたところ、被験者の中には誰一人として完全な人間などいないことがわかったのである。

目立つ女性
写真=iStock.com/FotografiaBasica
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FotografiaBasica

自己実現的人間は、非常に善良であり偉大でもあったが、時にはつまらなく、気難しく、自分勝手で怒りっぽかったり、他人をイラつかせたり、ふさぎ込んだりすることもあったという。私たち凡人と同じように。

■自己実現的人間は「欠点と共存する」

一方で、彼らには「ありのままを受け入れる」という共通点があった。自身の人間性の欠点を認め、理想と食い違っていることを承知していた。他者の欠点もそれはそれとして受け入れていた。

彼らには、自分を誇張するような見せかけの態度、偽善的な言葉遣い、狡猾(こうかつ)さ、体面を気にする様子、厚かましさなどが、まったく見られなかったという。

マズローは言う。

「彼らは自分の欠点とさえ快適に共存して生きていけるので、(中略)年をとるに従い結局は欠点とは感じられなくなって、ただ偏らない人格上の特性と知覚されるようになる」(『人間性の心理学』)

そして彼らは、他者の言動に苛立ったり、嫌気が差したりするようなことがあっても、あたかも家族のような愛情で相手に接していた。心から人を助けたいと願っていたそうだ。

■認められたければ人を助けよ

どんな人の人生でも起伏があると考えれば、自己実現的人間も、自分を見失いそうな、自信喪失するような危機に遭遇し、承認欲求が満たされないこともあったにちがいない。

河合薫『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)
河合薫『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)

そんな時、彼らも、やはり誰かの役に立つことをしたのではないか。マズローの示した5つの階層を上ったり、下りたりしてバランスを調整しながら、ありのままを受け入れる力を強化していった。人を幸せにすれば人から評価され、社会を幸せにすれば社会から評価される。才能や能力は、そうやって引き出されていくのだ。

自己受容ができている人は過去の人生に肯定的な気持ちを持っている。一方で、自己受容できていない人は、常に自分に不満を感じ、過去の人生に失望している。

もし、読者の中で過去の人生に失望しているという方は、「ああすればよかったのでは?」と過去のシナリオを描いてみよう。そして、誰かの役に立つことを無心でやってみよう。そうすればマイナスがプラスに転じ、「私」の可能性は無限に広がっていく。そう私は信じている。

■そこそこの「私」がいい

アリストテレスは、人間が快楽主義や禁欲主義といった極端な行動に走りがちで、名誉を求めるあまり無謀になる側面がある一方で、逆に過度に臆病になったりすることもあるとし、「中庸 the golden mean」を習慣化する大切さを説いた。中庸とは、偏りがなく、調和が取れた状態のことだ。無謀になりすぎてもいけないし、臆病になりすぎてもいけない。「そこそこ」がいい。

そこそこ──。

この感覚は自己受容に大いに役立つ。そこそこ強ければいいし、そこそこ弱くてもいい。そこそこ欲深くていいし、そこそこ無欲でもいい。そこそこ自分勝手でいいし、そこそこ思いやりを持てばいい。

恐れること、自信を持つこと、欲望を感ずること、怒ること、憐れむことは人間の自然な感情だが、これらの感情もしかるべき時に、しかるべき事柄について、しかるべき人に対して、しかるべき目的のために抱くならば、それも人間くささといえるだろう。

つまるところ、自分の内部から生じる種々の情緒、衝動(怒り、攻撃性、恐れ、欲求不満、性的衝動等)に振り回されずに制御するには、自己受容が必要であり、その覚悟と勇気が「自分らしさ」への最初の一歩になるのだ。

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河合 薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D.)。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。産業ストレスやポジティブ心理学など、健康生成論の視点から調査研究を進めている。著書に『残念な職場』(PHP新書)、『他人の足を引っぱる男たち』『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)などがある。

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(健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士 河合 薫)

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