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「仕事に予算やノルマは必要ない」ノジマの販売員が"神対応"を連発できる知られざる理由

プレジデントオンライン / 2022年4月5日 18時15分

冷蔵庫売り場で接客するノジマのシニア従業員 - 写真提供=ノジマ

家電量販店でメーカーの販売員から自社製品をPRされたことはないだろうか。こうしたスタッフを店舗に一切置いていないのがノジマだ。予算やノルマも設けないという独自路線で、最高益を6期連続で更新しているという。独自路線に至った経緯を野島廣司社長に聞いた――。

■メーカー派遣スタッフを店舗に置かないワケ

横浜市に本社のあるノジマは、首都圏中心に205店舗を持つ業界6位の家電量販店だ。最大の特徴は「コンサルティングセールス」で、店頭に立つのは自社の従業員のみ。競合他社のようにメーカーや携帯電話会社からの派遣販売員を置いていない。量でなく質を売るから、「家電質販店」。社長の野島廣司氏(71歳)のネーミングだ。

以前はメーカーから派遣されたスタッフがいたこともあったが、野島氏が社長に就任した1994年ごろから使わなくなった。理由は「店としてはメーカーに関係なく、お客さまに欲しい商品を買ってほしいのですが、派遣スタッフは派遣元のメーカーの商品を売るのが仕事です。彼らの給料はメーカーが払っていますから、接客方法にわれわれは文句を言えません。そこで販売員を全員自前にし、どの従業員もお客さまの立場に立って、一人ひとりのニーズに合った商品を提案することにしたのです」。

筆者も2021年11月にオープンしたノジマ新宿タカシマヤタイムズスクエア店に行ってみた。買い替え時期が迫っている洗濯機の売り場をウロウロしていると、販売スタッフが近づいてきて「何かお探しですか?」。こちらの希望を聞き、2社の製品について説明してくれた。サイズも「毛布などを洗うならこちらはどうでしょうか」と具体的な提案。「少し考えます」と言ったところ、名刺を出して「またご来店、お待ちしています」。2社の商品パンフレットも渡してくれて、気持ちよく帰路についた。

■ノルマやマニュアルは奴隷と支配者の象徴

こうした販売方法と表裏一体なのが、同社の「予算なし、ノルマなし」という方針。「マニュアル」も極力少なくしている。この方針について野島氏は「日本的経営」と説明することが多い。戦後日本の「年功序列」「終身雇用」は、すっかり否定されている。それと現在のノジマとの接点を尋ねたところ、戦後の日本的経営ではなく、江戸時代後期から大正時代の経営だと答えが返ってきた。

いわく、ノルマやマニュアルで無理やり働かせるのは西洋的な経営スタイル、奴隷と支配者の関係だ。その点、大正までの経営は全く違う。二宮尊徳、ペリー、坂本龍馬、福沢諭吉と歴史上の人物の名が次々挙がった。

「福沢諭吉が明治初期にいれた複式簿記は『結果』を整理するためのもので、上から何かをやらせるためのものではなかった。予算もノルマもない江戸から大正までは、日本国民がアイデアを出したり努力をしたりしたから、人口も増え、経済も成長した。社会に安心感が広がっていったからだと思う。そのスタイルを見習い、全員が経営者あるいは家族、そういう経営をしたいと進めています」

こういう考えにたどりついたのには、いくつかの布石があった。

■従業員の離反をきっかけに「全員経営理念」へ

まずは社長就任の3年前、1991年。当時社長だった母が弟と結託し、実質的に経営から外された。野島氏は父母が相模原市で興した野島電気商会に1973年に入社以来、陣頭指揮で売上高100億円超までにしたが、母と経営方針が合わなくなっていた。

ショックだったのが、幹部社員が誰も反対しなかったこと。なぜ従業員たちが自分から離れてしまったのか、考えた。

「僕だけ頭が先行し、部下にそれを理解してもらえなかったから、僕についてきてもらえなかった。誰もが読み書きそろばんができ、ペリーが評価した明治維新の頃の日本に重ね、全員が会社の状況を全部把握し、他の人が何をしているかも把握する。それが必要だと気づき、『全員経営理念』をつくったんです」

その次の布石は、そこからの「大失敗」だ。事業を切り分け、子会社を多くつくり、生え抜きの社員や外部から招いたベテラン人材をその責任者にすれば、業績が伸びると考えたが逆だった。

「2度の失敗」について語るノジマの野島廣司社長
撮影=西田香織
「2度の失敗」について語るノジマの野島廣司社長 - 撮影=西田香織

■「数字は後からついてくるもの」と方針を変え、会社は伸びた

「社長の気持ちがわかると思ったが、自分のことばかり考えて、数字を部下に押し付けたり、損得を考えたりで、業績が悪化してしまった。94年に社長になって見つけたのが、『数字は後からついてくるもの』という考えです。予算をつくって押し付けても、社会やお客さまに喜ばれないと数字が上がっていかない。数字で管理するよりも、世の中でやってないことを当社はやる。ユニークなことを、他社より早くやる。従業員の質を上げる。そうすると結果、数字は上がる」

そこにたどりついたら、ありがたいことに会社が伸びたと野島氏。確かにノジマの業績は好調だ。2021年3月期の連結決算(スルガ銀行の持分法投資損益を除く)を見ると、売上高は5233億2700万円。前期比0.1%の微減だったが、2020年3月期までは3期連続増収だった。経常利益は361億3700万円(同49.7%増)で、6期連続最高益を更新。2022年3月期も増収増益を見込んでいる。

最近の「ユニークなことを、他社より早く」といえば、2020年7月に打ち出した新たなシニア雇用だ。「本人が希望すれば、80歳まで臨時従業員として雇用する」というもので、韓国やドイツなどさまざまな国のメディアからも取材が殺到した。

2022年3月現在で、65歳以上の従業員は58人。最高齢はイオンモール川口前川店に勤務する80歳の女性で、バックヤードでの仕分けや品出しなどを担当している。本人からの希望があり、健康状態や勤務状態などを踏まえて80歳を超えても働き続けてもらうことになったという。

■「やりたいことをやる」の原点は自身の体験

予算なし、ノルマなしについて野島氏は、ハーズバーグの法則から説明する。満たされることで仕事の満足につながる促進要因と、整っていない状態であると社員が不満を感じる衛生要因は別だという理論だ。

「促進要因は何かと考えた時に、自分の挑戦したいことに挑戦すれば必ず満足度は上がります。例えば嫌な上司に1と命令されたら、出てくる成果は0.3。比較的関係のいい上司で0.7。それが自発的にやり始めると1.5にも1.6にもなる」

0.7と1.5の間に「私の家庭のように50年夫婦を続けてなんとか1になるかどうか」と笑って挟むのが野島流だ。この「やりたいことをやる」には、自身の体験がある。入社当時、野島電気商会は倒産寸前だった。「廃墟のようだった」という2階の売り場を、学生時代から好きだった単品コンポ専門コーナーに変えた。売れ残った在庫を売って現金化、自分で選んだ商品を仕入れ、立て直した。

「つぶれそうな会社の財産を安売りして次のビジネスモデルに変えていくんですから、すごいプレッシャーでした。その後もいろいろ新しいことに挑戦するたびにドキドキして怖いんだけど、やり遂げると楽しいんですよ。そして自分も良くなっていきます」

野島社長は倒産寸前だった家業を1人で立て直した
撮影=西田香織
野島社長は倒産寸前だった家業を1人で立て直した - 撮影=西田香織

■店舗従業員は社長にアイデアを直接提案できる

その楽しさをわかってもらうには、トライ&エラーをしていくこと。それがノジマの方針。例えば店舗従業員は、店長を飛び越えて会社に直接、決裁提案ができる仕組みがある。

「富士登山でも吉田ルート、御殿場ルートと道はいろいろあるわけで、やり方もそうです。要は世の中にお客さまに認められればよく、認められなかったら発想を変える。変えられるかどうかが大切です」

最近まで社長のところに5万円からの決裁書が上がってきて、1日50件ほどを決裁していた。最近は少し変わったが、とにかくアイデアが第一。決裁申請書には、その提案でどのくらいの成果が上がるか、去年と比べてどうか、それをビシッと書いてもらう。申請が通っても、結果が達成できない場合は3カ月間上程禁止となるルールもある。

また当然ながら、同社にも数値管理はある。自ら目標を決め、その達成度などで会社への貢献度が毎月、順位づけされる。年に2回の人事考課では「360度評価システム」と呼ばれる仕組みも導入し、上司や部下、他部署の人など10人からのコメントが本人にフィードバックされる。自分を客観的に見て、その結果を努力に変えるパワーのある人材を育てていくという狙いがある。

「明治維新後、日本はアイデアで伸びたんです。数字は相対評価しますが、それよりもアイデアですね。上程禁止を悔しいと感じて、努力してくれる人がより多くほしい。会社に損をさせたな、今度は取り返そう。そう思う人が増えてくれるとありがたい」

■外部委託をしないから社員の配置場所は多岐にわたる

天気のせいだとかあいつが悪いとか、他責の人でなく自責の人。そう言う一方で、こうも語った。

「当社はできるだけ、すべての職場でアウトソーシングはしないようにしています。だからコールセンターから物流、配送と適材適所で配置するところはたくさんあります。自分の技量や分をわきまえて、その中で努力できたら日本で一番幸せ、この会社に勤めて幸せ。そう思ってもらいたい」

アイデアマンでなくても生きる道はある、ということかと確認した。

「人は石垣と武田信玄も言っていますが、小さな石もあれば大きな石もあって、奥の方で薄い石が支えたりして、それが全部噛み合って何百年と残る石垣になる。人を生かすというのが、非常に重要と思っています」

ノジマの採用方針を見直すと話した野島社長
撮影=西田香織
ノジマの採用方針を見直すと話した野島社長 - 撮影=西田香織

ノジマはこのところの新卒採用で、自社を「人材育成会社」「人材育成業」と紹介してきた。予算管理でなく、人を生かすことで業績を伸ばしてきたからこその人材獲得戦術だろうが、野島氏はこれへの違和感があるようだ。

「一番は人づくりだと思ってきたんだけど、ちょっと頭の中が変わっちゃった。それよりも目利きが最初だと。いくら一生懸命育成しても、合わない人を入社させたら会社はよくならない。そのことがやっとわかった。だから『人材育成業』というのはやめようと思います」

■「人材育成業」の看板は下ろし、努力できる人を採用

採用数が増え、ミスマッチ人材も増えたということかと尋ねたら、「結局、僕は戦後の教育が好きじゃないんですよ」と返ってきた。戦前の先生は「あんちょこ」を見て話さず、自分の体験をもって教えていたから生徒の心に内容が入っていった。ノジマでは、社内スピーチで紙を見るのは禁止している。丸暗記でなく、自分の考えを自分で話すことが大切だから、と。

「あんちょこ、つまりマニュアルがあれば楽です。だけど僕は、それは西洋流の奴隷だと思う。だからうちは極力マニュアルは少なくしているし、ノルマも与えない。つまりうちの会社は、日本で一番難しい会社なんです。だから自ら伸びる人間、出る杭を応援する。伸ばせる環境を作る。『人材育成業』はやめようと思っています」

このフレーズで、「うちに来ればだれでも良くなる」というメッセージを与えてしまった。努力できない人には居づらい会社だが、努力できない人も採用してしまっていた。だから『人材育成業』という打ち出しはやめるが、それでどういう影響が出るかはわからない。とにかくこれからは「努力できて、努力すると報われると信じる人を採用する。今も報われるようにしていますが、もっと報われるようにします」。

■新卒定着率、平均年収の目標を実現する唯一の方法

野島氏は2021年、『週刊東洋経済』誌上で「採用と報酬」について具体的数字をあげて語っている(12月11日号)。「新卒離職率を5%以下にして、定着率日本一の会社を目指す」「30歳で平均年収500万円弱を早期に550万円にしたい」という内容だった。どのように実現するかと尋ねた答えは、「みんなが努力すればできるけど、できなかったら10年かかるかもしれない。よければ5年でできるし、とそれは正直に言っています」。

この数字の実現のためにも、採用方法を変える。「人材育成業はやめる」の真意はそういうことだとすると、新しい採用方針は? 答えは、「この取材の質問用紙を見て、採用に使えると思った。この答えを理解してくれる子たちが入ってくれたらいいな、と。私の答えに違和感を持つ子は入らなくていいよ、と言いたい」だった。

ノジマ広報からの求めで、事前に質問案を提出していた。そこに「予算なし、ノルマなしという方針のもと、社員にどんな働き方を求め、どんな尺度で評価するか」という質問もいれた。それを見て採用について持っていた違和感を思い、変更方針を語ったということのようだ。

■社員に求める努力は社長自身が体現している

ことほどさように野島氏はひらめきの人であり、ノジマは氏のひらめきで伸びてきたに違いない。「家電質販店」「全員経営理念」といった言葉の他に、店舗のモットーは「デジタル一番星」だし、M&Aで子会社化した会社には「占領軍でなく解放軍」と語るなど、野島氏はネーミングが得意だ。だから、自身をどんな経営者と思うか一言で表現してほしい。それも質問案にいれておいた。

「自分のことは僕もわからないのだけど」と言って、3つ挙げてくれた。「おかしい面白い経営者」「変人楽人」。それから、これはちょっと気まずいけどと言って「努力の達人」。「努力の手本をみんなに示してるから」と解説し、「あとは秘書に聞いてください」と照れ笑いした。

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野島 廣司(のじま・ひろし)
ノジマ取締役兼代表執行役社長
1951年、神奈川県生まれ。中央大学商学部卒業後、1973年に野島電気商会(当時)に入社。1978年に取締役、1991年に専務、1994年に社長就任。2006年に退任したが、翌年に社長に復帰した。

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矢部 万紀子(やべ・まきこ)
コラムニスト
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長。著書に『笑顔の雅子さま 生きづらさを超えて』『美智子さまという奇跡』『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』がある。

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(ノジマ取締役兼代表執行役社長 野島 廣司、コラムニスト 矢部 万紀子)

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