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怒りが不思議と消えていく…頭に思い浮かべるだけでムカつきがおさまる"あるシーン"

プレジデントオンライン / 2022年3月31日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Spiderstock

怒りが収まらないときは、どうすればいいのか。精神科医の春日武彦さんは「ムカつくことは異常ではないが、それが継続するのは良くない。そんなときは、相手が土下座している光景をリアルに思い浮かべ、感情を沈めたほうがいい」という――。

※本稿は、春日武彦『こころの違和感 診察室』(河出新書)の一部を再編集したものです。

■「ムカつく」と「腹が立つ」の微妙な違い

まずは自分がムカついた体験を書いてこの項目をスタートさせようと思ったのですが、記憶の中からムカつき体験を取り出しつつ「このエピソードには長ったらしい説明が必要になってしまうなあ」「この話を披露したら、むしろわたしの人格を疑われそうだ」「この出来事は月並み過ぎて書く意味がないなあ」などと吟味しているうちに、すっかりムカつきの自家中毒になってしまいました。

これ以上嫌な思い出と次々に向き合っていくと心が荒んできそうなので、冒頭部分は割愛します。

さて、ムカつくのと腹が立つのとは同義と考えてよいのでしょうか。どちらも怒りが喚起されるという点では同じかもしれません。

だがわたしとしては、「ムカつく」というのは感情的な側面において「許せん!」といった気持ちがより多く含まれているような気がします。理性的に状況を考査した結果、腹を立てる(軽度の場合には、眉を顰めるのでしょう)といったケースはありましょう。

しかしムカつくのは瞬時の判断および反応であり、それは多くの場合、「失礼だろ!」「卑怯じゃないか」という二つのフレーズに収斂しそうな気がするのですね。

あるいは「ナメられた」「ないがしろにされた」といった感触へのリアクションと言えるかもしれません。

■罪を憎んで人を憎まず、とはならない

罪を憎んで人を憎まず、といった言葉がありますよね。孔子が言ったのでしたっけ。まあそういった寛容な精神も分からないでもありませんが、ムカついたときには完全に逆ですね。

人を憎んで罪を憎まず、さもなければ罪も人も憎むぞ状態になってしまう。まさに「お前、絶対に許さんぞ」モードとなってしまう。

それというのも、やはり「失礼」「卑怯」といった具合に加害者の人間性を生々しく感じ取ってしまうところがムカつき案件には備わっているからでしょう。

■クレーマーの心情を分析してみると…

ムカつく気持ちを考察するには、クレーマーの心情を参考にするとよろしいかもしれません。

そんなことを申しますと、ムカついた経験を必ずやお持ちであろう読者諸氏は「何を言っているんだ。オレはクレーマーなんかになったことはないぞ。あんな気色の悪い奴等と一緒にするな」と反論されるでしょう。

その心境は分かりますが、クレーマーは迷惑で「うざい」存在であるのみならず、わたしたちの心の一部を戯画化した存在でもあることを思い出しましょう。

つまり彼らの気持ちを探ってみますと、わたしたちと共通したものが少なからずある。ただし、わたしたちはそれを人前で開陳したりはしません。でも彼らは平気で開陳する。だから戯画化された存在ということになる。

■なぜクレーマーは、些細なことで激怒するのか

なぜクレーマーは、あんな些細なことで怒り心頭に発し粘着するのでしょうか。

彼らの心情において重要な要素を書き出してみます。

①自分は小馬鹿にされているのではないか。侮られているのではないか?
②こちらの気持ち、こちらの事情を汲み取ろうとしなかった相手への憤慨。
③無視したり、小手先の対応で誤魔化そうという相手の態度(あくまでもクレーマー側にはそのように映ったということで、真偽は別問題)への義憤。
④こんな不快な気分にさせられたオレは、相手に何をしても許されるだけの権利がある、という被害者意識および(歪んだ)権利意識。
⑤いったん怒りに火が点くと、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といった具合に、怒りがあれよあれよとエスカレートしていく傾向。

これらのうち①と②が、「失礼だろ!」に相当します。③は「卑怯じゃないか」に相当する。そして④⑤がクレーマーに顕著な病理ということになります(おそらくパーソナリティーにおける病理に根差している)。

■相手の本当の心情は分かりようがないのに…

さてわたしたちは、相手に悪意や卑劣な意志があればムカつくのは当然だ。ことさら悪意や卑劣な意志がなくても、高慢で怠惰で鈍感な精神のありよう(つまり①と②)はやはり許せない。

ただし本当に相手は高慢で怠惰で鈍感なのかどうか。その裁定はなかなか難しいものです。おしなべてクレーマーたちは雄弁かつ理路整然と相手が「高慢で怠惰で鈍感」である証拠を述べ立て、しかも「無視したり、小手先の対応で誤魔化そうとした」と主張します。

なるほど筋はそれなりに通っている。だからクレーマーは主張を繰り返すたびに自分は正しい(すなわち相手は許せない)という思いを強くしていく。ますます声高になっていく。

けれども、かれらの主張を構成する証拠のそれぞれは、十中八九思い込みのバイアスを加えられています。

口元の笑みは親しみや愛想を示すサインではなく嘲りのサインであり、言い間違いは単純なミスではなく邪悪な思考の反映であり、相手を待たせるのは相応の理由があろうと本質的には相手を軽視した振る舞いであるといった具合に。

別な可能性については、平然とそれを切り捨てる。なぜ切り捨てるのかと尋ねても、「そんなことは一目瞭然、誰にだって分かるのだから考慮に値しない」と答える。

その答こそ「高慢で怠惰で鈍感」なんじゃないでしょうか、なんて指摘したらまさに火にガソリンでしょうね。

■クレーマーとそうではない人の決定的な違い

いずれにせよ、わたしたちがムカつくときもクレーマーが抗議をするときも、相手は失礼で卑怯だと感じている。ナメられ、ないがしろにされたと感じている。

こうした気分に駆られると、落としどころがなくなりますね。自分で自分をなだめすかそうとしても、怒りは収まらない。それこそ相手が土下座でもしない限りは気が済まない状態になってしまう。

土下座をするビジネスマン
写真=iStock.com/Tomwang112
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tomwang112

もっとも、クレーマーは相手が本当に土下座したらそこで勝利宣言を出すか、それでもまだ怒っているかのどちらかでしょうね。

健全な精神の持ち主であったら、土下座なんかされたらむしろ困惑したり「ムカついている自分」に対して自己嫌悪を生じるでしょう。

この違いはまことに大きいし病理性の有無にかかわってくると思われます。

といった次第で、ムカつくこと自体は珍しくもないし異常ではない。が、ムカつくのもほどほどにしないとクレーマーと内面が同じになってしまう。

■相手が土下座している光景を想い浮かべる

ムカついた場合は、相手が土下座している光景を思い描いてみればよいのではないでしょうか。

十分リアルに思い描ければ、「もういい、消え失せろ」と言いたくなるでしょう。これ以上は、怒っていること自体にうんざりしてくる。

失礼や卑怯は、精神におけるほぼ治癒不能の性癖であると捉えておいたほうが適切だと思います。

■あたかも自分が加害者になったかのように

ここで余談ですが、みなさんは土下座をされたことがありましょうか。

春日武彦『こころの違和感 診察室』(河出新書)
春日武彦『こころの違和感 診察室』(河出新書)

わたしは一度だけされたことがあります。別に激烈なトラブルの結果というわけではなかったのですが、相手はここで土下座をしておかないとわたしが職権を乱用して追い詰めてくると勝手に思ったようでした。

他に誰もいない場所でいきなり土下座をされたのですが、本当に後味が悪かったですね。あたかも自分が加害者になったような気分に、強制的にさせられてしまう。

床に這いつくばっているのは向こうなのに、こちらが悪人になったかのように感じさせられる暴力性がある。たまったもんじゃないです。

しかも相手の屈辱的かつ逆恨みの気持ちを想像すると、ぞっとする。そういう意味では土下座というのはある種の武器かもしれないなどと思ったりもしますが、やはりどこか一線を越えた振る舞いという気がして気味が悪い。

いちど試してみようと思って、家に一人でいるときに、香箱座りをしている猫に向かって土下座をしてみたことがありますが、もうその行為だけでもグロテスクな気分になったものです。

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春日 武彦(かすが・たけひこ)
精神科医/作家
1951年、京都府生まれ。日本医科大学卒業。産婦人科医を経て、精神科医に。都立精神保健福祉センター、都立松沢病院精神科部長、多摩中央病院院長などを経て、現在も臨床に携わっている。著書に『援助者必携 はじめての精神科 第3版』(医学書院)、『奇想版 精神医学事典』(河出書房新社)など多数。

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(精神科医/作家 春日 武彦)

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