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「台所はゴキブリの巣窟、冷蔵庫は液状化した野菜の海」最期を迎える姑の介護を一切拒否した嫁の逆襲

プレジデントオンライン / 2022年3月20日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mehmet Gökhan Bayhan

同じ敷地内の離れに住む高齢の義両親。結婚以来、50代の嫁は義母の横暴や暴言に苦しまされてきた。だが、認知症だった義父が他界した後、義母の体調も悪化。義父の介護をたったひとりでした嫁だったが、義母の介護は拒否した。その理由とは――(後編/全2回)。
前編のあらすじ】中部地方在住の佐倉美香さん(50代・既婚)は、24歳の頃、お見合いして6歳年上の公務員の男性と結婚。義両親が暮らす敷地内の離れで暮らし始めた。2年後に長女、その5年後に長男を出産するが、夫は育児に非協力的。義母は嫁である佐倉さんにつらく当たるが、夫も義父もかばわず、義姉もわれ関せず。その後、義父は夜中に突然、「人を殺してしまった!」となど錯乱し、認知症の症状を発症。やがて心筋梗塞で入院。病院内を徘徊するように。

後編は、義母につらく当たられながらも同じ敷地内に住む義父を看取り、続いて義母を介護することになりそうになったが、義母の妄言のため、佐倉さんは義母の介護一切から手を引く決断をする。どのようにして介護から逃れたのか。義母の介護は誰が担ったのか――。

■認知症の義父

佐倉美香さん(50代・既婚)の義父は心筋梗塞で入院したものの幸い1カ月で退院できたが、その間に認知症は一気に進んだ。

自宅に帰った義父は、台所用漂白剤を、「毒薬や! 警察に連絡せんとあかん!」と興奮したり、台所の洗い場下の収納の中に潜って「地球の源泉が溢れている! なんとかせんとあかん!」と叫ぶなど、常軌を逸した行動を連発した。

「自宅だけで看るのは到底無理」と判断した佐倉さんは、介護認定を依頼するが、申し込んですぐに結果が出るわけではない。2〜3カ月後にやっと要介護1と結果が出ると、義父は週2日デイサービスに通い始めた。

「世間体を気にする義母は、『施設なんてみっともない』と思っていたようです。自分自身も、最後は施設から施設へとなるのに、見栄ばかり。義父の施設選びも優先すべきは、“過ごしやすいところ”ではなく、“近所の人に会わないところ”でした」

佐倉さんは2人の子供が小学校に上がると再び働き始めた。ヘルパー2級を取得し、ホームヘルパーを約5年経験した後、事務員として働いていたが、義父のデイサービスの日は、佐倉さんが仕事を早めに切り上げて、自宅で送迎バスを待った。

ところが、バスで帰宅した義父は毎回、「施設に荷物を忘れた!」「印鑑を忘れた!」と叫んで、道路に飛び出そうとする。施設の送迎スタッフは、玄関に義父を押し込むと、ダッシュで車に戻り、その後に佐倉さんが立ちはだかって、義父の逃亡を阻止しなければならなかった。

何とか座らせてお茶を飲ませるまで毎回30分はかかるが、義母はいつも遠巻きに眺めていて、落ち着いた頃に義父にだけお茶を入れてくる。立ちはだかる佐倉さんの両腕は、毎回義父に強く握られるため、常に指の形にくっきりアザが残った。

■義父の死

それでも義父は頭がクリアな時と、そうでない時があった。ある日は簡単な計算を全問正解できるがが、別の日に作文を書かせると、「私がこんなふうになってしまったので、妻は出ていったと思います」と書いた。

「思い返せば、義父が私たち夫婦が暮らす(同じ敷地内にある)母屋にやってきて、『もう家(離れ)に置いてもらえん……』と私に訴えてきたことがありました。おそらく、義母にひどい仕打ちに遭い、私に助けを求めていたのでしょう。けれど、いつも私が義母から虐げられ助けてほしかった時に助けてくれない義父には親身になれず、『ここは義父さんの家だから、追い出されることはないよ』と言って、義母がいる離れに追い返してしまいました」

義母はかつて、自分にとっての義祖母(義父の母親)の介護をしていた。佐倉さんが嫁に来た頃には90歳を超え、すっかり丸くなっていたが、元小学校の教師をしていた義祖母は、気の強い人だったらしい。

義母は、「義祖母には何かとこき使われたから、私は嫁いびりはしない」と話していたにもかかわらず、いつしか同じように佐倉さんをこき使うようになっていた。

「足腰の弱った義祖母がおもらしした時には、義祖母自身に雑巾で拭かせたり、怒鳴り散らしたりして、当時、嫁に来たばかりの私は唖然としました」

また、佐倉さんは義祖母の誕生日に好物のショートケーキをプレゼントしていたが、「そんなもの食べさせて、お腹でも壊したら、私が世話するんだからね!」と90歳過ぎた義祖母のささやかな楽しみを奪おうとした。

イチゴのショートケーキ
写真=iStock.com/Yulia Lisitsa
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yulia Lisitsa

「母家と離れなので、家の中に入ってしまえば中で何をしているかは分かりません。でも、義祖母に義父母たちがしていた仕打ちを思えば、どういう状態かわかりそうなものでしたが、私は目をつぶりました」

義父は相変わらず、ひどく錯乱したり、正気に戻ったりを繰り返していた。この正気に戻るときが、義父自身にとって苦しいときに違いなかった。壊れていく自分を自覚する瞬間、誰もが恐ろしく、不安で仕方ないはずだ。

そんなときだった、半世紀以上連れ添った妻から、決定的な暴言を浴びせられたのは。

「もうこの人いらん。捨ててきて!」

2012年2月。義母は義父を指差し、近くにいた佐倉さん夫婦に向かって言い放った。その日以降、義父は誰とも口を聞かなくなり、飲み物も食べ物も受け付けなくなった。

当時、看護大学の学生だった佐倉さんの長女がどんなになだめてもお願いしても、お茶すら口にしてくれない。そして3日後の深夜3時ごろ。母屋の勝手口を叩く音で目が覚めた佐倉さんが扉を開けると、血相を変えた義母が言った。

「おとうちゃんが、息してない!」

慌てて離れへ行くと、義父はまだ温かかった。佐倉さんは119番に電話をかけながら、長女に心臓マッサージを指示。義母と夫はオロオロするばかり。義父は救急車内でAEDを施され、総合病院へ運ばれた。

しかし、しばらくして処置室から出てきた医師が、「もうよろしいですか?」と言う。察した佐倉さんが、「ありがとうございます。結構です」と答えると、佐倉さん夫婦と義母は処置室に入り、義父は臨終となった。86歳だった。

■義母と義姉

義父の死後、80歳の義母は「食欲がない」と言い、悲劇のヒロインのようにしおらしくなっていたが、約半年ほどで元通りになった。

ところが4年後の2016年11月、突然、義母の腕にできた傷が悪化して、入院・手術が必要な状態に。2人部屋の先客は認知症患者。寝たきり状態だが、ひっきりなしに「看護婦さん、オムツ替えて〜!」と叫び続る女性だった。

「(同じ部屋の患者に影響され、認知機能が低下した)義父のようになったら看るのは自分だ」と思った佐倉さんは、病院に部屋替えを申し出た。すると案の定、義母は「嫁の分際でお医者さまにモノ申すなんて!」と怒ったが、「義父のように認知症になったら、誰が世話するの?」と言うと黙った。

義母の傷は、鳥や猫の感染症である、クリプトコックス症によるものだと診断された。庭にやって来る野良猫がフンをしていくのだが、義母はそのそばで義父のお墓に持参する花を摘んだり、束にまとめたりしていたので、そのせいだと思われた。

佐倉さんは義母が入院中、退院して戻ってきたときにせめて気持ちよく過ごせるようにと、離れを掃除することに。ところが、目に入ってきたものは……埃まみれの部屋、カビだらけの洗面所、ゴキブリの巣窟と化した台所、液状化した野菜の海となった冷蔵庫。

何のシミかわからない汚れた冷蔵庫内
写真=iStock.com/PlasticMan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PlasticMan

あまりの不潔さに絶句した佐倉さんは、ゴキブリの根城となっていた食器棚の中身は処分して消毒、寝具は新しいものを買い、ベッドの下に入っていたガラクタを整理した。

当時62歳の義姉は、以前は年2回ほど実家に顔を出していたが、義父がおかしくなっても1〜2度しか会いに来ず、葬儀に来てもお客様気取り。義父の介護や、最後の救急車手配、応急措置などに対して、佐倉さんに感謝の言葉もなかった。

義母がクリプトコックス症で入院しても一度も面会には来ず。義母が入院中に義姉の長女が結婚したが、招待状が届いたのは佐倉さんの夫と長女宛てのみで、佐倉さんには届かなかった。さすがに義母には届いたが、入院で行けなくなったにもかかわらず、義姉は義母に結婚式の写真さえ送ってこなかった。

■退院後の後悔

2016年12月初旬。義母は退院すると、きれいになった離れを目にし、佐倉さんに「ありがとう!」と言った。ところが2017年1月。年末年始をはさみ、お正月ムードが落ち着いた頃、義母は離れに一人ぼっちになり寂しくなったのか、事件は起きた。

「あなたのお義母さん、おかしくない?」

それは佐倉さんの母親からの電話で発覚した。佐倉さんと長女は、近所の公民館主催の絵画サークルに定期的に参加していたが、そのサークルに参加している時間に、義母がわざわざ佐倉さんの母親に電話して「あなたのところの嫁さんと孫娘さん、隣の市の風俗店でいかがわしい商売に従事しているわよ」と、伝えたというのだ。

水彩画の筆とキャンバス
写真=iStock.com/SrdjanPav
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SrdjanPav

母親は、「『そんなことするはずがない』と言っても、全然信じてくれなくて、涙が出たわ。それで怖くなって、電話機の着信拒否ボタンを押した……」と。

佐倉さんは愕然とした。

「昔から思い込みが激しくておかしな人だったけど、ここまで根拠のないひどい妄言はありませんでした……」

母親から電話で事情を聞いた後、佐倉さんが離れにいる義母のところへ向かうと、なんと義母もこちらへ向かって来ていた。

「私たちが風俗店で働いているって、何ですか!」

佐倉さんが問いかけた瞬間、鬼のような形相の義母が発したのは、「もう2度と行かへんか!」という恫喝のような言葉。義母は、「近所の人が(風俗で働いていると)言いに来た」というが、近所の人とは誰のことかは言わない。

「たぶん義母の妄想だから、近所の人というのは実在しないのだと思いました。私はすっかり目が覚め、『これまでも暴言を何度も許してきたが、これは病気だ。まともじゃない。夫が帰宅したら対応を考えなければならない』と思いました」

佐倉さんは母屋に帰ると、義母がこちらの家に入れないように鍵をかけた。すると義母は「開けろ!」と叫び、玄関や勝手口などを叩いて回った。

母親によると、佐倉さんが結婚してから約27年間、義母は事あるごとに、「娘をどんな育て方をしたんや!」「娘の育て方が悪い」という電話をかけ続けていたらしい。そのことを佐倉さんが知ったら、離婚すると言いかねないと思い、ずっと黙っていたという。佐倉さんは母親に申し訳ない気持ちになった。

■嫁の復讐

夫が帰宅すると、佐倉さんは義母の妄言について話した。夫はすぐに離れに行き、義母と話をした。すると義母は、「あんたらのことを心配してやった」と言ったという。佐倉さんは、「心配してのことのなら、実家の母を泣かせ、私たちの名誉を毀損(きそん)しても構わないと言うの?」と呆れた。

夫には、「病気なら病院へ、そうでないなら、きちんと謝罪させて!」と言ったが、やれ「仕事が忙しい」やれ「本人が納得しないと……」などと言い訳三昧。

佐倉さんは義母を精神科に連れて行くため、義父の主治医に相談。1週間後に予約が取れ、診察の結果は認知症ではなく、「精神疾患」だった。「思い込みがひどいので、うちの病院では面倒をみれない」と言う医師に紹介状を書いてもらい、入院できる精神科を紹介された。

ところが、認知症ではない義母は、何と答えたら入院を免れるか心得ていた。義母は紹介された精神科に行ったが、入院も薬の処方も断って帰宅。佐倉さんは唇を噛み締めた。

しかし、この妄言事件以降、佐倉さんは一切、義母と関わることをやめた。これまでは義父を亡くし、一人ぼっちになった義母を気遣い、一日に一回は離れにいる義母の様子を見に行っていたが、もうしないことに決めた。何か用事があるときは、すべて夫が対応することに。

「私が義母に関わることから手を引いたのは、医師からも精神疾患だと言われているのに、紹介された精神病院に何カ月も連れて行かなかった夫が言い訳ばかり繰り返し、義姉からもあることないこと言われているのに、はっきり言い返せないことに幻滅したからです。でも、関わらない宣言をしてからも、夫が『(俺には対処が)できない』と泣きつくので、義母の施設入所に必要な下着や衣類の購入と、名前書き、裾上げなどはしてあげました。『お義姉さんにやってもらったら?』と言ったのですが、夫が頼むわけないので……」

佐倉さんは再三、「お義母さん、骨になってもわが家には帰らせないからね」と夫に言い、関わりを絶ってから2年もの間に、義母は持病のリウマチや骨粗しょう症が急激に悪化。

2018年後半にはトイレの失敗が増え、オムツが必要になった。定年退職目前の夫は、朝、義母のオムツを替えてから出勤し、帰宅してまずオムツを替える生活に。やがて夫がショートステイのロング利用ができる施設を探し、入所すると、そこで特養の空きを待った。

オムツを広げてみせるシニア女性
写真=iStock.com/Toa55
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toa55

もし義母の妄言事件がなく、佐倉さんが義母を介護し続けていたら、義母の持病のリウマチや骨粗しょう症はこんなに早く悪化しなかったかもしれないが、すべては義母自身が招いたことなのだ。

2020年1月、ようやく空きができて特養へ。現在は何度目かの誤嚥性肺炎の入院を経て、療養型施設に移っている。

■因果応報

2021年6月。義母は要介護5になった。施設入所前に義母を診たメンタルクリニックの医師は、「空想虚言症」と診断。

「寂しくなると、寂しくした原因ではなく、周りで優しくお世話してくれる人たちにキバをむく病気だそうです。なんてガッカリな病気なんでしょう。これでは、世話してもらえなくなり、話を聞いてくれる人もいなくなります」

佐倉さんは、病気になった義母に同情を寄せるが、限界だった。実の子どもである夫や義姉の対応のまずさも、佐倉さんの心をすり減らせた。クリプトコックス症で義母が入院したとき、夫が義姉に、「母さんをよく世話してくれたんだ。美香に感謝してくれよ」と言ったことがあるが、「あんたらもばあちゃんに世話になったやろ! やって当たり前!」と言い放ち、佐倉さんに対して感謝もねぎらいの言葉もなかった。

「それならもう、世話しませんよね。私は他人で、実子ではないんですから。『せいぜい血のつながった方々が親身になってあげてください!』という気持ちになりました」

義母は特養に入所後、食欲が落ちてきて、何度か胃ろうの話が持ち上がったが、夫は断った。

「義父に『いらんから捨ててきて!』と言った義母です。これ以上の長生きは望まれないでしょうね。あの母親の息子で、あの姉の弟だから仕方ない。自分が一番かわいいから、これ以上、私に嫌われることを恐れたのでしょう」

義父母に善意でしたことについて、「実の子どもである夫や義姉から評価されないことが、何よりつらく苦しかった」と話す佐倉さん。

ベッドの上で膝を抱えてうつむく女性
写真=iStock.com/kitzcorner
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kitzcorner

「夫にぶつけてものれんに腕押し、ぬかにくぎ。いつか、義母が義父に言ったように、夫にも言ってやろうと思ってやり過ごしました。実母が愚痴を聞いてくれたので、何とか我慢できたような気がします。おかしなことを言い出す前は義母も一応、『あんたのおかげで助かった。ありがとう』と言ってくれたことがありますが……。一言でいい、ありがとうで癒やされることは多いです」

義父の時は、本来介護をするべき義母が投げ出していた。夫は自分の親のことなのに、仕事を言い訳にして、佐倉さんが手を引くまで真剣には考えてくれなかった。

「実の子どもだからやれることはたくさんあります。嫁には決定権がないのに、病院、施設、官公所は『(あなたが)嫁でもいいから、こちらの話を聞け! でも判断するのは実子!』って判で押したように言うので腹が立ちました。『決定権のない者に、お世話をさせるな!』です」

確かに、嫁は伝書鳩じゃない。佐倉さんは筆者に対して、「不幸なお嫁さんを1人でも減らしたい」と話した。

「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる過酷な状況は筆舌に尽くしがたい。

なぜそんな危機的状況が生まれるのかといえば、介護を担っているその人以外の親族が、無視を決め込むからだ。佐倉さんの場合は、1人で担わされていた佐倉さんが手を引いたことによって、実子である夫が1人で介護をせざるを得なくなった。

だが、本来は姉と話し合った上で、役割や金銭的負担を分け合う必要がある。話し合うことを放棄して介護から逃げる親族がいれば、その負担は当然、それ以外の親族へ行く。

筆者はこれまで50近い家族の介護を見てきたが、因果応報はあると考える。逃げや不誠実、卑怯なおこないは、いつか自分に還ってくるだろう。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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