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18歳を過ぎた子供にいちいち干渉する親は、だれしも「毒親」になる可能性がある

プレジデントオンライン / 2022年4月3日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/itakayuki

親子関係とはどうあるべきなのか。哲学者のマルクス・ガブリエル氏は「家族とは他者の集まりで、子どもは宇宙からの移住者のようなもの。親が自分で思っているほど、子どもにとっての親とは重要な存在ではない」という――。

※本稿は、マルクス・ガブリエル著、大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳『わかりあえない他者と生きる』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

家族は「他者」の集まり

今回は、最も身近な他者である「家族」についてお話ししたいと思います。まず大きな前提として、実は家族はそれほど均質的ではありません。しかし家族は均質的であるという考え方がありますね。これはまったく間違った考えです。

家族が均質的ではないのは誰もが知っているはずです。

親族の集まりで必ず揉め事があるのはそのためです。親族の集まりで揉める理由の1つは、家族は均質的だという私たちの思い込みです。でも叔父さんは同質ではないとわかったりする。今ドイツでは叔父さんたちの中に陰謀論者がいることが発覚して騒ぎになったりします。だから、家族はそれほど均質的ではないのです。

しかし明らかに、少なくとも家族はより深い何かを共有しているという考え方がある。そしてもちろん、家族内には社会にない親密さがあります。家族という私生活や親密さと社会全体という公共空間には当然、違いがあります。しかし実際には親子間、家族内でも他者との共存を学ぶ必要があるのです。

家族も社会も非均質的な集団

例えば子を持ち、親になることは、子どもが自分のものではないことを徐々に受け入れていくことです。

私の子どもたちは私のものではありません。

しかし子どもがごく幼くて非常に密着したつながりがある間は、子どもが自分と融合していて、子どもは自分のものであるという考えを持つかもしれません。しかしどんな愛情関係にも言えますが、大事なのは他者との融合などないと理解することです。愛は相手がいなければ生きていられない人同士の関係ではなく、相手がいなくても生きていける人同士の関係だと、シェリングも言っています。

一緒に歩く家族
写真=iStock.com/monzenmachi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monzenmachi

家族についてはこのように考えるべきかもしれません。親密さを基盤とした自由な結びつきであると。もちろん社会も自由な結びつきですが、その基盤は親密さではありません。ですから家族とはやはり違うのです。しかし社会についての考え方、社会の概念は、非均質的な集団というものであるべきですね。

違うからこそ結束している

以前から指摘していたことで、もちろん皆さんご自身のほうがご存じでしょうが、日本だって明らかに均質的ではありません。外国人でさえ大阪と東京では気風にはっきりした違いがあるとわかります。

ここで大切なことは、ただ違うと認識すべきだということです。東京の人が大阪について受け入れがたいのは、大阪が愛すべき土地であることじゃないでしょうか。大阪の人たちのほうがずっと楽しそうに見える。皆面白くてね。あなた(編注:インタビュアー)が大阪出身であるのは端々からにじみ出ています。大阪の人は面白い。

それに対してもちろん東京はビジネス、金融、政治の街で、天皇もいらっしゃいます。とにかく真面目な街ですよね。

おそらく東京の人には大阪も日本だということが受け入れがたいのでしょう。違う日本人らしさですから。日本国内にもこのような非均質性があります。社会になくてはならない機能は、違うからこそ自分たちは結束しているのだと考えることです。

アイデンティティには同一性だけでなく差異性も含まれる

ヘーゲルがこれに対して有名な処方箋を示しています。

同一性と差異性のアイデンティティです。同一性〔アイデンティティ〕と差異性がアイデンティティを形成しているわけです。

日本は一つのアイデンティティです。それはさまざまな同一性が集まってできたアイデンティティです。東京人のアイデンティティ、大阪人のアイデンティティ、私のアイデンティティ、あなたのアイデンティティなどが。そしてそれぞれは違う。日本という空間に同一性と差異性が結束しているのです。こういう考え方が重要なのではないかと思います。ナショナリズムの対極ですね。

毒親とは子どもを通じて存在し続けたい人

日本では、「毒親」という言葉があるそうですね。

子どもの人生に過剰に干渉して思い通りに育てようとする親が存在し、結果として歪んだ教育が行われる――ドイツ語にも毒親を指す言葉があります。ヘリコプター・エルターン(英語ではヘリコプター・ペアレンツ)です。子どもの頭上を常に飛んでいるヘリコプターのような親という意味です。子どもの人生にドローンのようにつきまとうのです。

桜や桜と青空のドローン
写真=iStock.com/akiyoko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko

こうした関係について、親と子の双方の側から、改善の方法はあると思います。倫理学の考え方としては、親子関係においては特に、自分がいつか死ぬという考えをあえてするのです。毒親は一種の不死を手に入れるために子どもに執着するのだと思います。子どもを通じて自分が存在し続けたいのです。現実には自分はいつか死ぬのだと認識しなければなりません。自分がいつまでも生き続けたいという感情は親としてわかります。

子どもが生まれて初めて「死ねない」と思った

私はかなり早くにそれを認識しました。

上の子が生まれたとき私はブラジルのリオデジャネイロにいました。リオは治安の悪い街ですが、そこでパーティーに参加していました。そのとき思ったのです。生まれて初めて感じたことですが、リオから生きて帰らなければならないのは娘のためだと実感したのです。それで中座して帰りました。私が今生きている理由は他の誰かのためだと、ある意味さとったのです。

今死ぬわけにはいかない。

以前の自分にとってとは死の重さが変わりました。以前だって私は死んでいたかもしれない。パーティーの最中に死ぬ可能性があったし、実際に死んだとしてもまあいいや、楽しいパーティーだったと思えた。リスクをすべて避けることはできないのだから、ブラジルにいるリスクも取ろう。それほど高いリスクではありませんが、リスクではあります。私は死ぬ可能性がありました。

子どもが18歳になったら手放さないといけない

毒親、一部の毒親がしているのは、不死を手に入れようとすることなのだと思います。子どもの体を乗っ取ろうとしている。そのような親子は、親がいずれ死ぬという事実を話し合う必要があると思います。親は手放さなければならない。子どもの人生への執着を手放すとは、自分が死ぬこと、自分が自分で思っているほど子どもにとって重要な存在ではないのをさとることです。18歳か15歳までは親は子どもにとって重要な存在です。それまでは親は子どもにとって非常に重要な存在です。

しかし子どもを完全に独立した別の人間だと考えることが非常に重要です。

子どもを同じ家に住んでいる外国人と考えたらいい。宇宙からの移住者のようなものです。子どもは無からやってきた移住者なのです。

エイリアンの訪問者
写真=iStock.com/Petmal
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Petmal

無から存在の世界に移ってきた、まったくの異邦人です。私たちはとかく子どもを自分の生き写しと考えます。誰でもそうです。子どもの中に自分を見ます。しかし親であることの重要な倫理、子どもであることの重要な倫理は、中立的な他者性の知を創造することです。子どもは同じ家で暮らしている異邦人なのです。

死ぬことで本当の親になれる

余談ですが映画「エイリアン」はまさにそれをテーマとした映画です。

あのエイリアンの母親になることをおぞましい形で描いている。彼らがエイリアンを産み、その後皆死ぬのはそのためです。ですからこれはいわば毒親というものの無意識のファンタジーなのです。ですから重要な倫理が必要です。死ぬことの倫理が必要だと思います。

マルクス・ガブリエル著、大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳『わかりあえない他者と生きる』(PHP新書)
マルクス・ガブリエル著、大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳『わかりあえない他者と生きる』(PHP新書)

この件についてもう一言言わなければなりません。個人的な話です。私は父を見送ったときに父を本当に心から誇らしく思いました。立派な最期でした。心底驚かされました。父が亡くなったのは2年前で、病院で看取ったのですが、父は実に見事でした。私のために死の舞踏を見せてくれたのです。

父はベッドから起き上がって言いました。「これは死の舞踏だ。私の最後の踊りになるだろう。見ておきなさい、死がどういうものか」。父は笑っていました。死に際の父はヒーローでした。そのことに救われたのです。私たちは誰でも親との間にわだかまりがあるでしょう、それが人間ですから。でも死に際の父が立派だったのを見たおかげで、私はすーっと解放されたのです。

人は死ぬ運命です。

いずれ存在しなくなる。それが私の人生です。それ以外ではありえない。私たちのほうが年を取っていていずれ死ぬのだという事実を、子どもが私たちに思い出させなければならない。それが子どもの役割です。

それでいいのです。あなたはこれを悪いことのように、あるいは生物学上のものだと考えるかもしれません。私は良いことだと考えています。そのおかげで私たちは賢くなり、自分の人生における立ち位置を受け入れられるようになるのですから。

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マルクス・ガブリエル(まるくす・がぶりえる)
哲学者
1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)は世界中でベストセラーとなった。さらに「新実存主義」、「新しい啓蒙」と次々に新たな概念を語る。NHKEテレ『欲望の時代の哲学』等にも出演。新著『つながり過ぎた世界の先に』(PHP新書)が好評発売中。

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(哲学者 マルクス・ガブリエル)

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