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「ひろゆきに突っ込まれて久しぶりに燃えた」そんな田原総一朗がネット炎上に苦言を呈するワケ

プレジデントオンライン / 2022年3月31日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

相手に議論を仕掛けても嫌われる人と嫌われない人はなにが違うのか。ジャーナリストの田原総一朗さんは「『論破王』と呼ばれるひろゆきさんとのリモート対談は、かなり突っ込まれて新鮮だった。しかし、ネット社会の当たり前を日常生活にそのまま当てはめるべきではない」という――。

※本稿は、田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

■「わかりません」と言うための大前提

どんなに相手のことを調べ、準備万端整えたとしても、話の中でわからないこと、知らないことが出てきます。

そのとき、さも自分がわかっているように知ったかぶりをすることは、結果として大きなマイナスになります。

私はインタビューの席でも討論の席でも、自分がわからないことを相手がしゃべったら必ずこのように聞くことにしています。

「申し訳ないけれど、それを知りませんでした。わかりやすく説明してもらえませんか?」
「頭が悪いので、よくわかりません。わかるように教えてください」

と率直に聞きます。

自分が知らない、わからないということに対しても、正直になることが必要です。恥ずかしがることはありません。

じつは、恥ずかしがらず率直に相手に聞くことができるというのも、「基本的なことはほぼ調べている」という前提があるからこそなのです。

田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)
田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)

相手に関して、あるいはテーマに関して事前にしっかりと調べているからこそ、もし自分がわからないことがあれば、それは読者なり視聴者にとってもわからないことだと判断できます。

ところが、事前の調べができていないと、その判断がつきません。

こんな質問はすでに多くの人が知っているのではないか? 自分の質問は的をはずれたものではないか? という恐れがあると、率直に「知らない」とか「教えてくれ」と言いづらいわけです。

徹底的に調べた上でなら、自信を持って「知らない」「教えてください」と言えるでしょう。

逆に言えば、「知らない」「わからない」とハッキリ言えるようにするために、徹底的に下調べをするわけです。

■黒柳徹子が『徹子の部屋』で語った理想の死に方

テレビを見ている人たちは、私のことをグイグイ前に前に出るタイプだと思っているんじゃないでしょうか。

テレビ番組は視聴者に向けての一種のショーでもあります。まず、視聴者が楽しんでくれなければ、と思っています。

だから、議論が沈滞しているときや、話がわかりにくいとき、私は司会者の立場を超えて自分の考えを述べたり、あえて挑戦的に相手に突っ込んだりします。それはあくまでもテレビという媒体だから、そうするのです。

雑誌や単行本などで、私が誰かをインタビューや取材する場合、私は徹底して聞き役に回ります。相手がしゃべりやすいように、ときに相槌を打ちながら、ここがポイントというところでツボに入る質問をします。

相手に「よくぞ聞いてくれた」「もっと話したい」と思わせ、どんどん話してもらう。それが本来の私の姿なんです。

先日、長寿番組である『徹子の部屋』にゲストとして招かれました(2021年11月23日放送)。黒柳徹子さんは1933年の8月生まれ。御年88歳で私の一つ上です。番組も長寿だけれども、何より徹子さんがお元気でお若いのに驚きます。

途中まで、私は徹子さんの質問に答えていました。でも、自分のことを話すのは本来得意ではありません。思わず「徹子さんの元気の秘密はなんですか?」「どうしてそんなに若いのですか?」と、逆インタビューをしてしまいました。

まさか、彼女も自分がインタビューされると思っていなかったでしょう。最初はちょっと面食らったみたいです。それがテレビではむしろ新鮮に映ったのではないでしょうか。

彼女は、元気の秘けつは悩まないこと、よく寝ることだと言う。なるほどな、と思いました。

私はさらに、「自分の理想の死に方は生放送中にバッタリと逝くことだけど、黒柳さんは?」と聞きました。

すると、彼女も同じように仕事の現場でバッタリが理想だと答えてくれました。

■「もっと自分を知ってほしい」と思ってもらえるか

私は自分のことを語るよりも、人の話を聞く方が好きです。それによって新たな発見をして、相手に対するイメージや考えが変わっていく方がワクワクするからです。

ジャーナリストだから特別そうなのかもしれません。

けれど、コミュニケーションの中で一番必要なのは、相手に対する好奇心、興味でしょう。それは誰でも変わらないと思います。

テクニックをどれほど身につけても、そもそも相手に対して興味がなかったら、有意義なコミュニケーションなど成立しません。

自分のことばかり話して相手の話を聞こうとしない人に、誰も「もっと自分を知ってほしい」と思わないでしょう。

そして相手に興味を持つには、相手のことをある程度知っていないといけません。

その意味でも事前に調べ、相手のこれまでの人生や性格、興味などを知っておく。知ることで、この人はもしかしてこういう人なんじゃないか? 世間ではこう思われているけど、本当は別の顔があるんじゃないか? と、興味がどんどん広がっていくわけです。

■先入観はコミュニケーションを台無しにする

いくつになっても、好奇心と新鮮な驚きを感じながら生きていきたい。それがなくなったら、ジャーナリストとしては完全に終わりです。

ところが、情報化社会の中で、私たちは新鮮な驚きを感じにくくなってしまっているんじゃないか、と思うことがあります。

いろんな情報が巷に溢れています。だからたいていのことは目にしたことがある、聞いたことがある情報ばかりです。しかも、いずれの情報も色がついているから、知らずにそれに染まってしまいます。

いろんな情報を身につけた結果、より柔軟で幅広い見方ができるならいいでしょう。

ところが現実は逆で、半ば意図的に流される情報によって、先入観や固定観念に縛られてしまうわけです。自由にモノを見る柔軟性を失い、新鮮な驚きもなくなってしまうのです。

でも、本来虚心坦懐(たんかい)に相手に向き合えば、いろんな新しい発見があるはずです。その点、とても面白かったのが、『新L型経済』で対談した冨山和彦さんの話でした。

■30万人の都市に中央からのお金は不要

冨山さんは、これからの日本を救うのは地方だと言いました。ただし、これまで語られてきた地方創生の流れとはまったく違っています。

これまでの枠組みは、田中角栄さんの「日本列島改造論」にしても、竹下登さんの「ふるさと創生事業」にしても、結局は中央からお金をバラ撒いて地方に還元するというモデルでした。

ところが、そのモデルはもはや時代遅れだと言うわけです。そもそも国に、そんなにお金はありません。それから中央のお金を当てにしている時点で、真の地方創生などできないでしょう。

冨山さんは、30万都市がポイントだと言うんです。日本全国に30万都市はいくつもありますが、30万人の人口があれば、ほぼ自己完結的で自律的な経済圏が自ずとできあがると。つまり、中央からお金をもらう必要はありません。

白い広いフロアを歩く人々
写真=iStock.com/Chaay_Tee
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chaay_Tee

むしろ、旧モデルにどっぷりの中央集権的で官僚的な中央圏よりも、地方の中小企業や起業家の方が自由な発想ができる可能性があります。

それによって、自律的でユニークな発想に基づいた地域経済圏が誕生しうる、と言うわけですね。

冨山さんは閉塞したいまの時代、日本が新たに息を吹き返すとしたら地方がポイントだと言います。お金じゃなくて、人が集まれば経済圏ができる、と。

■メディアによって作られた情報を鵜呑みにしない

これはじつに新しい発想です。これまでは逆で、お金があるところに人が集まると考えたわけですから。

これまでの地方創生論と違って、お金の流れが変わり、生活が変わり、人々の意識が変わる――根本的な大変革なわけです。

いずれにしても、あるようでなかった斬新な視点です。私は聞いていて、その新しい視点と可能性に久しぶりにワクワクしました。こういう発想は中央どっぷりの政治家や官僚、経済人からは絶対に出てきません。

ちなみに、冨山さんは産業再生機構という組織に属していましたが、同機構はマスコミなどから新自由主義の先鋒だとか、外資ハゲタカファンドの手先だとか、さんざん非難されました。私はそんなメディアによって作られた情報など鵜呑みにしません。

だからこそ、虚心坦懐に冨山さんの話に耳を傾け、彼の言う「新L型経済」の本質と価値を、私なりに解釈できたと思います。

「これまで多くの人に取材を受けたけれど、レッテル貼りや予断や偏見に基づいた取材が多かった。ところが田原さんはそれが一切なかった」と冨山さんは言ってくれました。

世の中に流れている情報を鵜呑みにして、先入観を持たないこと。それが新鮮な驚きや発見を感じることができる秘訣なんだと思います。

■三浦瑠麗に「独演会になっています」と言われて

相手の話に耳を傾け、虚心坦懐な気持ちで聞く。ジャーナリストとして基本的なことだと思います。

ただ、自分自身のことを振り返ると、残念ながら歳を取ったせいか、その基本から外れることも多くなってきているようです。

正直な話、歳を取るとどうしても思考が固くなってしまいます。「頑固じいさん」という言葉もありますが、まさにそれになりつつあるのでしょうか……。

先日も『朝まで生テレビ!』でつい私の話が長くなってしまいました。それでコメンテーターの一人だった三浦瑠麗さんに、「田原さん、独演会になっていますよ」とたしなめられました。

聴衆の前でプレゼンするビジネスマン
写真=iStock.com/baona
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/baona

そもそも、テレビの討論会だと、どうしても言っておきたいことが出てきて、話し込んでしまう場面がこれまでもありました。

最近は私の娘がマネージャーとして付いていますが、収録後に「あの話はちょっと行き過ぎでしょう」とか、「言い方がきつすぎる」と言われることがあります。

私はつい「そんなことはないよ。おかげで全体が盛り上がったはずだ」と反論するのですが、どうやら最近はそれが激しいようです。

自分でも頭が固くなっているんだな、と反省しきりですが、番組が続けさせてくれる限り、私は現役として続けたいと考えています。

いずれにしても、思考を柔軟に保ちたいと考えています。それには若い人だとか、女性たちといった、みずみずしくて若い感性の人、自分とは違った感性、感覚の持ち主と交流し、話をすることが大事だと思います。

頭が固くなるとどうしても自分とは異質なものや、考え方の違う人たちとセッションすることを避けてしまいます。自分の世界に閉じこもってしまいがちです。

その点、まだ私には好奇心があるのが救いです。

自分の知らない世界に飛び込むのが面白いと感じられているだけ、まだ本格的に老いてはいない、と自分では思っているのです。

■ひろゆきに突っ込まれて久しぶりに燃えた

先日も、「2ちゃんねる」の創始者で、ユーチューバーとして人気のあるひろゆきさんとリモート対談しました。Youtubeにアップされているので、見た人も多いかもしれません。

お互いけっこう激しいやり取りをしましたが、久しぶりに面白かった。ひろゆきさんにはかなり突っ込まれましたが、最近、私に突っ込んでくれる若い人がなかなかいなかったので、新鮮でした。

いろんな若い才能が出てくるのはいいことです。ひろゆきさんは「論破王」と言われているそうです。相手と丁々発止やり合うのは、『朝まで生テレビ!』がまさに異なる意見や考え方をぶつけ合う戦いの場でもありました。

論戦、ディベートをすることは大事ですし、なによりメディアで行うのは、それを視聴者に楽しんでもらう意味もあります。

ただし、日常の私たちのコミュニケーションは、それとは違うと思います。

日頃のコミュニケーションで、相手をつねに論破してやろうなどと臨んでくる人間は当然嫌われます。そこのところは、絶対に間違ってはいけません。

インターネットでやり取りする社会になって、やたらに相手を攻撃し、人格否定するような言葉が飛び交っていますね。匿名でお互いやり取りする場が増えたせいだと思いますが、よくない傾向ではないでしょうか。

それは、もはやコミュニケーションではありません。

コミュニケーションの大前提は、相手を認めることです。理解し合い、受け入れるために雑談があり、話し合いがあり、議論や討論があるのです。

ところが、最初から相手を全否定し、攻撃する。それは一見コミュニケートしているようで、じつは相手との関係を断ち切る行為になっているのです。

SNSなど、本来はコミュニケーションのツールが、人間の関係を断絶するツールに成り下がっていることに、もう少し目を向けなくてはいけないでしょう。

ネット社会に生きている私たちは、知らないうちにそのような流れに巻き込まれてしまうことを、もっと意識することが大事だと思います。

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

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(ジャーナリスト 田原 総一朗)

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