サムスンも注力する人材教育システム
プレジデントオンライン / 2012年4月24日 8時30分
李尚燮(リー・サムスム)●6年以上にわたりLGエレクトロニクスのグローバル人事でシニアマネジャーとしてグローバル人事の戦略立案、採用、育成を担当。2009年以降は、大学で教鞭を執る傍ら、LG、ヒュンダイ、POSCOなどでコンサルタント業務を行う。(American Managemet Association=写真提供)
優秀な人材の獲得と並んで注力しているのがグローバル規模の人材教育システムだ。サムスンやLGEなどの大手の入社後の研修は約1カ月。まず本社で企業の価値観や歴史、事業戦略をはじめ問題解決能力などの基本的スキルを2週間程度かけて学び、残りの期間は配属先のグループ企業で研修を行う。じつはここまでは日本企業がやっていることと同じだ。異なるのは海外拠点で採用した外国人の教育システムだ。
LGEは世界各地にグローバルラーニングセンターを設置している。中国、アフリカ、ヨーロッパ、南米など世界の6カ所にあり、ここで共通の研修を受けている。ただし、北米には各種の学習機関が整備されており、あえて設置していない。
さらに新卒を含めジェネラルマネジャー(GM)や現地の幹部クラスの中から重要な人材であるキータレントを400人選抜し、韓国での研修を行っている。
「韓国以外の海外の子会社で採用したキータレントは韓国に来てもらい1週間の研修を受けてもらう。400人中には新卒もいればエグゼクティブクラスで採用した人もおり、彼らは国内の採用者と同様の教育を受けています」(李尚燮教授)
社員教育は階層ごとに教育プログラムを用意している。LGEの職務等級はマネジャー以下のG(グレード)1、マネジャー候補のG2、マネジャークラスのG3、GMクラスのG4、そして役員クラスのEVP(エグゼクティブ・バイスプレジデント)の5つに分かれる。
マネジャー以下の社員の教育で重視しているのは問題解決能力や大規模な業務変革など新しい変化に対応できるチェンジマネジメントだ。具体的なケーススタディに基づいた実践的な教育である。さらに社員一人ひとりにコーチングのプログラムも提供される。
また、シニアマネジャーレベルになると、マーケティング戦略や財務・会計、サプライチェーンマネジメントなどMBAの内容を重視したプログラム編成になっている。研修も集合研修だけではなく、オンラインによる学習も実施している。G4のGMクラスは海外拠点のCEO候補になり、事業戦略やマーケティングなどの実践的なビジネストレーニングを受講しなければならない。同様にEVPにもコーチングによるグローバルリーダーシップ研修が課されている。
特筆すべきは一連の研修は内部の講師で行うことが多く「LGEもサムスンも90%の講義を内部講師で行っており、交渉技術などのコーチングで外部講師を依頼する程度」(李教授)という。外部の研修機関に依頼することが多く、研修ノウハウが蓄積されないという問題点を抱えている日本に比べて韓国企業の教育システムの充実ぶりがうかがえる。
社員に対する教育投資も決して低くはない。サムスンエレクトロニクスの10年の研修修了者は29万3000人。一人当たりの研修時間は87時間。一人当たりの研修費用は7万円強である。また、LGEの一人当たりの研修時間は56時間。研修費用は10万円近い(08年)。ちなみに日本企業の国内の教育研修費用は約4万円(産労総合研究所調査、10年度)。従業員数約6000人の電機メーカーは約5万円だ。単純には比較できないが、平均的な日本の大手企業の倍の予算を投じていると見ることもできる。
もちろん、オンライン学習や集合研修だけではない。海外へのMBA留学も積極的に行っている。
「LGEでは毎年100人、サムスンエレクトロニクスでも60人程度派遣しています。会社で選抜されると、たとえば家族がいる人は一緒にアメリカに行き、2年間勉強する機会が与えられます。当然、費用は会社が負担します」(李教授)
留学制度だけではなく、地域の専門家を育成するための独自のリージョナル・スペシャリスト・トレーニングを実施しているのがサムスンエレクトロニクスだ。
「世界の各地域の専門家を育てるために特定の国に1年間派遣します。30代のアシスタントマネジャーやマネジャークラスを対象に異文化を経験させるのが目的です。形としては海外駐在員ですが、その間に業務を行うことはありません。あくまでその国の人たちと交流し、文化に慣れるのが目的。その後、実際にその国に仕事で派遣されたときには、異文化経験のない社員に比べて容易にその国になじんで仕事をすることができます」(李教授)
10年はロシア、中国、ラテンアメリカ、中東、日本、インドなどの各国に161人を派遣している。これまで派遣した社員の合計は3812人に上る。仕事抜きで現地の人たちとの交流を通じて文化に触れさせる。当然語学も覚えることになる。グローバル人材の養成にサムスンがいかに力を入れているかがよくわかる。
韓国の人口は約4900万人。日本の4割弱の市場しかなく、韓国企業の海外売上比率は高い。LGEの海外売上比率は85%を占め、当然ながら多くの社員が海外で活躍している。だが、韓国人以外の現地の有能な人材を登用し、グローバル規模で異動させる人材マネジメントは日本企業と同様に進んでいるとはいえない。
李教授は「LGやサムスンにはグローバルに異動させる制度はあるが、現実には海外拠点のトップクラスや海外駐在員の国籍は韓国人が大半を占めている」と指摘する。その理由の一つとして通貨危機後の変革からまだ10年足らずであり、現地のマネジメント人材が十分に育っていない点を挙げる。もう一つは前述した「集団主義」のカベである。
「通貨危機を境に20~30代の若い社員は欧米寄りの考え方をしていますが、40代後半以降の世代は以前の韓国や日本のように年功序列や韓国人で固まるという集団主義的な古い考え方を持っている人が多い。したがって成果主義を取り入れていて、若くても飛び級的に昇進することは理論的には可能ですが、現実の運用では難しい面もある。成果主義に基づく評価を巡り、海外の拠点でも世代による考え方の違いで問題になることがあります」(李教授)
こうしたカベは存在しても仕組みの構築は日本企業よりも韓国企業が先んじている。言葉のカベは新卒の英語採用要件や外国人役員の採用により英語が使えなければ仕事ができない状況にある。また、グローバルな異動を可能にする人事制度も統一されている。たとえばLGEには「グローバルトータル報酬制度」があり、社員の職務で格付けされたベース給に個人業績とカンパニー業績によるインセンティブが上乗せされる仕組みだ。
「賃金水準は同じグレードであっても韓国よりアメリカのほうが高いという国による違いはあるが、世界共通の人事・報酬制度になっている」(李教授)
本社のグローバル化に加えて海外拠点のキーとなるタレント人材の育成と統一された人事制度。つまり、グローバルな人材マネジメントを可能にする仕組みはすでに整っている。それに対して日本企業はどうだろうか。一部の企業では人事制度の統一や海外のタレント人材の発掘と教育に乗り出している。しかし、大半の企業は日本的人事制度をどのように改革し、世界共通の人事制度をどのようなものにするのか描けないでいる。
また、グローバル化を意識した留学生など外国人の新卒を採用する動きが広がっているが、ほとんどの企業は日本語ができることを要件にするなど本社のグローバル化もそれほど進んでいるとはいえない。
もう一つの韓国企業と日本企業の違いは、強力なオーナーシップの有無である。李教授は「韓国企業は家族経営によるオーナー企業であり、オーナーが意思決定すれば素早く行動するというスピード感がある。規則やマニュアルを重視する日本企業と違う点ではないか」と示唆する。それゆえに急激な改革の危うさも併せ持つが、通貨危機で傾いた経営を強力なオーナーシップで乗り越え、成長してきたのは確かだ。
グローバルな人材競争力において日本企業は韓国企業に負ける――。そうした危機感が現実のものとなる日はそう遠くないかもしれない。
※すべて雑誌掲載当時
(ジャーナリスト 溝上 憲文 宇佐見利明=撮影 AP/AFLO=写真 American Managemet Association=写真提供)
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