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「職場として魅力がなく、医師が次々と辞めていく」入管施設で収容者の死亡事故が起きる根本原因

プレジデントオンライン / 2022年3月31日 11時15分

名古屋出入国在留管理局の収容施設でスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが死亡した問題で、提訴のため地裁に向かう妹のポールニマさん(前列中央)ら=2022年3月4日午後、名古屋市 - 写真=時事通信フォト

名古屋出入国管理局に収容されていたウィシュマ・サンダマリさんが亡くなってから1年がたつ。出入国在留管理庁が発表した調査報告書を読んだ医師の木村知さんは「担当医師らはウィシュマさんに真摯に向き合おうとしなかった。医師の働く姿勢や組織体質まで検証しなければ、同じ悲劇が繰り返されるだろう」という――(第2回/全2回)。

■「最終報告書」だけではあまりに検証が足りない

前回記事<「ウィシュマさんは入管に見殺しにされた」カルテを読んだ現役医師がそう断言する“3つの異常値”の深刻さ>では、ウィシュマさん死亡にかかる重要なポイントとして、担当医はじめ入管職員らが早々にウィシュマさんの訴えを「精神的なもの」と決め打ちしてしまったこと、2月15日に2回目の尿検査をしていたにもかかわらず、その結果に示された重要な所見が見逃されていたことを指摘した。

そして「最終報告書」が出されるまで、その尿検査の結果はおろか検査施行の事実まで明らかにされなかったことについて、極めて不自然であり、隠蔽を疑わざるを得ないとの指摘も加えた。

ウィシュマさんの死因は「最終報告書」どおり「病死」なのか。医療体制だけが問題なのか。私が一介の医師として独自の検証を行ってきたその強い動機は、入管庁による自己検証とそれに協力した有識者医師らの見立て、そしてウィシュマさんの医療に関わった医師らの証言が、あまりにも浅薄かつ無責任なものと感じたことにある。

このような報告書で、この痛ましい事件の検証を済ませたことにしては断じてならない。このままでは、また同じ被害者を生み出すことになる。本稿では「最終報告書」における有識者らの見解とともに事件の背景を考察しつつ、示された再発防止策の妥当性にも言及したい。

本稿は昨年メルマガfoomiiにて配信した連載記事「『名古屋入管によるウィシュマさん殺人事件』を医師の目で読み解く」(3万7000字余り)を大幅に圧縮したものである。3月末日までは購読可能にてご興味の方は全文をご覧いただきたい)

■死因に関する項は全体の5%しか書かれていない

「最終報告書」ではいかなる「反省」が示されたのか。

「本件における名古屋局の対応についての検討結果」では、その冒頭に「A氏(ウィシュマさん)は病死と認められるものの,詳細な死因については,複数の要因が影響した可能性があり,各要因が死亡に及ぼした影響の有無・程度や死亡に至った具体的な経過(機序)は明らかとならなかった。そのため,A氏の死亡の主たる要因や死亡に至るまでの具体的機序を前提とした検討を行うことはできなかった」との記載がある。

しかし「最終報告書」における「死因」の項は5ページ余り。全体のわずか5%を占めるにすぎない。有識者医師らの検証も内容が薄く、死因の真相を本気で解明しようという姿勢はまったく感じられない。私が指摘したビタミン不足の可能性を検討した形跡すらない。

ただ2月15日の尿検査については、さすがにスルーできなかったと見えて「2月15日にA氏の尿検査が行われた。その尿検査の結果は,ケトン体や蛋白質が基準値を超える数値となっており,同結果が甲医師(庁内内科医師)に報告された」ものの「追加の内科的な検査等が行われることはなかった」ことは正直に認めている。

■「問題は医療体制にある」という不可解な擁護

そして医師である2人の有識者は以下の見解を示している。

「2月15日の尿検査結果からは,A氏が十分な栄養を摂取できていなかったことや既に何らかの腎障害が存在していたことが考えられるが,制約された診療体制の中での判断であったことも考慮する必要がある。仮に甲医師が常勤医であり,看護師から定期的に状況の報告を受けるとともに,自ら自由に患者の情報を確認し,患者に接することができる状況であったら,尿検査の結果を十分に検討してそれを踏まえた措置を行うことも期待できたと考えられる。

しかし,甲医師は,週2回・各2時間という限られた時間において,診療を申し出た被収容者に対していわば受動的に対応(中略)こうした制約された医療体制にこそ問題があった」
「尿検査結果を踏まえた内科的な追加の検査等がなされることが望ましかったものの,それが行われなかった原因は(中略)名古屋局の医療体制の制約にあったと考えられる。したがって,医療体制の抜本的な強化に取り組む必要がある」

つまりあくまでも問題は医師の過失ではなく医療体制のみにあるとしているのである。だがこの“擁護”は極めて不可解だ。

■非常勤医だったら受け身の仕事でもいいのか

そもそも検査結果の見落としと常勤医であるか否かはまったく関係ない。非常勤とはいえ単発ではなく継続して勤務していたのだ。要注意の被収容者を認識できていたはずだ。看護師からの報告がなくとも自ら情報を収集して指示を出す。それが医者というものだ。それをしなかったのなら、それは単なる職務怠慢である。

検証を任された有識者は、本来ならば「甲医師が非常勤医であり、看護師から定期的に状況の報告を受けることがなかったとしても、自ら自由に患者の情報を確認することまでは妨げられるものではないのだから、必要に応じて患者に接し状況把握に努めるべきであった」との意見を述べるべきではないのか。

またこの医師は「2月18日の診療時に尿検査結果を把握したかどうかの記憶は定かではない」と証言しているが、そもそも自らオーダーした検査だ。その結果に記憶がないなど通常あり得ない。入管施設だ。一般の医療機関より多くの検査結果をチェックしなければならないということも、他の検査結果に紛れて見落とすこともないだろう。この医師の証言は極めて不自然だ。

■「単発的に医師を確保しようとしても長続きしない」

もちろん医療体制の整備は非常に重要だ。しかし医療体制と今回のウィシュマさんに行われた医療行為の是非については、峻別して議論されなければならないと私は強く思っている。問題は入管や所管の法務省の不作為や不誠実なのだから、批判の矛先を医療行為を行った医師たちに対して向けてしまうと、本来の論点がブレてしまうとの意見を言う人もいるかもしれない。だが私は、そうは思わない。

医師たちはなぜ真摯(しんし)にウィシュマさんに向き合おうとしなかったのか。そこに何か根源的なものはなかったのか。それは入管の体質と根を一にしたものではなかったのか。この問題の背景をそこまで深掘りすべきだと思うのだ。

「最終報告書」で医師である1人の有識者は、入管収容施設における医師確保の課題について「診療対象が外国人被収容者だけという勤務環境の特殊性がある。通例,医師は,様々な患者を診ることのできる環境を望むが,収容施設では診療の対象が限定されており,職場として魅力がない。また,求人サイト等で単発的に医師を確保しようとしても,長続きしない」と述べている。

患者に説明する医師
写真=iStock.com/kazoka30
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazoka30

■担当医師の姿勢が事件を読み解くのになぜ重要か

今回ウィシュマさんの診療にあたった内科医師、整形外科医師は、どのような経緯で入管にて勤務することになったのか。自らの強い意思でこの特殊な勤務環境に飛び込んできたのか、あるいは所属している医療機関から出向という形で自らの意に反して勤務させられることになったのか。いずれであったのかを把握しておくことは、事件の真相、深層を読み解く上で非常に重要なカギのひとつだと私は思っている。

たとえ特殊な勤務環境であろうと、入管施設における医療や、日本における外国人労働者、難民問題に多少でも意識があって、自らの意思でこの職場を選んだというのであれば、常勤非常勤に関係なく真摯に業務にあたることだろう。

逆に、自分の専門とする医療分野とまったく縁がなく、スキルアップに寄与しない職場に、意に反して行かされたというモヤモヤした気持ちのまま就業していたとすれば、なおざりな対応になってしまうかもしれない。担当した医師から事情聴取するにあたっては、いかなる経緯で就業することになったのかも併せて聞き取り、行われた医療について検証していく必要があると思うのだ。

■人権意識が極めて希薄だったのではないか

外部医師の医療行為についても検証が必要だ。胃カメラを行った消化器内科医師は、1カ月前から嘔吐を繰り返し、極端な体重減少と吐物に血液が混入していたとの情報を得ながら採血を行わなかった。入管での採血で特記すべき異常がなかったとの情報があっても再検査するのが普通だ。

また死の2日前に診察した精神科医は、素人目にも衰弱していることが明らかなウィシュマさんに、初対面でいきなり抗精神病薬を投与開始時の一回投与量の4倍量投与した。そもそも薬剤によって鎮静させる行為は、ドラッグ・ロックと呼ばれる一種の「拘束」に当たる場合がある。高齢者施設などで不穏になった人に対して「おとなしくさせてしまおう」との目的で薬剤を過剰投与するのは虐待の一種であるという指摘だ。「精神的なもの」との決め打ちが抗精神病薬投与につながり、それが最後の引き金を引いてしまった可能性は否めない。

私には、外国人被収容者に対する人権意識が、今回関係した人たちの間で極めて希薄だったのではないかと思えてならない。そのような根源的な構造が横たわる上に行われた処遇、医療行為が今回の事件の本質なのではないか。担当した医師たちの中にも、被収容者である外国人について「脱法行為を起こした好まざる人物」との先入観が、まったくなかったと言えるだろうか。

■罪を犯した被留置者は「人として」扱われていた

私は過去に警察官に連れられて訪れる被留置者の診療もたびたび担当した。罪状は窃盗や薬物などさまざま。受診に際しては手錠をかけられ、腰縄はしっかりと署員に掴まれたままだったが、彼らは少なくとも「人として」扱われていた。

受診の理由も「捕まる前に服用していた定時薬がなくなった」とか「痔の具合が悪化した」とか「眠剤が欲しい」といった軽症もしくは緊急性のないものであったが、それでも医療を受ける機会は奪われてはいなかった。かたやウィシュマさんの場合はどうであったか。

前編で私はウィシュマさんがビタミンB1欠乏に陥っていたのではないかと指摘したが、過去には警察の留置施設内でも脚気(かっけ)を発症した例が報じられている。2019年11月8日の埼玉新聞によれば、川口署内に留置されていた20~30代の男性被告4人が9月ごろから脚のしびれを訴えたため受診したところ、カロリーとビタミンB1不足を指摘された。適切な診断のもと回復したが、原因は糧食業者から提供されていた弁当であった。以後県警は被留置者に栄養ドリンクを支給し糧食業者に対する指導を徹底したという。

■「自由を奪われている人」への扱いがこんなにも違う

新聞記事以上の情報を私は持っていないが、「脚のしびれ」という訴えを担当した医師が詐病や精神的なものと一蹴してしまうことなくしっかりと受け止め、適切な診断のもと治療につなげたことで大事にはいたらなかったのだ。被留置者も入管施設の被収容者も、同じ「自由を奪われている人」と言えるが、これらの人に対する扱いが、同じ国の中でもこうも違うものなのか。

調べてみると、被留置者には「被留置者の留置に関する規則」があり、その第二条には「被留置者の処遇に当たっては、その人権を尊重しつつ、その者の状況に応じた適切な処遇を行うものとし、いやしくもその権利を不当に侵害することのないよう注意しなければならない」とある。

一方、入管の被収容者については「被収容者処遇規則」があり、その第一条には「この規則は、出入国管理及び難民認定法により入国者収容所又は収容場に収容されている者の人権を尊重しつつ、適正な処遇を行うことを目的とする」と書かれている。

被留置者にも被収容者にも「人権を尊重しつつ」とはされているものの、被留置者に対しては「いやしくもその権利を不当に侵害することのないよう注意しなければならない」との注意書きがつけられている一方、被収容者処遇規則にはその文言がない。ここに着目する私は細か過ぎるだろうか。

人けのない廊下
写真=iStock.com/Shoko Shimabukuro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Shoko Shimabukuro

■ピント外れな有識者会議の提言

今年2月に有識者会議から「入管収容施設における医療体制の強化に関する提言」が出された。最後にこれらについて私見を述べ締めくくりとしたい。

まず庁内診療体制の強化として、常勤医師をはじめとして医療従事者の確保が求められた。その上で処遇担当職員とこれらの医療従事者が相互に意思疎通・意見交換できる体制を整備すべきとされた。次に外部医療機関との連携体制の構築・強化として、地域医療機関との協議会、協定等の締結を検討することとされた。そして医療用機器の整備、職員研修や社会一般への広報活動、外部有識者による検証などによって継続的なフォローアップ体制の構築が必要とされている。

有識者の方々には申し訳ないが、これらを行ったところで問題はまったく解決しない。もちろん体制の整備は重要であるし、最低限これらを完備しないことには始まらない。しかし問題はまったく別のところに存在する。非開示や隠蔽(いんぺい)そして「外国人を人として扱わない」という組織の体質をそのままに、形ばかりの体制づくりをしたところでまったく無意味だ。

■職員らは「どうせ仮病」だと決めつけていなかったか

まずすべきは、今回の経過および死因の徹底的な検証だ。それは映像および記録をすべて公開し多くの医療関係者の目を通したものでなければならない。関与した職員、庁内医師や外部医師、そして最後に対応した救急科の医師やスタッフすべてから行われた処遇や医療行為だけでなく、外国人差別体質がなかったかなどについて詳細な聴取を公開の場で行うことも必須である。

これらを最初から検証し直して初めて再発防止策を検討することができるのであって、医療体制構築はその後の話だ。

有識者は医師が「診療を申し出た被収容者に対していわば受動的に対応していた」ことが問題であったとしたが、そもそも被収容者は何度も訴え出ても医療になかなかつなげてもらえていない。自分から能動的に医療機関を受診できず、許可が出て初めて直接医師に症状を訴えることができる、つまり被収容者こそが受動的な立場に置かれているのだ。

被収容者から体調不良の申し出がなされた場合に、そもそも医療知識のない処遇担当職員が受診の要否を判断していたのであれば、それも大きな問題だ。「どうせ出たいがための仮病だ」「気のせいだ」などとの“決め打ち”を勝手に職員レベルで行ってはいなかったのか。先入観なく真摯に声に耳を傾け、予断なく迅速に医療につなげることは言うまでもないが、常に健康状態をチェックする体制も構築されねばならない。

収容時には本人の申告や持参薬の情報だけに依存せず、メディカルチェックを全員に行い、治療を要する疾患を有していないかを把握すること。また定期的な健康診断、メンタルカウンセリングも必要だろう。

■嘲笑した職員、なおざりな医師、法務省、そのすべてに責任がある

「最終報告書」では今後の対策として「外国人である被収容者の体調等を正確に把握できるようにするため通訳等を積極的に活用すること」とされたが、今まで通訳なしでどうやって健康チェックをしていたのか。訴えを理解しようとしないまま収容していたのであれば、ただ人権を奪って閉じ込めていただけではないか。

機器や施設といったハード面はもちろん必要であるし、医療体制というシステム面もより強固に見直す必要は言うまでもない。しかしそこで働く職員、看護師、医師そして施設管理者、さらにはこれらの組織を司る行政の責任者らの意識の中に、外国人に対する差別感情が内包されていなかったか。組織内部に外国人を蔑ろに嘲笑しても許される風土はなかったのか。これらを徹底的に検証し、抜本的な組織改革につなげていかない限り、また同じ悲劇が繰り返されることになるだろう。

ウィシュマさんに心ない言葉をぶつけて嘲笑した職員、それを批判せず看過した同僚に施設管理者、精神的なものと決め打ちして深く病態を見極めようとしなかった医師たち、そして事実を隠し続けている入管庁、法務省。彼らすべてがこの「ウィシュマさん見殺し事件」の責任から逃れることは許されない。

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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。

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(医師 木村 知)

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