「日本は3周遅れのランナーに落ちた」…それでも田原総一朗が日本の未来に希望を持っているワケ
プレジデントオンライン / 2022年4月2日 9時15分
※本稿は、田原総一朗『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■安倍晋三の危機感「10年後日本企業は壊滅する」
現在、私が取り組んでいる問題の一つに、日本企業をいかに再生させるかというものがあります。
じつは2017年11月に安倍晋三さんが再選された後、安倍さんを財界人や経営者に紹介しました。財界人、経営者の人たちは誰もが相当の危機感を持っていました。このままだと、10年後日本企業は壊滅すると。それで私が仲介役となったのです。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、日本の一人当たりのGDPが世界第2位だった1989年当時、時価総額で世界のトップ50社に、日本企業がなんと32社入っていました。1位から10位までの中にも6社入っていて、1位はNTTでした。
ところが30年後、安倍さんが総理大臣のときは、時価総額トップ50社の中に入っているのはトヨタ1社だけ。一人当たりGDPは世界23位。このままじゃ日本は完全に終わりです。
このことを私や経済人らが訴え、安倍さんは日本の産業構造を抜本的に改革しなくてはならないと考えました。
安倍さんは信頼していた西村康稔さんを経済再生担当大臣に据え、私もそこに参加してプロジェクトチームを作りました。
経産省、財務省、厚労省の30代から40代の課長クラスの人間を3人ずつ、計9人。それに齋藤健農林水産大臣をはじめ、自民党国会議員などが加わって合計16人のチームでした。
■松下幸之助が即答した「経営」の定義
じつはいまから考えると、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた頃の日本の家族的経営というのは、とても優れていたのだと思います。少なくとも、日本人の性質にはとてもマッチしていました。
私が40代そこそこのときに、松下電器創業者の松下幸之助さんと会ったことはすでにお話ししました。そのとき、松下さんに「経営者は何を大事に考えているんですか?」と聞きました。例の素朴な私の質問です。「経営とはそもそも何をするものか?」と。
松下さんは、「経営というのは、全社員がどうすればモチベーションを持って仕事ができるかを追求することだ」と即座に答えました。
モチベーション、つまりは「働きがい」ですね。当時は日本的経営ということで、終身雇用、年功序列という日本独自の経営が行われていました。
社員として会社に入れば、基本的には定年までずっとその会社で働くことができたわけです。そして年次を重ねるにつれて役職が上がり、給料が上がっていきました。
会社は社長を家長として、子どもである社員がその下にいる。一つの家族として社員がすべて守られていたのです。だから社員は会社に対して忠誠心を持ち、安心して仕事に取り組めました。
全員が一つの目標に向かってスクラムを組んで一丸となって頑張ったわけです。
■資本主義の常識を超えていた家族的経営
しかし、これは欧米の企業からしたらとんでもないことですね。マルクスの資本論では、経営者は労働者をいかに安く使うかということを考えます。難しい言葉で言うと、労働力を商品化するということです。
経営者はどんなに利益を上げたとしても、それを労働者に分配しません。労働者は原材料と同じ、単なる商品だからです。どんなに利益が上がっていても、原材料は最大限安く購入しようとするでしょう。
そのため、どんどん格差が広がり、労使には決定的な亀裂が入ります。そして労働者が一致団結することで革命が起こる、というのがマルクスの資本論です。
ところが日本の経営では、それが起こりようがありません。なぜなら経営者は社員を家族のように大切にするからです。毎年ベースアップが行われ、昇格と昇給を望むことができました。会社が儲かったら、ボーナスや一時金で還元します。
平社員は年次を経て課長、部長といった管理職になり、その後、経営側になる道さえもあります。もはやマルクスが描いていた資本主義経済下での深刻な階級化、労使の対立というのは日本には当てはまらなかったわけですね。
それどころか社員はモチベーションとロイヤリティを高めて、どんどん質のいい製品を作り出していました。
右肩上がりの経済だったからこそとはいえ、あのような経営形態をとっていたのは日本だけだったと思います。
資本主義の常識をやすやすと打ち破っていた日本型経営と日本企業に、欧米の企業は勝てませんでした。日本型経営を真似ようにも、個人主義が徹底している欧米では、とても無理な話だったわけです。
■1980年代の終わりから増え始めた非正規雇用
おそらく、米国は当時敵対していたソ連以上に日本の台頭を恐れたのだと思います。日本の輸出攻勢にあって、米国企業も経済も青息吐息でした。敵はむしろ日本であり、とにかく日本の勢いを抑え、日本を潰せとなりました。
当時、米国ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(G5)の蔵相が集まって会議が行われました。日本の輸出の勢いが止まらないのは、円が安いからだ、すぐに円を上げろとなりました。これが「プラザ合意」です。
当時は1ドル240円でした。大蔵大臣の竹下登さんは200円まではしょうがないと思ったといいます。それが、あれよあれよと150円台にまで下がってしまった。そして円高大不況になったわけです。
ところが、それでも日本企業の勢いは止まりませんでした。米国の対日貿易赤字は膨らむばかりだったんですね。
そこで米国はさらに攻勢をかけました。日本の輸出が止まらないのは、内需をおろそかにしているからだと言って、内需拡大を迫ったのです。日米構造協議が行われ、関税障壁を撤廃し、大規模公共事業など内需拡大に躍起になりました。
当時、私は中曽根康弘さんに聞きました。「なんで米国の言うことをそこまで聞くのですか?」と。すると彼は、「日本の安全保障を全面的に米国に委ねている。だから聞かざるを得ない」と言うわけですね。
おかげで起きたのが、空前のバブル経済です。内需拡大政策で、地価が高騰。おりしも円高不況に対応するために低金利政策が取られていました。多くの人が銀行からお金を借りて土地を買い、転売する。それでどんどん地価が上がっていきました。
そして1991年、ついにバブルが弾け、日本経済は以降ずっと低迷を続けることになったわけです。
これまた空前の大不況になるわけですが、もはや日本的経営を続けるわけにはいかなくなりました。不良債権処理に手間取る中で、デフレ不況が常態化して、各企業は終身雇用、年功序列を捨てて米国型の能力主義、成果主義に移行していったのです。
同時に、非正規労働者の問題が出てきました。1980年代の終わりから増え始めた非正規雇用は、小泉純一郎首相のときに、規制緩和の流れの中で一気に増えていきました。要は安い賃金で働かせて、業績が悪くなったらすぐに解雇できるようにしたわけです。
■「日本は3周遅れのランナーに落ちてしまった」
日本的な経営から欧米流の経営に代わる流れの中で、日本企業はどうなったでしょうか? 元気を取り戻すどころか、むしろどんどん悪くなっていきました。
リストラの嵐が吹く中で、自分が下手に動いて「出る杭」になったら目をつけられます。社員の誰もが冒険をしなくなり、息を殺して目立たないようにします。上司の言うことには絶対に逆らわない。そんな空気の中で新しいものが生まれてくるわけがないですね。
かつて世界をリードしていたソニーだって、あれだけ世界のシェアを誇っていた東芝やパナソニック、シャープなどの日本の家電メーカーも、NECや富士通などのコンピュータ関連メーカーも、かつての勢いが嘘のように凋落しました。
それはひとえに、働いている社員のモチベーションが下がり、全員が守りの姿勢に変わってしまったからでしょう。
そこから、失われた20年という言葉がありますが、日本経済も日本の企業も精彩をまったく欠いたまま、今日に至っているわけです。それが先ほどの時価総額の結果であり、GDPの結果です。
2021年7月にお亡くなりになった経団連の中西宏明前会長は、「日本は3周遅れのランナーに落ちてしまった」と嘆きました。
東京大学大学院工学系研究科教授で人工知能の研究家である松尾豊さんは、教え子たちに大企業にだけは行くなとアドバイスするらしいです。大企業には将来性がないから、と。
ならばベンチャー企業を作れと勧めるそうです。すでに松尾研究室だけでベンチャー企業が35社誕生していると聞いています。
■大企業の限界に気づき始めた若者たち
私もプレジデントという雑誌で月に2回、ベンチャービジネスの経営者を取材していました。これまで200人くらいに会って来ました。
彼らの多くは大企業に入ったけれど、つまらないと言って辞めているんですね。20代30代は一番アイデアが湧き出す時期です。ところが若い人ほど会社の中で自由がなく、上の言うことを聞かなければいけません。
そもそも日本の企業は、新しいものを作らなくなりました。1のものを1.5や2にする商品は作ります。でも、0から1は作りません。前例がないものは作ってはいけないというわけです。
その間に、世界各国の大企業、ベンチャー企業から新しいコンセプトの新商品が次々に生まれ、ヒットしていきました。だから彼らは、希望のない大企業を飛び出して、ベンチャービジネスを始めるのです。
彼らの少なからずが、物件の価格が高い東京のような大都市圏には事務所を構えません。格安の地方に事務所を構えます。インターネットが普及しているから、まったく苦になりません。
もっと言うと、オフィスさえない人もいます。むしろ静かな地方の田舎の方が研究に集中できるし、いいアイデアが浮かぶそうです。
そういう点でも、時代と価値観が大きく変わってきているのです。
■時代意識と問題意識の共有から始めよう
さて、すっかりコミュニケーションの話から遠ざかってしまったようです。でも、じつは大いに関係があるのです。長々と述べてきたのは、じつは読者の皆さんと問題意識を共有したかったからです。
私はこの歳になっても、政府のプロジェクトチームや、経団連など財界、経済人との会合や勉強会に参加しています。また大学の研究室やベンチャー企業の経営者たちに招かれ、議論し、お互い情報交換をしています。
それはひとえに、彼らと問題意識を共有しているからです。だからこそ、その問題解決に向けて侃々諤々、議論できるわけです。先ほどの日本経済の変遷の話は、問題意識を共有するための最低限の時代認識なんですね。
共通の時代認識から、共通の問題意識が生まれます。そこから創造的な関係が生まれてくるのだと思います。
そういうつながりの中で発生するコミュニケーションは、当然ですが創造的なものになります。
たんに批判するだけの態度からは、絶対に生まれてこないコミュニケーションです。そしてこれからの時代に必要なのは、そんな関係とコミュニケーションだと思います。
私はいろんな人を紹介するように努めています。ベンチャーの経営者やベンチャーを目指す学生には、同じような問題意識を持っている財界人や政治家を紹介しています。
すると、もともと問題意識に共通するものがあるので、すぐに深いところで話が通じるんですね。
私は人脈という言葉自体はあまり好きではありませんが、少なくとも自分が知っている人たちは、どんどん紹介します。そうすることで、さらに両方の人たちとのつながりが強くなるのです。
■おとなしくて従順な若者が多いという大誤解
そこで大事になるのが、やはり本音で話すということです。
共通の問題意識を前提にして、お互いが「こうしたい」「こうありたい」と正直に、忌憚(きたん)なくぶつけ合うことが必要です。建て前や格好をつけて話をしても相手に響かないし、つながることはできません。
私が若い頃は、時代の流れがある意味見えやすかったと言えるでしょう。だから学生同士、共通の問題意識を持ち、共通の方向性が持ちやすかったわけです。
学生運動が盛り上がったのも、そんな時代背景があったからだと思います。それに比べると、いまの学生や若い人はおとなしくて従順な人が多いといいます。
確かに、いまは昔より時代が見えにくいでしょう。それが資本主義であれ、米国の帝国主義であれ、国家という権力、体制であれ、仮想敵がわかりやすかった昔とは違います。いま、世の中は複雑化して、すべてが見えにくくなっているんですね。
でも、ベンチャー企業の取材を続けてよくわかったのは、彼らは非常に時代意識が明確で、自分たちが何を目指し、何を克服すべきかをよくわかっているということです。
だから彼らは大企業などの既存の組織やシステムに頼らず、独自の道を進んでいるわけです。その熱量は、むしろ学生運動に熱狂していた当時の学生よりもはるかに高いと思います。
なぜなら、彼らにはポーズがありません。ビジネスとして生き残るために真剣に戦っているのです。
かつての学生運動には、多分に時代に流され、ポーズをとっていた人も多かった。ベンチャーに飛び込む若者には、そんな中途半端な人間は一人としていません。
ですから、私は困難な時代だけれども、いまの時代にも若者にもまったく絶望はしていません。むしろ、逆です。新しい時代の黎明がすぐそこに来ています。大いなる希望を抱いているんですね。
■一流の人と若者を結びつける
この歳までジャーナリストとして生きてきた私は、幸い各分野に親しくさせてもらっている人がたくさんいます。
若い人とそういう人たちを結びつけるハブになれたら、これほど嬉しいことはありません。そしてそこから様々な化学反応が生まれて、新しい時代が生まれてくるでしょう。その様子をこの目で確かめたいというのが、私の大きな夢になっています。
政治学者の三浦瑠麗さんは、私の本の帯で、私の「圧倒的なプラス思考が好きだ」と言ってくれました。とてもありがたい言葉です。私は自分がそれほどプラス思考であると自覚したことはないけれど、結果としてそうなっていると感じます。
どんなに暗い世の中であっても、一人ひとりが前向きに希望を持ち、描いたビジョンを他者と共有する。それによって、時代はいかようにも変わっていくと思います。
その意味で、彼女の言う「プラス思考」はその通りです。
そして、それを実現するのがコミュニケーションなんですね。互いが理解し合い、共通の目標を立ててそれに向かって力を合わせる。その認識さえ同じであれば、私は立場や年齢を超えて一緒になることができる。私はじつに楽観的に考えています。
三浦さんは、同時に私のことを、「いつでも誰にとっても同時代人だ」と評してくれました。たしかに私は、その時々の「時代」といかにコミットするかを、つねに模索してきたように思います。
時代を代表する人々と関わり、コミュニケートする中で、自ずと同時代を生きることになります。これまでの人生を振り返っても、結果としてそうなっていると感じます。
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ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。
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(ジャーナリスト 田原 総一朗)
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