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湾岸タワマンは危険すぎる…東京のブランド住宅地が「山の手の高台」にある納得の理由

プレジデントオンライン / 2022年4月7日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Moarave

東京の湾岸地域に林立するタワーマンションを「終の住処」としても大丈夫なのだろうか。オラガ総研の牧野知弘さんは「湾岸タワマンが大自然の引き起こす災厄に立ち向かえるとは断言できない。不動産の価値とは結局土地に収れんする。江戸時代から富裕層が高台を選んでいるという事実は重い」という――。

※本稿は、牧野知弘『不動産の未来 マイホーム大転換時代に備えよ』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

■30年の間に発生する3つの大地震

小松左京が描いたSF小説『日本沈没』がいつ現実のものとなるか、誰にもわからないのが自然災害である。

日本全体が沈没してこの世からなくなるというのはさすがに想像しづらいものがあるが、大地震は専門家の予測によればどうやらかなり近い将来に現実の出来事として我々の身に生じることになりそうだ。

政府の地震調査委員会は、今後30年の間に3つの大地震が発生する可能性が高いと予測する。3つの地震とは静岡県駿河湾近辺を震源とする東海地震、三重県から和歌山県の沖合を中心とする東南海地震、そして四国の高知県沖を震源とする南海地震の3つを指す。

3つの大地震のうち、今後30年以内に発生する確率は、マグニチュード8.0の東海地震で88%、同8.1の東南海地震で70%、同8.4の南海地震で60%とされ、この確率は当然だが歳月がすすむにつれて高くなっていくことになる。

今でも記憶に新しいのが1995年に発生した阪神・淡路大震災と、2011年に発生した東日本大震災である。阪神・淡路大震災では、旧耐震基準で建築された多くのオフィスビル、マンション、家屋などの建物に大きな被害が生じた。

また老朽化した高速道路などの社会インフラでも多くの被害が発生した。小規模木造家屋が密集していた神戸市の長田区などが火災で甚大な被害を受けたことは、木造家屋密集地域の安全性に対する危機意識を高めた。

■大地震は再び絶対にやってくる

いっぽうで東日本大震災では、上記の被害に加えて、津波による災害がクローズアップされた。この激甚災害は建物の耐震性だけでなく、建物の立地に対する関心を呼び起こすものとなった。

建物は土地の上に存するから流されていくのも当然だが、肝心の土地が津波によって利用できないほどの状態になる事態は、衝撃的であった。

不動産は読んで字のごとく、動くことのない土地をベースにしたものである。ところが東日本大震災では、土地そのものが津波に洗われ、その上に建つ建物が押し流されるという災害だった。津波が引いた後、土地は再びその姿を現したが、津波に襲われた土地の価値は暴落してしまったのだ。

また阪神・淡路大震災や東日本大震災では、大地震で建物自体の被害を免れたとしても、土地が液状化して、社会インフラである水道やガスなどの配管に大きな被害が発生する現象にも遭遇した。

神戸のポートアイランド地区、あるいは千葉県の新浦安地区といった、埋立地に新たに開発されたお洒落タウンが、地区内を歩くにも苦労するほどのズタズタの状態になったことは記憶に新しい。

こうした大地震が再び日本を襲う。これは確実にやってくる災害である。そして災害に対する備えは、重要であると誰しもが思っていたとしても、実際に起きるまで多くの人は事態を甘く見ているのが現実だ。

■金や眺望を求めてタワマンに群がる人々

デベロッパーは儲かるからといって相変わらず東京の湾岸地区に続々とタワマンを建設、分譲している。たしかに湾岸タワマンから眺める東京の夜景は格別だ。実際にタワマン生活に憧れてマンションを買い求める人たちは多く、販売状況は好調を持続している。

富士山と東京のスカイライン
写真=iStock.com/yongyuan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yongyuan

建物は敷地の地下深く、岩盤層に杭を打ち込んでいるので、阪神・淡路や東日本のような大地震が発生しても倒壊することはない、絶対に大丈夫だという。

エレベーターは停止しても、非常用電源が作動して3日間から一週間程度の電力は確保できる、だから安心だという。土地が液状化しても建物内は安全だ、日本の先進の建築技術をもってすれば大災害が起きても資産価値は守られるというのが彼らの論理だ。

でも本当だろうか。東京はやはりタワマンが林立する香港やシンガポールとは違い、地震国の首都だ。

いつかその日がやってきたとき(そしてその確率は30年という短いタイムスパンで考えなければならない)、たかだか人間の叡智=建築技術、だけで大自然の引き起こす災厄に立ち向かうことができるだろうか。

非常用電源が建物を維持するのは時間制限があるだけでなく、共用部の設備の半分か3分の1程度を賄うにすぎない。

■日本人の大好きな「問題先送り」では許されない

最近の物件ではある程度対策が施されているかもしれないが、初期に建設されたタワマンなどは東日本大震災で図らずも露呈したようにエレベーターは停止し、高層階住民は配給された水を持って自分の住む部屋まで階段を上っていかなければならなかった。

電源を失えば、給水タンクが機能せずにトイレにも行けなくなったことを、多くの人たちは忘れかけている。

すぐそばの未来に、この大地震が発生することを前提に不動産の未来を考えることは、億劫なことであるし、できれば「見ない」「聞かない」「話さない」、日本人の大好きな問題先送りで流してしまいたいところだが、奴らは必ず我々の前に突然その姿を現すのだ。

旧耐震建物の耐震補強・建て替え、木造密集地域での街区整備、津波危険地区での避難所の確保。海岸や河川の整備。そして何より地震が発生した時の防災訓練。やれることはたくさんある。そしてそれらの優先順位をあげていくことが求められている。

こうした備えに対して不動産が果たす役割は大きい。建てっぱなし、売りっぱなしではなく、来るべき災害に備えた防災機能の強化は今に始まった話ではないが、より強化していく必要に迫られているのだ。

■不動産の価値は結局土地に収斂する

私は30歳の頃から不動産を生業にしてきた。平成バブルがあり、その崩壊があり、ファンドバブルが起こり、リーマンショック、アベノミクス。

平成初期までの一方的な値上がり状況を経て、不動産が世の中の変化、とりわけ金融マーケットと接続されてからは金融環境の影響を強く受けて、相場が上下動するようになってきたさまをつぶさに見ることができた。

そうした歴史の中で強く思うのが不動産の価値とは、結局土地に収れんするという理が存在することである。

では土地の価値というものはどのようにして形成されてきたのかと言えば、それは繰り返し発生して人々の生活の基盤を根本から脅かす、自然災害との闘いを経ることで形成されてきたということである。

人々は古来生きる知恵として、繰り返し発生する自然災害にどのように対峙していくかを学習してきた。その結果として土地の価値は形成されてきたのである。

大きな地震が生じても、地盤が堅固でさえあれば、揺れは少なく、建物が崩壊する、地割れが生じるなどのリスクが少なくなる。

地盤が良い場所はどこなのか。津波が襲ってこない場所はどこなのか。豪雨や台風の襲来があって、付近の河川が氾濫することはないか。海の近くや河川の氾濫原の付近には住まないことが、人類が長年にわたって生きてきた結果得られた知恵なのである。

■ブランド住宅地は高台という決まりごと

その知恵の集大成が、ブランド住宅地である。

東京でいえば、赤坂、青山、広尾、六本木、松濤、代官山、高輪、池田山、目白、音羽、本郷などなど全部、所在するのは高台である。

東京都渋谷区の代官山
写真=iStock.com/Mauro_Repossini
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mauro_Repossini

またこれらの住宅地は江戸時代には多くの藩邸が構えられていて、それぞれの大名たちが、高台の藩邸から江戸を睥睨していたさまを感じることができるのだ。

いっぽう商人たちは、物資が行き交う場所の近くに住むのは必然であった。東京でいえば品川から新橋、日本橋にかけては、海や川を利用して運ばれてくる多くの物資を荷受けするために河岸ができ、多くの商人が職場に近い場所で家屋を構えた。

だがそれらの家屋は決して豪壮なものではなく、むしろ荷揚げした商品を保管する蔵、倉庫であったり、商品を売るお店であったりした。後に三越となる越後屋が店を構えたのがまさに江戸の日本橋である。

山の手、下町と称されるように、権力を持ち裕福な人たちは高台に家を構えてリスクに対する耐性を保持し、商いをして日々の銭を稼ぐ商人たちは、災害のリスクと向かい合いながらも下町に住む、この構造こそが街の基本なのである。

明治時代になって、大名がいなくなり、大名屋敷の跡に好んで住んだのが明治政府の政治家や役人たちである。また三井や三菱といった財閥が財を成し、山の手地区を買い、役員たちが居を構えることになる。

富を得、社会的地位が上昇したから、彼らはかつての権力者、武士が住んだ憧れの高台に移ることができたのである。

■津波、液状化…湾岸エリアが内包する数多くのリスク

東京都文京区本駒込六丁目に大和郷と呼ばれる一角がある。現在は東京都が管理する庭園となっている六義園があるところだ。六義園は徳川第五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保がこの土地を与えられ、小石川後楽園と並ぶ江戸の二大庭園として整備したものだ。

またこの周辺には加賀藩前田家の藩邸などもあった。現在の本郷にある東京大学赤門がそのなごりである。

江戸時代が終わり明治時代の1877年、三菱財閥の総帥岩崎弥太郎が六義園や周辺の土地を買い受け、三菱財閥の役員の居宅として再整備した。1区画が150坪から300坪。その後も加藤高明、若槻礼次郎、幣原喜重郎など代々の総理大臣が住み、現在に至っている。

この付近は高台にあって地盤が堅固であり、また彼らの勤務地である丸の内に近いということもあり、三菱財閥にとって格好の居住地だったのである。

現代は、建築技術の発達と土地利用制限の緩和で東京でも湾岸エリアに大量の超高層マンションが建ち並ぶようになった。

だが湾岸エリアは埋め立て地であり、大地震の際には建物は大丈夫でも土地が液状化する、直下型地震の場合には東京湾で津波が押し寄せる、地震で橋が利用できなくなれば陸の孤島化する、など数多くのリスクを内包している土地なのである。

土地は、大きな地殻変動でも生じない限り、無限に存続していくが、建物には寿命がある。経年とともに建物は劣化していくことを考えるならば、湾岸エリアに展開するタワーマンションをはじめとした建築物の価値は、年々劣化していく。

そのいっぽうで土地自体は将来にわたって地震や津波などの大きなリスクを内包しているものとなる。長いタイムスパンで見た場合、どちらの不動産により価値があるかは自明であろう。

■武蔵小杉タワマンの未来は、ニュータウンの末路に近い

ブランド住宅地はただ単に、お洒落だから、流行に敏感だから、芸能人が住んでいるからなどといった要素で決まるものではなく、長い歴史の中でできあがってきた強固な価値、そのものなのである。

牧野知弘『不動産の未来 マイホーム大転換時代に備えよ』(朝日新聞出版)
牧野知弘『不動産の未来 マイホーム大転換時代に備えよ』(朝日新聞出版)

おそらく武蔵小杉を含むタワーマンション林立地域の未来は、ニュータウンの末路に近いものとなるだろう。

タワマンはニュータウンの高層版であり、ニュータウンよりも始末に悪いのは、建物の中にあるゆえに、全員の意見を集約していかなければ、建物の価値を高めていくことができないところにある。

ニュータウンがオールド化してだめになったのは、もともと歴史も何もない山間部や台地をブルドーザーで切り崩して、無理やり開発したものであるために、人々が土地に歴史を刻めないこと、そしてもともと災害に対処して形成されてきた街ではないため、未来に確実にやってくるだろう自然災害の数々に対して、どのような対応ができるのかもはっきりしないことにあるのだ。つまり、土地に価値がないということなのである。

ブランド住宅地を買う人に対して、私は基本的に「NO」というアドバイスはしない。多少の価格変動があってもそれは景気動向など短いタームでの変動にすぎないし、中長期的には歴史を重ねつつ確実に生き残っていくのがブランド住宅地であるからだ。

外国人も含めてみんなが憧れるところには常におカネが入り込む。土地の価値に対する評価にはおカネも敏感なのである。

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牧野 知弘(まきの・ともひろ)
不動産プロデューサー
1959年生まれ。東京大学卒業。第一勧業銀行(現:みずほ銀行)、ボストン コンサルティング グループ、三井不動産などを経て、2006年日本コマーシャル投資法人執行役員に就任しJ-REIT(不動産投資信託)市場に上場。15年オラガ総研株式会社を設立し、代表取締役を務める。全国渡り鳥生活倶楽部代表取締役。主な著書に『空き家問題』『ここまで変わる!家の買い方 街の選び方』(いずれも祥伝社新書)、『不動産の未来』(朝日新書)など。

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(不動産プロデューサー 牧野 知弘)

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