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「冷たい動物の餌を食べさせられる」腰が直角に曲がり顔に大きなあざの老母が息子に"許さない"と言ったワケ

プレジデントオンライン / 2022年4月2日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ururu

関東地方に住む60代の男性は2人の女性を介護している。3歳下の妻は7年前に不治の進行性難病にかかり、全身の筋肉が日に日にやせ運動機能が損なわれていく。仙台の実家にいる母親は腰が直角に曲がり、ここ数年は心不全、肺炎、胃がんなど次々と病魔に襲われる。男性は仕事の傍ら周囲の人の助けを借りながら懸命にサポートするが――(前編/全2回)。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■生い立ちから出会い

関東在住の中野篤さん(仮名・60代・既婚)は、北海道生まれ、仙台育ちの一人っ子だ。3歳年下の妻とは、中野さんが大学卒業後、出身大学の研究室の手伝いに行ったときに知り合った。

中野さんは大学を卒業後、外資系の広告代理店と商社勤務を経て、貿易関係の仕事を自分で立ち上げた。一方、妻は地方新聞に小説を配信する通信社に就職。2人は1988年に29歳と26歳で結婚した。

忙しくも穏やかに生活していた2人だが、小説の編集者をしていた妻は、53歳になっていた2015年の5月ごろから通勤の最中につまずいたり、転倒したりするように。趣味で通っていた合気道の道場でも転ぶようになり、それを知った中野さんは、「ちゃんとしたところで診てもらってほしい」と声をかけたが、妻は、整体やマッサージ店に行く程度でやり過ごしてしまう。この頃は夫婦とも、あまり深刻に受け止めていなかった。

■妻が難病ALSを発症

ところが妻は3カ月ほどの間に、どんどん歩行が困難になっていく。通っていた整形外科から紹介された都心の大学病院に通い始めてしばらく経ったある日、夫である中野さんに言った。

「実は私、ALSという病気だと診断されたの。体がどんどん動かなくなって治らないんだって」

2015年11月ごろだった。

ALSは、筋萎縮性側索硬化症といい、国指定の進行性難病だ。筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が障害を受け、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていく。

その一方で、一般的に、体の感覚、視力や聴力、思考などの高次機能などはすべて保たれる。1年間で新たにこの病気にかかる人は、人口10万人当たり約1〜2.5人だという。

妻は、確定診断を受けてからも仕事を続けたが、症状はまたたく間に進行し、11月中には片杖、12月には両杖をつかないと歩けない状態になってしまい、ほどなくして車椅子生活に。

当時、中野さん夫婦はエレベーターのないマンションで暮らしていた。そのため、車椅子通勤で仕事を続ける妻の帰宅時は、いつもマンションに着くと1階で妻が中野さんに電話をし、中野さんが1階まで迎えに行き、車椅子ごと抱えて、住まいのある3階まで妻を運んでいた。

暮らしていた街が気に入っていた中野さん夫婦は、同じ街でエレベーター付きのマンションを急いで探し、1週間後に引っ越した。

■母親のあざ

一人っ子の中野さんは、月に1〜2回出張があるタイミングで、仙台に母親の家を訪問していた。

父親は、1993年ごろに脳溢血で倒れてから、約10年間寝たきりで、母親が在宅で介護。しかし、2003年ごろにクモ膜下出血を起こし、70代で逝去。父親が生前に親戚と不動産関係でトラブルになって以来、付き合いをほぼなくしていた母親は、仙台には頼るあてがなかった。

2013年5月。いつものように出張ついでに母親の家に寄ると、玄関で出迎えてくれた母親の顔に大きなあざが……。びっくりした様子の中野さんを見て母親は、「あんたが心配すると思って電話では言わなかったんだ」と一言。

86歳になっていた母親は、かつて身長約170センチの大柄な父親を、10年もの間、毎日のようにベッドから起こしたり、支えてトイレに連れて行くなどの介助をしたりしていた。そのため腰が90度に曲がってしまい、常に顔が地面を向いている状態に。歳を重ねるごとに歩行に支障が出始め、頻繁に転倒を繰り返す。大きな顔のあざも、転倒によるものだった。

暗い部屋でブラインドにうつるシルエット
写真=iStock.com/Meyer & Meyer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Meyer & Meyer

中野さんは、「高齢者が転ぶようになったら、寝たきりになってしまうリスクが一気に高まる。何とか回避しなければ」と頭を悩ませる。

考えた末に中野さんは、同居を視野に入れて、しばらく母親に中野さんの家で暮らしてもらうことにしたが、母親はたった1週間で仙台に帰ってしまった。

なぜなら、中野さんも妻も、平日は仕事で帰宅は夜7時過ぎ。「毎日、3人で一緒に夕餉(ゆうげ)を囲む生活を夢見ていたのに。これじゃあ仙台で1人暮らししているのと同じじゃないの! 私は帰ります!」と母親は言った。中野さんが謝罪をし、説得を試みても、「やっぱり友人の多い仙台は離れがたい」と言われた。

「遠方に1人で暮らす母親を、誰かに見守っていてもらえたら……」と考えた中野さんは、見守りを兼ねて配食弁当を依頼。

ところが数回利用すると、やはり母親から、「私はいつも冷たい、動物の餌を食べさせられている」とキツイ一言が……。

「本人に受け取ってもらわないとダメという、しっかりとした見守りと、ほんの少しですがお喋りをしてくれて、私には様子を報告してくれる良いサービスだったのですが……」

と中野さんは困惑した。

■母親の遠距離介護

次に中野さんは、「温かい食事が食べられて、見守りもしてくれるところはないか」と考え始める。

すると、母親を担当していたケアマネジャーが、「ケアハウス」を提案。ケアマネによると、「ケアハウスは軽費養護老人ホームと言って、ひとりで自立した生活はできるが、見守りが必要な皆さんがお世話になる施設」とのこと。中野さんはすぐに母親を連れて施設を見学し、寮母長と話をした。費用的にも、食事の内容的にも気に入った中野さんと母親は、早速入居を申し込む。

約1年間の空き待ちを経て、ケアハウスに入居が決まったのは2015年3月。まだALS発症前だった妻もケアハウスを訪れ、家具の配置について3人で話し合った。

そして同じ年、妻のALSが発覚した。

「関東では、妻のALSの進行スピードに負けまいと、必死に先取りをして動き回るという、目まぐるしい日々を過ごしていたので、そんな生活から抜け出せる束の間が、母の様子を見に行く仙台通いでした。大変ではありましたが、新幹線で300kmの距離を移動することが気分転換になったと思います」

母親がケアハウスに入居してからも、中野さんは仙台に通い続けた。2016年のゴールデンウイークと年末年始は、母親を関東の家に招き、車椅子の妻と車椅子の母親の3人で、買物や公園に出かけるなどして過ごした。

「家の近くの公園で、車椅子で仲良く並ぶ2人にスマホのカメラを向けたら、ほっこりした気持ちにもなりましたが、2人を背負っている自分を再認識し、重苦しい気持ちにもなりました……」

■できるだけ遠くへ行こう

中野さんは、妻のALS発症以降、病気や介護の勉強をスタート。妻の病状の進行は思いのほか早く、「追いつけ追い越せ」の気持ちで自身の介護スキルを磨き、次のステージを想定し、補助用具などを準備してきた。

同時に中野さん夫婦は、「まもなく身体がもっと動かせなくなる」前に、「できるだけ遠くに2人で旅行へ行こう」と話し合っていた。

本当は友人夫婦が暮らすバリ島へ行きたかったが、それは妻の病状の進行具合からして無謀だ。そこで2人は、大学の後輩が運営している障害者向けの旅行会社を利用して、石垣島・竹富島へ行くことに。旅行会社は、飛行機、福祉タクシー、バリアフリールーム、介助スタッフなどをそろえてくれた。

沖縄・石垣の夏
写真=iStock.com/wataru aoki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wataru aoki

主治医に相談すると、石垣島の病院に知り合いがいるとのことで、「何かあったときのために」と、詳しい医療情報提供書を作成してくれた。

7月。現地に着くと、介護タクシーで走り回り、竹富島では牛車にも乗車。車椅子で砂浜にも降りた。夜は満天の星空の下、おいしい食事と生ビールを楽しみ、終始妻も中野さんも笑顔だった。

ところが、旅行から戻ってまもなく妻は自発呼吸が難しくなり、呼吸器官の筋力トレーニングのために使用していたマスク型の人口呼吸器が手放せなくなる。

9月には病院に駆け込み、急いで気管切開し、人工呼吸器の使用を開始。さらに10月には、まもなく自力で飲み込むことができなくなることを想定して、胃ろうを造設。

石垣島旅行直前まで車椅子通勤をしていた妻だが、いよいよ働くことが難しくなり、この入院を期に休職。11月に退院すると、ついに本格的な在宅介護生活が始まった。

■「お母様を返してください」

「妻は、要介護5の認定を受けましたが、その介護保険点数を使い果たし、私は『重度訪問介護』という障害者支援法に基づいた、ヘルパーを雇う公的な支援を地方自治体から獲得する交渉をしました。しかしそれには、大変な時間と準備が必要でした」

中野さんは、妻の在宅介護が始まってすぐに、区役所に「重度訪問介護」を申請したが、制度を利用できるまで、調査や判定など、気が遠くなるほどの道のりを乗り越えねばならなかった。

かといって妻の病気の進行は、十分な重度訪問介護時間の支給が決まるまで待ってくれない。そのため、支給が決定するまでは、自費でヘルパーを雇えるだけ雇い、雇えない時間帯は、自分自身で介護をするしかなかった。

数カ月粘り、やっとある程度の「重度訪問介護」時間の支給が決定したが、今度は妻のような重度の介護者をケアできるヘルパーが見つからない。

「『重度訪問介護』の利用が決定しても、自費負担分がゼロになったわけではありませんが、2016年11月から約6年をかけて、今では24時間365日、妻を介護してもらえるくらいの支援を得ることができました。『重度訪問介護』を獲得するには資料作成のスキルが必要なので、仕事の経験や知識が役立ったと思います」

2017年に入ると、夜勤のできるヘルパーも見つかったため、1カ月に2回は仙台へ行けるようになる。89歳になった母親は、心不全と肺炎を頻繁に起こし、短期入院を繰り返すようになっていた。

同じ年の9月。3回目の入院となったとき、母親の主治医から、「大切な話があるので至急、病院に来てほしい」と中野さんに電話が入った。

急いで向かうと、母親は心不全、肺炎、盲腸炎から派生した敗血症、胃がんステージ4だという。すでに年齢は90歳。「大きな手術は避けるべきだと考えています。今後の治療について、お母さんの意思確認をしてほしい」とのことだった。

その足で中野さんは、母親に率直に訊ねた。すると、「もうこれ以上、私の体に傷をつけたり、管をつないだりすることは許しません!」とすごい剣幕で叱られた。

母親の意思は分かった。当時入院していた病院は救急病院だったため、終末期の患者を受け入れてくれる病院に転院しなくてはならない。

病院の空のベッド
写真=iStock.com/LightFieldStudios
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LightFieldStudios

中野さんは、すぐさま病院のソーシャルワーカーに相談して転院先を探し、受け入れ先が見つかったタイミングで再び仙台に帰り、転院先の病院を訪問。正式に転院が決まった。

その後、中野さんはこれまでの経緯と転院のことを説明するために、入院前までお世話になっていたケアハウスの寮母長を訪ねた。すると寮母長は、「お母さまを返してください」と真剣な面持ちで言った。

「私の印象ですが、仙台の方は、あまりはっきりとした物言いをしない方が多いと思います。ですが、静かでしたが、もの凄い迫力で迫られ、私は圧倒されました。その時、ハッと気づかされたのです。『そうか。もし今日決めてきた病院に転院して、母が目を覚ましたら、知らない部屋の壁や天井が目に入り、知らない看護師や医師がいるのだ。1人ぼっちにされたような、寂しい気持ちになるだろうな』と……」

寮母長のおかげで目が覚めた中野さんは、転院先の病院に説明と謝罪に。そして入院中の救急病院には、ケアハウスに戻ることを説明した。

まだ母親が入退院を繰り返す前、「身体の調子が悪くなってもここにいられるのかね? 他に移れとか言われるのかね? 聞いてきておくれ」と母親が言い出したことがあった。

寮母長に確認したところ、「ここは特定施設の認可を受けているので、介護度が進んでも、寝たきりになっても、他の施設に移る必要はありませんよ」と穏やかに言われた。それを聞いた母親は、「そうか、よかった」と心底安堵した表情を浮かべていたことを、中野さんは思い出したのだった(以下、後編へ続く)。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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